日本語の本を出すということ

 

むかしは、そんな理由じゃない!とむきになって否定していたが、最近は、考えてみて、やっぱり子供のときに日本に住んだということがおおきいのかも知れない、とおもう。

 

日本を離れて、すぐに忘れてしまったが、子供のときはたしかに日本語が話せたので、いま仮に録音があれば、案外カタコトに近いのかもしれないが、当時は、かーちゃんが出かけるところには、どこにでもくっついていって、店員さんなら店員さんの日本語を通訳するのが誇らしくもあり、嬉しくもあった。

読んだり書いたりするのは、ぜんぜんダメで、いまでも日本語を勉強しようとしたらしいノートが残っているが、ひらがなの「ね」が、全部裏返しになっている。

英語社会にもどってみると、日本にいたことは、まるで夢のなかの出来事のようで、そのうえ1990年代初頭の英語社会などは、日本語文明に限らず、他文明になど、まったく興味をもっていなくて、友だちと話していて、「そういえば、日本では、こうなんだよ」と述べても、「へえ」というおざなりの、気のない反応が返ってきて、次の瞬間、ホールデンの新しいユートが、いかにクールか、という話になっていった。

 

日曜日の朝には「セーラームーン」が放映されていて、それはそれで人気があったが、そこから日本文化に興味をもつ、というようなことは、あったとしても稀で、いま振り返って考えても、アニメとしてのおもしろさと、それが日本のアニメであることが結びついていなくて、鮨のような食べ物は強く「日本のもの」であることが意識されていたのと、好対照をなしていて、文明というものの面白さを暗示している。

義理叔父という存在が、自分の日本語にとってはおおきかった、ということはブログにも何度も書いている。

叔母が結婚した相手で、日本の人です。

当時から通常の日本の人と較べようもなくて、飛びきり英語能力があったが、それでも、ときどき、なにを言っているのか、まったく理解できないことを口走るので、気の毒に、遠慮などというものには縁がない、連合王国人やニュージーランド人に、よく揶揄われていた。

平気を装っているが、内心は深く傷付いているのは、叔母やぼくには感得されていて、なぜか英語の問題がいっさいなくて、時に、相手が、ふと会話を止めて「おまえの英語は、すごいな。きみ、ほんとうに日本人なのかい?信じられない」と、あながちお世辞でもなく述べてくれる人が、たくさんいた、カリフォルニアに越したいと口走ることがあった。

こちらが段々成長してくると、従兄弟と遊ぶために出かけると、よく顔をあわせる、この奇妙なおっちゃんと、自分には、あろうことか、いくつか共通点があることがわかってきた。

・本をたくさん読む

・数学が考え方のバックボーンになっている

・コンピュータを中心としたハイテクノロジーに強く惹かれている

オランウータンが木から落っこちてボーゼンとしているような、輪郭も表情もぼんやりした顔からは到底想像がつかないほど高い知能をもっていて、世界から表層を剥ぎ取って深層を見つめる能力を有している。

だいたい十三歳くらいになるころには、年齢がおおきく離れているにも関わらず「だいなかよしの友だち」と意識されるようになっていて、物理的におなじ国に居合わせれば、一緒に「つるんで」あちこちに遊びにいくことが多くなっていった。

この人が日本語の先生です。

いま考えてみると随分ヘンテコリンな選択だが、クリスマスのプレゼントに英語版の平家物語をもらったのから始まって、ラフカディオ・ハーン、最も決定的だったのは、「東京物語」を初めとする小津ムービーで、日本中探し回って、やっと手に入れたVHSの小津映画を一緒に観ていると、叔母も従兄弟も、わし両親も、みんながそわそわしだして、用事をおもいだしたり、眠りこけてしまうなかで、義理の甥っこだけが、目を爛々と輝かせて、コーフンさえ見せて手に汗を握って、淡々と語られていく映画を観ている。

やがて、ふたり映画クラブのようになって、「ゴジラ」や「ゴジラ対モスラ」を観くるって、感想を語り合うようになっていく。

英語字幕を借りなくても日本語がわかるくらいまで日本語能力が恢復すると、すっかり日本語そのものもおもしろくなって、義理叔父の書斎にあった筑摩書房の近代文学全集を片端から読んで、読み終えてしまうと、「美しい星」に出会った新潮文庫の三島由紀夫全集を読んで、とバリバリと日本語の本を読んで、若い人間というものは恐ろしいもので、到頭、岩波の古典文学大系まで全巻読んでしまった。

初めはご多分に洩れず思潮社の現代詩文庫だったが、岩田宏の詩集を手にして、なるほど、日本語とはこういう言語だったのか!と考えて、手に入る限りの詩は、「夜半へ」や「ショパン」の長詩を含めて、全部、暗誦できるようになったのは、この頃でした。

同じ頃、英語世界では、ポール・マルドゥーンのようなアイルランドの詩人たちが好きだったが、一方ではディラン・トマス、T.S. Eliot、W.H.オーデンの「昔の詩人」も大好きで、「荒地」という同人名に誘われて読み始めた、田村隆一や三好豊一郎、北村太郎に続いて、いま考えて、北村透谷や岩田宏と並んで日本語世界との最も決定的な邂逅になった鮎川信夫にめぐりあうことになる。

このあとのことは、ブログ記事になんども出てくる通り、日本語の読み書きができるようになると、他人に見せてみたくなるのが人情で、義理叔父が遊び半分に考えたゲームサイトの販促に始めた会社の人や義理叔父自身が書いていたブログを、ごく初期の途中から引き継いで、ver.1に中る、「ガメ・オベールの日本語練習帳」と称するようになったのが、そもそもの初めでした。

そこからは、十年を越えて、いままで、一緒に歩いてきてくれた人も、たくさんいる。

自分では、どんなものを書いているのか、よく判っていないところがあって、言われても、いまでもピンとこないが、「どうか掲載しないでください」という断りと一緒にくるコメントや、email、最近ではtwitterのダイレクトメールの形で、おおげさでなく膨大な数の

「あなたのブログのお陰で死なないですみました」

「ブログを繰り返し読んで、かろうじて生きている。日本の社会は、苛酷で生きづらくて、もし、あなたのブログがなければ、わたしは、とっくの昔に死んでいます」という、どれもたいへんな長文の、わしのブログなどより、ずっとすぐれた日本語で書かれた手紙が舞い込むようになっていった。

十年、日本語を続けてきた、というのは、そもそも40分以上おなじことをやれないので友人たちには、遍く知られていて、学生よりも若いのに母校の講師に抜擢されても、あっというまに辞めてしまうし、ガールフレンドに唐突に「飽きてしまった」と述べて平手打ちをくらったりしていて、とんでもない飽きっぽさが第一の人間としての特性である自分としては破格のことです。

多分、理由は、過去へ向かって読み返していくと、書くにつれてだんだん日本語が上手になってくるのが自分でも感じられていたからで、2015年くらいになると、自分では、機嫌がいいときなどには、「もしかして日本人よりも日本語、巧いんちゃう?」と自惚れられるくらいになっている。

そうは言っても、2018年くらいになると、流石にほんとうに飽きてきて、この間に起きた色々ないやがらせとはあんまり関係なく、自費出版でいくつかの記事を紙にしておいて、日本語全体から足を洗うべ、という気持になっていった。

500部、という数でいいのではないか、と考えて、なにしろ本人がIlluminated books、あの金箔と絵とカリグラフとゴージャスな色彩に満ちた、精巧な本の大ファンで、まさか蒐集はしないが、レプリカのコレクションまでもっているくらい「ものとしての本」が好きなので、いくらでもオカネをかけて、中身のテキストがボロいのはやむをえないとして、本としての体裁だけは美術品と呼びたくなるようなものをつくろうと考えた。

考えているうちに、線描画を書くのが好きなので、与謝野晶子の「みだれ髪」の初版に倣って、手描きの表紙がよいのではないかと考えはじめて、500もドローイングを描くのはたいへんなので、50部もつくればいいか、と計画を変更した。

自分では外国に住んでいることでもあり、どうにもならないので、能楽師で、学芸家でもある年長の友人に采配をお願いして、快諾をもらうところまですすんでいました。

めんどくさいので、口にだして、誰をどういう友だちだとおもっていて、どのくらい信じている、というような「私家版友情ミシュラン」みたいなことはしないが、このひとはすごいな、このひとは真の友人である、と考えていた人に失望するという「事件」が起きた。

敬意がおおきかったり、強い友情を感じていたり、信頼が深かったりする相手に落胆したときほど、怒りというものは強く、爆発的になる。

日本の人は「礼儀正しく怒らないとダメだ」「怒るよりも先に、なぜ話しあおうとしないのか」というが、はっきり言ってしまえば、そんなのは日本の人のチョー特殊な意見で、それが常識になっている日本語社会が、どれほど病んでいるか、という証左にしかすぎない。

初めからなにも期待していない相手など、どうでもいいが、その人ほど自分の心に深く住みついていれば、怒るのは当然で、自動的に「もう日本社会との付き合いも、いくらなんでも潮時だ」と考えるよりほかになかった。

黙ってブログを閉めた。

その直後に起きたことは正直に予想外で、それまでも「本を出さないか?」と、なんでか恐る恐るという趣で申し出てくれた編集者の人達がいたが、以前に申し出てくれた人達も含めて、「書籍をだしましょう!」というひとが、たくさん、とは言わないまでも、複数であらわれた。

そのなかのひとりは、なかよしで、詩を読む人で、もともとは(本人は言うと照れまくって「研究者」だけはやめてくれと述べるが)人文研究者で、自分で本も出していて、なにより日本語を読む達人で、職業が目下は編集者なのは知っていたが、「本をださない?」とはいちども言ったことがない人間であって、ふたりで初めはなぜかEvernote(←なんで?)で、あとでは、ふたりslack をつくって、冗談をいいあい、バカ話にふけり、誰それの詩は素晴らしい、二年前の雑誌に、こんな水村美苗さんの対談が出ているのを知ってた?と、どうかすると、夜明けまで話して遊んでいたひとが、唐突に、「ガメさん、本ださない?わたし、ガメさんの本を出したいんだけど」と言う。

ぶっくらこいてしまった、という表現は、こういうときのためにある。

出版人のひとたちの申し出はありがたかったものの、「ニセガイジン」の噂がある人間の本を出す、とか、のっけから企画会議も通るわけねーじゃん、なに考えてるんですか、あんた、とおもっていたので、「わたしは、いままで何百冊という本をだしてきたが、あんなものすごい能力がある編集者は見たことがない。あの人は、わたしがいままで出会った編集者の5本の指に入る」と年長友が書いてきたことがある、この編集友が、よもや、ガメ・オベールの本を出したいとおもっていたとは知らなかったので、ほんとうにほんとうに、ぶっとんでしまった。

なんだか、膝をあらためるようにして、「わたし、ガメさんのブログのファンなんです。むかし、仕事をはじめたばかりで辛かったとき、青山にハーゲンダッツって、あったでしょう? あのハーゲンダッツが店を閉めたあとに出来た日用雑貨の店の二階にあるカフェに腰掛けて、昼休み、毎日、すがりつくようにして、ガメさんのブログを読んでいたの」というので、俄には信じがたい発言が書かれたslackの画面をみながら、愛用しているゲーマーチェアから、ずるこけそうになってしまった。

現実にはゲーマーチェアはホールドがいいので、ずるこけたのは魂だけだったが。

 

企画は出版社の会議を通ってしまった。

本決まりになって、生産工程に入って、出版コードがついてしまった。

あれよあれよ、という間です。

 

ぜひこの人に依頼したい、と提案された装幀家のひとの名前を見ると、ガ、ガ、ガ、ガアアアアーン、わしが大ファンの超一流装幀家です。

「ものとしての本」をデザインする人としては他言語世界を含めてもby farでいちばんの人ではないだろうか。

自費出版のほうは、そこに至って、ついに虚空に消えていきました。

 

十二月に出す、というのを、ゆっくりつくりたい、と考えて一月に延ばしてもらった。

編集友が突然、嬉しい申し出をした次の日かだった、さらに嬉しいことがあって、日本語ツイッタで出来た友だちの、Mさんが、

「#日本語練習帳の書籍化を希望します」

というハッシュタグをつくっているのだ、と、このおなじ編集友が教えてくれました。

Mさんという人は、ずっと友だちでいてくれたごく少数のひとりで、今度も黙って、知らされたわしが泣きそうになるようなことをしている。

NMや、このクアランプールのMさん、DI、というようなひとたちは、いったいどうして、いつも、どう考えたって、なにも良いことがない、わし日本語友でいたいとおもってくれるのかわからないところがあります。

 

頼まれもしないのに、友だちと信じている人間を応援しようと考える、ひたすらな善意と、不思議な友愛をもつひとたちもいるのが日本語世界で、結局、自分は、その不可思議な文明の魅力にまけて、いままで日本語世界と付き合ってきたのだと、いまでは、よく判ります。

むかしは、どうしても言えなかったひとことが、いまは言えるようになった。

好きなんだよね、日本が。

途方もないくらい、愛している。

 

もう、隠していたって、仕方がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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11 replies

  1. 『その「種族」は国境を越え、言語を越え、人種も性別も超えて、世界中に分布している。
    特別な名前は付いていないが、お互いにそれと知っている。…………….

  2. 鏡文字がかわいい♪

  3. 予約しました!うれしいです。

  4. ガメさん、ありがとう。
    このところ、ずっと息が苦しかったのですが、この報を得て、一息つけました。
    こたつでお茶を飲んで一息つけたみたいな気分、久しぶりです。

  5. やったね。良かったです

  6. 予約しました

  7. このnoteを書いた時のガメさんの思いが、悪意に潰されたままにならず良かった。
    いつも心の中に静かに波が立ち、読み終わる頃ススーッと目から零れ落ち、あったかい気持ちが残る。そんな言葉たちが埋もれずに済んで本当に本当に良かったです!

  8. ありがとう。やっぱりガメさんは優しい。
    ガメさんが義理叔父さんと出会ってくれた運命にも感謝。
    来月が楽しみです。大切な人たちにも本をプレゼントしよっと。

  9. 私のところにも、本が届きました。ゆっくり読みます。ありがとうございます。

  10. 本をありがとうございます。好きなものが入ってて、編集してくれた方にお礼を言いたいです。
    日本人社会では、困難で大変な人ほどどうしてか自己責任と自助というインチキを強要されます。編集さん心配です…。

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