ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5  コメント_その1

 

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ガメ・オベールの日本語練習帳_青土社版 page 9

 

再び、汚れた髪について

 

☆maymanaさん Jun 18, 2018

「この人はなぜこれほど恵まれているのに弱い者、苦しんでいるものに近づけるのか?」ということと「なぜそうしようとするのか?」と心を打たれました。私はこのような訴えを聞くことを生業として30年近く聞き続けていますが、ガメさんはそうでない。私はこの国で生まれ、封建的な地方都市で弱者である女性として生きているために弱者の立場に寄り添うのは自然ですが、ガメさんは全くそうでない。もちろん人に近づく能力もまたガメさんの天性の能力のひとつとしても、なぜ?という疑問がありました。
ただふと考えると、私がそれほど「なぜ?」と思う背景には、日本で出会う強者の立場の人は、特に男性は、さらに言えば弱者の立場の人であってさえも、強い者を気にして従おうとはしても弱いものに目を向けて寄り添おうとすることがまずないから、という事実に気が付き愕然としました。貴方の生きる世界では、強いものが弱いものに寄り添おうとすることは珍しいものでなく正しい行動としてごく自然に存在するのかと。自分が日本人の感性を持っているとあまり感じたことはなかったのですが、紛れもなく日本人だなと思いました。
50年以上この国に生きてきて変化を見てきましたが、最近はかなり絶望的になっています。私の目には、この国には決定的に何かが足りないので同じ所で永遠に振り子のように揺れているだけのように映るのです。そんな時期にガメさんに出会い、何が正しいのかの信念に一本の筋が通ったように思います。それと共にこの絶望的な日本の状況を相対化して見る力を与えてくれたことに感謝します。
私はとてもガメさんに助けられたと思うので、もちろん日本語世界に留まってほしいと願うのですが、同時にそれは行き過ぎた期待だとも思います。ガメさんは日本語世界の最も嫌な部分に接しています。そうでありながらも愛を持ち続けてくださったのですが、でもやはりこれは当事者の日本人である私たち自身の問題であるから。人が変わるためにはその人自身の意志が必要で、それでも長い長い葛藤をくぐり抜けてでないと変化は訪れないことを、私はその場に立ち会ってきて知っていますし、国の変化もやはりそうなのだと思います。それが私の生きている間でないにしても。

それでも、いつお別れが来てもいいように、私の個人的なお礼の気持ちをお伝えします。
本当に、どうもありがとう。多分ガメさんが考える以上にガメさんから多くの学びを得ましたし、とても助けられました。そしてそれを私がこれから出会う弱い立場の人たちにも伝えていきますし、私自身が考える材料にもしていきます。

 

☆swingoutさん

 

June 10, 2019

わたしは、20代の頃に何度も自分の命を捨てようとした。自分は生きている価値のない人間だと考え、そのやり切れなさから逃れようとした。しかし、そうはならなかった。
何か自分にもできることがあると信じたくて、あがき続けた時期もあった。その頃は、心身の調子の波が激しく、上向きな時はおそろしく意欲的になる。しかし、その反動でわたしの中の目盛りの針は振り切れてしまうのだった。
その後、波は単調で低いままになった。、意欲を持つのが徐々に困難になっていき、目先の些細なトラブルに対処するだけで精一杯だった。
そして、このごろは一層低調になり、ベッドから抜け出すまでに随分時間がかかるようになっている。外出の回数は減り、かといって、家で何をするでもない。ただ、時間だけが過ぎていく。それが積み重なって、日々、月日、年月がわたしをすり抜けているかのようだ。
「ふたたび、汚れた髪について」を読んでいて、過去から現在にかけての自分の姿が浮かび上がってきた。ぴったり重なりはしないが、大きくずれてはいない。
ただ、生きているというだけのわたしがいる。今は、それ以上でも以下でもない。

「ふたたび、汚れた髪について」を読み終えて、小さくため息をついた。自分がこのままでいいとは思わないが、少しホッとしている気がする。きっと、これからも「生きているだけで大ごとなる」のだろうが、まずは、生きていよう。

 

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ガメ・オベールの日本語練習帳_青土社版 page 18

陽だまりに休む権利

 

☆石炭(@airdog_s)さん

August1, 2018

>貧困には、ちょっと死に似たところがある。
社会から外れることが死に似ているか、死と同等に扱われるなぁと思いました。
また、病気や障害を持ったり不登校、いじめや性暴力の被害者になることも同様におもいます。

twitterでは文字数が足りないのでコメントとして書きたいと思います。
この間の生活保護や障害を持つことのツイートをRTしてくれたこと、そうして日本人なら無かったことにしてしまうようなことを手に取りやすい文章にしてくれたことに、少し泣きました。

自分は生活保護は受けていないのですが、障害年金を受けて生き延びています。
月65000弱の年金だけでは暮らせないのですが、親の援助と今は失業保険で、同じく働きすぎて障害を持ってしまった妻となんとかやりくりしています。

この社会の人々の多くは、正しいことを言うと方々から批難されたり脅されたり馬鹿にされたりするので、波風立たないように見て見ぬふりをすることが一番だと怯えながら暮らしているようにも見えます。何かを言うと次は自分が犠牲になるのではないか、と。

この社会の人々は子供時代から、みんなと違うといじめられたり排除されたりするという事を、学校やご近所という社会で先生や大人達から学びます。みんな同じ日本人であるから、違う人は間違っているのでいじめたり排除されるのは当たり前だと。被害を受けた側の多くは泣き寝入りするか、助けを求めても相手にされず絶望し、不登校になったり転校したり、ひどい場合は子供ながらに自死を選びます。自分もいじめられていたので、よく今まで生き延びたものだと今では感慨に耽けるようになっています。

ガメさんは既に多くのことを知っているので今更なことかもしれませんね。
日本の社会の人々の冷淡さについてはよく話されているので。

いじめで病気になり、障害者となり、もう自分はこの社会の仕組みからは、いない存在になったのだと惨めなゴミクズのように感じ、はやくこの世から居なくなりたいと思っていました。今苦しんでいる同じような人達も、苦しみを抱えながら表現というものをしている友人も、弱い存在となった人々は、葛藤し続けていると思います。

ここからは自分の経験を話したいとおもいます。

自分は運の良いことに、病気になった今の妻と知りあい、病院のデイケアや作業療法、障害年金といったものがあることを知り、それから自分の人生が変わりました。作業療法で知り合った友達に障害当事者の自助サークルを紹介され、そこで活動している時に、退院促進ピアサポーターという仕事にありつき、また別の福祉の仕事も紹介され、散々心配をかけた母親もようやく安心したのでした。病院に10年もかかっているのに福祉の情報を知らずにいるというのは珍しい事ではありませんが、大きな問題だと思います。

そういった中で、福祉について学び、仕事の中では精神病院に30年~50年入院させられている人々が居ること、退院できるほど回復しているのに、社会や家族の受け皿がない為に本人の意思では退院できない人達がいることを知りました。そして、そういった長期入院患者さん達を退院できるように助ける仕事をしていました。

ですが、皆が皆退院できるようにはならず、やはり何十年もその人が居ない事で成り立った家族が受け入れを拒否するなどで、どうにもできず諦めるしかない事例もありました。サポートの途中で亡くなる人も何人かいましたが、病院側はなぜ亡くなったのか教えてくれない、そんなことも経験しました。

退院したあとの住居は大概が障害者向けのグループホームなのですが、別の地域では障害者のグループホーム建設に住民が反対するということもよくある事のようでした。また、長期入院患者さんを退院に導くピアサポーターというのは、精神障害者の仕事なのですが、その仕事に対する給料には地域ごとに差がありました。現場までの交通費が支給されない、現場までの移動時間は何時間でも仕事と見なされず、返って赤字になるという知り合いもいました。障害者であるピアサポーターへ給料がいるかどうか、ボランティアとして無給でよいのではないか、という話もあったようです。

この退院促進の現場、精神科病棟で見てきたことは、もうひとつの地獄として、生涯忘れることは無いと思います。

同時に仕事の関係で知り合った友人達には生活保護を受給している人は多く、世間で言われるようになった、不正受給者という悪者をやっつけたいというような人々の欲望とは違い、少ない保護費でなんとかやりくりしながら、嫌がらせを受けないように隠れるように生き延びているのが実態であると、お伝えしたいと思った次第です。

子供の頃から大人になってまで、いじめ、不登校、貧困、差別、ハラスメント、奴隷のような職場環境、美しい国とはどこにあるのか、地獄ばかりを見ているのは何故なのか、考え続けています。

ガメさん、暖かい文章をありがとう。
ガメさんとご家族、ご友人の幸せを祈ります。

☆gamayauber1001

August23, 2018

日本に住んでいて我慢がならなかったのは、日本では障害年金や生活保護を「社会からダメな人間への施し」だと考えている人がたくさんいたことでした。
そして、その社会からの施しは自分の税金なのだというのね。

言葉を失うような野蛮というか、それなら、あなたたちの社会はなんにためにあるのか、そもそも、あなたのような人間にとっては同じ日本の社会に住む人達はなんなのか。
同胞、という言葉を知っていますか?
と問いたかった。

日本語で率直に綴られた文章を読んでいると、いつのまにか、歯をくいしばって、あるいは唇をかみしめていることが多い。

そこで述べられていることは、理解を絶した手を差し伸べることへの拒絶であり、そのかわりに石をもって相手を打つ人間が日本語世界にはたくさんいるという俄には信じられない現実だからです。

「同時に仕事の関係で知り合った友人達には生活保護を受給している人は多く、世間で言われるようになった、不正受給者という悪者をやっつけたいというような人々の欲望とは違い、少ない保護費でなんとかやりくりしながら、嫌がらせを受けないように隠れるように生き延びているのが実態であると、お伝えしたいと思った次第です」

というような文章をみると、なんども読んで、だんだん涙で文字がにじんでくるのを止められなくなってしまう。

誰が読んだって、そうですよ。

生活保護を受けなければ暮らせなくなった人間と、生活保護を受ける必要がない人間の違いなど、たかだか運の違いにしかすぎないのは、生活保護はおれの税金から出ているのだと鼻息も荒くいばってみせるくだらない人間たちの数百倍の税金を払って暮らしているぼくと、その人間とのあいだにある差異が、やはり運の些細な違いに起因しているのとおなじことだとおもう。

性差別や、さまざまな問題を抱えながらイスラム教が、この世界で伸び続けているのは、彼らの宗教では、人間の成功と不成功は、ただ単に運によっているという認識があたりまえなだけでなくて、だから成功した人間は、不運な人間に金銭を与えるのがあたりまえで、それをしない人間は、人間の成功を自分の能力に帰している傲慢さにおいて恥ずべきだと社会がまるごと信じているからでもあるのですよね。

ぼくとモニが大好きなムスリム系インド料理店には、入り口にでっかく「オカネがない人は、申し出てくれれば無料です」という看板が掲げられている。

彼らは「文明」ということを信じている。
英語人は、テイクアウェイの入り口に入るときに、看板を見て、自分達の仲間意識が言葉だけで終わりがちな自分たちの社会を思い出して、ちょっと恥ずかしい気持で入る。

素晴らしい、というような言葉では、到底いいつくせないコメントをありがとう。
この
石炭さんのコメントが、コメントへの返信を再開するおおきな理由になったことを申し添えておきます。

ほんとうに、ありがとう。

 

☆石炭(@airdog_s)さん

August23, 2018

夏風邪の治りかけの夜に、コメントの返信が届いていました。

「素晴らしい、というような言葉では、到底いいつくせないコメントをありがとう。
この
石炭さんのコメントが、コメントへの返信を再開するおおきな理由になったことを申し添えておきます。

ほんとうに、ありがとう。」

この言葉で何度も、今もまた何度目かの涙が出できています。

なんと言うのでしょうか、文明というものが信じられる世界では、人々は自由に堂々と生きることが当たり前なのだろうなと考えています。運の悪い人々を懲らしめたり嘲笑ったりしない、そんな世界を。

この社会の底とも言えるような、障害や貧困の社会の中でも自分たちはまだ運が良い方だと似たような友達と話したりするのですが、この底辺からもちょっと浮き上がっているような所在の無さは、例えるのが難しい感覚です。この辺は障害者同士の社会でも差別があるという話になってしまうのでまた別の機会がいいのかもしれません。

日の目を見ることの無いような底辺の社会でも色々な人達が生きていて、そんな中に友達が出来て、せっかく病人になったのだからとのんびりと話し合いながら生きていくのも悪くは無いなと思いつつ生き延びています。けれどそれはひとつふたつ大きなものを諦めていくことでもあるのですが。

ただ、こういったガメさんのような違う世界の人々とやり取りも出来るのだと思うと、また別のものを手に入れられそうだなと楽しみにしている自分も存在するのを確認することが出来ることが面白く思えます。

ブログのコメントやなにかでなにがどうなって行くのか、自分も遊びに参加しながら楽しみにしています。

それでは、返信ありがとうございました。
もう少し泣いてから、笑って朝を始めようと思います。

 

 

☆Makoto.T (@Jaco_report)

August23, 2018

小学生の頃給食費を手渡しで渡す習慣がありましたが免除されている生徒もおりました。
先生方が教室の中で分かりやすく、誰々さんは給食費は支払わなくて大丈夫だからね。と声にだすものだから、子供心に何故だろう?と思っておりました。

やがて時を経て、彼らは生活保護を受けていたんだと理解しました。今にして思うと、あれって生徒に対しての公開処刑的なふるまいだよな、、、と思う次第です。

最近というか過去もそうですが、日本人は「臭いもにはふたをする」考えが跋扈していると感じます。以前Twitterで少し書いたことがありますが、父親の亡くなった姉は全盲でした。心根が優しく私が一番頭が上がらず、かつ、大好きな叔母でした。

当時の日本(もしくはその地域かもしれません)は全盲の人が家にいると恥ずかしい先に考えが出て、自宅から出さなかったようです。
どーやって勉強したのだろうか?文字はどうして覚えたんだろうか?と子供心に叔母に聞いたことがありました。今にして思えば点字を学び覚えていったんだろうと理解できるのですが、、、。

叔母からもらう毎年の手書きの年賀状は少ない言葉ながら、いろいろと心に残ってます。
もちろん叔母も生きていくためにはお金がないとだめでしょうから、生活保護や障害者年金などを
受給していたんだと思いますが詳細は不明でした。

私は父親が脳梗塞を患い30歳早々に介護を経験しました。当時入院していた病院へ日々通っていく中で、同じ病気を患っている患者の方が多数いて、リハビリに励んていたのですが、父同様彼らもいつかは退院しなくてはならないのですが、退院後の生活保証等は存在せず、病院に相談すれども
無しのつぶてで途方に暮れていた方々を何人も目にしました。

話が脱線してしまいましたが、うちの奥さんが日本にきて10年経ちますが、いまだに日本は変わらないし今後も変わらないと申しております。会社に行けば「日本語話せますか?」「日本語読めますか?」「中国人ですか?(妻は台湾人)」「英語できるんですか?」など、さも日常の風景のごとく話してくるようです。そんなこと聞いて、この国は大丈夫なんかい、、、と思うことしばしば。

NZの小学校で着ていた制服を別の方が利用できるよう回収し、セカンドユーズとして販売?していたり、社会弱者をなんとか支えていく姿勢が日常の風景のように備わっている仕組みは
いいなあと感じてます。もちろん、まだまだチャレンジするところはあるんでしょうが。(仕事とか不動産の問題とか)

なんだかコメントですとTwitterという限られた文字制限がないので、とりとめのない言葉をたくさん書いてしまいました。失礼しました。普段会話できないことが多いので、ここだと何故か安心できる気がします。

☆キラキラ大島

May23, 2018

小学4年生のとき、僕の居場所は校庭の隅にある鉄製の藤棚の、四隅の柱を登ったところだった。柱といっても梯子のようになっていて、10歳の子供にも容易に登ることができた。高さ2.5mほどのその場所に登って、昼休みの間ずっと、校庭で遊んでるクラスメイトたちの姿を眺めていた。

とある理由で囃し立てられるようになり、それはクラス中に広がり、彼らと一緒に遊ぶことはしばらくの間できなくなっていた。それが、当時の僕のひだまりだったのでしょうか。今なら安全上の理由とかなんとかで、登るの禁止になって、登ることで避難しようとする子供は引き摺り下ろされ、逃げ場を失ってしまったのかもしれません。

 



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