ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5  コメント集_その2

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ガメ・オベールの日本語練習帳_青土社版 page 36

「サバイバル講座2」

☆キラキラ大島

January 19, 2017

昨年の秋に32年間仲良くしていた友人が亡くなって。心の病を患った彼は僕以外の他の友人たちとの連絡を一切絶ち、家族と僕とだけずっとやり取りを続け、気がついたら9ヶ月の間にメッセンジャーで3400回ものやり取りをしてて。その他に電話やメールやなんやかや。その9ヶ月はそれ以前の31年間の交流よりも濃い時間で、だから何も起こらなかった場合に今後30年くらい仲良くしていた分くらいの密な友情がそこにはあったのかなあとか、ちょっと思います。

でも、「正しくたって正しくなくたって、どうでもいいや、いまのアンポンタンのままでいいから、ずっと長く生きてくれ、と思うようになる。」というのは本当のことで、どんなに問題を抱えていようが、死んじゃあオシマイだよと。見送った側はそう思うのですが、自ら往っちゃった側にはそうする理由もきっとあったのでしょう。アンポンタンはそういうところの判断が良くない。どうでもいいけど、アンポンタンのところだけは出来ることなら治せていればよかったのになとか、自分勝手に思います。

そいつが昔LAで仕事をしてて、雇ったデザイナーがどいつもこいつも口ばっかで使えなくて、困ったそいつは突然国際電話をかけてきて、「急な仕事があるから、明日LAに来てくれないか」と無茶を言ってきたことがあります。しょうがないから行きましたよ。航空券を買ってLAXに到着して電話すると「悪いけどレンタカー借りてウィルシャーのオフィスに自力で来てね」と言われ、心底呆れました。Googleマップも無い時代に。行きましたけどね。そしてそいつ、外出しててオフィスにいなかったんですけどね。

アンポンタンは死んでも治らないでしょうから、来世でもきっとアンポンタンなそいつと出会えるのではないかと、怖れながら楽しみにしているところです。だってそんな友人は他にいませんでしたから。

☆うさぎ男

January 19, 2017

「人間にとっては、自分でない自分の方角へ歩き出してしまうのが最も危険なことで」
僕は偶然ココロを病んでしまったことで⬆の鉄則を守れてちょっぴりアウトサイドなところを歩んで”自己””自分”を守りきれている者です。(イマノトコロハ)
最近は癖のためか”正しさ””安寧””功利”といった誘惑に駆られて皆々の向かう方へとせっかくレールから弾きだされたのに歩みかけていたんですがやっぱり行くトコは貫いていたほうがいいのだろうかか(←このとおりすぐべき思考にながされしまう)日本というような難敵をそばにした場合でも、、、
「このひとは人間は問題だが良いことは言っている」というようなことを述べているひとを見かけると、述べている本人が言葉が人格と切り離せるものだと妄想しているのがわかって、それは取りも直さず本人が人間というよりは人間のパチモンみたいなヘンな生き物なのを告白していて、
⬆こういう慧眼には毎度ドキッとさせられたり
「仲間なんていらないでしょう」「友達なんかいらん、とおもっていても、ひとりまたひとりと増えて」や「繰り返していうと、友達はきみがきみで居続けた結果として「出来てしまう」もので」
⬆のような文にはこんな世界と和解できたことからくるような深い世界への信頼を感じました
最後あたりの
「ほら、会えたでしょう?きみの友達に。」
とかについては自分が該当するかは知らんけどとにかくこのガメさんのぬくもりにあふれたfrendshipに隣会えただけでもさっきのくだらないの惑いを超越してこの自分の人生はこれで割と十分ラッキーといえるはずと思う、それだけ

よくわからない構成になったけど以上が感想です Thank you so much so far

 

☆さく

January 19, 2017

はじめてコメントします。
ガメさんのブログを、「日本人は、シミの無いものが好きなのだ」という記事をきっかけにして興味を持ち、時々、読んでいました。
毎回、たしかに。と思うことが、たくさんたくさん書かれていて、「私が、つらいつらいと思ってたことって、違う場所に行けば、また変わることなのかも」と思いました。
私は、全体主義が嫌いで、性差別にキーッとなりがちで、「日本語で話してはいけない話題って、いっぱいあるなあ。というより、大事なことこそ話してはいけない空気感がある。」ということを思い、留学することにしました。(行く大学も、決まりました。)

ガメさんの文章を読んでいると、世界にはたくさんの場所があるんだから、好きなところに行こう、居よう。と、すんなりと思えるようになって、
それは、私がずっと生まれて育った、日本で生きてきた中では、とても持ってはいけないように思っていた考えだったので、
ガメさんの文章を読む機会に遭えて、そう思えるようになって、とってもとっても、よかった。と、思いました。
ありがとうございました。

 

☆roki

January 20, 2017

40歳を過ぎて、ガメさんがいうような一人になってあちこちに流れました。若くなかったせいだと思うけど、とても親しい友達はできなかった。付き合える年代のその外国に住む人達はきっちり自分の場所をもっていて、根無し草の私とは知り合い程度にしか付き合えなかった。もっと若くて毎晩エッチしても疲れないくらいだったら、とてもとても好きな人もできたかもしれなかったけど。
新しい場所についたら、まずは30分はどこか静かに座っていられるところにいて、周りを見て、何がどうなってるのか分かったら動き出します。そうすると、言葉が分からなくても、人のすることなんてだいたい同じなので、美味しそうな物があるところや、悪そうな人がいるところが分かります。それは日本にいても同じで、ちょっと危ない裏通りや行ってはいけない場所や信じてはいけない人、においで分かるようになりました。
その漂流の途中で、一人で旅している女性と何度か会いました。お互いに明日をも知れぬ、けどきっと大丈夫よあなたは(私は)、だってここでこうして生きているからね、と皆同じように自分自身と生きることを信じていた。それまで日本では、私は変わり者で一人きりで他の人とはなじめなかったのですが、世界にはこんなに私と同じ人がいるんだと分かって、安心しました。
その直ぐ後で、病気を得てからは、保護してくれる場所からあまり離れられなくなりました。残念だよ、私がいる場所はここではないと分かっているのに。
一人でというか、拾った猫と一緒に流れていた数年、私にとってはそれが本当の世界でした。まだ日本が戦争しない国でいてくれて、そのおかげで私個人の安全も守られていた頃のことです。
私、ガメさんよりずっと年取っていてちょっと残念に思います。

☆suzkieiji

January 22, 2017

自分が何になりたいかを考えるのは、普通の人間には、まず無理で、自分の心のなかにある磁針が自分のやりたいことのほうを向くように自分の心を開いてリラックスした状態にして、少しでも夢中になれることのほうに自分の足を向けていくのがよさそうです。

ここ、うまい文章だな
むかしおれが鈴木大拙を好きだと言ったらガメは「アレはダメだ」と言っていたのだが、
君は君自身の文章で大拙と完璧なくらい同じことを言っている

禅とはなんすかね?
と問われて大拙さんが言ったことに
「禅とは、人間性の根元にある創造性に徹して動作すること」
だそうだ
とくに「動作すること」という瞬発の応酬に感覚が こひーれんと してしまう
ことが禅で
禅がアートで、芸術が禅である所以なのだけど

最後の一手で大拙の様な日本語の使い手はまだいない

☆vida 768

流れに乗って生きてゆくと場合によっては死ぬこともあるので、自分の目でよく見るように。と、親に教わってしまった気もする。
関東大震災と東京大空襲のサバイバー家系だからかとも思っている。
一人である時間がないと生きるのは難しい。

目が覚めるように美しい女の人の科白が「~だぜ」なので、ちょっと困っている。

☆Cosmos_a

February 1, 2017

ありがとう、ガメさん。お初にお目にかかります。
友人、というには憚られるけれど、あなたの陽だまりのような知性に触れて心のコートを脱ぎ、人前で流せない温かい涙を何度も流しました。

何て懐かしい日本語だろう。
日本語で話が通じなくなってから、片思いながら、友人と寛いだ会話をしている気持ちで読んでいます。

ちょっとキンチョーしています。

駄文失礼をば。

御身大切になさってくださいませ。

☆hiro

July 13, 2017

自分が今ある自分に慣れたのは、やはり日本を発ってからずっと日本にどんな形にしても関わることを拒否したからだと思う。Dick Moveも多数あり(日本人にたまたま遭遇した時、日本語話せないふり、日本人に会って興奮してる日本マニアに対し「ふーん」と興味なさげに流したり)。

その間僕は、どこにも属さない、「人」だった。
あの経験なしに、自分と世界との関係を見つめ感動や悲しみに涙することができただろうか。

 

☆Yoko

March 8, 2020

こんばんは。初めまして。
時々お邪魔させていただいています。

ひとりで居続けていていいんですよね。
ずっとひとり。自分でいることしかできないです。
時々とてつもない痛みや苦しみも伴うけれど。
ガメさんの文章読んでちょっと心がなごみました。
ありがとうございます。

☆70colours

August 13, 2020

ああ久しぶりにこれ読んだな。
わたしは今、心の中で号泣している。
現実には何故だか歯を食いしばりながら読んでいる。
そうは言わないものさ、とは教えてもらったけれど、言いたいから言うね。ありがとう。

 

 



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1 reply

  1. コメントを書いて下さった方、
    再掲して下さったガメさん、
    ありがとうございます。
    皆さまのコメントから、50年前のメルボルンの出来事を思い出しました。

    1975年、わたしはスクールバスで高校へ通う交換留学生でした。学生と運転士は陽気に挨拶を交わしたものですが、痩せた一人の運転士はわたしを見ようとせず無言でした。

    日本人と分かると「息子を返せ」とつかみかかられるなど、大戦の名残りが至るところにあった時代です。そこに居ないかのように扱われるのは穏やかな方でした。
    ある朝バスから降りる時、運転士が人なつこい笑顔でわたしへ声をかけました。もうすぐ帰国する予定で、彼のバスへ乗れなくなるけど、とても嬉しいと伝えた覚えはありますが、有頂天が過ぎ、定かではありません。記憶では、紙吹雪とテープがバスへ降り注いでいたので。

    戦争は終わらない。終結宣言は終わりではないと身体へ叩き込まれました。日本人だって人間だ、と伝えたくて、踏ん張っている背中に母国政府から矢が撃ち込まれるのも報道を通じ身にしみています。
    物置きの屋根に昇り空を見上げ、天と自分の間に何も無い空間を味わうのが楽しみでした。キラキラ大島さんの藤棚のように。

    今わたしがあるのは、息子を返せと叫んだご婦人、痩せた運転士、そして沖縄の中年女性の刺す眼、眼、眼、怒り辛さを我慢せず表現して頂いたおかげです。感謝と誇りをガメさんとブログへ集う仲間へ捧げます。

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