日本語で本を出して考えたこと

 

最も意外だったのは、日本から遙々送られてきて、もっかはchaoticなNZの国際貨物センターを通りぬけて、シーク教徒の、かっこいいオレンジ色のターバンを巻いた、やたら知的なおっちゃんが運転するDHLで本が着いてみると、表紙の紙をすりすりしたりして、案外嬉しかったことで、ほんとうは日本語で本を出してもピンと来ないだけなのではないかとおもっていたのに、へえ、案外、楽しい気持ちになるんだ、と自分を観察しました。

なにしろ態度の悪い著者で、そこですぐにページを広げて、おおお、こんなふうになるのか、と喜びで顔を輝かすかとおもいきや、やりかけていたCompany of HeroesのMODにもどって、機関銃座を工兵に焼かれちゃったよおおー、なんだよ、工兵がそんなに強くていいのかよ、と夢中になって作戦しているうちに、くたびれて寝てしまった。

本を開けて、読んでみようとおもったのは到着後3日くらいで、カウチに寝転がって、読んで、読み通して、「おお、なんという素晴らしい日本語だろう」と感動してしまった。

天才なのではないか?

どりゃどりゃとアマゾンを見ると、売り上げランキングの上位ベストセラーで、おおおお、すげーと考えた。

しかし、まあ、なんとなく他人事で、外国語だからかなあ、とおもったり、そっちのほうで悩んだが、編集友が、やりとりしていると、いつも物足りなさそうで、「もっと自分の日本語に情熱と自信を持たんかい!」と苛立っている様子であるのをおもいだして、ははあ、これか、たしかに編集者として困るよね、と考えた。

 

しかし考えてみると、むかし、英語の本を出したときもおなじで、なんだか感情に部分的崩落があるのかも知れません。

横書きよりも縦書きのほうが、ずっと読みやすくて、頭に入りやすいので、その程度が事前の想像よりもおおきかったので、ちょっと驚いた。

日本語って、縦書き語なんだなあ、と改めて認識した。

編集友とわしのコンセプトは、なにしろ編集友は、なぜか、わし日本語に絶大の自信を抱いているので、何冊も出版されるということを疑っていなくて、ただ内容があまりに多岐にわたっているので、わかりにくいだろうから、横断的に概観できる目録をつくろう、ということだった。

じゃ、「88mm flakとドイツ中世の終わり」

をいれよう!と勇んで提案したら、返事が返ってこないシカトで、そのまま却下になったが。

ほとんどの記事は、なにを書いたか、ちゃんとおぼえていなくて、
おめでたくも、おおおー、すごい卓見とおもったり、それは違うんじゃないかなあ、と考えたり、あんた、自分が書いた本を読んでなにやってるんですか、な状態だったが、食べ物でも後味がよいということがあるが、後味がよくて、良い本であるし、こういう考え方をする人は好きだな、と作者に好感をもった。

本の内容自体ではなくて、出版にまつわる事で驚いたのは、言葉が悪いが、「ファン」の数のおおさで、twitterのDMはいつも励ましや「大ファンなんです」のメッセージで埋まっていて、どこかで見た名前だなあ、とおもって検索してみると、大スターであったり、著名な研究者であったり、有名大学の教授や准教授であったり、なんだか名前だけ並べると、まるで才能がある有名な作家が何故か初出版するような趣で、ぶっくらこいてしまった。

人間などは単純なので、ユーメイな人にべたぼめされると、なんとなく才能が伸長したような気がする。

それにもまして。

最も嬉しかったのは、初めて言葉をかけてくれる人の数の多さで、ブログをずっと読んでいて閉鎖になったので落胆していたんです。たった40本だけど、記事がまた読めるようになって、表現できないほど嬉しい、というようなメッセージが山ほど来て、ぐわああああ、とおもったことには、
あなたのブログがなければ、わたしは生きていなかった、や、わたしの娘は、あなたのブログで救われたんです、わたしも、あなたの記事を娘に聞いて読んで、すっかりファンになりました、と書いてある。

いったい、どういうことなのだろう?

もしかして、わしって、ほんとに才能があるんちゃう?

と、ちらとおもうが、褒めてもらったときには、ただ気持ちよくなっていればよいので、理由を詮索することはなくて、いまでも毎日とどくメッセージを読んで、ひとりでキャッキャッと喜んでいる。

そういうわけで、味をしめて、2冊目をだすことにした。

もともと、ブログを続けてきた「しめ」のラーメンで、500部くらい自費出版で出せばいいよね、と考えていて、2冊目なんて出るわけねえだろう、と述べていたが、浮かれて気が変わって、他の本を書く人からみたら、たいしたことはないのだろうが、本人から見れば「引く手あまた」に見えるお誘いを並べて、銀座のバーの雇われママみたいというか、これもいいなあ、あれもいいなあ、と、ためつすがめつ、玩賞している。

チョーのんびり人間なので、日本が梅雨になるころに決めて、夏が終わる頃に出るのではあるまいか。

それまでは、このブログを再開して、「著者がツイートさえしなければ良い本なんだけど」と言われながら、われながら名作ツイートである

 

「チン〇コ潜水艦」シリーズのようなツイートが出来るようにツイートも続けていきたいとおもっている。

闇夜にボオっと光る蛍光塗料いりコンドームをライトセーバーに準えたツイートも芸術的で好評だった。

 

精進します。

なんちて。

わし年長日本友が「ガメの本は、やっぱ売れないなあ。せっかくtwitterやっていても3万人も、おまけにインフルエンサーを狙い撃ちするようにブロックしてちゃ、無理だよな。そのうえ『はてな』はコミュニティ全体まるごとが敵だし、どうしようもないやつ」と笑っていたが、

うるさいな。

わたしは、わたしがやりたいようにしかやれないんです。

それでね、いまは、日本語で良い文章を書きたくなったの。

なんだか、日本語を愛しているのよ。

そこのきみ、なにを笑っておる

 

 

 



Categories: 記事

6 replies

  1. 嬉しい限りです。楽しみに待っております。

  2. 十全外人がめさんの日本語練習帳ブログを、2011年の東日本大震災が起きる数年前ごろからでしょうか、読んでいました。ツィターの時代になりコメントをしていた皆さんはことごとくツィタ―に移行し、コメント欄でのやりとりやがめさんによるコメントへの返信シリーズもなくなり、ツィタ―をしない私は少々さみしく、また他の理由からしばし離れていました。今回ご本が出版され、購入しました。私が好きだった記事はほとんど入っていませんでしたが(にんまり)、また次を検討中とのこと、楽しみにしています。がめさんの日本語が多くの人を救いあげたように、がめさんもその多くの日本語人に救われていて(一部例外人もいるようですが)、こういう交感が何よりも素晴らしいなと思っています。

  3. うれしいです。うれしいです!

  4. ガメさんはたぶん、天才の部類に入る頭脳の持ち主で、かなりの博識なのは疑いようもないですが、目線の自由さが言葉の自由さに通じていて、高尚な文学論から砕けたダジャレや潜水艦まで自由旋回しているのが、読み手として気持ちよさを感じる理由なのかなと思っています。
    だんだんと老眼も進んで、春はスギのせいで眼が疲れて仕方がないけれど、文学論ではバッハを弾くときのように脳みそを動かし、砕けた話題では洒落の利いた返しはないかと考えたり、そんな時間を過ごすのが心地よいのです。
    これからも、ガメさんの気の向くまま、テンポ・ルバートで日本語を綴っていってくれたら、と願っています。

  5. 2冊目、全集を楽しみにしています。
    買う以外に、編集の人を応援する方法は何があるのかしらと思っています。

  6. ほぼ半年遅れの今更なコメントですが。。
    2、3年くらい前にツイッターで見かけて、ブログにたどり着きしばらく読ませていただいていました。その後、ツイッターをやめてしまい、ブログもチェックしなくなっていました。先日、ふと思いついて「ガメ」で検索してみたらアマゾンのページがヒットしてびっくりしました。本が出ている!!と。大慌てで注文し、届いたら一気に読んでしまいました。良い本です。読んでいて自分にも血の通った心がまだ残っているということを発見しました。(泣きました。) もしかして干からびて麻痺してしまっているのではと思っていたので、少しホッとしました。詩にも興味を持ちました。図書館で探してみようと思っています。時間をおいて何度も読み返す本になると思います。2冊目も出るようなので、楽しみにしています。
    唯一残念なのは私がもう若くはないこと。あの頃の私に読ませてあげたいと心から思います。もがきながら死ぬ思いで生きていたころにこんな本に出会っていたらなあと思います。世界と自分自身とが全然違って見えただろうと思います。
    少しでも多くの、今を生きている若い人たちに、一生懸命に生きている若い人たちにこの本が届くことを祈っています。

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