2011年3月11日

 

タイムズ・スクエアに立って、ぼんやり、リコーのシリンダー型ビルのLEDスクリーンを観ていた。

がんばれ、日本

と書いてあります。

日本語だったか、英語だったか、あるいは日本語と英語が交互に映されていたのか、もう遠い昔のことなのでおぼえていない。

おぼえているのは、オークランドを発つ直前に見た、非現実的な感じがする、まるで地上の町と津波の映像とふたつの異なるレイヤーを重ねたような、いわば不自然な巨大津波の映像と、マンハッタンに着いて、たしか14th StのLa Nacionalで一緒に夕食を食べた原子力工学に詳しい友達が、青ざめた顔で、「ガメ、これはたいへんなことになった。ほんとに日本人たちだけで、どうにかなるだろうか」と述べていた、そのときの友人の顔の深刻さや、あるいは、通りすがりの日本料理店で、手書きの紙がドアに張り出されていて、福島の方言らしい日本語で「日本、がんばってくれ!」と祈りのように書いてあったことくらいだろうか。

マンハッタンは、街をあげて、まるごと日本と福島へ声援を送る、とでもいう様子で、広場という広場では義援金が募られて、夜になれば、街のあちこちのコーナーでろうそくを灯して祈りを捧げるひとたちの姿があった。

ネットで知り合ったロサンゼルスに住んでいる大学講師の人が、「マンハッタンで寄附金を募る輩なんてのは、だいたい詐欺に決まっているからオカネを渡してはいけない」と、わざわざ言いに来てくれたが、モニとわしは、目に入る限りの募金箱に、委細構わず、全部、あまりおおくもない寄付をねじ込み続けていた。

いま見ると、そのころにも何度も書いているが、最も不思議なのは、日本の人が誰も逃げださないことで、いまおもいだしてみると、危機にさらされているのに逃げない日本の人びとに対して苛立ちというよりは、純粋な不思議さ、
いったいどうしたら、個人として、「逃げない」という判断ができるのだろう?
と、訝しくてたまらなかったもののようでした。

 

一方で、非日本語人は、逃げに逃げた。

仙台に住んでいたオーストラリアのシドニー人の若い男の人は、津波の第一報を聞いた、その瞬間に手近にあった自転車に乗って、というのは平時の言葉で平たくいえば自転車泥棒を働いたのだとおもわれるが、ひたすら南を目指して、途中、郡山でくたびれはてたので、なぜか鍵がかかっていなかった美術館に潜り込んで、一泊して、翌朝、また自転車をこぎつづけて、成田に至ると、そのまま飛行機でシドニーまで一気に逃げ去って、政府だったか新聞だったかに、その見事な逃げっぷりを称賛されていた。

日本の人たちは逃げなかった。

インターネットで情報を集めるのが得意な人ほど、福島で、仙台で、東京で、じっと家のなかに籠もっていて、そのうちにマンハッタンにいるモニとわしのところにも「正しく怖がる」という不思議な言葉が聞こえてくるようになっていった。

友達たちが「日本の人に役にたつ情報があったら伝えてやってくれ」と述べて転送してくる膨大な量の各国大使館からのemailの情報を、初めのうちこそネットに流していたが、そのうちに誰も反応しないのを見て、真に焦眉の問題についての情報だけを出すように変えていったが、読んでいるほうは、あんまり興味がなかったようで拍子抜けでした。

 

外国政府は比較的敏捷に動いて、例えば英国大使館はバスを現地で調達して盛岡だったか、から出発して、石巻で、仙台で、相馬で、というように土地土地で連合王国人を拾い上げて、むろん、申し出があれば、アメリカ人でも、ニュージーランド人でも、カナダ人でも、無差別にピックアップして成田に届けているもののようでした。

英語人たちは、日本人が見るからに平静な外面を装って、普段と変わらない生活を始めている町の様子には眼もくれずに、日本語がわかる人間も、日本のニュースが述べる事態の解説や行動のリコメンデーションには目もくれずに、「お尻に火がついたように」、ただもう、ひたすら逃げて、政府も航空機をチャーターして無料で自国の国民を祖国に運ぶ国が多かった。

ニュージーランドも例外ではなくて、Air New Zealandが常より多い便数で飛んで恐怖で真っ青なキィウィたちを9000km離れた母国へ運んだが、そのときにニュージーランド市民のボーイフレンドやガールフレンドで、ビザもなにもないのだけれど、とにかく離れたくない一心で、乗り込んで、そのままニュージーランドに居着いてしまった人もいたようでした(^^)

日本では福島第一発電所の事故が「ほんとうに危険なのかどうか」という激しい議論が始まっていて、「科学をきちんと勉強してから怖がれ」という一派が勝ちをしめて、ちいさな子供をもった母親たちは、自分の科学への無知を呪いながら、必死に放射能汚染が小さそうな食材を調べては子供たちに与えようとして、それをまた、「正しく怖がれ」の知的エリートたちに、「そんなに過敏になって選ばれたら産業が衰退するではないか」と叱責されていた。

「第一、おまえたちは、危ない危ないというが、それが風評被害を起こして、福島の農家の人達が困窮することをなんともおもわないのか。
それでは犯罪行為ではないか。

もし本当に放射能が危ないというのなら、危険を証明してから言え」と言う。

専門家たちが正しいのか、素人衆が正しいのか、人為災害の歴史は、こういう場合には、まず100%、専門家の側が間違っていると教えているが、放射能の健康への害などは、多く、遺伝子レベルのもので、被害が明らかになるまでに人間の感覚を超えた時間がかかるうえに、放射能で、ぎっしり握りしめられたおにぎりをテレビカメラの前で、安全を示すためにパクついていた芸能人が急病で死亡しても、その死因となる病気を、医師が「放射能のせいですね」と断定することは、まずありえない。

酷い言い方をすると、観察者にとっては専門家と素人のどちらが正しいのでも構わないが、最も興味を惹いたのは日本語世界では、個人の側が「万一のときにダメージを受けるのは、わたしなのだから、もしほんとうに危なくないと言い張るならば、その確たる証拠を見せてくれ。それを証明すべきなのは、きみたちのほうではないか」と述べるのではなくて、あべこべに「危なくないんだから怖がるな」と超テキトーな論拠で言い張るのが政府や専門家の側であった点で、これには、心からぶっくらこいてしまった。

見ていた範囲で、なかでも際立って積極的に「正しく怖がれ」「自分の無知で風評被害を起こすな」
「〇〇は物理屋だから、ああいうことをいうが、医学屋のXXは、そんなことはないと言っている」と、言葉使いのうえで「化学屋」「物理屋」、△△「屋」という言い方が目立つ人がいて、日本の某大学のなかでは、そういう言い方を好む人がいたのをおぼえていたので、その大学の人だろうかと、そのひとの経歴をのぞいてみると「工業高校卒」と悪びれもせず書いてあって、正直であるのはいいことだが、なにがなし、暗然とした気持ちになったりしたことをおぼえている。

そのうちに、6月になると、モニとわしのニューヨークで片付けなければならなかった要件は、ほぼ終わって、欧州へ移動することになったが、そのころには、あれほど「フクシマ支援」一色だったマンハッタンでも、もうほとんどフクシマが話題になることはなくなって、日本人は、あのものすごい大事故をもうたいして気に留めていないのだ、という不思議なニュースや、返って、外国の人間が騒ぎすぎるのは日本に対する風評被害が立つといって日本人は迷惑がっている、という声が届くにいたって、関心はどんどん薄れていった。

そのあとでも「環境問題に敏感なひとたち」を中心に福島事故処理はどうなったか、というニュースが時折流れてはいたが、翌年だったか、ずっとあとになって、「海外からの義援金が実は捕鯨事業の補填に使われていた」というニュースが駆けめぐると、それまで熱心に支援していた人達も、いっぺんに熱が冷めたようでした。

コモ湖のトレメッツオに買った、モニとわしの別荘の、すぐ近くに滅法おいしいピザ屋があったことをなんどもブログに書いたが、その先の坂道をのぼっていくと、山の上においしい朝食をだす小さなホテルがあって、その小さなホテルのおおきなテラスから眺めるコモ湖の眺望があまりに素晴らしいので、近所の別荘族に、朝食のカフェとして人気があって、そのうちには、なんども顔をあわせるうちに、馴染みになって、テーブルを共にして朝食を摂ったりしていた。

そういう「近所のなかよし」のなかにドイツ人とドイツ語圏スイス人の夫婦がいて、モニとわしが日本にいたことがあるのを知ると、ごく当然のようにフクシマ事故の話題になっていった。

日本でも知っている人が多いとおもうが、ドキュメンタリがいくつもつくられたせいでもあるのか、ドイツ人にはフクシマ事故に強い関心をもっている人が多い。

 

ドイツの人というのは親切が度が過ぎて、簡単にいえばお節介焼きで、しかもズケズケとものを言う人が多いのが国民性として知られている。

開口一番、日本人というのは頭がおかしいかバカなのではないか、という。

あんまり言い方が直截なので、コーヒーをふきこぼしそうになります。

政府が適切な情報を流していないのだとおもう、というと、切って捨てるように、「日本人が、そこまでバカであるとはおもわない。自分たちが信じたくないことを正面から見つめようとしないから、政府に嘘をつかせて、それを信じたふりをして、なんのことはない、自分たちの責任のがれで、なにもかも政府が悪いことにしてしまおうとしているだけではないのか」

「日本人は、歴史上、いつもそうだ。彼らは自分たちを被害者の立場におく技術の天才であるとおもう」

しかし、もう、ドイツ人+ドイツ系スイス人夫婦が、自分たちの言葉の勢いに飛び乗ったように、まくしたてる言葉から心は離れて、なにごとによらず関心が続かないダメダメダメなわしは、目の前のフォカッチャのお代わりをたのむべきかどうか、を考える事のほうに心が移っている。

「それにしても、イタリア人はエスプレッソをつくるのは当然に巧いがレギュラコーヒーは下手であるのに、ここのホテルのレギュラーコーヒーは、ほんとうにうまいな。フォカッチャではなくて、この次は、たしか朝も出しているはずのブルスケッタを食べてみようかしら」

最近になって、本を読んでいたら、福島沖の汚染水がニュージーランドの北方海域に到達するのは、だいたい40年後であると書いてあった。

太平洋の莫大な水の量の稀釈のちからの偉大さについて、比較的簡単な数式で、どれほどゼロに近いまで薄められていくか、計算が示されている。

考えようによっては、世界中が「正しく怖が」り始めた、ということでしょう。

では、もうそれでいいではないですか、と日本の人達は言うだろうか。

いま、そう言いかけたきみ、きみは、科学の正しさが、どれほど人類にとって危険なものでありつづけてきたか、もう忘れてしまいましたか?

こういうことを考えてみたことがあるだろうか。

科学は善意や合理的知性よりも魔術あるいは魔術的な情熱を遙かに多く身に流れる血に持っている。

パグウォッシュ会議のアイデアを聞いたアインシュタインは、「それでも科学者の手は動くだろう」とおもわず口走ったというが、あの見るからにヘンテコリンなおっちゃんは、結局は正しかったのではないだろうか。

原子力という宇宙から直截、人間の地上につながった火は、プロメテウス自身を焼き尽くすどころか、この世界をまるごと廃墟に変えるちからを持っていて、しかも人間は反応を遅延させること以外に制御の方法をもっていない。

核戦争にしろ、放射能汚染にしろ、人間が「科学的な正しさ」と信じ込んでいる本質的な愚かさによって人類全体が亡びる時が来るのは、もうそんなに遠くない日であるのかも知れない。

2011年3月11日は、その日に向かって人間が歩き始めた記念すべき日であるのかも知れません。

 

 

 

 

 



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3 replies

  1. 311の直後、闇雲に情報を探して
    Twitterの海を泳いでたら 
    ガメさんを見つけた。
    なんか知らんが、
    この人の話を信じようと読み続けた。

    311がなかったら ガメさんには
    出逢ってなかったんじゃないかと
    思ったりする。
    そして今の自分の思考回路も
    持ってなかったかもしれない。

    パンドラの箱を開けてしまったけれど
    片目(もしくは両目)を瞑って生きていくよりは、マシだったかもしれない。

  2. あのとき以降、風評、風評被害という言葉の意味を説明することが著しく難しくなりました。事実との関係によって成り立つはずの言葉が、権力との都合で成り立つ言葉に再定義されてしまった。復興という言葉も何を意味するのかが不明確にされ、あらゆるところで詐欺的な、火事場泥棒的な事業が始まり、どんどん壊れていっている感じですね。科学という言葉の意味も証拠に基づく経験的な知識蓄積の体系としてのものでなく、特殊な権力を持った人のレトリックとしての意味合いが強くなっている。言葉への信頼が壊れてコミュニケーションがうまく行かなくなっている。人を向いた善でなく、権力や地位、利権を向いた価値観が言葉を都合よく変えていっているんですね。科学は魔術的という、本来の性質に目を向ければ、善とは無関係で危険なものという認識ができるはずということでしょうか?懐疑主義もまた科学が取り入れた性質で、科学的思考を受け入れると、なんでも仮説であり、反証が出るまでの命ということも知っているはずなので、科学ではこうなってると言われても、そうでない可能性も十分にあるということは分かるはずなのですが。日本の僕らが直面している困難をさし置いても、人の善が科学を手懐けていられなくなると危険ということでしょうか。原子力については福島をグローバルな廃棄の研究拠点にしていくという前向きな舵取りも出来たと思うんですけど。

  3. 科学はパラメータ(条件)設定の上でしか成り立たないものだと自分は思っていたのですが、そのレトリックを知らない人が多すぎるし、自分はこの方面に詳しくないし、あーどうしよう、と思っていたのが10年前でしたね。

    できる限り事実に即して冷静に判断しようと思えば思うほど、何かしら人間の”やばい”と思う本能に抗わなければならなくなる危うさを感じていて、とっとと日本から去っていったひとたちは自分たちの意のままに行動できてうらやましい、と思ったのを思い出します。

    なのに日本人は、自分の周りにも何人かいたのですが、福島のひとたちがかわいそうだとか、正しく怖がれと言ってどこぞの国の放射線データと福島の放射線データとを比較に出し、大丈夫だとか、買って復興支援とか、正直、もう勘弁してくれ、と思っていました。

    日本はいい国だとは思うけど、本当の意味で人間の命に対して冷たいな、とも改めて感じて、僕の居場所はこの国にはない、と過去に繰り返してきた思いを再度繰り返したものです。

    あれから10年たって、それでもある事情で日本を離れられず、これからどうしようかと考えている自分がいまここに、います。

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