十年後

夢のなかでは、ちょうど女川発電所のように、福島第一発電所は、かろうじて津波に耐えて、アメリカ友から「あんなデザインも悪いボロ発電所が、あれほどの大津波に耐えられたなんて信じられない。

第一、ガメ、信じられるか?
あの発電所はディーゼルの入れ換えをするときの僅かな経費を惜しんで、バックアップ電源ユニットが発電所の後ろの高台ではなくて、前にあるんだぜ。どうやって、あの大津波を生き延びたんだろう。日本人たちは、自分たちがどれほど運がよかったか、知ったら驚くのではないか」
とemailが来ている。

モニとわしが、オークランドの、まだまだあちこちを直したり改築したりしなければいけない家のラウンジで、カウチに座って、するすると、奇妙に抵抗がない、非現実的な速度で、広がってゆく黒い水の広がりを観ているのはおなじで、あっというまにモニの唇が青ざめて、薄白くなって、やがて、顔全体が、すうっと血の気がひいていくのもおなじです。

ただ異なるのは、夢の世界では、仙台の人が、「たいへんな大災害でしたが、なあに東北人は打たれ強いので、みんなで力をあわせて、なんとか再建しますよ。
原発が爆発したというデマがとんだときは、もうダメかとおもいましたが、
なんとかもちこたえてくれて、わたしたちも、なんとかなるという気持ちになれました」と述べている。

考えてみると、ぼくは日本を知らない。

いや、知ってはいるけど、いまの日本は見知らぬ国なのだとおもう。
2010年に日本を発って、そのあと、考えてみて、もう1ヶ月というような期間でも、戻って、訪問することはないだろう、という結論で、持っていた家も、広尾山も軽井沢も、鎌倉のあのなつかしい縁側と薄い硝子窓の家も、処分してしまった。

他国なら、賃貸にする、ということも考えられるが、日本は、自分の投資が市場としている地域に入ってなくて、よその会社に任せようにも、管理会社の体制もあんまりしっかりしていないので、売却してしまったほうがいいだろう、という判断でした。

そのあと、2015年にいちど、欧州へ行った帰りに立ち寄っている。
数日の訪問で、ものものしい、慌ただしい旅で、そんなことは日本ではついぞ、やったことはなかったが、背に時間は変えられなくて、移動はヘリコプターやリムジンで、恥ずかしくないの?というくらいダメガイジンそのまんまの滞在で、京都も町屋のようなところに滞在したかったが、蹴上のウエスティンに泊まって、錦市場に行って、ずっとむかしの楽しい思い出がある清水寺の坂道がひとで埋まっているのを観て、げげげ、と驚いたりして、次の日はお目当ての寺町にでかけて、かねて予約して買い集めてとっておいてもらった骨董や岩絵具、金箔の買い物をして、これだけは執念で、オダキンにさんざんうらやましがらせられて悔しかった、551HORAI、蓬莱の肉まんを買って、ホテルの部屋で食べた。

東京は、ただ、もう一日、あの雰囲気にひたっていたかっただけなので、短い滞在と言っても、満足で、なじみのホテルに宿泊して、伊東屋にも行き、築地の場内外を巡り、銀座三越のデパ地下を探検して、すっかり満足した。

焼き鳥や、うな重、鮨店に行って、「日本の味」を堪能したのも、言うまでもない。

英語世界では魚釣りの餌でしかないカツオの、藁でつつんで焼く、「タタキ」もおいしかった。

いま思い出しても、楽しくて、気持ちが浮き浮きしてしまうが、奇妙な点は、まるで初めて日本を訪問したように印象されていることで、日本は日本でなく、自分も自分でなくて、なにか、夢のなかの再訪であったように感じられる。

むかし溺愛した恋人に会うようではなくて、行きずりの、おもわぬ邂逅のような感覚がぬけなかった。

ほんとうにほんとうに楽しかったが、あれは、ぼくが知っている日本だったのだろうか?

あの笑いさんざめいていた日本は、ほんとうに、ぼくがひとの肩を抱いて一緒に涙を流したり、数寄屋橋のオーバカナルで盛大に酔っ払って、千鳥足で日比谷の、高架の裏の、小さな広場の、小さな小さなゴジラに挨拶しに行ったりしていた、踏み込んで社会の異常さに友達と怒って、こんな社会を持って恥ずかしくないのか、と涙をためて拳をにぎりしめた、まるで肉親のような国と、おなじ国だったろうか。

みな、幻影だったのではないか。
2011年の3月11日に、意味という意味を殺された、かつては独自の、言葉の原義どおりの意味でuniqueだった文明の亡霊なのではないのか。

福島第一事故のあと、言葉が現実と乖離して、言葉だけで事実を構成できるかのように、意味性を捨てて、ひとりよがりの得意満面を始めた日本社会を、インターネットを通じて、ずっと観てきた。

「空前の好景気」と首相がいえば、目の前に、住む家すらなく、ネット喫茶で夜を明かして、町をさすらう人間がいくらもいるのに、社会は繁栄していることになってしまい、中央銀行が金の糸目をつけずに株を買い支えるという、マンガ的なインチキによって株価を吊り上げて、「我が国の経済は、かつてないほど強くなった」と胸をはってみせる。

実がない、というが、
それ以前に、現実というものの重みに興味すらもたない政権が長期にわたって続いて、それを観ていた子供達から、まず始まって、宿題も、やらなくても、やったといえば終わった事になる、なんだって出来ちゃったことにすればいいのさ、言葉だけで現実は空洞の、不思議な世界観を身に付けていく。

そうこうしているうちに、悪いことに、アメリカにはドナルド・トランプが現れ、連合王国にはボリスが登場して、ドイツやカナダと、いわば妄言派と現実派と呼びたくなるような対立を始めて、スチャラカおじさんの安部晋三は、ほらみろ、やっぱり現実なんてどうでもいいんだ、と言わんばかりに小躍りして、小走りで、トランプたちにすり寄っていった。

10年は、社会全体が意味性を失うのに充分な長さだったのではないか。

だから、

考えてみると、ぼくは日本を知らない。

見知らぬ国が、真実が真実であることをやめなかった頃の日本を演じている。

世界中で人気を博しそうなアニメがつくられ、マンガが描かれ、国外では食べられない水準の鮨が握られ、精妙に工夫されたスープのラーメンが、「はい、トンコツいっちょう!」の威勢の声とともに供される。

社会という表面の鏡に映っているのは2010年までと同じ日本だが、よく眼をこらしてみると、それはいわば先人がつくったレシピによって出来た文明が繰り返されているだけで、その文明を生みだした淵源は、巨大な伽藍ごと崩れ落ちて、空虚のなかに見渡す限りの瓦礫の山をなしている。

むかし愛した人が、亡霊であると知っていて、それでも、そのひとの過去の記憶のあたたかさに報いるために、まるで生きている人であるかのように話しかけているような気になります。

あの人が、いつか肉体を取り戻す日が来るだろうか。

いや、来ると信じても。



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4 replies

  1. 言葉がないよ。
    ガメさんが言う通りだ。

    10年を振り返る事になるなんて
    想像だにしなかったけど、
    あの時に少女だった人がお母さんに
    なる程の時間を使って、復興どころか
    滅亡へのカウントダウンをしてる。

    本当にこの10年は何だったのか。
    自分を含めて、
    日本という国は何をしてきたのか、
    今持って何をしてるのか。

  2. するすると掌から滑り落ちる現実を掴もうとして掴んだつもりが結局はそれは幻だったのではないかという現実を前に青ざめている。心中するのか?この国と?なんのため?

    この10年自分が命を繋ぐのに、愛しい人の命を守るのに必死だったけれど、それだけではやっぱりいけない。わたしには生きのびてほしい人たちがいる、この地に。

    虚栄と虚言の安倍、
    ねじ曲がった性格が顔に出ている麻生、
    感情を抑制できずわめき散らし恫喝することには長けている菅、
    などなどの面々を「お上」と崇める人々が大半のこの地で、何から立て直せばいいのか途方にくれつつも。
    あ、維新の酷さは言うに及ばず、です。

    わたしのできることは限られているけれども、まずは、言葉に、日本語に、誠実の、堅実のシャワーを浴びせることから始めるね。

    (うちの庭に去年植えたミモザはまだまだ幼木ですが、たわわに黄色い花を咲かせています。本日3月8日は国際女性デー。別名ミモザの日。この幼木をどう育ててみせようか。)

    (うまく伝えられないけれど、わたしの今の気持ちを残します)

  3. むかし愛した人はもういない。それぞれの人の心の中に亡霊となって残っているのかもしれない。
    しかし時は移りゆく。
    失くしてしまった大切なものを心に残しつつ、新たなものとして再生するしかないのだ。
    再生には長い年月が掛かる。そしてその再生を担う主役は私の世代ではないから、同じものにはならないだろうがそれは必然で、だから心に残る大切なものを主役となる世代へしっかり伝えることが私の役目なのかもしれない。

  4. 前に岩田宏という方の、住所のある詩を紹介しているブログを本にいれてほしいです(もしあったら)。昔の、今を形作る一部だったので。
    みるからに具合の悪そうな、でも本人にとってはいい姿のほうを覚えていてほしいというのは、なんというのでしょうね。

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