欧州にいるときは、お昼時にトラックがいっぱい駐まっている定食屋さんを通りかかると、委細かまわずクルマをターンさせてそこで午ご飯を食べることにしているのは前にも書いた。
コモから100キロほど南東の産業・倉庫街にオモロイアウトレットがあると聞いて出かけたら、白埃まみれのトラックが駐車場に並んでいる。
モニさんは「嫌な予感がするなああー」と小さく呟いていたが、わしはダイジョブでしょう。ダイジョブx2、と呟いてクルマを駐車場にいれます。
外のテラスにチョー人相の悪いおっちゃんたちが6人でテーブルを囲んでいて、わしとモニがクルマを降りるなり、じいいいいっっと見つめている。
中にはいると、むさ苦しいという言語表現を3次元立体で実現したようなおにーちゃんやおっちゃんたちでごったがえしている。
アフリカから移民してきたにーちゃんたちも散見される。
結果から述べると全然おいしくはなくて、不味くはなかったが、なんの感動もない
€10定食(プリミ+セコンディ+ワイン+イモまたはサラダ+炭酸水+コーヒー)だった。
セコンディのビステカ・デ・マヤーレは気の毒にシェフのにーちゃんにぶち叩かれすぎてへろへろになっていた。
フレンチフライは肉体労働者相手のイタリア定食屋でよく出てくるマヨネーズ付きの皿で、おばちゃんたちは音速に近い早口のイタリア語でまくしたてる。
でも親切であって、テーブルの選び方ひとつとってもモニさんが嫌な思いをしないようにちゃんと配慮したようでした。
ところで、わしが、おおっ、と思ったのは、プリミに頼んだ「スパゲッティ・ポモドーロ」が、わしがむかしからほんとうはナポリタン・スパゲッティの淵源はこれだったりして、と疑っている「つくりおきスパゲッティポモドーロ」だったことで、イタリアで遭遇するのは3度目だが、日本の「おいしいナポリタンで有名な」喫茶店で出てくるナポリタンと味がそっくりである。
同じ味です。
ケチャップを使っているわけではなくて甘みはポモドーロ(トマトさんのことです)とオリーブオイルそのものから出てくる。
この「イタリア安い定食屋スパゲッティポモドーロ」で最も特徴的なのはイタリア人があんなにうるさい「アルデンテ」が全然守られていないことで、日本のナポリタンと同じで、なんというか腰がなくて「くたっ」としている。
人生に疲れてしまった中年スパゲティのような趣です。
日本語インターネットサイトを見ると「横浜山下町にあるホテルニューグランド第2代総料理長・入江茂忠が最初に考案した」と実名まで入れて重々しく厳然たる事実である由来が書いてある。
なるほど。
でもね、でーもー、ですよ。
この場末の定食屋、町中では絶対にお目にかからない田舎のトラック運転手めあての定食屋でしか味わえない「スパゲッティ・ポモドーロ」と日本の洋食屋や喫茶店で出す「ナポリタン」の決定的な味の類似をもっていかんせん。
実はガリシアにもスパゲッティナポリタンそっくりの味のスパゲティが存在して、これは通常「タコのスパゲティ」を名乗っている。
説明するのがメンドクサイので省いてしまうが、こちらは実はもともと「定食屋風スパゲティポモドーロ」がアルデンテが嫌いで、くったりへろへろなパスタしか食べないスペイン人の口にあって、そこにパンチェッタの代わりにタコをいれちまえばうまいべ、というスペイン人の思いつきの結果できた料理であることが判っている。
笑われてしまいそうだが、わしは、なんだか真相は意外なことであるような気がする。
ドイツやイギリスのような大国ばかりに倣おうとする政府の方針に背を向けて、ぜんぜん出世の足しにならないことも承知のうえで、ただ美しいものをみたいという説明のつかない衝動に駆られて、横浜から出航する船に乗って、「役にたたない国」イタリアに向かった変わり者の日本人青年が日本のぎすぎすして物欲しげな近代選良の歴史のなかにいたのではなかろうか。
あるいは画家志望の青年だったのかもしれません。
そして、その青年が世の中に拒絶されたまま、あり余る時間をつぶすために帰国後いりびたるに至った「町の洋食屋」の腕のいい職人のオヤジに頼んで、こうしてみようああしてみたらとふたりで合作したのが「スパゲッティ・ナポリタン」なのではあるまいか。
ガリシア名物の「タコのスパゲッティ」と日本の「スパゲティ・ナポリタン」は実際には直系の兄弟なのではないだろうか。
「そんな、出典も権威のある人のお墨付きがない妄説にしても、いくらなんでもそれは酷すぎる」と言われそーだが、というか言われるに決まっているが、出典はなくても、(しつこいようだが)材料が違うのに「くったりスパゲティ・ポモドーロ」と「スパゲッティ・ナポリタン」が「まったく同じ味」と言いたくなるほど味が同じであることを説明するには、ホテルの総料理長の権威あるレシピでは、どうでも、難しいような気がする。
しかも、この入江茂忠という重鎮シェフはフランス料理にしか興味をもたなかった人なので、最も「フランス的味わい」から遠い「スパゲティ・ポモドーロ」のしかも「くったり定食屋版」を結果的にでも再現したというのは、不思議を通り越して非現実的な気がする。
世の中には観念の世界では理屈が通ってみえ、証拠すらずらずらと並んでいても、現実の細部に目を向けると、「そんなことはありえない」とすぐに判ることはいくらでもある。
「現実の細部」から遊離した理屈の世界ではどんなに現実からかけ離れたことでも、正しいと全員が納得できる「証明」をしてみせるのがいかに簡単であるかは、それこそ人間の歴史が証明している。
スパゲティ・ナポリタンの「確認された歴史」が、まさにその例で、この「スパゲッティ・ナポリタン」の確定した歴史を書き継いでいったひとびとは、ひょっとすると自分では料理をしないひとたちだったのではなかろーか。
理屈はあっていても現実としてはちょっと考えられないように見えます。
甘みのでない日本のトマトを諦めて、タマネギやケチャップを動員して、ついに貧乏留学生時代の昼ご飯の味が再現された当時は万能手形だった「洋行帰り」なのにうだつがあがらない青年と、腕が良いのに商売が下手で横浜の横丁でうらぶれた洋食屋を開いている無名料理職人とは、ふたりで、戦争が間近に迫った、軍靴の音が響く暗い世相の町の一角で踊り出したいように「やった、やった」と味の再現を喜んだのであるかもしれません。
その時代には正義をふりかざして肩で風を切る人間が増えたことに嫌気をおこして「なんの意味もないこと」に熱中して、当人は無意識でも、いわば人間の「愚かさ」という尊厳を確認している青年がたくさんいた。
歴史は残酷で、世の中の人間の目に触れて、おおきな声になったものだけが「歴史」として語られる。
声が掻き消された者達は、あとから来た者がどんなに歴史の闇の奥に向かって窓をひらいて耳を傾けても、微かな、意味をなさない声が聞こえてくるだけである。
その一瞬の「微かな声」も、朝になれば「正しさ」に酔っ払った醜悪な人間たちに、誰かが「一緒に石をもって投げに行こう」と呼びかければ訳もなく声をあわせて「悪いひと」を石で打ち殺しに嬉々としてでかける、さらに多数の「正しさ」に酩酊した思考力すらもたないひとびとがついて歩く。
欧州人はそれでも一般の人間が読む事ができない記録などは山のようにあり、引き出しに埋もれてしまった戦争中の「他人の目に触れることを禁じられた事実」などは無数に存在するということを熟知している。
一般に革装のおおきなサイズの本でつくられる、多くてもほんの数十部という数しか作られない欧州版の「一族の歴史」には写真入りで歴史家がみたらひきつけを起こしそうな記事が記録されている。
クラブの書庫には「情報公開法」を鼻先で嗤っている「永遠の秘密」が誰の目にも触れないまま眠っている。
「スパゲッティ・ナポリタン」という日本では誰でもが知っている「まがいものイタリア料理」ですら、ほんとうは、耳をすませば「聞き取りにくい声」が聞こえてくるのではないか、と思う。
「味が同一だ」ということを説明するためには、万人が認めているという日本の説では「理屈はあっているが実際に両方を味わってみてこれほど同じ味になる」ということの説明ができない。
戦時中にトマト味のパスタを食べた、と言っても一海軍軍人が、「くったりスパゲティ・ポモドーロ」が出る定食屋に行った可能性はゼロに近い。
何十年も前に死んだ、もう誰も名前をおぼえていないひとりの青年と料理職人の楽しそうな笑い声が、甘い、やさしい感じのするパスタソースから聞こえてくると思うのは、コモ湖を見渡すテラスに腰掛けて、ここのところ30℃を越えてばかりいるイタリアの夏の日差しで顔を真っ赤にした顔をしかめたり、暑さにあたったのか、時折「にひひひ」と意味もなく笑いながら、日本語でわけのわからないことをタイプしているヘンな英語人の妄想に違いないとしても。
(この記事は2013年6月18日掲載の「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5の記事の再掲載です)
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これ覚えてる。好きな話だった☺️