災厄日記 その8 2020年4月17日 闇の中の出口

来週の月曜日になるとニュージーランド政府は難しい決断の発表をすることになっている。

昨日(2020年4月16日)の新規感染者数は15人だが、まるでモニター数のように国民が「あ、もう大丈夫かな」とおもうと、数人分、ピンッと数字が跳ね上がる。

一方で回復者数の増え方は勢いがついているので、今朝、台湾は「新規感染者数ゼロ」のニュースに沸き返っていたが、うまくいけばニュージーランドも台湾に追いつけるかも知れない。

台湾に先に新規感染者ゼロを達成されて、くやしがっている人も、もしかしたら、当の台湾系キィウィのなかにはいそうだが、競争であるよりも、ニュージーランドは、集団免疫と寝言を言っていた連合王国や、なあに、こんなものはただの風邪ですぜ、と述べていたアメリカの西洋諸国には目もくれず、初めからアジアの台湾と韓国を先生にすると決めていた。

アーダーン首相自身は、メルケルやTsai Ing-wenのような学究出身の指導者とは異なって、科学的なバックグラウンドを持ち合わせないが、若いということは便利で、「自分には知識がないが、科学者としてどうおもうか?」と虚心坦懐に訊くことができた。

自然の猛威なのだから科学に頼るほかはない、と述べていたそうです。

レベル4のロックダウンはうまくいった。

たいへん厳しい、徹底的なもので、ツイッタで話しかけてきたウェールズ系のニュージーランド人で、ノースショアに住んでいる素晴らしい日本語を使う人が「わたしの家の近所では、みなビーチや公園の散歩はいいことになっている」と述べていたが、リミュエラのわし家近所では、半径500メートルの散歩は禁止、と信じられていて、わし自身は、せいぜい庭を片付けたりして、庭と家のなかでトントントンと動き回って、前に日本の主婦が妻にばかり過剰な家事の偏りがあるせいで、家から一歩も出ないまま一日にいかにたくさん歩くかという記事を読んだことがあったが、
その伝で、家のなかだけといっても、一万歩は歩くもののようでした。

もっとも歩数カウント自体がApple Watchのチョーええかげんな歩数カウンタによっているが。

スーパーマーケット以外は、食料品店でも営業を許されず、ニュージーランドではたいへん普及しているUber Eatsもダメ、持ち帰り、Takeawaysもダメで、わずかにdairyと呼ぶ、牛乳やパン、卵を売っている店が営業を許されるだけだった。

レストランやバーは、もちろん御法度です。

スーパーマーケットにしても、いちど、クルマのバッテリー充電をかねて偵察にでかけてみたが、ラインが描いてあるのでしょう、きっかり2mおきにポツンポツンと立つ人の列が、ぐるりと、普段は人気のない、そのカウントダウン(←オーストラリアのウルワースがこの名前でニュージーランドでは営業している。ロゴはおなじ)の支店の、駐車場のまわりをぐるりと取り囲んで、後で訊いてみると入店もひとりひとり許可されたものだけが入店できて、カップルで楽しく買い物、などは夢のまた夢のありさま。

びっくりしたのは、世界に名高いテキトー国民のニュージーランド人たちが意外にマジメに、真剣にロックダウン・ルールを守り抜いてきたことで、もちろんなかにはマヌケなおっさんがいて、例えばクライストチャーチでは、スーパーマーケットで、わざと他の客や棚に向かって咳き込んでみせて、自撮りしたビデオのなかで「おれはCOVID-19に罹っているんだ」と述べた40代の男の人が逮捕されて、結局は保釈も取り消されて数ヶ月監獄にぶちこまれることになった。

アーダーン首相は演説のなかで、この男を「大馬鹿者」と名指しで非難して、政府がその手の人間を絶対に見逃したり容赦したりしないことを国民に印象づけることになった。

高名の木登りといひし男、人を掟て、高き木に登せて、梢を切らせしに、いと危く見えしほどは言ふ事もなくて、降るゝ時に、軒長ばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず仕る事に候ふ」と言ふ。

あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難き所を蹴出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。

と兼好法師が徒然草で述べている。

兼好法師なる卜部兼好は、人間は早く死んだほうがカッコイイのだ、と述べて、ずっと後生の本居宣長に、そんなこと言って、自分は70歳近くまでへろへろ生きていたではないか、と笑われたりして、なかなかカッコがつかない人だが、ベンジャミン・フランクリンみたいというか、漢意(からごころ)の割にはプラクティカルな知恵に感心する能力があった人で、上の、木登りでいちばん危ないのは、自分でも危ういと感じる高みにいるときではなくて、仕事が終わって、するすると下におりて、もうすぐ地面におりたつというときがいちばん危ないのだ、という記事のように、いまでもサバイバルマニュアルに加える価値がある記述も残している。

いままさに地表に降り立とうとしているニュージーランドが、最大の難所にあることは、つまり、14世紀初頭の日本人でも知っていたことになります。

経済からいうと、言うまでもない、例えば試算によれば、初めの予定どおり4週間で終われば失業率は10%だが、もう4週間のばすと26%になる。

既存経済は、この4週間でも、おおざっぱにいって半分が吹き飛ぶ計算で、もう4週間となると計算のしようもない。

繰り返すと、ニュージーランドは、小国ながらいつもの果敢さで、経済優先の諸国の「専門家」たちが、「ウイルスは根絶なんてできない。共存するしかない」と述べるたわごとに耳を貸さず、「経済よりも国民の生命がすべて」と述べた国の専門家たちに耳を傾けて、賭けに勝った。

それがアーダーン首相にとって、いかに難しい決断であったかは、いったんは「必ずやる」と述べたクライストチャーチのモスク襲撃の追悼集会を取り止めにすると発表したのが前日であったことにもあらわれている。

あとでふり返って、専門家たちが、あそこで追悼集会をひらいてもいいと政府の姿勢を示せば、たいへんなことになっていた、としみじみ述べていたが、コミュニティの結束や経済を優先するか、生命を徹底的に優先するかは、むしろ指導者の哲学の問題で、アーダーン首相は、結局、自己の年来の主張「国家は人間性に依拠すべきだ」で自分自身とニュージーランドという国全体を救ったことになります。

おとといは、83店舗を展開する Burger King NZが倒産するというニュースがあった。

初めの決断はうまくいったが、今度は、ながびけば3倍になると言われている自殺者数や、見当もつかない増え方だろうと言われる生活の不安から鬱病になる人の数、あるいはこの3週間のロックダウンだけで22%増えたアルコールに起因する病気を発した患者、「ウイルスを避ける生活によって引き起こされる生命の危機」の問題と向き合うことになった。

ひとつだけ救いになるのは、ニュージーランド人全体が、労働党支持者も、不支持のひとびとも、アーダーン首相が積み重ねた難しい局面での判断を支持していることで、危機をのりきるリーダーとして、全幅の信頼を寄せている。

いまは、国民みんなが息を潜めて、月曜日のアーダーン首相の決断を見守っているところです。

 

(この記事は2020年4月17日掲載の記事の再掲載です)



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