Sienaの禿げ頭

イタリアがもっか如何にビンボであるかは幹線道路を走ってみればすぐにわかる。
イタリアの道路は高速道路が私有であったり、国有やコムーネがもってるのや入り乱れていて判りにくいが、公共道路は徹底的にボロボロで、制限時速110キロの道路に、ぼっこおおーんと穴が開いていたりするので小さい車輪のクルマだと危ないほどです。
しかもそういう穴ぼこをパッチアップするのにトラックでやってきたおっさんがひとりでアスファルトを埋めていたりする。安全要員ゼロ。
トラックを万が一のときの盾にして、おっちゃんがどっこらしょとアスファルトを盛っている。

朝、起きたら天気が良かったのでSienaに行くことにした。
水曜日はマーケットが立つ日だとミシュランに書いてあったのを思いだしたからです。

いま調べてみたら日本語では「装飾写本」というそうだが、英語ではIlluminationという。
https://en.wikipedia.org/wiki/Illuminated_manuscript
確かに欧州語でも金箔や絵を使わない装飾的文字だけのものでも骨董美術店に行くとたとえば「Manoscritto mininato」と言って売っているが、本来は金箔や絵をちりばめたものだけについて使われる言葉で、「装飾写本」では値段にして1ページ€100くらいから売っている文字が装飾的な手書き本が入ってしまう。
だからここでも日本語の「装飾写本」という言葉でなくて、ただ「Illumination」のほうが良さそうです。

SienaのカテドラルにはIlluminationで有名なライブリがあるので、そこに行きたい、ということがある。
それにマーケットがあればどこにでもホイホイとでかけていくのも、このブログを昔から読んでいる人にはおなじみのわしの癖で、多分、中世くらいからの先祖と同じ「マーケット」と聞くと浮かれてしまうケーハクさがいまだに血中に残っているのだと思われる。

いま「明日はシエナに行くべ」と述べたtweetを見ると村上憲郎が返答に「30年前に女房とふたりで闇雲に町中を走ったら偶然Piazza del Campo
http://it.wikipedia.org/wiki/Piazza_del_Campo
に出た」と恐ろしいことを書いている
https://twitter.com/noriomurakami/status/339533964765167616
が、なぜ恐ろしいかというと、ほんとうのことを小さい声で言うと道路はなにしろカンポ広場やドゥオモに出るように出来ているので闇雲に走ってもかなりの確率でどちらかに出るが、たどりつくまでには人間の雑踏で、5,6人はひき殺さなければならなかったはずで、村上憲郎はカーマゲドン
http://en.wikipedia.org/wiki/Carmageddon
を30年前に実地に行って人生の秘密にしていたものだと思われる(^^;)

わしはいまでもスーパー血気盛んな村上憲郎と異なって温和で成熟したおとななので、そんな乱暴なことはしません。
イタリアの町のまんなかで、マーケットが立つ日に駐車する余地があるわけもないので、町の外縁、およそ1キロくらい離れた空き地の無料駐車場をみつけて、そこにクルマを置いていくことにした。

クルマを降りてみるとマーケットへの道がさっぱり判らないので、近くにクルマを駐めて書類を片手に歩き出しつつあるおっちゃんに「マーケットをやってる場所にはどうやって行くのですか?」
と訊いてみた。
おっちゃんは、イタリアの人にはよくある身長が165センチくらいで、風采の立派な紳士っぽい人である。
背広の仕立てがたいへんよろしい。
靴が途方もなくかっこいい。
「マッキーナ(自動車)で行くの?それとも歩き?」
モニが、多少慌てたのか、クルマだけど歩いて行きます、と応えている。
おっちゃんは、うーむ、という顔になってから、しばらく(およそ3秒くらい)長考してから、
「マッキーナで行くの? それとも歩き?」
とさっきとまったく同じ質問をもう一回しておる(^^
他に質問のありかたを考えてみたが、やっぱり思いつかなかったのでしょう。
「歩きです」と応えると、おお、そうか、と述べてから、
しばらくして、「この道路を向こうがわへ歩いて行くと、ラウンドアバウトがあって、そこを橋の側に渡って、ピッツエリアの前を道路を横断して、そこから50メートルくらい行くと長い階段がある。その階段をあがって、ずううううっと歩いて行くともうひとつラウンドアバウトがあって、そこのクルマだとすると3番目の出口なる道路をわたると、ロムルスとレムスがshe-wolfからお乳を飲んでる銅像が道の両側にあるところに出るからね…あっ…ロムルスとレムス、判る?」
「判ります。ダイジョブ」
「そこをすぎてゆるい坂道をてくてくと歩いてあがって行くと、左に曲がる道があって…(中略)… バスのターミナルが左に見えるところに出るから、その右側の公園をずっと歩いてゆくとマーケットがあると思う。判った?」
「ぜんぜん、判りません。ごみん」
おっちゃんは、しばらくわしをじっと見上げていたが、しょーがないな、頭が悪いのだな、気の毒に、という内心の声が明瞭に聞こえるような、しかし、あくまでチャーミングな顔でニコッと笑うと、
じゃ、ぼくはさ、仕事まで少し時間があるから一緒に歩いていってあげるよ、ついておいで、と驚くべきことを言うなり、さっさと先に立って歩き出してしまった。

モニさんが、すっと追いついて、180センチよりもちょっと高いモニさんと、165センチくらいのおっちゃんは、おっちゃんがモニをクビが痛くなりそうな角度でみあげたり、モニさんがおっちゃんのほうに屈んだりしながら、何事か笑いあいながら歩いてゆく。
やや遅れて、二人の後を歩いているわしには、露骨にうらやましそーな視線をおっちゃんに投げている他の出勤途中の老若の男どもの様子が観察できて面白い。
ときどきモニが後ろを振り返って、わしに知らないイタリア語の単語の意味を聞いたりする。

ところでおっちゃんは周辺部のみを残して見事なつるっぱげであって、後をついて歩くわしにはまぶしいほどであった。
わしはおっちゃんの目にあざやかなハゲ頭をみながら、ハゲもこのくらい、すかっとハゲてると、昨日のパーティのドイツ人の知性ありげな銀髪頭なんかよりかっこいいな、と考えた。
わしがモニなら、目的地に着いたところでハゲにチュッとしてあげるであろう。
髪の毛がないぶんだけ(多分)ハゲ頭は清潔であると思われる。

バスのターミナルが見えるところについて、モニとわしに右手の公園を指さして、「ほら、あれがマーケット」と言うのでお礼を述べようと思ったら、あっというまに踵を返して、すたすたすたと元来た道を戻っていってしまう。
その「間の外し方」というか、相手にお礼を言わせない、ちょーかっこいい、高文明度のおやじだけにしかできないタイミングの外し方を記録しておきたくて、この記事を書いているのです。

お礼もハゲにチュッも出来たものではない素早さでおっちゃんは去って行くと、3メートルほど歩いたところで、ぴたっと歩を止めて、くるっと振り返ると手を挙げて、「楽しい一日を! なんて綺麗なお嬢さんだろう」と言って、また、こちらにはなにを言わせる隙も与えないまま、燦然と空に輝き始めた太陽の光にハゲを輝かせながら、ずんずんずんと坂をくだって行ってしまった。

モニとわしはイタリアおっちゃんのあまりのかっこよさにカンドーしてしまいました。のみならずシエナは一挙に「かっこよくて文明度が高い上品な町」というイメージを獲得してしまった。

マーケット自体は、店の数ばかりが多いあんまし面白くないマーケット(シエナの人ごめん)で、全体に数が多いなんだか巣鴨駅前商店街の軒先が並んでいるような洋服屋台や、花、あとはほんのいくつかあるだけの魚や肉を売っている屋台が出ているだけで、中国のひとたちの巨大な集団がふたつほど航行しており、60歳代くらいの日本人のカップルが数組、お行儀良く歩いている。
あとはお決まりのドイツ人たち。
地元のおばちゃんたちとおじちゃんたち

モニとわしはフェネルのソーセージを買っただけで、Illuminationを観にカセドラルへ向かいました。
シエナの町は、(中世の町にしては)道幅が広くて、明るい町並みで、清潔で綺麗でもあって、30年前に村上憲郎夫妻にひき殺されたひとびとも、あれなら成仏したのではないだろうか、と思わせる、上品な町であった。
モニは一個ずつIlluminationの前に立ってはメモをとって次に移動するので、結局カテドラルに4時間くらいいたのではあるまいか。
そのあとシエナの町をぶらぶら歩いて、いままでの一生で一等うまいカフェ・ラテを飲んだり、すごおおく美味そうなのに食べてみるとマクドナルドのハンバーガーよりも不味いパニーニをかじって捨てたりした。
日本の人にために報告すると、大集団でぶおおおおおんと移動する中国のひとたちや、少人数のグループにわかれてなんだかものすごいでかい声で、まわりの観光客をびびらせまくっている韓国のひとびとに較べるとシエナでみた日本人観光客は、多分団塊世代と思うがカップルで、身なりもよくて、ややひきつったような緊張した表情はよくみるとヘンだけど、他は自然で、モニと日本のひとだね、日本、なつかしいね、と話したりした。

土産物屋の店先で、だんだん露骨になってくる欧州の中国嫌悪病を反映して、Made in China と書いてChinaにおおきくXをつけた陶器の置物を
置いてあったりしていたが、中国の人、韓国の人、日本の人、と順番にみると、まるで洗練されてゆく観光態度の歴史を並べてみせられているようで、わしガキの頃の日本人観光客の行状を思い出しても、もしかするとこういうことも、単に時間の問題なのかなあ、と思ったりした。

新大久保の本来の日本人らしくない粗野でバカっぽい脳が半分憎悪で溶けてなくなってしまったようなひとびとのくだらない騒ぎや、橋下徹大阪市長の名状しがたい卑しい心根と一部の日本のひとが他人にそれと指摘されてすら気が付かない惨めな人間性の欠落を見事に国外に向かって再喧伝してしまったスピーチ、というようなことをちょっとだけ考えたが、天気が良いせいか、すぐに考えは朝方出会った文明人的に親切なハゲおっちゃんに戻って、ああいう人、日本にもいるものな、日本が新大久保騒ぎや大阪市長のような惨めな姿をさらしているのも、そんなに長くない期間だろうと考え直して、クルマまで歩いて戻りました。

帰りには国道沿いのシエナの市境に近いトラットリアに寄って、「ガメは人間が相変わらず保守的だなあー」とモニに笑われながら、ソースがかかっているというふうではない、謂わば「乾いた」、本格的で無茶苦茶うまいスパゲッティ・ア・ラ・カルボナーラを食べた。

モニさんは「ジプシー風」ペンネ。デザートにミルフィユを食べたら、添え物のオレンジにかかった蜂蜜にちっこいちっこい蟻が二匹溺れて入っていたので、文句を言うというのではなしに、瓶のなかを調べたほうがいいとおもうぞ、と支払いのときに述べたら、店主のおっちゃんが愉快そうに笑っていた。
€37のお勘定を€30にまけてくれた。
蟻は、いいんだよ、別に、とゆったら、もちろんさ、ゴキブリとは違うからね、でも釣り銭がないんだよ、というので、ほんとうかどうかは判らなかったが、厚意を受け取ることにしました。

トラットリアの駐車場でモニがううううーんと腕をいっぱいにのばしておおきく伸びをしながら、「人間はいいなあ」と言う。
「最高だな、ガメ」
「うん」と、わしも心から頷いて、また「どっかん」な穴が開いているハイウェイを戻ってきたのでした。

なんちゅうか、良い一日だった。
クルマを降りて部屋にはいった途端、豪雨が降り始めたところをみると、相変わらずの気まぐれで神様が台本を書いた一日だったようでもある。

神様が自分で作るIlluminationは、やっぱし中世の坊さんが目をしょぼしょぼさせながら描いたIlluminationよりも、やはり少し手がこんでいるのかも知れません。

 

(この記事は2013年5月30日にver.5に掲載された記事の再掲載です)



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3 replies

  1. >「ほら、あれがマーケット」と言うのでお礼を述べようと思ったら、あっというまに踵を返して、すたすたすたと元来た道を戻っていってしまう。
    その「間の外し方」というか、相手にお礼を言わせない、ちょーかっこいい、高文明度のおやじだけにしかできないタイミングの外し方

    いますね、そういう人。私の経験だと田園風景が広がる地域とかに。朴訥でちょっととっつきにくそうなおじさんなども、案外とても親切に(親身になって)道案内してくれたりする。そして案内が終わるとさっさと行ってしまう。

    人は基本的に困っている他の人を助けたいという気持ちがあるものだと思う。けれども自分が1分1秒に追われて生活していると、助けたくてもそうしてあげる時間がないと考えて簡単に済ませてしまう。

    件のおっちゃんは本当に仕事まで時間があったのか、実はそうでもないけど仕事は少し遅れてもダイジョブだ(というラテン時間のノリ)という判断があったのかは分かりませんが、心にゆとりを持って生活しているのは間違いないでしょう。

    身近にある自然の小さな変化にも五感を働かせながら、心にゆとりを持って日々を送りたいです。

  2. この話を読んでいたら、イタリアでの出来事を思い出しました。
    暑い夏の昼に近所のスーパーマーケットへ歩いていたら、体温よりも高い外気温で日差しが強く日中でも人がまばらなくらいの日でしたが、車道を走っていた車がゆっくりと伴走するように近づいてきました。
    いかにもアジア人の顔立ちのワタシですが、不思議なことに外国でもよく現地人に道を尋ねられるので、拙いイタリア語で案内する気でこんにちは、と返しました。
    その人は、突然すみません、美しいかただなと思って声をかけましたと言うので驚きました。
    道はよく尋ねられますが、この手の声をかけられることはほとんどありません^_^

    アジア人好きの変な人だと嫌なぁと思いましたが、このオッチャンは、名前を教えて、と言うので、伝えました。
    そうしたら、ありがとう、お会いできてよかったです、よい一日を!と言って爽やかに去っていきました。

    いつも通るスーパーに続く道は、住んでいる間になじみの顔ぶれがいて、みんな移民でやってきて地道に慣れないイタリア語と格闘しながら暮らしていました。
    お互いに名前も知らなかったけれど、すれ違いざまに簡単な言葉を交わしたものでした。
    日本にいたらおおよそありえないことだなぁと思いながら…
    インド、ブラジル、パキスタン、中国、国はわからないけどアフリカから来た人もいたなぁ。
    みんなそれぞれの事情でイタリアで暮らしています。

    花売りや土産売りの彼らが開店前のレストランのテラス席で休憩をしていても、よぅ!売れてるかい?なんて声をかけるイタリア人オーナーの姿も日常でした。
    日本なんて、バス停の椅子に少し腰掛けるだけで、乗らないならどけ!って怒られたのになぁ

    思い出を綴ってしまいましだがこの記事で、些細かもしれないけど大きな手で受け止めてくれるような、イタリアのあの空気がよみがえってきました

  3. >モニさんが、すっと追いついて、180センチよりもちょっと高いモニさんと、165センチくらいのおっちゃんは、おっちゃんがモニをクビが痛くなりそうな角度でみあげたり、モニさんがおっちゃんのほうに屈んだりしながら、何事か笑いあいながら歩いてゆく。
    やや遅れて、二人の後を歩いているわしには、露骨にうらやましそーな視線をおっちゃんに投げている他の出勤途中の老若の男どもの様子が観察できて面白い。
    ときどきモニが後ろを振り返って、わしに知らないイタリア語の単語の意味を聞いたりする。

    さりげないこういう描写、とても好きです。その光景が目に浮かぶと同時にそこに流れるあたたかい空気まで感じられるのは、書く人の愛が込められているからですね。こんなふうな生活の中のお話をもっと読めたらと思います。ここにコメントなさっている上のお二人のコメントにもそのあたたかさを感じます。
    (コマツナ名で登録できなかったのですが、コマツナです。)

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