続ビンボ講座 地獄篇 お、女に生まれてしまった!

ある日、きみは素裸で鏡の前に立って、考えるのではなかろーか。

参ったな、これは。
おれにはチンチンがないではないか。

前から知ってたけどね。

きみは、あらためて自分の身体をじっと見つめて寂寥を噛みしめる

ひさしぶりにしげしげと見つめると、物体の形として、やわらかで、やさしげで、あんなへんてこな、うなだれたパチモンの蛇口みたいなものがないほうが造形美上はいいとおもうんだけど。

あの訳の判らない怪しいガイジンがときどき書いているが、あれは多分、そのとおりで、この国でチンチンがないということは、チンチンのわがまま勝手の相手をさせられるだけで一生が終わりかねない。

第一、チンチンのぶん、年収が少ないのだとゆわれている。

やっぱり、ちゃんと作戦を考えないとダメだよね。

ところで、ぼくが、その怪しいガイジンなんだけどね。
男の立場から見た友達としての助言を考えてみたい。

そんなもんいらねーよ。
男の助言なんて役に立つわけねーだろ。

日本の女の人に特におおい意見で、めだっている。

ま、たしかにそーなんだけどね。

いいじゃない、ちょっとくらい読んでみたって、ただなんだし。

本質的には男と女のあいだに違いがあったりしたらたいへんなことで、違いなんて微塵もなくて、もちろん男のひとに対するのと共通したアドバイスであるべきだが、いかんせん、新幹線で十分だからやめればいいのにリニア線、ちょっとこれはダジャレとして、じーちゃんぽくてカッコワルイか、日本は世界のなかでも極端に男と女の違いを強調した文化で、その文化をぶんかって、あまりに長いあいだやっているので、「男と女の差異」は無意識の領域にまでしみこんで、なんだかまるで、「それじゃ交配しても種として子孫ができないんじゃないの?」と言いたくなるくらい別の生き物として扱われている。

ごくあっさり「女の言うことはわからん」などという。
あんたの言うことのほうが、よっぽどわからんわい、とおもうが、ふと周りを見渡すとちんちんがみんなピコピコと頷いている、じゃねーや、ちんちんをだらしなくぶらさげたひとびとが当然のように頷いている。

薄笑いを浮かべているバカまでいる。

だから、サバイバルの観点から、男のほうから見て、気を付けるべき点を書いてみたい。

「ガメ、おまえ、男のくせに裏切るのか!」と、言う人もいるでしょーけどね、わはははは、うるせー、悔しかったら年中なまえを口にしているマキャベリを読め、ちゃんとちんちんに道徳なし、と書いてあるから。

ここまでの短い文に七回もちんちんと書いてあるね。

ギネスブックに載るのではないか。

閑話休題。

まず、NOと言えることです。
間髪をいれず、おもいきりおおきな声でNOという練習をする。

どうしようかなあーとおもったら、はっきり、明然と「NO」と述べることは人生の危うさを大幅に減少させる。

具体的にはですね。
以前から状況のシミュレーションを繰り返してあって、こうなったらいいなあ、ここでこう来られればイエスというしか選択肢ないよね、と予期してあったこと以外は、ことごとくNOと述べるのがよい。

あとで、しまったNOと言わなければよかったとおもったら、どうしてくれるんだって?

あ、それ簡単よ。
このあいだはNOって言ったけど、昨日寝る前にじっくり考えたら、よさそうなので、お受けします、って言えばいいだけです。

それで、そんなんじゃ嫌だ、なんちう話をする人とは、どっちみち、金輪際付き合わないほうがいいのです。

わかりました?
NO。

チョー大事なことなのね。
わかったら、では、ご一緒に

NOOOOOOOOO!

次。

これも男にも、ちゃんと当てはまる、ということを念頭に聴いてもらいたい。

売春って、あるでしょう?
買春と対である。

わしはああいうこと全般に偏見があって、なあんとなくオカネがセックスに媒介するとチンチン(←9つめ)が腐って落ちそうな気がするので、やってみたことはない。

チャンスというか、機会は、女の人の想像を遙かにこえて、真実を知ったらぶっとぶくらい、全世界の女の人が同性愛以外は信用しない、と固く心に誓うくらいあります。

美術出版社の社長と一緒にマンハッタンでバー・クロールをする。
バー・クロール、というのは、次から次にバーを変えながら散歩して歩くことです。
日本だと、梯子酒、かな?
梯子だと最後の一杯のあと梯子の先の雲に入って天国に行っちゃいそうだね。

ともかく、ニューヨークはカクテルの町なので、ドライマティニー、ブルーマンハッタン、レベルソルジャー、それぞれが得意なバーテンダーからバーテンダーへ、12杯くらいも飲んだか。

最後に連れていってもらったのは、なにやら豪華な入り口の重々しいドアの、ロココ調のバーで、おお、すげえ、さすが人徳で知られた著名美術出版人、すごいところの常連であるな、とおもったら、それがね、
ブロセルだったのよ。

ブロセル、知ってますか?
ベルギーの首都ちゃいまんねん。

brothel

売春宿、ちゅう意味です。

なかに入ると広大なホールがあって、Victoria’s Secretのエンジェルのおねーさんみたいなひとびとが、カウチに椅子に、おもいおもいのかっこうで座っている。

このQというおっちゃんは旧知らしい女主人とふたことみこと言葉を交わすと、わしに向かって、なかなかチャーミングなウインクを投げて寄越してから、チョー綺麗な若い女の人と奥へと消えてしまった。

と、こういう具合のことが、男で普通の人生を歩いているといくらでもあるとおもわれる。

ところで、ところーで。

男のほうは、ピョコピョコで、欣喜雀躍で、ピュッピュッだが、女の人は艶然と微笑んでいても、ふつーに考えて、「オカネのために仕方なくやってんだよ、ハゲ、さっさとすませろよ」と思っているはずで、仕事ですね。

で、要点を述べると、進退窮まって、就職の面接もことごとく断られ、人間にはそういう時期というものがあるもので、なにをやってもうまくいかないときに、これを仕事にしてはいけないのか、という問題に直面する。

あるいはポルノ。
なんでも異なる語彙を発明して誤魔化すが好きな日本語ではAVと言っただろうか。

オークランドには有名なオーディオ屋のAV WORLDというのがあるけどね。
勝手にAVとか付けられると、世界のおもわぬ街角で迷惑をこうむるひとびとがいる、という例ですね。

わしはMt. Edenの交叉点で信号を待っていて、通りの向こうのAV Worldのサインが目に入ると、おもわずしらず、ニソッと笑ってしまうもの。

わしがだいだいだい好きなケベック出身のフランス語歌手 Coeu de pirateが若い時に食べられなくなって、あの業界で稼ぐことにした。

若かったので「ま、ちょっとくらいいいか」と思ったもののようです。

たいへんな判断の誤りで、その後、人気歌手になってからネット上に当時の画像をあげられまくって、いまでも訴訟に追われている。

そういう予見できない損失があって、しかも労働環境が著しく悪い。

どうしてもやむをえない立場に立ち至った場合のアドバイスとしては日本で業界入りするのなら、例えばニュージーランドに行って同じ職業についたほうがいいのです。

少なくとも労働者として社会と法の保護が受けられる。

ニュージーランドに限らないがほとんどの英語国は売春のdecriminalisationが進んで、脱犯罪化されていて、罰則が全廃されている。
職業組合も売春婦のひとびとの人権協会もあります。
暴力組織がビジネスに出来ないように、性病から守られるように、かなりの社会側からの配慮がある。

あんまり長くなると困るので要点を述べると

「死ぬくらいなら、どんなビジネスでも、犯罪ですら、ためらうべきでない」ということ。

日本のような社会にいると信じるのが難しくなってくるのは判るが、失敗しても、やりなおすチャンスは必ずくる。

こんなことが気休めになるわけはないが、文明圏で述べるとロシア語圏の女のひとたちは、性産業に従事したり、オカネがある年長男と契約して愛人になったりすることに比較的ためらいがない。

わし年長友に、あんまり詳しく書いてはならないがだろうが、大臣夫人がいて、この人と話していたら「わたしの頃のモスクワ大学の女の学生は、ほとんどみんな売春のアルバイトをしていた」という。

えっ、とマヌケにも驚いた顔が出てしまった、わしを見ながら「もちろん、わたしもやったわよ。仕方がないでしょ、社会がデタラメなんだから」と述べていました。

こういうことも文化の一部なのだと、いまなら判ります。

 

 

 

ニュージーランドのマオリ人やポリネシア人への差別は、ご多聞に洩れず、十分にシステム化されて、ほとんど日常生活のなかで無意識化されている。

新聞を読んでいる夫が、午前11時に、5歳の女の子供が襲われて性的被害に遭ったってっさ

と述べる。

妻が、「南の方?」と訊ねている

うん。そうだけど、Mt. Wellingtonだから、それほど南というわけじゃないな、と夫が憂鬱そうに応える。

妻は、それはたいへんじゃないの、と述べている。

あるいは銃が大量に市井に備蓄されているわりには銃による犯罪が少ないオークランドで銃撃事件があって、ひとり死亡、3人が重傷、というような事件があると、やはり「南なの?」
「いや、西」
「ああ」
という会話が交わされる

オークランドの貧困エリアが南と西に広がっているからで、gentrificationが進んで、オークランドの貧困層の凄まじい暴力的な生活を描いて世界の大ヒット作となった映画「Once Were Warriors」の、むかしほどではないものの、いまでもやはり犯罪発生率は南と西に圧倒的に偏っている。

特にデザインされているわけではないはずで、どこでそうなるのか判らないが、同じ警察を呼ぶのでも、中心部や東では110番して、遅くとも15分で現れる警官が、南では1時間以上かかるのはオークランド人の常識になってもいる。

早朝、南にあるパパトイトイで女の人が刺殺されても、どうかするとニュースにもならないが、去年だったか、わし家の近くでジョギングちゅうの女の人がナイフで刺されて死んだときは、文字通り、上を下への大騒ぎで、全国ニュースで警視総監が釈明することになったりしていた。

通常なら1台か2台のはずのパトカーも5台やってきたのをおぼえています。

ところで、そういう南の小さな町で育ったマオリ人のインタビューを見たことがある。

何回窃盗に侵入したかわからないが、百回は、そりゃあ軽く盗みに入ってるね、という人です。

オカネを稼ぐ方法を、ほかに知らないんだから仕方がない。
周りも、両親も兄貴も、近所の連中も、泥棒で食べていたしね、稼ぐというのは泥棒にはいることだとおもっていたのさ。

普通のニュージーランド人ならば、泥棒の常習犯か、とんでもない奴だなあ、とおもってインタビューを見始めて、ここに至って、
「じゃあ、仕方がないな。犯罪とは言えないんじゃないのか」という感想をもつはずです。

えええっ?
と、いまおもった、そこのきみ。

きみ、日本人なんじゃない?

なんちて。
冗談です。

ごめん。

自分がこのコソ泥おっちゃんなら、どうするか?
節を守って餓死するのか。

そんな選択があるわけはない。
自分に身についた、ゆいいつの生計の道、犯罪に頼るほかはない。

この人は、若いときに泥棒にうつつをぬかしたことを後悔している、と述べていたが、事態をずっと遠い距離からテレビの画面を通して眺めているわしには、全体が「社会の犯罪」に見えている。

この場合、彼の罪を問うことが出来る社会は、あってはならないもののようです。

社会は自分自身をこそ断罪しなければならない。

そろそろ、
いったいなんの話をしているんだ!
第一、ぼくは日本の話を読みに来たんだぞ!
と怒っている、きみの顔が見えるようです。

わしはきみの話をしている。
そして、間違いなく日本の話をしているんですよ。

きみは会社員しか生きる道を知らないでしょう?
他にたつきの術を教わってないからね。

父も母も勤め人でしたから。
ええ、姉も勤め人です。
企業じゃなくて大学だけど。

もっと嫌なことをいうと、きみは自信をもって会社に言われても自分の意に染まないことをやってしまった経験はない、と言えるだろうか。

あんまり言いたくはないが、サバイバルとは、時に、そういうことです。

社会や道徳の側から見て、とんでもないことでも、個人の側から、他に選択肢が存在しない、ということは、特に「壊れた社会」では、よく起きる。

「慰安婦問題」が起きて、厚顔無恥な理屈を述べる、下はネトウヨから政府閣僚や国会議員までがいて、いっぽうで、ほおら、飯のタネが正義をしょってやってきたとばかりに商品化して、これで一年は食えると大喜びで糾弾しまくった「左翼」がいて、嫌な光景があちこちにあらわれたようだったが、そのときに日本の社会を眺めていて、わしが考えていたことは、まるで脈絡のない戦後の日本人の女の人達の苦闘でした。

将校夫人も、特攻隊員との純愛を貫いて出撃する隊員と結婚の盃を交わした若い妻達も、たいへんな数の若い女のひとたちが、このあいだまでの伴侶の敵だったアメリカ人相手に身体を売って、自分と子供、往々にして婚家の家族全員を養わざるとえなかった。

このひとたちは、ほとんどが戦後の混乱が終わったところで「家の恥」として「家」から縁を切られます。

社会って、つまりは徹底的な、ご都合主義なのね。

だから、そんなものを自分の生死がかかっているときに考慮するのは愚かなことなのですよ。

もちろん性をビジネスにするのは個人にとっては地獄を通行することに等しい。

しかし、それは少なくとも現代の文明が存在する社会では、「許容される失敗」であることをおぼえておいてください。

退屈な例えだけど、転んだら膝小僧や肘にぬぐってもなかなかとれてくれない泥はつくよ。
血が流れて、おぞましい傷口がひらいてしまうこともある。

でも、それは「忘れることができる失敗のひとつにしかすぎないのだ」と、たくさんの女のひとたちが証言している。

やれやれ、性産業と犯罪の所でひっかかって、えらく長くなってしまった。

本題の「日本語社会で女に生まれてしまった場合のサバイバル」については、また今度に書くしかなさそうです。

相変わらず計画性ないよねえ。

日本の社会は、もうすぐいままで見たことがない崩壊に追い込まれるのではないか、という強い見方があります。

理由はCOVID禍がワクチンの力で終わると、世界の景気は急な好景気の局面に入る可能性が出てきたからで、そうすると、COVIDで各国が背負い込んだ莫大な負債の金額を考えると長いあいだゼロに限りなく近かった長期金利が上昇に転じる。

現にアメリカの長期金利は少しずつだが、もうあがりはじめています。
そうすると各国共金利が上昇しはじめるが、長い間、異常な金融緩和策で、ものすごい量の通貨を市場に放出してきた日銀だけは各国と足並みを揃えて金利をあげるわけにはいかない。

その結果は、ひとつだけの可能性しかなくて、かつて見たことのないような通貨・円の大暴落です。

政府は立ち直ることが出来るでしょう。
いざとなれば1949年のように銀行口座を凍結して国民の資産を実質没収してしまう、という荒技を使った前科もあるので、案外はやく立ち直る可能性がある。

でも国民は、冗談ではなくて、特に社会的な地位が他国と較べても圧倒的に低い、社会によって保護される見通しのない日本の女のひとたちは、敗戦直後とおなじく売春か自殺かの選択を迫られるかもしれない。

そのときは躊躇なく生きるほうを選んで欲しい、と願っています。

では。

 

 

 



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1 reply

  1. 『オカネを稼ぐ方法を、ほかに知らないんだから仕方がない。
    周りも、両親も兄貴も、近所の連中も、泥棒で食べていたしね、稼ぐというのは泥棒にはいることだとおもっていたのさ。

    普通のニュージーランド人ならば、泥棒の常習犯か、とんでもない奴だなあ、とおもってインタビューを見始めて、ここに至って、
    「じゃあ、仕方がないな。犯罪とは言えないんじゃないのか」という感想をもつはずです。

    えええっ?
    と、いまおもった、そこのきみ。

    きみ、日本人なんじゃない?』

    最近の日本は悲しい事件が多くて、例えば相模原障害者施設殺傷事件は「優生思想を持った差別主義者によるヘイトクライム」として有名なのですが、被告の生い立ちなどを調べると彼自身なんらかの精神障害を抱えていたことは明らかで、彼にとってこれは一種の「自殺」だったのではないか、日本の司法で死刑になってしまうのは仕方ないとしても、もし彼に大麻や右翼本ではなくSSRIや普通の友人が与えられていれば救われていたのではないかと考えずにはいられません。

    そういうことを考えるきっかけになったのが最近完結した漫画の『進撃の巨人』で、作品全体を通底する老年期のヴィトゲンシュタインを思わせるような倫理性は現代読者にまだ気付かれていないとしても、ただ単純に面白いという理由で大人気なので、おすすめです!

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