競争から共生へ

日本語の壁で囲まれた部屋のなかでは、総額五千円の冨が支配している。

きみが二千円とって、センパイのヒロシさんが三千円。

ところがところーが。

女の人も働くことが解禁になったのでヨシコさんが部屋のなかに入って来て千円もっていってしまうことになった。

途端に室内は阿鼻叫喚になります。

侃々諤々。

いったい女も人間だと認めたバカは、どこの誰だ。
女を室内にいれるなんて、女ばかり優遇されたら、男は亡びてしまうではないか。

議論百出。

だからフェミは嫌いだ。
え?
フェミ知らないの?
フェミニストのことだよ、女の味方。

女の味方と男女同権はちがうって?
なに言ってんの。

バカじゃないの。

とにかく!
この部屋の五千円は女のせいで四千円に減らされてしまったんだよ!

日本の人の世界観の基調は、世界の知識や冨は、なあんとなく一定で、それを取り分をどれだけ分捕るかによって自己の知識と冨は決まる、というものであるらしい、と日本にいるときになんども考えた。

咸臨丸の一行で、最も印象的な話は、一行の赤ゲットぶりよりも、使節の百科事典との邂逅です。

秘すれば鼻。

それは不織布マスク。

秘すれば花。
免許皆伝。
父子相伝。

知識は秘匿するから利益を生みうるのに、こんなになんでんかんでんばらしちゃったら、いったい、この宗家たちや家元たちは、どうやって食べていくのか。

バカなんじゃないの。
いくらなんでもマヌケすぎる。

アメリカ人たちの折角自分たちが発見した世界の秘密を、パンツもはかせずに(失礼)曝け出してしまうマヌケぶりを嗤いながら、ちゃっかり百科事典は買い込んで、日本に持って帰ります。

時は経って、インテルの研究者たちの発表会合。
最前列にずらっと並んで、無心に発表をノートに書き込んでいるのは、全員が日本の「研究者」たちでした。

新しい86系16ビットCPUのアーキテクチャをインテルおっちゃんが述べ終わると、文字通り、脱兎のごとくファクシミリに向かって走る。
殺到する。

いま聴いたばかりの発表を本社に送る。

事実か都市伝説か、当のCPUをインテルより早く製品化して市場に送り出したというから、日本人の優秀さをおもうべし。

気が付くでしょう。

そして、いまでは、もっと大規模な知識の公開と共有が世界中で起こっている。

インターネットという名前がついているのね。

世界が競争から共生へ世界観を変えつつあるのは、あきらかにCOVIDパンデミックのせいです。

ひとりだけ生き延びようとして、「てめえの面倒はてめえ自身がみやがれ」の「強い」個人や、他国のことなんて、どうでもいい、とにかく我が国だけが生き残ればいい、という国家を、嘲笑うようにウイルスは世界中に広がっていった。

人間側で有効だったのは、消毒液を注射したり、イソジンでうがいしたりすることではなくて、

Be strong, be kind, we will be OK.

と一国の指導者が述べた演説から採った、

Be kind.

という、いまでは世界中の英語人が知っている短いひと言でした。
もちろん、その演説が人類の考え方を転回させたわけではないのだけれど、そのひと言が転回点に置かれている。

競争から共生へ英語世界がおおきく、音をたてて変わろうとしている。

ウォーレン・バフェットやビル・ゲイツたちをはじめ、世界の大富豪たちが、「われわれにもっと課税しろ」と声明を発して、なんども政府に圧力をかけているのは、日本語世界では「くさい偽善の演技」ということになっているが、あれは、そうではないんです。

競争の勝者が世界の頂点にのぼりつめる時代は、もう終わりにしないと、人類そのものが亡びてしまう、という衝迫した危機感から出ている。

富豪というのは、つまり、経済世界におけるゲーマー族です。
よく出来たルールのゲームを見ると、我にも非ず、後先も考えず、飛び込んでいって、三度の御飯よりも好きなストラタジーの工夫をして、遮二無二勝ってしまう。

意想外のゲーム戦略を展開して、余人が息をのむ大勝利をおさめて、パンパカパンになってから、「げ、おれは、なにをやってるんだ」と冷静になりはじめる。

自分が大勝利をはたした戦場をふりかえって遠望すると、文字通り、死屍累々、ビンボにのしかかられたゲームが下手なひとたちが虫の息で呻いている。

どひゃっ、やばい、これじゃゲームを支えている基盤そのものが壊れてしまうではないか、という焦慮が声明になっている。

五千円の室内の壁を壊して、天井を高くして、風通しをよくして、一万円、十万円とキャパシティを増やして、参加者が増えるほど全体の知識や冨を増大させる仕組みをつくったほうが、遙かに効率的でもある、とやっと人類全体が気が付き始めている。

むかしから、もしかしたら、そーなんじゃないかなあああー、とおもっていたんだけど、確信がもてなかった。

だって、いつもすばしっこい、狐のようなやつが勝つじゃん、研究するより、研究の成果を上手に盗んだ人間の勝ちですよ。

マヌケはマヌケさ。

そういう人間性のかけらもない個人や国家が勝つ時代がやっと終わったのは、実はITの拡大のせいです。

ITは個人と世界を等価な、おなじ地平上におく性質をもっている。

プライバシーを保持したり、個人の匿名性が守られにくいのも、そのせいでしょう。

もともと徹底的な性善説に基づいてデザインされていて、本音を言ってしまえば、「なんできみはプライバシーを秘匿したいの?なんか悪いことしたの?」と考えている。

それはそれで、おおきな問題を抱えた世界観なのは当然だけれども、
トリクルダウンもなにも、競争勝者にばかり都合がいい理屈がすべて破綻した世界では、とりあえず個々の人間が杖にして歩いていけそうなものは他には見あたらない。

具体的には、個人が掣肘されることなく、いかんなく個性を発揮して、自分の形をみいだして、自分にしか出来ないことを発見しておおきく伸長させうる社会をつくろうと社会は構成する個人を見る観点を変えている。

フィンランドの新教育などは、よい例ですね。

社会は個人を駆りたてるのではなく、個人がさまざまなことを試行して、こけたら抱き起こして、具体的には潤沢な生活保護や失業保障をおこなって、「もういっかいやってみなよ」と述べる存在になるように努力している。

そうしないと社会自体が衰退してしまうからです。
別に「弱者を保護」しようとしているのではない。
旧来の観点からは、そう見えるでしょうけど、社会は、ほんとうは、共生の時代を、自分も生き延びようとしているだけです。

そのためには競争と閉鎖の古い社会観を、どうやってでも変えていかなければ、どうにもならない。

で、こんなことを日本語で書いている理由は、ですね。
当然ながら、日本の社会はどうなんだろう?

もしかして、逆行してるんじゃない?

いまの世界で「強い者が勝つのさ」「弱者を守るなんてムダな偽善ですよ、ちゃんちゃらおかしい」なんてやってると、社会ごとなくなるとおもうよ。

そんな古くさい錆がたまった頭で、新しい時代を、社会として乗りきれるわけがない。

ふと、心配になって、余計なお世話で、書いてみた、という記事なんだけど。

当たり前すぎるか

 



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1 reply

  1. > そのためには競争と閉鎖の古い社会観を、どうやってでも変えていかなければ、どうにもならない。

    これは、常々思っていました。残念ながら受験戦争と就職氷河期を経てきた団塊ジュニア世代は、この古い社会観に凝り固まってしまい、誹謗中傷を繰り返して自分の領分を守ろうするす中心となってしまっています。

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