ふたつのパスポート

 

 

I (name) swear that I will be faithful and bear true allegiance to Her Majesty Queen Elizabeth the Second, Queen of New Zealand, Her heirs and successors according to the law, and that I will faithfully observe the laws of New Zealand and fulfil my duties as a New Zealand. So help me God.

と言う。
ニュージーランド市民になるときの誓いの言葉で、ニュージーランドのパスポートを持っている人は皆がこの誓いのもとに国への忠誠を契約したことになる。
モニがニュージーランドの市民権を取ったときは、グランドホールに300人くらいの人が列席していて、54ヶ国の国籍の人がいた。
サンタルチアのような小さな国からアメリカのような大国の出身の人まで、さまざまで、二階にある観覧席から見ていると、ニュージーランド人になることに決めた、さまざまな民族衣装の人々で、眺めているだけで飽きなかった。

国の名前を読み上げて、それぞれの国籍の人が立ち上がって手を振って挨拶する。
「インディア!」と司会の人が読み上げると、会場全体がどよめくほどたくさんの人たちが立ち上がって、最近、最大の移民集団になったインドのひとたちの数の多さをあらためて確認する。
「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」というチョー長たらしい名前の国がイギリスで、この国の名前が呼ばれたときも、やはり大勢が立ち上がって会場がどよめきます。

へえええー、と間の抜けた感想をもったのは中国の名前が呼ばれたときで、ふたりの人が立ち上がっただけだった。
移民の数と市民権を取る人の数は比例しないようで、特にニュージーランドの場合は、永住ビザを持っている人と市民権を持つ人とのあいだに、まったく権利の差がなくて、外国人にも選挙権がある国なので、例えば連合王国人にとっては「ニュージーランドが好きである」という理由以外に市民権を申請する理由がない。

最近の世界では、国籍をひとつしか持つことを許されないのは、多分、中国と日本くらいのものなので、悲壮な顔や感極まっている顔というものはなくて、気楽なもので、でもみなが誇らしい、楽しそうな様子です。

隣にパートナーが今日ニュージーランド人になるのだ、というコロンビア人の若い女の人が座っていて、ずっと話していたが、コロンビアのパスポートはボロいので自分たちにとってはニュージーランドのパスポートを手にすることにはおおきな意味があるのだ、と述べていた。
「ボロい」というのは、他国への行きやすさのことで、たとえば日本のパスポートは、たしか世界で5番目だかに「良い」パスポートであることになっていて、平和憲法のせいで、日本旅券の保持者は、たいていの国のビザを簡単にとることができて、観光目的ならば、3ヶ月までビザなしで滞在を許される国の数も多い。
シリア人などは大変で、長年の政府の愚かさのせいで、短期訪問ビザを取るだけでも、たいへんな手間です。

ひとりひとり名前を読み上げて市民権証明書を手渡す段になると、みなが一列に並んで、順に、壇上にあがってマオリ族の代表と、オークランド市の代表から祝福される。「ミスター」の代わりに「ドクター」の称号で呼ばれる人が意外なくらい多くて、ここでもちょっと驚きます。
この「ドクター」たちには共通した点があって、みながみな、マオリ族の代表の品のよい、威厳がある老人に、hongi、と言う、マオリ人たちの鼻と鼻をくっつける挨拶をしていて、知性というものはよいものだなー、という感想をもつ。

杖をついて、小柄なこのマオリ族の老人は、素晴らしいスピーチの才能の持ち主でもあって、ニュージーランド人がいかにこの国を愛してきたか、これでみなも家族なのだから、一緒にこの国を発展させていきましょう、とユーモアを交えて述べて、聴いていて、なんだかうっとりしてしまった。

マオリ語と英語で国歌が歌われて、散会になります。

ロシア語やフランス語、イタリア語やひどいロンドンの下町訛りの英語が響いているホールに立って見渡していると、移民の国はいいなあ、とおもう。
考えてみると、自分も移民なわけだけど。

わざわざブログ記事にしようとおもった理由は「日本の人がひとりもいなかった」ことに、びっくりしたからで、かつては移民の集団としては常時上位5位にはいっていて、いまでも移民がやってくる国としては、2005年までのようなことはなくても、かなり上位に位置している日本人が、市民権を申請する人がひとりもいないのは、どういうことだろう?と考えたからです。

さっき述べたように国籍をひとつしか持つことを許されない珍しい国なので、それが理由なのか、あるいは、2006年から移住を受けいれる段階で英語能力を厳しく問うようになったので、それが原因か、考えてみても判らなかったが、日本人のようにおおきな移民のグループの市民権申請者が「ひとりもいない」というのは異様なことで、現に、隣のコロンビア出身の女の人も「あら、日本人がひとりもいないわね」と驚いた顔をみせていた。

最近は日本語のインターネット世界を眺めているのが辛(つら)いというか、社会自体の常識も、行われていることも、多分、マスメディアという世界への「窓」にあたる部分が壊れているせいで、だんだんひとつの共通したルールと思想にまとまりつつある世界からずれすぎていて、20世紀的な国権主義への国家思想上の後退や、もう他の国家がとっくの昔に失敗した経済政策の実施、
https://gamayauber1001.wordpress.com/2016/01/07/isgoddead/
ぶっくらこいてしまうゼノフォビア、到底現実とは思われないほどの女性差別、
スクリーンのなかに映される日本社会は、誰かが描いているSF世界のようで、自分にとっても、どんどん「遠い存在」になってゆくが、こんなところでも日本は非在だけが存在して、チュシャ猫のにやにや笑いを悲しみの表情に変えれば日本語社会を説明するのに適切なのではないか、と考えることがある。

2時間半の式典が終わって、階段の下でおちあったモニに、おめでとう、と述べるとモニはちょっとはにかんで、ありがとう、といって頬を薔薇色に染める。
これでふたりそろって無人パスポートコントロールが使えるね、と述べると、
ガメは、国籍のことになると、それ以外考えないみたいだ、と笑っている。

クルマのエンジンをかけながら考えてみたが、言われてみると、冗談ではなくて、その通りで、出入国管理の手間くらいのことしか、「国籍」のことなど考えたことはないようです。
へえ、と自分でもちょっと驚いてしまった。
一度などは、どのパスポートで出国したのか忘れてしまって、パスポートコントロールで慌てて、係官に大笑いされたことがあった。

でもね、モニ。
きっと国がそのくらいの重みしかない世界って、やっぱり良い世界なのではないだろうか。
きみとぼくと、ふたりの小さなひとびとは、これからどうなってゆくだろう。
面白そうだからシドニーに引っ越してみる?
ロンドンは大気汚染がひどくなったと、かーちゃんが述べていた。
欧州はどこも、だんだん住みづらくなっている。
でもたとえばジュネーブに住めば、小さなひとびとがいくつもの言葉を話すのに楽だろう。
自分達も、閉館したあとの美術館で、のんびり絵画を眺めるあの楽しみに、また戻ることができる。

なんだか迷ってしまうが、
おなじ銀色のシダのデザインのパスポートを係官の前で並べて出せるようになって、またモニとぼくは存在が近付いた。
「そのうち融合して、ひとりの人間になったりして」と高速道路を運転しながら述べたら、モニさん、
これ以上背が高くなると困るから、お断りします、だって。

なんて楽しい夜だろう。

(この記事は2016年5月18日に書かれた記事の再掲載です)



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2 replies

  1. すごく好きな記事!また読めて嬉しい。
    年月を経て改めて、『外国人にも選挙権がある国』が、そのような民主制度が、まだまだ×1,000,000 日本からは遠いではないか、と、しみじみ思いながら読んだ。

    好きだから、その国を選んで住んで、それでええやんな。
    シダの国、挨拶もカッコええやんね。
    ニュージーランド航空の搭乗のときにこれを聞くと、あ、ニュージーランド行くんやなって思ったんだよな。
    Kia ora!

  2. 移住しました。日本語ブログサンキュー。

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