冬の露天風呂


杉の木で出来たでっかい漬物桶みたい。

直径2m 高さ1.3m

内側には、ぐるっと矢張り杉の木のベンチが付いている。

周りのブッシュを作るのにチョー苦労した。

自称はレインフォレストカフェ風です。

露天風呂自体は初めからドローンで直上に来ない限り見えない所に設置してあるので、プライバシーは完全で、モニさんの輝く裸体を見られるのは、ぐふふ、わしだけだが、ムードを出して、やや潜水中チンポコ潜水艦になるためには、熱帯ジャングルブッシュ風の雰囲気にしたかった。

うまくいっちゃったんだよおー。

薔薇は嫌だし、椿は日本のサムライは首が落ちるように落ちるから不吉だというし、ツツジじゃなああああー、などと悩んで、結局、ニュージーランド固有のネイティブブッシュを再現することに落ち着いた。

設置のときはトラックがぐわあああああと来て、クレーンがごごごごごおと一時間も遅れて来て、設置場所を指示する人(おもろいことにNZ英語ではdogmanという)と四方山話をしたりして、

出身はウエリントンなのか。

ウエリントンは文明度高いよね。

オークランドはオカネの臭いが立ちこめるようになってしまった。

と話したりして、前もってつくってあったコンクリートの正方形の台上に置いてもらった。

普及しているファイバーグラス製のジャグージーと違って、杉の木のホットタブは比較的に最近のものなので、クレーンの会社やホットタブの会社、コンクリートを打つ会社、電気工事の会社、全部わし家で電話して、手はずを決めてコーディネートしないとならないので、たいへんです。

シカシ ムクワレルコト オオキイ ドリョクダッタ

モニさんと丁度日本の温泉と同じくらいの温度のお湯に浸かって、夜空を見上げながら、人工衛星が、つつつつつーと横切っていったり、流れ星が、きらっと光芒を燦めかせたり、いったい、あのふらふら揺れている銀色の光、あれは、なんだろう、UFOみたい、と笑ったりしながら、インフレに突入したので、かなりの部分を株式に移行させなければならない現金や、到頭世界一の不動産価格上昇率になってしまって、なにしろもともと不動産投資が本業なので、バブル景気で、数字の字面ばかりは、とんでもない資産になってしまっている不動産市場や、モニとわしの「ミーティング」がラウンジから杉桶露天風呂に移行して、延々と延々と、これから、どういう手を打つべきかについて、話が続きます。

もちろん、もっと重大な話題、ブリットニー·スピアーズの父親は酷いと思わないか、世界はなんて残酷なんだろう、小さいひとびとは、恙なく生きていけるだろうか、エミネムは大詩人だとおもう、いままでずっと関心を持てなかったのは驚くべきことだ、このあいだ日本語人友に訊いたら、イカ釣りのやり方を教えてもらったので、夏になったら実行したい。

むかし、よく「悪いお医者さんごっこ」したよね。

ふたりで家中を素裸でドタドタ駆け回ったものだった。

わし、あれも日本語ブログに書いた。

えええええー。

シジツシジツ(手術)

どんどんバカになって、恭しみがなくなって、若返って、会ったばかりのときの、ふたりのようです。

突然、強烈な雨が降ってきた!!

どうしてオークランドの天気は、こんなに変わりやすいのだろう。

天気予報が毎時間変わる国なんて、他にあるかしら

ビンボな国で、自前のお天気衛星なんて、ないからね

もちろん水のなかで、誰にも見えないのだけれど、素裸で外にいることには、どこかしら人間の精神を昂揚させるところがあるのでわ

だいたい、いつも3時間くらい浸かっている。

露天風呂から出て、自分のスタディまで歩いて、

自分が生まれてから知っている言葉で詩を書いた。

それからスペイン語で友達たちに、ずっと、ほったらかしだった返事を書いた。

日本語に立ち寄ると、難しい気持ちになります。

言語というものは、すごいもので、やはり人格そのものだとおもうが、厄介なことに強い社会性も持っていて、社会が腐り始めれば、言語も腐る。

腐った言語をひとびとが受け入れれば、食中毒のようになって、ひとびとは母語を嘔吐しはじめる。

しかも、その食中毒は、言語の社会性を通じて伝染する。

わしは「日本語で考えている自分」が嫌いになったのではないだろうか

トロルたちのせいの、気分の問題か、それとも、日本語の本質的な問題なのか。

現代日本語で考え始めると、思惟は、すぐに暗転して、grumpyな、刺々しいものになってゆく。

言語はチョー不思議で、この頃では、やっと英語と和解して、あれほど嫌いだった母語の良い所が判るようになってきたが、これは明らかに日本語のおかげであるとおもわれる。

結局、英語と和解するために日本語を身に付けたようなものだった。

欧州語を身に付けるだけでは、判らなかっただろう。

自分では、もう、あんまり日本語の世界に、日本語人のレベルでは戻らないのは判っている。

訳のわからない苦労が多すぎる。

でも日本語を徹底的にやったのがムダだったかというと、そんなことはなくて、わしの母語である英語を建て直すことにチョー役に立ったとおもいます。

日本語と巡りあわなければ、わしは、英語が嫌いなままで、ロシア語にいれこんだり、フランス語世界にいたり、スペイン語をやったりで、言語的なノーマッドで終わっただろう。

モニもわしも、この十年余は、ずっと風来坊で、一年の半分は旅をしていたが、なんだか、もう旅はしないような気がする。

ふたつの故郷、ニュージーランドと欧州を往復して終わりではないかしら

日本の人には日本語という帰るべき家があって、英語人には英語の帰る家があって、わしがステーキパイを食べているときに、きみはおにぎりを食べていて、異文明のあいだで、判りあうなんて幻想に過ぎないことを、わしは、この十年余で、痛いほど学んだ。

わしらは、もともと判りあえるはずがない存在で、「相互理解」とは、お互いに決して理解しあうことはない、という現実を理解することだと、よく判ってしまった。

わしが大好きだった日本は粉微塵になってしまったが、それは「ないものねだり」の結果だったのでしょう。

いまは、それでいいや、とおもっています。

だって、それでも、わしは日本語と日本語人が大好きだもの

(でっかいハートマーク)



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18 replies

  1. 大木戸りょくって誰だ?って考え込んじゃったじゃないかよ〜

  2. うん。どうもありがとうございます。私はまだ母語である日本語には頭を抱えたまま、いろんな言語を中途半端に勉強している。台湾の女性が芥川賞を受賞したのをお聞きになりましたか?まるで突然、無理に栄養剤が注射されたかのようでした。台湾の太陽の光を集めて作った栄養剤。神のお恵みなのか何なのか。日本語を諦めることを許されないような。杉のお風呂を楽しんで。

    • 非母語人が書いた文学が新しい生命を吹きこむのは世界的な傾向です。ニセガイジンだのなんだのと言っているうちに日本語だけが取り残されてしまった。

      これからでも遅くないから、他の言語人に門戸が開かれるといいですね

  3. 覚えてるよ。ガメさん・モニさんのお医者さんごっこはフランス語でなきゃいけないって。

    おとつい、なんにもしてないのにぎっくり腰になっちゃったから、
    ぴっかぴかの露天風呂で星空を見上げてのんびりなんて、チョーうらやましい。
    薬剤師の友達が、「ここ数日、ぎっくり腰増えてるよ。みんな疲れてるんだね」って言ってたけど、
    コロナンピックが始まってしまうから、ストレス抱えてる人が多いみたいです。

    欧州の洪水も大変なことになってるし、平穏な日々が戻るのはいつのことになるやら…
    ゴロゴロしながら祈るしかできないけどね。

    • NZも大洪水で孤立した町で途方に暮れている人がたくさんいるの。
      天候が荒っぽくなって、人間がだんだん住めない惑星になってきているみたいで怖いよね

  4. 私も、エミネムは大詩人だと思います。ここ最近はずっと彼の曲ばかり気が狂ったように聴いています。

    ところで、相互理解ですが、「異文明のあいだで、判りあうなんて幻想に過ぎない」「『相互理解』とは、お互いに決して理解しあうことはない、という現実を理解すること」というのは身に沁みて感じます。そもそも、opticsが違うのです。
     このことは、民主主義が「皆が同じ意見に同意すること」ではなくて、「同じ意見や違う意見を持っていることにことに参加者が合意する」ことであるのとの相似形だと思います。
     理解し合えなくても、一緒にいられる存在であるかが大事なのだと思います。そして、「一緒にいる」のは一緒にいたい人とだけでいいのだとも(今は)思っています。

    • 「理解し合えなくても、一緒にいられる存在であるかが大事」

      これを最後まで理解できなかったことが日本が機能する民主社会を75年かけても結局つくれないで終わってしまった最大の理由なのですよね。

      敵認定
      味方認定なんて、バカな言葉使いをする人がいるくらいで、日本人は、どうしても自分を理解してくれない人間を憎むことをやめられないらしい。

      その結果は、「同調圧力」などという生やさしいものよりもっと怖い「異なるものは抹殺する」という日本語人の世界に有名な意志であると思います。

      最近、中国本土人のエリートたちと話していて「日本人は抹殺するしかない」とマジメに述べる人がいて戦慄しましたが、考えてみれば、向こうには、そう思うだけの理由があるわけです。

      W.H. Audenは有名な詩句

      We must love one another or die.

      を削除してしまったので有名ですが、なぜそんな読者を悲しませるようなことをしたのかという問いへの彼の答えは「現実では有り得ないから」だったと記憶します。

      日本の人は親密さを希求するあまり情緒のちからで全体主義社会をつくってしまった。
      言い換えれば個人であることをやめなければ袋だたきにされる社会をつくってしまったので、そこに民主だ自由だと持ち込んでも、何の意味も無い。

      多分、日本語社会は崩壊のときまで

      「理解し合えなくても、一緒にいられる存在であるかが大事」

      ということが理解できないのではないかと思っています。

      • 丁寧なお返事ありがとうございます。

        強く首肯することばかり。

        「異なる者は抹殺する」精神を続ければ、己が抹殺されることに至るのだけど、それがわかっていばい愚か者です。愚か者は、この世界では生き残ることはできません。残念ながら。

  5. わーい!戻してくれてありがとうー。
    いいなぁホットタブ。(いいなあしか言ってない)いつか海外でもどこでもホットタブがある家に住むんだ…(ないとこにはないじゃん…)

    数日前、友達、日本語のとても上手な若いUKの友達がね、日本で働いていた時のことを話してくれて
    「俺が日本語うまいからって『日本人らしい振る舞いと考え方をしろ』って言う人がいてずっと怒ってるの。俺は日本人になりたくて日本語を勉強した訳じゃないんだよ!!日本を嫌いになりたくなかったから帰ろうと思ってそこで帰ってきた」って。
    そのときにわたしが思い出していたのは、そう、ガメさんのことであった。正確にはその周りにいる、いた、なんかようわからん人々(あれも人間かぁ)のこと。

    それでも好きな人には好きでいてもらえる(とわたしは思っている)日本語って何なんでしょーね、とか。取り留めもなくまだ考えている。

    せめて好きでいてもらえてる部分だけでも大切にきれいにしていたいわあ、と思っているところ。
    粉だけでもきれいだといいなあ。

    • 多分、杉のやつは日本の温泉が好きな人が考えたんじゃないかしら。推奨設定水温が妙に高くて40〜42℃なんだけど、これは日本の温泉の適正とされる水温ですね。

      日本への理解が深まるにつれて「このまま日本にいると日本が嫌いになるから離日する」という人は、とても多いのよ。

      一方では日本に長く居すぎて日本人そっくりの考え方に染まる人もいて、「あの人は日本に長く居すぎておかしくなっちゃったんだね」とヒソヒソされます。

      • 40〜42℃だと杉のいい香りがいい具合に立ち上って来るね。

        「日本語がうまい」というだけで自分たちと同じように振る舞えというのはちょっとわたしには考えられなくて毎回聞くとびっくりするところ。

        ヒソヒソされそうな人には…もしかしたらもう会ってるのかもしれない。

      • NZでは40℃以上は人体に有害ってガイドラインがあるんですけどね

      • ええー!!そうなのか。江戸っ子困っちゃうな

  6. 大事なことは、理解し合うことじゃない。
    そこに君も、生きてたってことだけさ。
    良いんだ。場所が変われば風土も流れる時間も変わる。命の色合いが違う。青が赤を、黄色が紫を、分かったなんて、そんなチグハグはない。みんな混ざって灰黒色になるよりは、ソリッドに別れてて輝いてる方が良い。一部だけ混ざれば、アクセントも効いてなお良い。君のことだ。

    僕は母語以外は話せないけど、言葉に通底するものについて、なんとなくこうなのではないか?ってことがある。

    それは、「真っ直ぐ歩くってことは、直線をなぞることじゃないよね」ってこと。

    君たちはどこまでも真っ直ぐで、その矢は永遠に届くだろう。
    僕らの真っ直ぐは、柔らかく、変化に富んでる。結果オーライで、君が笑えばそれで良いってだけの、その軌跡の終端は空失して、途中が何だったかも、思い出すことはない。定性の法理に従わず、不定性の縁に依って、奇しくも幸福を見出しているんだ。

    時々貴方のツイートを眺めていた、通りのツイッタラーより。

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