太平洋戦争と日本 その1

戦争のやり方、軍隊の構成、兵器は、その国の文明の特徴をよく体現している。

ドイツ人に戦争中の傑作戦車は何であるか、と聞くと、だいたいヘンシェルのタイガー I と言う。

イギリス人に訊けば、チャーチルに決まっているではないか、というでしょう。

イギリス人の戦争思想によれば「負けなければ勝ち」なので、初代は40トンという車重の超重装甲重戦車でありながら主砲は2ポンド砲(アメリカ式に言えば40mm砲)というチビチンの巨人プロレスラーのようなチャーチル戦車こそが古今を通じての傑作戦車なのです。

ヘンシェルの重戦車タイガーが初めてアフリカ戦線に姿を現したときのイギリス人のぶったまげかたは、たいへんなものだった。

砂漠に、背の高いマヌケな姿を曝しているときでさえ大変な脅威だった88mm 高射砲を、あろうことか、なんちゅうことか、砲塔に収めて、それを車台に載っけて、分厚い装甲で、イギリス軍の手持ちの2ポンド砲や6ポンド砲では、命中しても凹みもつくれない、勝てるもんなら勝ってみい、な可愛げのない堂々たるゴジラぶりで、結局戦争の終わりまで、例えばアメリカ軍供与のシャーマンM4を改造した17ポンド対戦車砲を搭載ファイアフライでさえ、APDSの助けなしでは一対一では対抗できなかった。

ナチ時代のドイツ軍の兵器が未だに世界中の若いひとびとのあいだで人気があるのは、デザイナーが必ず開発陣に加わっていた上に、ゲージツカの総統閣下そのひとが兵器の姿の「カッコヨサ」にこだわった兵器としての姿のよさもあるが、Me262といい、キングタイガーといい、スペック上は、誰がどう見たって、あの時代の最高性能だからで、その性能を実現するための複雑怪奇で部品点数が多い、製造するのに、めっちゃ手間がかかる上に、年柄年中故障していて、整備に神業を要した現実のほうは、後代からは見えにくいという理由によっているのでしょう。

ドイツ文明の特徴のひとつは「考えたことを現実世界に具体化する」能力の高さで、不思議なほどで、前にも何度も書いたが、トランジットで立ち寄る空港は、ドイツの空港が最高で、この辺にカートがあるといいなあ、という場所に、ぴったりカート置場があって、ここでリフトがあれば、どんなにかよいだろうとおもう所に、ちゃんとリフトがある。

空港バスから降りて、2マイルもスーツケースと一緒に歩かなければならないメキシコシティの空港とはえらい違いで、降りて乗り換えるたびに、二度と戦争しないでね、頼む頼む、と思います。

次に戦争をやるときは、是非、お味方いたすほうに廻りたい。

太平洋戦争が始まると、日本軍は、「物量と兵力を集中した打撃群によって敵の一点を粉砕する」という理想的な作戦を実行した。

特に日本帝国海軍が考案した6隻の空母を中心とした海上打撃群による真珠湾攻撃は見事で、航空魚雷を抱いた攻撃機や250kgという、艦艇攻撃には、ちっこすぎる爆弾をぶらさげた、ヘナチョコ急降下爆撃機でも、集中して使用すれば、日本が国家予算の、文字通り過半を注ぎ込んで作った巨大戦艦部隊でも到底なしえない打撃力を持ちうることを、自国内の航空戦力侮蔑派のみならず、世界に向かって示してみせた。

まあ、アメリカのほうは、「騙し討ちしやがって、おかげで不意をつかれて大被害が出ちったでないか」と述べて、日本人が当時から世界に名を轟かせていた「モラルのなさ」を喧伝して、ズルで負けたと宣伝して、日本側でもいまに至るまで外務省職員が明け方まで麻雀にふけっていて、マジメに仕事をしなかったから宣戦布告が間に合わなかったという悔やみきれない失態のせいで、アメリカを奮い立たせてしまった、ということになっているが、まさか公には口にしないが、日本人という生き物が大嫌いだった一方で、一流政治家としてのメインの才能とは別に、天才アジテーター/ポピュリストとしての才能も兼ね備えていたフランクリン・ルーズベルトのアイデアが、歴史の「事実」になってしまっただけで、ほんとはね、ヒットラーのバルバロッサ作戦、日露戦争、昔から宣戦布告なしの開戦はいくらも例があって、それだけで非難される筋合いのものではないとも言えるんです。

当のアメリカも、例えば対イラク戦争は宣戦布告なんてやらなかった。

「あれは戦争でなくて紛争だもんね」で、すませてしまった。

イギリスに至っては、はっはっは、内緒内緒、海軍の国ですからね。

ただし山本五十六が、あれほど宣戦布告にこだわったのは、ハーバード大学への留学経験、というよりも、博奕好きで、賭博依存症だったアメリカ時代にカジノやポーカークラブで間近に観察した「アメリカ庶民」がルーズベルトの「みんな、日本人がどれほど汚い民族かおぼえておけ。彼らに懲罰を加えるのはアメリカの神聖な役割だ」と言い出すことを予期していて、世上、いま言われていることとは、ニュアンスが違ったのかも知れません。

日本の戦争史を眺めていて、誰でも気が付くことは、「日本軍は精神力で勝つ」と唱道していたのは、東條英機世代を典型として、ろくすぽ戦争を経験したことがない軍人たちで、実際、現実の戦闘では、他国軍隊とまったく同様に武器弾薬を集積して、敵を上廻る戦力を集中して敵を圧倒した戦闘が殆どです。

なかには劣勢な兵力で防備について「負けなかった」例はあるにはあって、例えば黒溝台の戦闘での左翼が一例だが、このときの日本軍は劣勢ではあっても、左翼は特殊な編成で、機関銃を豊富に持っていた。

壕を掘り、簡単なストロングポイントをつくって、押し寄せてくるロシア軍歩兵を狙い撃ちにしたので、バタバタと倒された露軍は、たまらずに引き返してしまった。

精神力がいかに戦力にならないかは、プロの軍隊ならば熟知していることで、まして、私見では、日本の人は「大和魂で勝つ」どころか、もともと国民性が戦争に向いていなくて、耐久力が、例えばロシア兵やドイツ兵に較べると、「半分もない」といいたくなるくらい意気地なしであったようにおもわれます。

開戦初頭、陸上では、狭い正面への戦車の集中使用という当時としては劃期的な戦法で日本軍はイギリス帝国植民地軍を撃破する。

ウインストン・チャーチルに、「潔く死ね、この恥さらしめが」とまで言われた気の毒なアーサー・パーシバル中将の手元には、訓練も殆どなされていないマレー人やシンガポール人、オーストラリア人、インド人の、「烏合の衆」然とした寄せ集め兵士の集団と、空軍すらブリュースターバッファローという、二線級の水準にも達しない、旧式化した、岡部伊作先生言う所の「駄っ作機」を中心戦力としたノビスパイロットの集まりでしかなかった。

対する日本軍は、相手を上廻る物量、就中、当時の最新兵器と、戦車戦の先覚者でドイツ国防軍のブリッツクリーグの産みの親、リデルハートが夢にまでみた「戦車の大量集中使用」を実行してイギリス帝国軍を圧倒します。

日本は、初期太平洋戦争を物量で勝った。

当時、ラエ、サラモア、ラバウル、北ニューギニアを守備していて、敗北したオーストラリア兵だったおっちゃんたちは、わしが子供の頃、よくVJデー(対日戦争勝利の日)にテレビの「我々はこうして邪悪に打ち勝った!」な、ドキュメンタリ番組でインタビューに応えていたが、異口同音に述べるのは、日本軍の装備の良さで、兵器のどれひとつとっても、オーストラリア軍側は時代遅れで、しかも日本軍は物量作戦が上手で、というのはつまり兵力攻撃力の集中使用による打撃力ということをよく理解していて、兵士がいくら精神的に頑張っても、無意味でしかなかった、という事実でした。

不思議でしょう?

大戦初期、日本軍は、現実をよく見つめて、直視して、合理的な思考に則って戦闘をおこなった。

ブリュースターバッファローで数的に優勢なオスカーと戦えと述べて、ほとんど何の根拠もなく日本のパイロットの能力はイタリア空軍パイロットの6割以下、すなわちイギリス軍パイロットの半分程度と見積もって、戦車には歩兵銃と野砲で立ち向かわせ、あまつさえ、「多分、ダイジョブ」で、対空駆逐艦の掩護すらない戦艦と巡洋戦艦の単独航行を許可して、案の定というか、バッカじゃねえの、というか、見事に日本の旧式攻撃機の魚雷で二隻とも沈没させてしまうのは、未だに戦史に名を轟かせる(例:インパール作戦)思い込みが強くて現実を見ない日本軍ではなくて連合軍の側なのです。

真珠湾奇襲の報を聞いて、ウインストン・チャーチルは喜びのあまり床を踏みならして踊り出した、という話があるが、おなじチャーチルを激怒させたシンガポール陥落にも良い面があって、これ以降、イギリス人のあいだには、「アジアは後回し」という合意が出来てゆく。

あれだけ痛い目にあっても、「だって相手したのは植民地人じゃん」で、全然懲りないのだから、世界に偏見総本山で鳴るわが母国にしても、たいしたものだが、ここから連合王国人は欧州の戦争に専念していきます。

わずかに、インド、オーストラレーシアから輸送されてくる物資の補給線を守るために戦力をさくのにとどまる。

戦争としては小規模なアフリカ戦線で戦争の天才エルウィン・ロンメルを相手に大量の物資を注ぎ込むのはスエズ運河防衛のためでした。

勝利者となった日本のほうは、ところが、ここからチグハグが始まります。

なんだか感情に酔っ払った人のようになる。

「空の神兵」なんちゃって、当時の日本人には殆ど知られていなかった空挺部隊によるパレンバンの油田占領はよかったが、オイルを日本にまで運ぶタンカーは、何度検討しても、なぜか沈まないことになっていた。

すぐそばのChuuk Lagoonで連合艦隊主力がノッタラノッタラしていたのに、海軍の主任務のはずの補給線の警備はまったくと言っていいほどやらずに、おかげで性能が悪いので有名なアメリカ魚雷で石油、ボーキサイト、ゴムを満載した輸送船は、次から次に沈められていきます。

物資を輸送する道を断たれると、今度はろくすぽ兵器も食糧も持たない「精神力」を武器にした人数だけは大量の兵を輸送船に乗せて送りだすが、当たり前というかなんというか、こちらも潜水艦にボコボコ沈められてしまう。

1944年になると、日本は「日本人は優秀民族だ」「オカネの大半を注ぎ込んだんだから軍隊は無敵なはずだ」、なにしろGDP80%という、とんでもないどころか、いっそ空想的と呼びたくなるほどの国家予算を軍隊にいれあげていたのだから、無理もないといえば無理もないが、開戦当初の現実主義は、どっかに行ってしまって、ボロ負けに負けながら、今日も勝った、また勝った、と浮かれて、最後にアメリカ軍によって石器時代の姿に都市が破壊されるまで、目が覚めない狂熱に酔ったまま暮らしていく。

日本に住む日本の人が、言語の壁の内側にいながら、日本語世界というものを理解する唯一の手がかりが太平洋戦争で、不幸な事に、軍国主義への禁忌から、日本人は世界でいちばん自分たちの戦争史を識らない国民になってしまったが、せめても815日に向かって、むかし、日本人がどんなふうに世界と自分たちを誤解していって、その結果、どんなことが起きたか、ときどき、気が向いたときに、日本語で出来た友達と話していきたいとおもっています。



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16 replies

  1. 日本人が自分の脳みそから出ていけるのはいつになるのだろうな。
    脳みそから出ていくことができれば、コビッドもオリなんとかも戦争もひどくならずに済んだ。
    もしくは、目の前にかかっているサングラスを取れる日。

    なんでみんなそんな無関心なの?と思うたびに、サングラスのイメージが浮かびます。
    もしくは、ダフトパンクみたいな。ダフトパンクに悪いか。国民総VR。現実からはずれている。いつも。

  2. ありがとうございます。
    日本の戦争もの、買って読んでない本がたくさんある。これから読みます。私は子どもが2人ともハタチを過ぎて、人生はほぼ終わったような気持ちになっています。学費生活費の仕送りをしてるからまだ終われないけど。

    この1ヶ月くらい、どうにもやる気がでなくてぼんやりしてたのだけど、ちょうど立ち上がって上をみたら、ガメさんからのブログが届いた。オリーブをくわえた鳩が飛んできたみたいです🕊

    • そのタイミングで「終わったような気持ち」になると、あとで「し、しまった全然終わりじゃなかったのにヘンな所で休んでしまった、とおもうことになる」と、ちょうど近所のおじちゃんが述べていました

      >私は子どもが2人ともハタチを過ぎて、人生はほぼ終わったような気持ちになっています。

  3. 太平洋戦争は日本人が切っても切れない関係がある。
    8月15日を迎えるにあたり色々と今年も考えていきたいですね。

  4. 最近ベンキョー中の本によると、「我々日本民族はインド独立運動に連帯して西洋帝国主義と戦うのだ! 但し、朝鮮、台湾、満州は日本帝国の領土です」というすごく手前勝手なアジア主義というものが、第一次大戦以降の日本で有力だったらしい。アジアの他の民族・国民のそれぞれの利害がまったく見えていない。西洋列強にやられる、団結しよう、頭目は日本帝国ということでヨロシク、が通用すると思い込んでいたようです。

    戦闘の局所的な合理性は、軍事科学として学べるけど、軍事を含む外交関係全体の合理性(国家意思の合理性)は、どんな「科学」でもないので、学ぶことができない。そういうわけで、「こうであって欲しい、こうであるに違いない、こうなのだ」という wishful thinking の三段論法が局所的合理性を突き破っていく。これが大和魂の根本問題なのだろう、と痛感しております。

    付ける薬は、まだ思いつかないんです。

    • 日本でのカレーの歴史を見ていたら銀座の老舗インド料理店「ナイル」を開いたA.M.ナイルも新宿中村屋のカレーのレシピをつくったラス・ビハリ・ボースもインドの革命家で独立運動でイギリス官憲の追及を避けて日本にやってくるのですよね。

      遠くにあるインドの人のほうが近くにいる朝鮮の人や中国の人より日本に対する信用があったらしい。

      日本を戦争に引きずり込むのは「満州が取れなければ日本の未来はない」という、いま読んでみると荒唐無稽な思い込みですが、思い込みを本当かどうかときどき検討するという当然の作業を全くやらずに「十万の英霊に申し訳ないと思わないのか」で思い込みの正当性を守る為に相手を黙らせることに全力を挙げて、やがて国民全体が思い込みに呑まれてゆく。

      ああいう所に日本が「狂泉」の国になりやすい秘密がありそうです。

      日本はまた持病が出て「wishful thinking =現実」という途方もない道を歩き出したので、ここから先は、どんな馬鹿げた考えにも社会として抵抗力を持てない事態になったようです。

      見ていても、なんだかえらいこっちゃ、とおもいます

  5. > 太平洋戦争が始まると、日本軍は、「物量と兵力を集中した打撃群によって敵の一点を粉砕する」という理想的な作戦を実行した。

    > 日本は、初期太平洋戦争を物量で勝った。

    > 大戦初期、日本軍は、現実をよく見つめて、直視して、合理的な思考に則って戦闘をおこなった。

    面白いですね。言われてみれば、当然そうでなければならない、と分る事なのですが、このような立論を目にした覚えがあまりありません。右も左も、戦争における精神の称揚またはそれに対する反発に囚われすぎて、事実に即した議論が出来ていないのでしょう。

    • 調べてみると、日本は軍事理論通りに勝ち、軍事理論通りに負けただけのことで、つまり誰もが、ここで負けが決まったな、と理解した時点(海のミッドウエー、陸のサイパン)から「形は戦争だが、ほんとうは何か異なった心的闘争」というか、要するに「現実を認めないでいるための自滅」の過程へ移行します。「戦争を、やめたくなかった」んですよね。その結果は、いまなお日本という病になって日本人を苦しめている

      • 小規模稲作文化の農民国家だから一年を超える事業計画を立てることが出来ないんだ、という仮説を思いつきました。また、去年と同じようにする、というのが小農レベルでの成功の秘訣なので、止めたり変えたりするのは本当に苦手ですね。

  6. 少しばかり上手くいくと、浮かれポンチになって自分に酔って自分を過信するという日本語人の傾向はもうお家芸ですね。もう一度とことん落ちるところまで落ちなければ日本の再生はないのかもしれません。再生できるのかどうかもわかりませんが。私は生き延びる術を探します。

  7. ずっと思っていた宣戦布告なしの戦争についておしえて頂きありがとうございます。
    やっぱりやっぱり~と思いました。

    話せばわかると思いたいけど
    その方は暗殺されたままの日本です。
    もう一度話せばわかると言いたい。そのためには、一度ぶっ壊れる必要があったと前向きにとらえたい。なかなか難しいけれど。

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