神様の贈り物

日本語友のフサコさんから「夏だぞ!」というメッセージが送られてきて、見ると、近所の子供たちに開放している自宅の裏庭に設置した円形のプールの写真が添えてあります。

ちゃんと蚊除けのネットが張りめぐらされている。

おお、カッコイイ。

なんという入念な親切、と考えて感動したので、モニに見せに行きました。

モニも、「おお、すごい」と感動しています。

「うちも夏向けに、蚊除けのレモングラスやローズマリーをホットタブの周りやなんかに植えたほうがいいかもな」、という。

考えるのがめんどくさい、という真実の理由を隠して、「えええー。そんなの蚊に刺されてから考えればいいじゃん、蚊が出るようになったの最近だし、夏でもほんとうはスナバエの心配はしても、蚊の心配はいらないのでわ」とおもわず述べると、

わし顔をジッと見つめて、「ガメくん、きみはどうしていつも、そう行き当たりばったりなのかね?」とマジメに言われてしまった。

夫婦のあいだで、ほんとうのことを言ってしまうなんて、なんて危険なことをする人でしょう。

大好きだからダイジョブだけど。

天気がめちゃめちゃ悪くなってきたので、海に出ないで、家のなかでのたのたしている。

いろんな言語で、益体もないことを書いてみたり、Firefly StudiosStrongholdシリーズの新作、途方もなく難しい、Warlordsを、ト、土地が足りない、と呟きながらキャンペーントレイルを進めていたりしている。

もっか改革中の庭のランドスケーピングで、あたふたしたり、PCゲームでパニクったりするのも飽きると、クルマを駆って、豪雨のあいだをぬって、Cream BunSteak Pieを買いに行きます。

あるいは、また性懲りもなく新しい船を買ったのでBurnscoでマリン用品を物色する。

最近はマリン用品も水中ドローンやなんかのチョーハイテク製品が導入されて、もうすぐアンドロイドでロボットフィッシュを釣るようになるのではないかとおもわれるが、いまのところは、人間が釣り上げたでっかい鯛やヒラマサと血塗れになって格闘したり、いわしを釣ったら、それを横から掠おうとしたカモメも釣れてしまって、ど、ど、どうやったら、あんた針から外れてくれるの、と泣きたい気持ちになりながらカモメさんを抑えつけたりで、殺生の地獄が甲板に実現されるが、姿も端正な切り身が釣れたりはしないので、致し方がないことなのでしょう。

阿古智子さんというフサコさんのお友達が書いた記事に感心しておもわず香港について書いてしまったり、従来の経済メカニズムと異なる金利の役割を念頭に、それでも結局はインフレが亢進していきそうだが、それはどういうことなのかを考えているうちに、そういえば日本はインフレになると、にっちもさっちもいかなくなって、大ビンボになるんだったな、とおもって、お友達あてに「だんな、やばいかもしれやせんぜ」という手紙記事を書いたりしてたが、本来は、そういう記事は、日本語では、もうやらないことにしているので、硬い日本語で酔っ払った「シメ」のラーメンは、やはり自分たちの日々の生活に戻らないとダメなのだとおもわれる。

それでこれを書いているんだけどね。

人間の生活は細部にこそ意味があるので、豪雨のあとの、晴れた空の公園を歩いていて、土がゆるんでいて、つるっと滑ってこけそうになったり、ガメ、ほら、あれ!とモニさんが指さすほうをみると、ニュージーランド名物の、暗い黒雲の下を、ゆっくりと広がる白い雲が流れてゆく。

ニュージーランドは人間はのんびりだが、自然は忙しい国で、地上から2mくらいのところに積雲がおりてきたり、2mのところに下りてくれば、そりゃ定義上、積雲ではないが、どうしても積雲と呼びたくなる、白くて、質感があって、綿飴みたいにモコモコした雲が地上すれすれまで下りてきたり、でっかい、荘厳な虹が、どどどどどおおおおーんとかかって、どんな童話でも虹の始まりと終わりを訪ねて歩いても見えないことになっているのに、始まりと終わりが、ちゃんと見えていたり、あの、凪の海を生き物というか海獣のように頭をもたげて横断する、ボートにとっては危ないったらない、どうしたらそんなことが起こるのか不明な三角波こそないが、考えてみれば、要するに地上にいても海の天候で、海の自然で、海の気まぐれで、脈絡もなく、年柄年中、突発的に変わる天気で、地上にいるのに船乗りみたいな暮らしに馴染んでしまうニュージーランドの特徴を、おもわず思い知ることになる。

モアの棲息可能性がある地域のうち、過去に、稀少種のモアの骨が大量に見つかった南島の西北端には、人間が歩いて到達するのは無理で、クルマももちろん無理で、ボートで行くしかないが、あの辺りは荒い海で、ほとんど人間が近付かないので、モアを探しに行ってキングコングにあっちゃったりしないかしら、とおもいながら地図を検討する。

飛行機を飛ばして行っても下りる場所がないが、熱気球ならばどうだろうか、とおもうが、飛行機は飛ばせるが、熱気球は飛ばしたことがなくて、デブPが「おれは熱気球のプロだから連れていってやるよ」というが、デブに騙されて死にかかったことは1ダースを数えるくらいあって、南島の田舎というところがどういうところか感覚的にもつかめない日本の人が絶対に信じられないことなのは判っているが、なにしろ子供のときに、おれは飛行機を飛ばせるんだ、第二次世界大戦のエースなみだぜ、と述べて、うっかり信用して農場の滑走路からジョイライドに出たら、実は着陸するにはどうすればいいか知らなくて、「飛ばせるとは言ったが着陸できるとは言わなかった」と恐ろしいことを言って威張るので、マイクロソフトフライトシミュレーター ver.3を必死におもいだして、そうだ、フラップを下げればいいはずだ!と絶叫していたりする悪夢の瞬間をおもいだすので、世の中にダメな友の助太刀ほど怖いものはないという、デブの助けだけは受けたくない。

ああでもない、こうでもない。

モニさん、ほっぺにクリームがくっついているよ、と嘘を述べて、チュッとしたりしているうちに、取り止めなく、つつがなく、毎日の時間が流れていく。

ありがたいことに、心配事は小さなことまで含めて、なあああんにもない(Touch wood! )が、他の世界から遠く離れた孤島にいるせいでコロナでさえ、もう9ヶ月もなくて、心配もなく、仕事もせず、遊んでばかりいて、多分、精神的には、気概もコンジョもなく、さぞかしヘナチョコリンになっていることでしょう。

いつか、たしか日本語記事にも書いたが、モニさんが「よい音楽を聴きに行こう」と述べて、小さいひとたちもつれて、夜の浜辺にでかけたことがあった。

波打ち際で耳を澄ませると、びっしりと浜辺を埋めている帆立貝の小さなかけらたちが、寄せて、返す波に、微かな、微かな、この世界のものではないような美しい音を奏でている。

自然は、落ち着いて眺めると、莫大な繊細さと優美の集合で、おおまかな形は人間の力でも、自然を参考にして、ガウディのアパート群やサグラダファミリアのような造型をすることは出来るが、最も肝腎な細部は、人間には到底再現することができない。

再現することができないどころか、細部を「見る」能力も、大半の人間には備わっていない。

考えてみると、人間の99%以上の個体は、自然を正見することなしに死を迎えてしまうだけで、意識がある自然の部分であることよりも、ほんとうは、こちらのほうが、人間の本質的な悲惨なのかも知れません。

アメリカにも旧ソ連にも、地球の想像を越えた色の青さを見て、発狂してしまった宇宙飛行士がいたが、細部もまた、現実に見えてしまうと、理性を震撼させるところがある。

ニュージーランドというド田舎に住んだことのいちばんの幸運は、実は、自然をありのままの姿でみる気持ちの状態を得て、自分が住んでいる世界がどんな場所か、あるいは言葉を変えれば、どれほど美しい場所か、判るようになったことなのだろう、と最近は思っています。

「神様に感謝」という古びた、言葉とともに。



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3 replies

  1. 書いてくれてありがとうございます。
    「締めのラーメン」というには、深く染み入るような味わいで…(締めのラーメンに失礼!)

    細部の奥に神がいるのなら、細部を見ようと一歩踏み込める意識と、自然に神を感じて「美しい」ととどまる意識では、きっと見ている景色が違うのだろうなと思いました。

    ゆっくり自分の周りを見ることすら忘れがちですが。
    豊かさは周りを「見る」ことから始まるんだなと。

  2. ‪NZの自然の音、素敵だろうなぁ…
    海や森の音は何時間でも飽きません。

    「インフレーションが来ている」のような記事は、今後を生き抜く上で沢山の人に読んでほしい記事ですが、
    こちらは、お気に入りの綺麗な小瓶などに入れて、時々引き出しに開けて、手にとってゆっくりと眺めたくなります。

    そして時々、とても仲のいい友達や新しい友達が遊びに来た時には、取り出して見せてあげたくなる…そんな新しい宝物が増えたような気持ちで読みました。

    とっても素敵な記事を書いてくれて、ありがとうございます。

    末長く残ってくれることを願っています。

  3. 新しい記事、読んでるよー。
    手元に残っていた、昔のブログも読み返していたよ。

    かっこええベッキーさんが出てくる話。
    ベッキーさんは、Real Kiwiやったね。

    日本社会は、しんどいな。
    命の軽さが、しんどい。

    最近は猫さんと一緒に、うちに住んでいるハエトリグモさんの観察をしたりして過ごしている。
    ぴょん、と跳ねるのが、すごい。と喜んで見てはる。やっつけたい、とは思わないらしい。

    それから、南島の西海岸の、吸い込まれそうな荒波とか、黒い河に映る双子の氷河を思い出したりしていた。

    あの自然に、また会いに行きたいねんな。

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