神のいない経済 3 ゾンビ篇

ニュージーランドは、繁栄の頂点にある。 社会全体が見る見るうちに豊かになって、ひとびとの身なりはオカネのかかったものになり、高級住宅地の交叉点に立っているとマセラティやフェラーリ、ベントレーが何台も走り抜けてゆく。 マリーナに行けば、おおきなバースの列には数億円という価格のブルーウォーターを航海できる55フィート級のボートが並んでいる。 身体障害のある子供を抱えた若い母親は、大量に市場に流入したUSドルのために15年で価格が270%上昇した家を買えず、高騰した家賃も払えないせいで、空き地にテントを張って自分と子供2人、計3人の家族で暮らしている。 ゴミが一面に散らばった土地の一角で、それでもテレビの取材があるからでしょう、 せいいっぱい身ぎれいにした赤い頬の男の子がはにかんで立っている。 別のインタビューでは、倉庫で在庫管理や出庫の仕事をしている夫の年収は手取りでは18200ドル、日本円になおすと、1ドル80円として、146万円にしかすぎない。 ところで、一家が借りている小さな家の家賃は、どのくらいかというと、この人の場合、年間で16000ドルで、つまり、信じがたいかもしれないが、収入の90%が家賃に消える。 おおげさに驚く必要はなくて、たとえばバルセロナでも、シドニーでも、こういう家計はふつーのことです。 食費は、妻が、ふたりの子供の育児をしながら、苦しい家計の足下を見るような低賃金で、時間給労働をして稼ぐ、日本とおなじでスーパーマーケットのレジ、というような仕事が多い。 もともとひとりあたりの年収は、常に5位以内にあった「豊かな国」ニュージーランドは、50年代の後半から、端的に言うとジーンズが普及してウルが売れなくなったことと、途中で「本国」の連合王国の経済的保護を失って、「あとは自分で勝手にやってくれ」と突き放されたことで、急速に没落して、英語圏のなかでは例外的なビンボ国になってゆく。 にも関わらず1980年代のなかばまでは「ワーキングプア」が存在しない稀な先進国でした。 ビンボはビンボなりに幸福に暮らせる社会だった。 国民の大半を占める「中間層」と極めて高い所得税を社会に対する責任の一端として黙々と支払う富裕層、そして、そのふたつの層から流れ落ちてくるオカネで再起をめざす失業した貧困層、という形の社会だった。 「仲間意識」が異常なくらい強い社会で、連合王国もサッチャーが出てくるまではおなじだったが、お互いを助けあうことそのものに社会の役割が集中していた、と言ってもいいかも知れません。 NZ$の価値は、1983年を起点に考えると30年で3割減になっている。 20ドルで買えたものが、30ドルださないと買えない。 その間、賃金は、頼りなくヘロヘロと上昇しただけです。 ニュージランドの典型的な30代のカップル、大卒で、子供がふたりいて、住んでいるのは一戸建て、というようなカップルは収入が900ドル/週、つまり年収にして47000ドルであるはずで、この収入は、この6,7年はあまり変わっていないはずです。 テレビの番組のなかでは、この7年間几帳面に家計を記録しつづけてきた夫が、エクセルのシートを指さしながら説明している。 2004年には3400ドルだった食費が2012年には8580ドルになっている。 1850ドルだったガソリン代は、おなじ8年間に3420ドルに上昇した。 だいたい、NZ式定義の「中流」の、どのカップルに聞いても、あと週1000ドルあれば、オカネのプレッシャーを感じずに暮らせて、少しは貯蓄もできる幸福な生活が出来る、と感じているようです。 この感覚は物価の上昇にあわせて賃金が上がるのならば「こうでなければならなかった」賃金上昇の、現実には起こらなかったプロジェクションと、ぴったりあっている。 1950年代を通じて、続々とイギリス人たちがニュージーランドに移民していったのは、「ニュージーランドに行けば、マジメにこつこつ働きさえすれば一戸建の家が買えて、子供たちが裏庭で駆け回って遊んでくらし、大学まで行ける暮らしができる」というイギリスでは有り得ない夢が実現できたからでした。 最も近い隣国のオーストラリアまで2500キロという、当時は致命的ともいえる距離に隔てられた孤絶した小国で、しかも産業が牧羊以外にはなかった国で、みながイギリスの中間層以上の生活ができたのは、簡単にオカネの面でいうと税金の66%が国庫に入る社会だったからです。 いまではグローバリズム経済のなかでオカネの流通も国際化しているので実体がまるっきりつかめないが、ビクトリア大学のリサ・マリオットなどは3割程度しか国庫に入っていないのではないか、という。 Struggling classという。 1950年代や60年代ならば「国民の大半」という言葉を使えた中流層のことで、いまは数もぐっと減って、おまけに階層として安定したものとは見做されなくて、この国にはかつては存在せず、いまでは経済全体を支配している超富裕層にとどくことは望めなくても、富裕層をめざして必死にstruggleして、運がよければ富裕になり、でも半分以上は、そこから貧困層におちてゆく過渡的で流動的な「中間層」になってしまっている。 煉獄、と言えばいいのか。 ニュージーランドでは、国民の貧困と富裕への二極分離が起こり始めた原因は、30年前のマルドゥーン首相の頃でした。 「Think Big!」という。 国民が総活躍して、全力をだしきれば、自分達は一流国に返り咲ける。 ニュージランドは再び、豊かな、美しい国をめざすべきである。 もっともマルドゥーンのマヌケさは、いまの日本政府とおなじで政府がすべてをコントロールして国民を「指導」するのが最善だと信じて、一個のコントロールフリーク政府と化して、政府の方針を国民に押しつけていったことで、一瞬は目新しいものへの期待でよくなった経済は、旧式然とした考えがうまくいくわけはなくて、根底から崩壊してしまう。 ニュージーランドは、誰がみても立ち直れないのではないかと思われるほどの貧困に陥っていきます。 デヴィッド・ロンギが政権につく。 多分、ニュージーランドの歴代首相のなかで最も有名なカリスマ的な人気があったひとです。 … Continue reading 神のいない経済 3 ゾンビ篇