日本語という病

正しい言葉を選べなければ正しい考えはもちようがない。

美しい言葉を持たなければ、美しい感情を持ちようがない。

言語と認識や、認識と現実についての、やや複雑な関係を述べなくても、ほとんど誰でも直感的に判ることだとおもいます。

わしがアジアの言葉のなかで、ベンガル語か日本語か、少しだけ迷ったが、

日本語を選んだのは、北村透谷の透明な怒りの言葉の美しさと、鮎川信夫の、それこそ「水の表面で跳ね返る魚の一瞬のきらめき」のような美しい表現に打たれたからでした。

子供のときに日本に住んでいた楽しい記憶が支えになってくれたけれども、多分、それだけでは日本語を追究してみようという気にはならなかったでしょう。

ひとによって、ガ、ガ、ガビーンと反応する言葉の作者のタイプは異なるが、わしの場合は、くどくなるといけないので、ひとりづつだけ挙げると、

フランス語はブリジット·フォンテーヌで、

スペイン語はパブロ·ネルーダ

ロシア語は、笑ってはいけません、t.A.T.u.というデュオの歌を作っていたチームのひとびとで、もっともこれはさすがに、前からウラジミール·マヤコフスキーが読みたくて、ショボショボと捗らないオベンキョーをしていたのが、このひとたちのYa Tvoy Vragという歌の歌詞の

Дым сигарет

Старый букет

Сутки смотрю в телевизор

Настеж балкон

И молчит телефон

というところがえらく気に入って、ブースターが点火されて、赤ブーストで、そのころは、寝言までロシア語で述べている、と笑われたりしていた。

透谷と鮎川には「打ち砕かれた気高さ」という共通点がある。

透谷は「漫罵」のなかで、

「国としての誇負(プライド)、いづくにかある。人種としての尊大、何(いづ)くにかある。民としての栄誉、何くにかある。適(たまた)ま大声疾呼して、国を誇り民を負(たの)むものあれど、彼等は耳を閉ぢて之を聞かざるなり。彼等の中に一国としての共通の感情あらず。彼等の中に一民としての共有の花園あらず。彼等の中に一人種としての共同の意志あらず。晏逸(あんいつ)は彼等の宝なり、遊惰は彼等の糧(かて)なり。思想の如き、彼等は今日に於て渇望する所にあらざるなり。」

と書いているが、遊惰を貪り、人生上の成功の階梯をのぼることをすべてと考えて、他人を冷笑することしか知らない、明治日本人に

「帰れ、帰りて汝が店頭に出でよ」と絶望の叫びを投げつけて、25歳で自殺してしまう。

死ぬまでに、この輝かしい、純粋な魂に投げつけられた、卑劣な言葉、嘲笑はたいへんなもので、最後に拠った「女学雑誌」から冷遇されることで、自分の人生はここまで、と見限って日本語世界から去ってしまう。

もともとは、気が遠くなるような透明な抒情を描く天才抒情詩人だった鮎川信夫は、帝国陸軍兵士としてサイゴンに送り込まれることによって、服従と、暴力と、疾病と死が否応なく襲いかかる、人間性の最後の一片まで剥ぎ取られる、例の日本的な「気取るな、体裁を捨てろ、泥水をのめ」な、徹底的に人間性を破壊する集団生活のなかで「かつては人間だった存在」として、生ける屍として復員して日本語に戻ってきます。

日本語人には、自分より高みにある魂を持った人間をみると、どうでも、みなで吊し上げて、自分たちが這い回る泥濘のなかに引きずり下ろそうとする強い傾向があるが、その結果、透谷は生命を絶ち、鮎川は魂を壊されてしまった詩人の苦さをかみしめながら、ただ自分の人間の文明を批評する力によって、かろうじて生きた。

その結果、口にこそださないが、彼は、徹頭徹尾、日本人を憎むようになっていきます。

表情も変えずに、時には微笑さえ湛えながら、このひとは日本人という集団のどうしようもない下劣さ、平たい言葉を使えば、ゲスさを、冷徹な目でじっと見つめながら生きていった。

それでも晩年は、さすがに、もう疲れてしまっていたのでしょう、自分の気持ちを隠し通すことが出来なくなって、週刊誌を舞台に、彼を崇敬の眼で仰ぎ見ていた「進歩的知識人」や学生を含めたリベラルたちを驚倒させる、タブー破りばかりの、いってみれば「ナマ」の真実を読者につきつけていく。

最も有名な戸塚ヨットスクール肯定、戸塚宏のどこが悪い、に至って、鮎川は、そこまでに築き上げた「真実を見抜く人」の神話的な信用をすべて失い、「狂ったのか」「ボケたのではないか」

今度はいっせいに浴びせられる悪罵のなかで、本来、読まれていくべきだった、日本を救い得たかもしれない文明批評の数々までが葬られてゆく。

後から来て、傍でみている人間にとっては、簡単なことで、鮎川は「日本語世界」というものに、明らかに絶望してしまっていた。

「こんな甘ったれで、現実を見る能力がない人間達に、なにを言ったってしかたがない」と諦念にとらわれていた。

よく読んでいけば、鮎川が、ほんとうは、自分にもうひとつの、自由に呼吸できる言語があれば、どんなにかよかっただろう、と考えていたことがよく判ります。

当時の日本人としては破格なことに英語で思考することができた最所フミと、「荒地」の同人たち、親友たちすら知らないまま秘密裏に結婚して、共同の生活を送っていたのも、鮎川の日本語への絶望のあらわれだったでしょう。

日本語の美にひかれて、身に付けて、いまでもその点では、日本語にはこういう表現が可能なのか、わっ、これは日本語でしかいいえない美しい言葉だなあ、とおもって、付き合いは変わらないし、まして日本語に費やした時間を後悔したりするわけはないが、正直に述べて、普段目にする日本語の零落は眼もあてられないほどのもので、いちいち例をあげるのは、読むほうも書いているほうも不愉快になるので止すが、日本語人は、いつのまにか精一杯背伸びをしてみせるのが当たり前になって、誰も彼も爪先だちで、詐称で逮捕されなさそうな範囲なら、どんなふうにでも自分の肩書をつくって、例えば文学の才能の欠片もないのは、多少でも、何語でも、文章が読める人間にとっては、つるりんとした頭でこねくり回しました、と文自体が告白しているような小説を片手間に書いて、だまされやすいひとびとがおおぜいいる日本語ネットの縄張りに戻って来て、大作家でもあるような噴飯ものの物言いを述べているようなのは、山ほどいるし、なによりも、この十年で変質したのは、火のないところには煙が立たない、というが、火がないどころか、場所すらないところから、ぼおぼおと炎が立ったのだと、偽りを述べて、印象をつくって、「あのひとはダメな人だ」と愚かさを絵に描いたような人間たちのあいだに周知の事実のように流布してゆく。

結局、自分たちがやってきたことが自分たちに返ってきて、ついに一国の首相まで、フクシマはアンダーコントロールだの、日本の夏は温暖でスポーツに最適だのと、口から出任せの嘘をついても、なあにばれやしねえさ、みんなで言っちまえば、こっちの勝ちだ、の現実との関係などものともしない言語に入り浸るようになって、ついに蔓延して、日本語では、「ぼくが言ったことが事実になるのさ」の、言語としての機能を否定するところまで堕ちてきてしまった。

言葉を変えれば、日本語という言語は、真実を求めて垂直に下降して思考したり、相互理解を求めて水平的に伝達を志したりするものではなくなって、瘴気が凝って、偽りしか言えず、誤判断しかもたらさない、巨大な病として、個々の人間の心のなかと社会とを循環して、個々人と社会の両方に深く浸潤する病に姿を変えてしまっている。

日本語で思考するスイッチを切って、一歩さがって、自分がかなり理解できる外国語として眺めると、いまや日本語は、たいへん奇っ怪な姿で、こんなもので、まともにものを考えたり、奇矯でない感情をもったり出来るわけはないのではないか、という気持ちになります。

世界の歴史のなかでは、こういうことは、古代地中海世界の小範囲ではいちど起こっていて、そのときは、結局、他言語のひとびとに呑み込まれて、民族ごと行方知れずのようなことになった。

あるいは、現実主義者の集合で容赦の無いローマに滅ぼされたひとびともいた。

日本はどうなるのか。

日本語人口はおおきいので、零落にも回復にも気が遠くなる時間がかかるが、零落が底をついて、また回復に向かうのは時間の問題だと、わしはおもっています。

早ければ、いま30代のひとびとが困難な回復の途について、彼らが死んで退場する2070年というようなあたりで、また立ち直ってゆくのかもしれない。

ふつうに考えて、百年、二百年と、かかるのかも知れないが、おおきな言語集団というものは、通常はそういうもので、自力で回復してゆくものなのは、例えば現代中国語などを見ていても判るとおもいます。

ただ回復に要する時間に較べて人間の一生は短いので、運が悪ければ、生まれてから死ぬまで絶望的な状況のなかで彷徨うようにして生きていく世代、というものが存在してしまうのは仕方がない。

だから、日本語人の友達たちには、さっさと英語を身に付けたほうがいい。

そんなにたいへんなことなわけじゃないさ、と言い続けて来たのでした。

日本語という病は、社会を冒して、見ていて怖くなるほどのスピードで、どんどん社会を浸蝕していっているが、個人としてそれに付き合う必要はないのだから、なんとかして、いつもは母語の英語を例に出すが、スペイン語でもいい、中国語でも構わない、この日本語という伝染病の魂の死に至るパンデミックから抜け出すゆいいつの方法である「他言語を身に付ける」ことを強く奨めます。

それが返って、「よい日本語」を育むための最良の環境でもある。

残念なことに、日本語に浸って、なお正常でいられる時期は、もう過ぎてしまったのだと考えました。



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9 replies

  1. ある言語のみで思考するスイッチ一旦切って、別の角度から、全然違う思考回路で物事を見るのは本当に大事なことだと思う。

    日本語がここまで衰退したのは、日本語社会がここまで卑怯になったのは、自己を相対化することなく、実態のない唯我独尊思考に陥ってしまったからだと思います。そして、もはや、救いようはないようにも思います。

    Out of the box.
    言語社会の総体としてはもう遅きに失してしまったけれど。
    貴方は、私は、まだ、間に合う。多分。

    • 50の手習いで今度こそ英語に挑戦します。昔の日本の知識人は漢語の素養が役に立っていたのでしょうね。

  2. 「熱に浮かされて」ここまで来たのですよね。「宋書」の「狂泉」を地で行ってしまった。

    ここまで来てしまっては、日本語を救う方法は、表書きだけでなく、思考する言語として、日本人全員が他言語を持つことだけだとおもいます。

    たいへんにおもえるかも知れませんが、それでなければ、病んだ言語とともに亡びた珍しい民族として歴史に記憶されることになるとおもう

    • ブリジットフォンテーヌはラジオのようにしか知らないけどとても素敵なアルバムだった。
      フランス語はちっとも解らないのに何度も聞きました。

      冒頭のベースラインが好きだったのです。

      唄にもっと興味をもって聴き直そう。

      日本語の病気も時間かけて治さないと。

      次の記事も楽しみにしています。
      とても素敵な記事でした。

  3. 「日本にいて日本語を読む」のと
    「日本以外にいて日本語を読む」のはどうしてあんなに違うのだろうと思うことがよくある

  4. 田淵広子さんとミン・ジン・リーさんのこのやりとりを見た直後に拝読しました。お二人は「がまん」について議論されてますが、このような何気ない日常語に対して、日本語以外で語ることも、「よい日本語」を育むことにつながるのではないかと思いました。https://twitter.com/HirokoTabuchi/status/1420405120790155265?s=20

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