鎌倉の二階堂には「岐れ路」という交叉点がある。
Y字路で左に行けば、足利家が埋葬を禁じたために腐敗するに任された護良親王の首が路上に打ち捨てられ、腐爛を極めたあとに、やっと理智光寺の住職によって葬られたという言い伝えがある首塚があり、右に行けば浄明寺を通って横浜横須賀道路の朝比奈インターチェンジに出ます。
のっけから余計なことを書くと、朝比奈インターチェンジのすぐ手前には広大な鎌倉霊園があって、ここの正門脇の公衆電話ボクスは黒い鞄を持った男の幽霊が出るので有名だったが、義理叔父は、近眼で、鎌倉に入っていく道の左手に見える一群の墓石をおおきなマンションだと長い間思い込んでいたそうで、ある日、あんなところに巨大マンションを建てることを許すなんて、鎌倉市役所もたいしたことないな、と述べて、鎌倉ばーちゃんを始め、その場の人に大笑いされたそうでした。
右に行った先だけ余計な事を書いて、左のほうを書かないのでは、左に行く道が怒るだろうから、左のほうも書くと、この道をずっと入ったところに荏柄天神があって、いまはなくなってしまっているようだが、わしガキの頃は、というか二十歳でいちど訊ねたときにはまだ、「合格」と焼き印を押した蒲鉾が載っているので有名な「合格ラーメン」を出す有名な中華料理屋があって、ラーメンは食べたことがなかったが、義理叔父に教えてもらって、メニューにはないカツ丼を頼んだら、これが滅法おいしかったことを未だにおぼえている。
合格ラーメンでおもいだしたので、余計のついでに書くと、岐れ路の交叉点に面してたっている、一見は何の変哲もない鮨屋は、実はとんでもないおいしいねぎとろ巻(←手巻きじゃないほうね)を出す鮨屋で、その隣の、いまGoogleマップでみるとシャッターが下りたままになっている場所は、そのころはたしか昭和の時代がそのまま残っているような中華料理屋で、電話で注文すると、岡持にホンダのスーパーカブのおいちゃんが、出前を持ってきてくれたもののようでした。
ついでのついでのついでに書くと、この近所の肉屋さんで、初めて竹の皮でくるまれた牛肉を買って、おおお、明治の小説に出てくるの、そのまんま、カッコイイ、と鎌倉ばーちゃんの家への手土産のすき焼き肉を買いながら、深い感動に打たれたこともある。
追分には「分去れ」という交叉点がある、左に行けば中山道で、右に行けば北国街道の有名な分岐です。
軽井沢という町は、あんまり言わないほうがいいが、もともと人気(じんき)が、あんまり良くないところで、人がいなくなった秋口に散歩していると、真っ昼間であるのに、別荘にこっそり忍び込んで、積んである薪を盗む人なんていうのは、よく目撃した。
高山植物を集めている人がいて、集めても集めても珍しい花が咲く植物が盗まれて、金額(で計算するのも下品だが)にして500万円以上も盗まれるので、意を決して、庭を監視していたら、案の定、40代くらいの女の人が、リンドウをごっそり盗んでいくので、飛び出していって、
「花を盗むのはやめてください」
と述べたら、「けっ」という顔をされて、
「花泥棒は粋なこと」だと知らないの?
成金は嫌ね、
と言われたそうでした(^^;)
追分の「分去れ」を右に行った近くの橋の袂に誰でも持っていける無人図書箱があって、誰も盗む様子もなく、かえって本で溢れかえっているので、近所の無料駐車場にクルマを駐める、その前を通りかかるたびに、軽井沢のような「高級」ということになっている土地よりも追分のほうが、ずっと人間はいいのだな、と、人間の機微に触れたような気持ちになって、今度は、通る度に、判で捺したように、おなじことを考えている自分に気が付いて、可笑しさがこみあげてきたりした。
日本語人は、坂がのぼって、頂きに達して、そこからくだってゆくという、ただそれだけの地形に「峠」という不思議な語彙を与えて、Y字分岐に、ただ形状を説明するだけでは気持ちが収まらずに、わざわざ「わかれ道」に、岐という、宇宙規模の漢字を与えて、あるいは、「分去れ」と述べて、感情を込めずにはいられなかった。
ただ人間が移動するだけのことに嫋嫋とした、と言いたくなるような情感を込めるのは、日本語人は人の一生を旅に重ねて考えることに心底から慣れていて、決してやってきたところに帰ることがない旅を歩いて、その途上のどこかで倒れるものだ、というイメジを心に描いているからでしょう。
右へ行くべきか左に行くべきか、決断を繰り返して、行けば道に任せて、本来は行きたかった場所でないところに出てしまっても、まあ、これもいいか、と呟いて、歩みを止めない日本の人の姿が眼に浮かぶようです。
いまの日本が、どこかの分かれ道で行くべきでないほうへ進んでしまったことは、ここまで来てしまっては、さすがにほとんどの人が気が付いている。
どちらへ行くべきか判断するだけの資質も能力もないひとが、役人として地位が高かったり、単に自分への評価が大甘なまま父親の威光で自分に実力がある錯覚したりして、いわば、いいとしこいて親のすねかじりで生きている中年や老年の人が多すぎて、日本語社会が10のレベルで能力を貯えているとして、そのうちの1も能力が発揮されないまま、訳のわからない道を歩かされて、到頭、コロナ禍で露見した社会としての無能さで、近隣のアジアの人たちに失笑されるほど酷い国になってしまった。
ひたむきに善い国を目指すことをやめて、体裁をつくろい、冷笑を浮かべ、斜に構えて、自分が優れた人間でもあるかのような嫌みを述べているうちに、社会ごと地獄に行き着いてしまった。
日本人でない人間にとっては、いまの日本は、平和で、面白くて、とてもいい国です。
海外旅行に行こうとおもうが、どこか変わった、楽しい国に行きたいんだけど、ガメはどこがいいとおもう?
タイかな?
メキシコも面白そうだけど治安が悪いよね、というような話になると、わしは必ず「日本がいいよ。最高ですよ、あの国は」ということになっている。
でも、あんまり東に行くなよ。
フクシマ、おぼえているでしょう?
と述べる。
余計なことを言う必要もないので、住むとなると、話が別だけどね、あの国の社会は悪意に汚染されている、ちゅうようなことは、当たり前だが、なにも言いません。
ただ、ちらっと、脳裏に、あの個人にとっては苛酷で苦しい社会のなかで、足掻くように旅しながら、一日一日、どちらを選んでも地獄にしか通じていない岐路の前で、それでもマシなのは、どちらか懸命に考えて、来年の暮らしが少しでも良くなるように、出来るだけの知恵をつくす日本の人たちの影が映っている。
ほんとうはね。
人生は旅ではない。
自分という、自分にとっての最良の友達を、自分の内部で、育んで、どちらかといえば魂の建築に近いのが人間の一生でしょう。
建築が聳えてゆく土地として、日本語社会は、もう地盤が脆くなりすぎているかもしれないけど、落ち着いて、自分が岐路に立っているのではなくて、次はなにを実効すれば「自分」と邂逅できるのか、それこそがゆいいつの焦眉の対象でなければならないのかもしれません
どの岐れ道をたどっても、自分に会うことは出来ないのだから
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ガメさん、僕の最後のツイートをチェックしてくださって、ありがとう。
僕は日本語を話す『外国人』として生きてきて、いろいろと見てきて、
もうすっかり日本のネットが嫌になったんです。
長いこといろいろ考えてきて、自分の身近なある人から、SNSはやめろ、
と言われて、決断しました。
まさに『わかれみち』だったかな。
だから、Twitterやめたよ、という書き込みをしようとしてここにアクセス
したら、先にガメさんの方がチェックされていた。
恐れ入りました(汗)
しばらくは、こちらでガメさんの日記を拝見させてください。
僕がTwitterやってた理由はガメさんとの交流が面白かったからだけど、
ここがあるなら別に続ける理由はないですからね。
ここはやめないでくださいね(汗)
トモタダさんの昔の危惧通りtwitterも到頭ああいうひとたちが荒らして喚きちらすだけになってしまいました。
日本語だと、なぜかいつも衆愚恐怖政治の場になってしまうのですよね。
初めは悪口を言っていて、流行ってくると、自分たちが大挙して押しかけてダメにしてしまうのも、いつまで繰り返せば気が付くのか。
魅力がなくなっていく一方ですね、日本語。
残念
本当に同感です...
竹の皮! 老舗でもなんでもない町のお肉屋さんが牛肉を竹の皮で包んでたのは、たぶん、ぼくが小学生だった1960年代の初め頃までじゃないかな。遠足のときには、前日に肉屋で竹の皮を1枚分けてもらう。おにぎりは竹の皮に包むものだった。防腐効果があると言われてた。江戸時代から変わってなかったんだ、きっと。
「人生は旅だ」という比喩を本気で受け入れはしなくても、この比喩を〝知っている〟だけで、それなりに影響は受けてしまう。人生のさまざまな出来事を傍観する姿勢が生きるうえで自然なものだ、とぼくも含めて多くの人に感じられてしまうだろう。あなどれない影響力がありそう。
竹の皮は獣肉忌避の名残だと思っていましたが防腐効果というつもりもあったんですね。
日本は芭蕉を始め、旅の文学の宝庫ですが、そのせいか人生と旅が文脈として重なっている感じの人が多かった。
他文明では読書と同じというか自分の魂への滋養としての意味合いが強いように思いました。
さて、どちらの文脈がよいのかは、まだぼくには判りません
>日本語人は人の一生を旅に重ねて考えることに心底から慣れていて、決してやってきたところに帰ることがない旅を歩いて、その途上のどこかで倒れるものだ、というイメジを心に描いているからでしょう。
おーそうかも。
>人生は旅ではない。
>自分という、自分にとっての最良の友達を、自分の内部で、育んで、どちらかといえば魂の建築に近いのが人間の一生でしょう。
>建築が聳えてゆく土地として、
考えたこともなかった。
なるほど…
「人生=旅」って、安易な比喩だけあって思考への影響力が強いのね。
比喩が持っている強烈な罠にかかりやすい
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也
何だか映画「砂の器」で親子が寒風吹きすさぶ砂浜を歩いているシーンを思い起こしてしまった。
あの親子のさすらいは悲しい運命でしたが、そうではなくても四国をお遍路さんになって巡って歩く日々も悪くないな。あるいはキャンピングカーに私財一式詰め込んでノマドよろしく旅してあるく生活にも少しく憧れます。
だけど現実は自宅を引き払って住所不定になったら健康保険とかどうなるんだろう、などと細々したことが気になって大々的な一歩は踏み出せず、せいぜいが数日の旅行を楽しむに留まるのでしょう。
なるほどー。日本の人が「旅」のイメージを情緒的に好むのは社会の管理が厳しいせいもあるかな?
うーむ。社会の管理か。そうとも言えるかもしれないけど、私はどちらかというと(特に国民皆健康保険などは)守られている意識が強くて、ノマドの自由な生活を手に入れることは管理されない分、保護もされない訳でそこがちょっと腰が引けてしまう部分なんだろうなぁ。
人生というと、美空ひばりさんの「川の流れのように」の流れる旅か、
リレーのようにバトンをもらって渡すまで全力疾走して去るイメージを持っていました。
流れの枠で最善を尽くすと言うときれいですが、使われやすくもあるなと振り返って思います。
魂の建築、日本だと「人格形成」と表現しそうですが、あくまで上記の旅の目的達成のため
必要と思う範囲か趣味の範囲でやってね、というのが社会の一般的な共通認識に感じます。
「帰ってきて、『やっぱり家が一番だなぁ』って思うでしょう?そのためにひとは旅行に行くんですよ」
と昔タクシーの運転手さんが言っていたのを聞いたことがある。
ぜんぜん同意できなくて、ただ、なるほど、と相槌を打ったけど。
人生は旅である、ってのが好きな人って、そういう感じなんじゃないかしらね。
いつか帰るところがあるの。
日本人的情緒。
旅を「家」と関連づけるなら「家を探しにいく」のが旅だものね
そうそう。たぶんその感覚、あんまり今の日本の人にはないのかもしれない。というか多分ない。
人生は旅ではない、などと考えたことはありませんでした。
太陽はじつは西から上ってたんだよ、と言われたような驚きです。
ただ、言われてみれば納得することもあります。
古いものを保存せず捨ててしまうことや、「旅の恥は掻き捨て」という言葉や行動であったりは、人生は旅と考えるからこそなのでは、とか。
旅ではなく、魂の建築。
理解するのに時間がかかりそうですが、当面の課題として、よく考えてみます。