日本の衰退 1 

 

(この記事は「ガメ・オベール日本語練習帳 ver.5」に2020年6月19日に掲載された記事の再掲載です)

 

 

日本の人は自分達の過剰な従順さで窒息死しかけている。

頼まれもしないのに、わざわざお節介を焼いて、よく考えてみるとたいして縁があるわけでもない他国の社会や経済の欠点を述べてみても仕方がない。

安倍晋三さんを首相に選んでしまったときは、さすがに慌てて、あんな人を選んでしまったら日本という国の基礎から掘り崩されて衰退から回復できなくなる、と考えて、なぜ安倍政権を成立させるとたいへんなことになるか、たくさん、無我夢中で記事を書いたが、あれから8年近くたって、予想通り、というか理屈どおり、日本は一見してみえない基礎工事にあたる部分がぶっ壊れて、これから、どうやったって、こうやったって、おいそれと立ち直るというわけにはいかなくなっていて、いまさら日本の根本的な問題について書いても仕方がない。

ふたつの「仕方がない」によって、書かないで来たが、たまには書いてもいいような気がしてきたので書いてみます。

日本の社会の、目を覆いたくなる、ちょっと傍目には信じられないよう凋落と低迷は、みっつの理由によっている。

ひとつは社会の高齢化で、これは投資や経済の世界を生きている人なら誰でも知っているが、地面にめりめりと崩落してゆくアッシャー家みたいというか、おなじことをやっても、振り子がいつもネガティブなほうに揺れる。

おなじ20%の成長を達成するのに200倍くらいエネルギーがいる。

しかし、例えば60年代におなじ問題を抱えて大低迷を迎えたフランスのように、苦労した先人の社会がいくらもあって、その例を検討して、移民政策やそのほか、なにが政策として有効で、なにが無効か、すでにわかっていて、切羽詰まれば、なにもしないためならなんでもする日本の人の社会も、よっこらしょと腰をあげて、解決に乗り出せば、またまた例を挙げるとニュージーランドではおよそ20年で解決している。

二番目には女の人が、本質的には近代以前の立場におかれていて、本人にとって最も苛酷な地獄だが、社会の側から見ても、簡単にいえば人口の半分が本来の生産性を発揮できないので、人口一億と言っても、5000万人のパワーしかもっていない。

これは、みっつの問題のなかで最もおおきな問題なのだけれども、文明的な根が深く規模がおおきいので、また違う機会に記事を書くとおもいます。

ここで書いておきたい問題はみっつめで、いまのところG7のなかでは日本だけの特殊問題、慢性的な低賃金社会であることです。

いつかCOVID前の町で、同じ職場の人なのでしょう、日本からの若い人とスウェーデンから来た若い人が、話しているのがカフェの隣のテーブルから聞こえてきたことがある。

日本の人が、話のなりゆきで、時間給を問われて、「一時間15ドル」と応えたら、ふたりのスウェーデン人に、プッとふきだされて、気の毒にたいそう傷付いた顔になっていた。

NZD15ドルは、USD10ドル、日本円で1100円というところなので、日本の若い人が特に安く見積もって時間給を述べたわけではなさそうでした。

なぜ、そんなに安い賃金で働くの?

と言われて、顔を真っ赤にして、自分達もおかしいとおもっている、でも、みんなそういう金額で働くから仕方がないんだよ。

低賃金が消費市場の縮退をまねくのは、子供どころか、犬さんでも、よく納得がいくように教えてもらえればわかる理屈で、だって、そうでしょう?

オカネがないんだから、ものが買えない。
消費行動とサバイバル行動の区別もつかないようなコンビニで弁当の価格をにらみつける暮らしになってゆく。

一方では、いまでも忘れられないイタリア料理店主との会話があって、日本では超高級とみなされる、そのイタリア店主が、客がすくないのを見計らって、いつもそうするようにテーブルの側にやってきて、お元気でしたか、に始まって、よもやま噺をしていく。

「歳よりがいくらカネをもっていても、ダメなんですよ」と、自分が70歳を越えている気楽さなのでしょう、あっさり言う。
「わたしの店のお客さんも、毎晩ご夫婦でやってきていたような方でも、一度どちらかが大病をしてしまうと、もういけなくて、日本で医療をうけるのに、どのくらいコストがかかるかわかって、オカネを使えなくなってしまうんですね」

日本は医療は健康保険でカバーされて安いのではなかったんですか?

と訊くと呵々大笑という表現ぴったりの大声で笑って、
「ガメさんね、中世の医療ならタダみたいなものですが、最新医療は保険の対象にならないのがおおいんです。それに、ほら、ガメさんが、あまりに汚いのでびっくりした、と言っていた築地の病院があるでしょう?あんなので入院費が安くていちにち12万円だそうですよ」

げげげ。

それと、やっぱり気が弱くなってしまうのですよね。
家にこもってなにもしないのがいい、ということになってしまう。
そこが若いときに趣味を育てない日本人の悲しさでしてね。

からくりが少しわかったような気がした。

数字の上ではひとり500万円の現金資産があっても、日本というひどい格差社会では、富裕な老人たちにオカネは吸収されていて実際に消費市場で末端を支えている消費者のふところには100万円という心細い金額さえないのではないかしら。

ずっと前に日本政府が他国で無効であるのが証明されたトリクルダウンという概念を使うのを聴いて、呆れ果てて書いたブログ記事があったが、
案の定、そんなことは日本でも起きませんでした。

神のいない経済 3 ゾンビ篇

日本は戦前から一貫して国家社会主義経済の国です。
「ええ?そんな馬鹿な日本は自由主義経済の国だ」というひとのために何度も説明を繰り返してきたが
「傾斜生産方式」の強烈な政府による統制経済の歴史、「おそるべきMITI」の時代を見ても、まだそう言い張る人は少ないでしょう。

国家社会主義経済は、たちあがりの見た目はいい。

日本では国家社会主義経済のチャンピオンは岸信介という「これほど頭がいい人間もこれほど人間性が悪い人間も見たことがない」と言われた人だが、この人が満州をそっくり手に入れて実験するまでにも、日本には明治時代からの国家社会主義経済の長い歴史がある。

国家社会主義経済の特徴は、経済の在り方が倒立していることで、
社会が個人のために存在せず、個人が社会のために存在する。
驚くべきことには国家すら国民のために存在せず、国民が国家のために存在します。

そんなバカな、とおもう人もいるだろうし、西洋ではありえないことだ、とおもう人もいるかもしれないが、そんなバカなどころか、日本から一歩外に出てみれば明瞭歴然、日本そのひとが現代を代表する国家社会主義経済の国なのは、誰にでもわかることだとおもいます。

アジアにはもうひとつ、共産全体主義国家の中国という国があって、これも遠からず日本とおなじ運命をたどるとおもわれているが、ここでは省いたほうが良さそうです。
あんまり知恵もない命名だが、「天然全体主義」と名前をつけることにした。

家庭と学校でのすさまじい、傍目にはヘンテコリンな教育は、1930年代に日本を訪れたバートランド・ラッセルを憤激させて、
「あれは学校ではなくて軍隊教育だ」と一生友人達に繰り返したそうだが、「よく考えてものをいいなさい」「他の人の迷惑を考えろ」どころか、自分でも目撃したことがあるが、むずかる小さな人に「ほおら、静かにしないと、おじちゃんたちに笑われるわよ」と述べる母親という恐ろしい光景もあったりして、日本の人は、全体主義体制に徹底的に従順であるように仕込まれていく。

一方では従順な群れのなかで優秀ともくされたひとは、今度は、体制と自分との一体化をこころみていきます。

そうなってしまうと、言うことが個人の観点ではなくて、霞ヶ関から世の中を見下ろしているようなことを言う。

「そうはいっても株価があがれば、企業の再投資がすすんで、結局はみんなが潤うんですよ」

「苦しいときに我慢するから、社会が豊かになって、最後には国民も楽になるんですから」

どれもいまの世界では実現するあてのない駄法螺にすぎないが、国家社会主義の社会などは古色蒼然とした社会のモデルをそのまま信じ込んでしまえる愚かさがあるから、いまだに30年代のアイデアにしがみついているので、こういうひとたちと議論するくらい無駄なことはない。

しかもインターネットの普及いらい、滑稽に滑稽を重ねて、屋上屋を重ねるよりももっとぶざまに滑稽なことには、ほんとうは社会の下層で呻吟しているのに、まるで体制と一体化しているような意見を述べる人の大群があらわれてしまった。

日本語ネットを見ていて、いつも思うのは、ネットでみるかぎりは、日本の社会はエリート層と支配層が国民の大半をしめていて、
たいてい女のひとの、生活の苦しさや不安を述べる、ほんのひとにぎりのひとを嘲笑している。

多分、自分が支配層であるような嘘をならべているあいだに、「その気」になってしまうので、まるで古来から知られた「嘘のほんとうのおそろしさ」自分が見えなくなってしまうことの見本市のような趣を呈している。

否も応もなく、低賃金で働かされた結果は、火を見るよりもあきらかで、経済の教科書どおり、経営者自体を直撃します。
ならべて考えると、アホなんじゃないかと誰でもおもうが、経営者という種族は、凡庸な人間がおおいので、どうしても、わかっていても、「人件費をさげる」という最も楽で知恵がない方法で競争に勝とうとする。

蒐集していた古雑誌の比較的新しいものに、倒壊寸前の木賃宿を一棟借り切って、設備もなにもなしで、純然たる手作業で歯ブラシを作る工場にした男の人が「現代を救うビジネスモデル、日本は、まだまだやれる」と紹介されていたが、情けないというよりも、どういえばいいのか、やるせない気持にさせられたものでした。

賃金がさがれば、参入障壁が低くなって零細な参加企業が犇めくようになるとか、その結果、研究開発費に巨費を投じられる大企業が育たないとか、ほんとうに優秀な人間が外国企業に就職して逃げちまうとか、賃金が低いことから派生する経済の病はよく知られているが、いまの日本は見事なくらい経済教科書どおりのbad spiralに陥っている。

解決策ですか?

解決策は簡単ですよ。

給料を倍にすればいい。

出せないって?

そんな貧しいビジネスモデルしかつくれないのに会社の経営なんかやるなよ、と乱暴な言葉で考える。

革新的な技術のアイデアどころか、ビジネスモデルすらつくれない人間には21世紀においては会社を経営する資格がない。

それはね、犯罪なんです。

はっはっは、言ってしまった。

でも、ほんとうに倍にしなよ、給料、そうしないと自分の首も、そのうちに絞まると思うよ。

でわ



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1 reply

  1. ガメさん、「夜の闇の中で」の繰り返しになっちゃうんだけど、日本では最初っから決めてある正解に至ろうとする教育しか受けられないから、いい経営者が育つわけないですよね。

    > 日本は戦前から一貫して国家社会主義経済の国です。

    そうそう。自分もずっと中学生の時からそう思っていました。

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