東京大学入試問題を解いて考えたこと

(これは2009年3月9日にガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5に掲載された駄記事の再掲載です)

 

 

モニと妹はふたりで出かけておる。

わしは風邪をひいたのでひとりでさびしくしょぼしょぼと遊んでます。

やることが思いつかなかったのでサイトに載っていた今年のトーダイの入試問題

http://www.j3e.info/ojyuken/math/php_q.php?name=tokyo&v1=1&v2=2009&v3=1&y1=2009&n1=1&y2=2009&n2=2&y3=2009&n3=3&y4=2009&n4=4&y5=2009&n5=5&y6=2009&n6=6&y7=0000&n7=0

を解いて遊んでしまった。

しばらくボールペンをもってふむふむ、ぬわるほどをしながら、解き終わってから何が悲しゅうて日本人の大学の入試問題をわしがいいとしこいて解かないかんねん、と考えました。

 

スーガクです。

150分でやれ、と書いてある。6問である。

とすると、30分問題をためつすがめつ読んで、120分で解けよな、と言っているのでしょう。問題のレベルからすると、(18歳の人間が受けるのだとすると)4問正解が基準で、数学が出来るガキには後二問分の点数を足してやるからな、という構成であるようだ。

第三問がいちばん簡単だのい。アホでも解ける。

これを解いてリラックスせよ、というのだろうか。

それなら第一問においときゃいいのに。

元トーダイセイの義理叔父に訊くと「易しい問題がどれか見抜くのも学力のうちなんだよ」なああんちゃってましたが、わしは吹き出してしまった。

そんなせこい学力の見積もり方をしてどーする。

第一、思い込みが激しい生徒がいて「試験は第一問から解かないといけないもんだ」と信じ込んでいる場合はどーするんだ。

4問正解が基準、と言いましたが、多分日本の高校生なら5問正解するであろう。

日本のひと、さんすーの実力はともかく、考えるのが早いからな。

第6問が妙に出来が悪くて、わかりにくい書き方をしているのは出題者が頭が悪かったか、まあ、5問解き終わったら、これでもゆっくり読んでヒマつぶしをしてね、ということなのでしょう。

それにしても、この問題をつくったおっさんは多分あたまがぐちゃぐちゃなひとであって、何をいいたいんだかさっぱりわからん。

図を見てやっと、あっ、そーですか、と思います。

数学より、国語、勉強し直した方がええんちゃうか、おっちゃん。

 

わしの知り合いのむかし日本の大学で教えていたイギリス人のばーちゃんが、「日本の大学入試問題というのは決して言われているような詰め込みではなくて、『思考力』を見る問題が多いのよ」とゆっておったが、わっしの感想は、

「こんなおもろいパズル解いて大学に入れるかどうか決めるのか、日本人って根っからゲーム好きなんだな」ということでした。

でも、この問題、こーゆーのを「思考力」というかどうかということになると微妙だのい。

わっしはこーゆーの好きだけどな。

 

先ず第一にこういうタイプの問題は「訓練が出来ているかどうか」言い換えると「定石をちゃんと知っているかどうか」によって大きく解けるかどうかどうかが左右されてしまう。わしは日本の高校生が使う数学の教科書をいくつか読んでみたことがあるが、あの教科書を読んでこの問題を解くのは無理です。

だって教科書に知っているべき定石が載ってねーもん。

だから日本のひとは塾に行くのだと思うが、でもそれは日本の高速道路の80キロ制限と同じで、「誰も言わないルール」が介在する点ですでに社会がやってはいけないことではなかろーか。

 

あと、こっちはもっと素朴な疑問だが、たとえば第一問はフェルマーの小定理とやることが同じだと思うが、それを知っている人はやる気がしないのではないだろうか。

「フェルマーの小定理証明と同じ発想により」とか書くと張り倒されるんでしょうか。

わからん。

微積分でも、どのレベルの定石まで使っていいのかどうか、とか、どうやって決めているのだろう。

全然、わからん。

こんな面白いパズルをひとりで解いて遊んでいて、それでもって「ベンキョーしてます」と自称できる日本の高校生はうらやましいのう、と思います(わしらはもっとくだらないことをいっぱいやらされた)が、「入試問題」としては全然適切でないとわしは思う。

こんな問題で学生を選んでたら見渡す限りわしみたいなのになっちゃうじゃん。

 

この大学の教師をしていた叔父の友達とかの話を聞いていると、日本の教育問題は要するに「高等教育に全然お金を使わない」日本という国の体質に問題があるのがわかってきます。こんなヘンタイみたい(ごめん)な入試問題で生徒を篩にかけて学生を選ばなければいけないのも、よく訊いてみるとただ「金が足りない」からなのである。

ばかみたい。

 

その結果、すごおく頭の悪い「同学歴支配族」が出来て、世界でいちばん無責任で無能なので有名なマスメディアと「北朝鮮並み」と陰口を利かれる政府に国全体が支配されるに至った日本という国にはどこかしらマンガ的なところがあると思う。

こーゆーことをいうと母校がなくなる義理叔父は泣くに違いないが、トーダイは大学院だけの大学になってもらって、入試はたとえば残りの「旧帝大+東京工業大学+東京医科歯科大学」で一学群、「早稲田+慶応+上智」で一学群、というふうに学群単位で学生の入学を許可して、しかも単位を交換しながら学生が学群のなかで自由に移動できるようにすればよい。わしは親戚に核融合屋がいるので少し名古屋大学という大学も知っているが、日本のひとがいうよりもとても良い大学です。

京都大学でも名古屋大学でもいいお、と言われたらわしなら名古屋のほうにすると思う。

 

日本はいわゆる「学歴社会」を終わりにしないと全然ダメです。

だって日本のひとが知らないふりをしているだけで、ほとんどの問題がそこから派生している。

「世界一無能なエスタブリッシュメント」の成立を許したことがいまの日本の不振に直截つながっている。

わしの日本の友達はみな耳にタコさんが出来るくらい聞かされてよく知っているはずだが

、日本にとっては「人口の減少」とか「人口の老齢化」とかはたいした問題であるとは思えない。少なくとも、わしにはなぜそれが問題なのかよくわかりません。

「一千万人移民計画」なんて旧産業が工場労働者が欲しいというただそれだけの理由ででっちあげて後のコストは全部社会におっかぶせようという、到底正気とは思えない計画でも通ってしまう国である。

「お上」だけがあって、自分たちの頭でものごとを考える習慣がこの国にはないのでしょう。

西洋の文法に従えば無論大問題だが、日本は西洋の国じゃねーじゃん。

建設現場でパワースーツを着用した75歳の青森出身のじーちゃんが200キロの鉄材を背負っていて何が悪い。

かっちょいいだけです。

わしの義理叔父が大好きだった数学の先生は90歳をすぎていたそうだが、義理叔父の高校では最も人気がある先生だったという。

第五世代のアシモが国防軍の歩兵として閲兵式を行進して悪いことはなにもありません。

「コントールされた」インフレ、っちゅうような役人らしいケーハクな知恵よりも、年金なんかやめちって、80歳のじーちゃんがテクノロジーの支えで働けるようになぜしない。

日本人にとっては「日本人にしか出来ないこと」「日本人にしか考えつかない解決策」がいっぱいある。

それが日の目を見ないのは、西洋文法でしかものを考えられないバカ政府人や就中マスメデイア人が「わっしがこの国をシドーしてんだから」とゆって何の根拠もなくえばっておるからです。

年金の運用やなんかすっちったぶんは役人の給料を遡って返してもらえばよい。

社会保険庁の起訴されないで終わりそうな役人は、ほら、イギリス人は処理できないスーツケースをミラノに送ったでしょう?

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20090201/1233467274

あれに倣って、みいんな中国に送って処断してもらえばよい。

チューゴクのひとが喜んで即日全員絞首刑にしてくれます。

そのくらいの決心が出来なくて国なんか変わっていかれるわけがない。

 

どーしても出来なければ、みんなで毎週日曜にトンカチをもっていって物理的に東京大学を壊しに行く、というのはどうか。お弁当をもって家族でニコニコしてゆくのがよいと思う。

更地にしてしまえば、既得権益意識で固まったトーダイの諸君もどうもならんだろう。

本郷の旧加賀藩邸が更地になったその日から日本にも明るい夜明けが来る、というものです。

画像は、のひゃ、と思うくらいでかい「Esparragos Blancos」(白アスパラガス)の勇姿。

お酢さんに漬かっておる。

信じられないくらい、うめえっす。



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1 reply

  1. 恥ずかしい話なんですが、僕は高校生の時、数学で一度挫折して、文系に行ったんですよ。
    結局、このやり方が合わなくて。

    > 先ず第一にこういうタイプの問題は「訓練が出来ているかどうか」言い換えると「定石をちゃんと知っているかどうか」によって大きく解けるかどうかどうかが左右されてしまう。わしは日本の高校生が使う数学の教科書をいくつか読んでみたことがあるが、あの教科書を読んでこの問題を解くのは無理です。
    >
    > だって教科書に知っているべき定石が載ってねーもん。

    まあ、有名な数学の問題集があって、僕の高校の音楽クラブの1年先輩はそれを徹底的に学習して駿台の模試でトップに君臨して、文一に入りました。
    でも僕はそのやり方に馴染めず、挫折したんですね。

    しかし大学でどうしても統計数学をやらなきゃいけなくなって、実際にやってみると数学ってアートだと気が付いたので、思ったよりおもしれーじゃん、と気づいたときは遅かった(汗)

    自分はどうも、日本式の教育が合わなかったようです。

    > 数学より、国語、勉強し直した方がええんちゃうか、おっちゃん。

    自分もそう思います。数学はアートですから。だけど、肝心の言葉=日本語がいまの状況じゃあな、という感じです。
    貧しくなっちゃいました。

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