左翼と右翼

Working men’s clubは、もともとはイングランドの北の方やスコットランドの発明で、ニュージーランドにも、全国の町の、文字通り、そこいらじゅうにあります。

名前で想像がつくように、労働者階級の社交場で、もともとは啓蒙の場もかねていたが、いまは、ざっかけない雰囲気の店内で友達とビールを飲み交わすほかは、啓蒙といえば、馬の運動についてのグループ研究や、硬性のボールに細いスティックで衝撃を与えたときの物理的振る舞いについての考究くらいしかやってはいないようです。

目立たないが、いつも繁盛しているパブ、のような存在になっている。

日本には政治は存在しない。

十年以上、日本の社会を眺めてきて、日本の政治議論の、あの現実にはまったく届かない感じ、現実「政治」はまったくひとびとが考えることとは別の、暗い楽屋裏のようなところで決まっている感じを、「われわれはネットで意見を交換して、意識を高めて、正しい道を示しているのに、政治に興味をもたない大多数の国民のせいで議論が反映されない」というような意見を、あちこちで見かけるけれども、そうではなくて、例えば19世紀のロシアのように、そもそも社会に「政治」自体が存在しないので、すべての政治上の言論は、上滑りに滑って、単なる勇ましい自己満足に終わってしまっている。

左翼というでしょう?

右翼という。

ネトウヨという言葉もある。

では実体はなにかというと、チュシャ猫で、表情だけがあって顔はない。

左翼や右翼という言葉では、日本の「政治」がまったく説明できないのは、

日本には未だ政治と呼べるものが存在しないからでしょう。

いちど年長友が、「これはひどいね」と、十年以上、しつこくつきまとって、匿名アカウントを量産して、仲間を「はてな」というコミュニティの内部でつのって、中傷を繰り返している大学非常勤講師について述べて、

「しかし、この男、右翼だね」

と面白いことを言う。

いや、この人、左翼らしいですよ、と、ときどきの左翼時流に乗るだけの、このひとの、お題目をあげて説明しても、

「いや、この男は右翼だよ。こんな左翼はいない」と言い切るので驚いてしまった。

変わったことを言う人だな、で、そのときは終わってしまったが、後になって考えて見ると、この年長友は欧州の左翼と左翼の歴史に造詣が深いので、人間性を見て、言葉と行動の関係を観察して、人間の類型として、この年長友が常々軽蔑する「右翼」だと判断した、ということだったのでしょう。

なるほど言われてみれば、「右翼は悪なのよ。そんなものを信じると、良い学校にいけなくなりますよ」と小学生のときから言い聞かされて右翼思想を禁忌として育って中年男になっただけで、用語をいれかえれば、街宣車の屋根の上でがなり立てる壮士右翼と、なにも変わらない。

Working men’s clubは左翼の土壌として知られていて、そこで交わされる会話は、びっくりするくらい「左翼的」です。

しかも英語世界は現実主義の世界なので、

なぜ、われわれの賃金は低いのか。

教育コストは高すぎる。国営にして無料にするべきではないのか。

無料医療の範囲は拡大されるべきだとはおもわないか。

社会はもっと急速に改革されるべきだ、という議論がほとんどです。

そして、そういう会話のなかから労働党のサマースクールに入る若者があらわれ、政治理論を勉強して、国会議員に立候補する。

父親が現場の警官の、ジャシンダ・アーダーン首相も、そうやって議員になり、39歳で首相になった。

いまの世界では珍しいくらいの左翼思想の持ち主で、特にNZ型資本主義への正面からの挑戦であるキャピタルゲインタックスの実現をめざして、名前を変えて、おおかた現実にしてしまっている。

「資本の再分配」なんて言葉は微塵も使わずに、政策を通して、着実に冨の再分配を行っている。

左翼に対抗しているのはニュージーランドでは保守派で、保守派も保守派なりに変容して、90年代くらいは、規制をどんどん撤廃して、銀行も航空会社も森林も、みんな外国企業に売り飛ばしちまえば、いいじゃないか。

未来において儲かったら政府が買い戻せばいいじゃん、で国民党から出たボルジャー首相が、恐ろしい勢いで、なんでもかんでも売り払って、規制も取り払って、「これでは小さい政府ではなくて無政府ではないか」と国民に反発された。

判りやすい例をあげると、かつて国営だった、いまでもニュージーランドを代表する銀行である「ニュージーランド銀行」は、オーストラリアの銀行が所有しています。

いつか日本からの移民の人が、このブログのコメント欄に来て、

「労働党になってから政府の排外主義がひどくなって移民は絶望している。

もう7年間も夫婦でニュージーランドで暮らしているのに永住ビザが出ないので他の国に移住しようかと悩んでいる」

と、こぼしていたが、そのときは、気の毒で、あんまり言いたくないので、はっきりと書かなかったが、ニュージーランドでは誰でもが知っていることで、労働党は労働者の利益を代弁しているので、他国から移住してきて安い賃金で働かれると困る、税金で賄っている医療や教育の負担が外国人のせいで重くなるのは耐えられない、….排外的な政策をとることが多い。

反対に、保守派である国民党は、大小のビジネスマンや自営業者の利益を代弁しているので、急速な経済成長に伴う労働力不足を補う移民が減るのは、たいへんなことで、ヴィンヤードでブドウを摘む仕事からプログラマのような特殊技能者まで、なにしろ大勢でやってきてもらわなくては困る、ビザなんかどんどん出しちまえばいいじゃないか、と述べる。

ここまで読むと見当がついた人も多いとおもうが、では右翼は、というと

「排外的な保守派」です。

排外的保守派って、だって、いままでの説明によると成り立たないんじゃない?と思った人は、大正解で、オカネは欲しいが外国人は見たくない、というので、結局のところは、「ガイジンなんか嫌い。顔もみたくない」というただの感情論に堕してしまう。

ニュージーランドの右翼政党、第1次アーダーン政権の副首相を務めたウインストン・ピータース率いるニュージーランド・ファーストは、だから「もう理屈なんて、わしゃ知らん」の老年層に支持基盤を置いている。

と、ここまでニュージーランドの例を挙げての政治世界の説明で、お退屈さまでした、というか、ガメ、なんで、こんなつまんない話してるの?

とおもった人もいっぱいいるとおもうが、ほら、政治というものが個人の生活から社会へ働きかけるベクトルになっているでしょう?

反核市民運動から出発して首相になったヘレン・クラークの経済政策を見ると、国営だったニュージーランド航空をシンガポール航空に売ったりしていて、あんたほんとに労働党党首ですか?な政策が多いが、絶海の孤島ニュージーランドにとっては航空会社は文字通り命綱で、たいへんなことでも、実は、経済が回復したら政府が買い戻すことに同意する、という内緒の条項を売買契約書に盛り込んでいた。

水道を民営化するときもそうだったが、政治が実質のある肉体を持てるかどうかは、政策を現実化する部分の腕前に完全に依存している。

原発事故の汚染水処理を首相の「アンダーコントロール」の脳天気なひとことで片付いたことにしてしまえる風土では政治なんて存在のしようがない。

日本の歴史を後ずさりしてみると、60年代後半の、ほんのわずかな期間、「政治」が姿を顕します。

自分の生活をもたない学生たちが、しかし、敬意をもって労働者や農民と話をしたり、必死に考えることによって、「生活」への想像力をもとうとした。

一種、日本版ナロードニキのような志をもっていた。

いま就活、などというが、日本社会は、大学卒業後の一斉就職という世界の奇習をうまく利用して、この学生たちのあいだから生まれた「政治」の萌芽を一蹴する。

軽く踏みにじって根絶やしにしてしまいます。

就職を拒否された、あるいは拒絶した学生たちは、あるいは時間労働で糊口を凌ぎ、あるいは日本の教育の歪みのなかで巨利を博していた予備校や塾に潜り込んで、日本社会に呑み込まれないまま、弾き出されないまま、人生を全うしようとする。

簡単に想像がつくように、いったんは糊口をしのいで、なんとか流民として生きられるかに見えた彼らは、結局は年齢を重ねるにつれて、びっくりするような数で自殺者をだす。

そのあとに生まれたのが生活と政治を切り離した現代の日本の荒野で、

政治は、なんだかガチャガチャ音がする正義ヒーローを気取る子供おとなたちの政治ごっこみたいなものになって、ひどいのになると市民運動で生活の資を得ようとする人までいる。

どうすればいいのか?

どうすれば変わっていけるだろうか?

それはですね。

まったくヘンテコリンなことを言うようだけど、自分の生活を誠実に生きればいいのですよ。

日本に政治が存在しないのは、個人に生活の実質が存在しないからでしょう。

特に男のひとたちが、家事や育児のような生活の根底部分からすら自分を切り離して、「生活を捨てた兵士の暮らし」に没入してしまっている例が多いようにおもえます。

まだ日本語ツイッタに多少の期待を持っていたころ、自分でつくった料理の画像をアップロードするひとたちがいて、料理というものが、どれほど人間性や生活の内容を曝け出してしまうものか、文体どころではなくて、びっくりしてしまったことがあった。

名前をだすと怒るかもしれないが、

巖谷國士さんや金沢百枝さん、田村均さん、ミラノの工業デザイナーのヒロシさんが見せてくれる手料理は、もうテキストなどなにもなしで、誠実で豊かな人間性があらわれていた。

最近では、カナさんという、本人によれば市井の人が「ビストロ・カナ」という名前を付けてツイートし続けていて、なんだか、見ていてうっとりしてしまうほど豊かな詩情がある皿が並んでいる。

数字で簡単に言って、複数の家政を手伝うひとに囲まれて暮らしているのでもなければ、仕事に使う時間よりも家事に使う時間のほうが短い人間が、最後まで人間でいられるわけがない。

生活の実質は、(チョー当たり前だが)生活から生まれる。

その生活が様々に跋扈して、初めて政治へ向かう社会の萌芽がうまれるのでしょう。

もちろん、職業も生活の一部で、自分の研究から、危機を感じて、勇気をふるい起こして中国の習近平政権への批判を始めた阿古智子 @tomoko_ako さんなどは、職業が人間を自然なやりかたで政治に向かわせる、良い例だとおもわれる

百年か二百年か、案外、聡明な日本の人たちのことだから、30年というような「あっというま」に成し遂げてしまうか。

まず自分の生活をもたなければ、自分もなく、政治もなく、社会もないのだとおもってます。



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14 replies

  1. Thank you.

  2. 書いてくれてありがとう。戦後になって、日本が十分豊かになった後でさえ、男性が「生活を捨てた兵士の暮らし」のままだったのが、よくなかった。それを長年許してきた女性(母親)にも責任の一部はあると思うが。しかし、20年くらい前は男性がスーパーで買物をしているだけで、ジロジロと見られたが、いまじゃまったくそんなことはないから、ゆっくりだが変わっていることだけは確か。

    • あらトシコさん。実際は経済さえ生活がないことに起因して消費が落ち込んで成り立たなくなっている面もあるのですよね。個人の生活がない社会の壁にぶつかっているのでしょう

  3. これだけきちんと日本に左右の差がないことを説明できた文章は見たことがない。というか、政治が存在しないことをきちんと喝破している文章は見たことがない。

    いまの政治の世界を見ていると、ウルトラマンや仮面ライダーのコピーだったオウム真理教がやっていたことと変わらない。

    ドラマの世界じゃないから、仮想敵を作るしかなく、そのマッチポンプで政治がドラマのように動いているけど、最後は何もない。

    日本の人は、生活ではなく、ドラマを夢見て生きているのだと思います。
    だから現実感がない。

    • オウム真理教は外から観ると、日本の要点の整理みたいな教団で、日本そのものですよね。
      日本の人の現実を忌んで直視せずにみなで微笑んで暮らしたいという正当な欲望は怪物社会を生んでしまった。

      左翼なんて存在しないのに仮面ライダーの演者達を左翼と呼ぶことで、政治思考能力がまったく機能しなくなった、というところもあるでしょう。

      手の施しようがなくなったまま社会は危篤状態に至ってしまっているのかも

      • ガメさん、日本の会社の中にいて変貌ぶりを観察しながら思うことは、ドラマの世界の幻想に住む人の居場所が急速になくなりつつあることです。

        ある意味、強制的かつ暴力的に、しかも非常に静かに居場所がなくなっていってる。

        ネット上の一部のひとの暴走や暴力は、居場所がなくなることに対する抵抗なんじゃないかと自分は思ってます。

      • みんな気の毒だから言わないだけで彼らが「人生の敗者」なのは知っているとおもいますよ。

  4. 日本人と政治の関係を分析した分かり易い適切な良い良い文章です。イタリアやフランスも左翼勢力は残存し今盛んな黄色チョッキ・デモやこの先ストの行動を支援している、彼らは生き残るのに必死。その反対が世話の焼ける極右翼の存在、今の一般大衆が嫌だが移民排斥党に惹かれるのは現実生活から移民からの被害が大き過ぎて、あ〜あ、と言う感じで主義・理想とかけ離れてリアル生活から分析すると納得できる点もある。一方日本は左翼が強く日教組など人気あったが、安保出現とともに逆転して今は何処におわす?的。一般の日本人は政治には子供の頃から主義・主張には近づかない習慣・教育で大人になり、かつ強制(軍隊式)学生から強制会社員に至るので個人生活は無くTVドラマで仮の生活を洗脳されているみたい、政治が生活と共生してない封建未成熟社会、それゆえに将来は変われるかも?の期待があるんだけど〜

  5. これを読んで気づいたことですが、日本の派遣業というのは排外的な拝金主義を突き詰めた社会での、ほとんど論理的な帰結なんですね。

  6. ここで生活を取り戻したよ。

    記事を読んで考えた、果たして自分の命や健康がリアルに脅かされながら、生活をもつことはできるのだろうか、と。
    自分が暮らしている国の政府が自分やましてや宝といわれているはずのこどもの命も健康もちっとも大事ととらえずに、なげやりなような態度でいることに気づいた時に、私の手から生活が奪われてしまった。
    いつもニュースに怒っていて、デモにでかけていって、一人で立っていた。
    そこで年長者の左翼と呼ばれる人々に会ったけれど、彼らは少しのことには驚きも感動もしないような疲れた皮膚と表情で、淡々と定期的に会合を持ちビラを配り署名を集めていた。

    私は彼らに混じって、連帯して、一緒に可能性を信じて生きたい、と思えなかった。
    私は活動をしたいんじゃない。私は自分と家族と幸せに不安なく生活がしたいだけで、
    地道な草の根活動の先にある政治を変え生活を良くしたいという目標に身を投じている間に短い人生が終わってしまうではないか。
    それに気づいて中途半端に”活動”は投げ出して、自分の生活を立て直そうとした。自分の人生が終わらないうちに安心して暮らす方法を探した。

    一方で命や健康を脅かされそれを管理するはずの政府がなげやりな態度でいるのに、そのことにしらんぷりをすることで「丁寧な暮らし」を行いさえすれば幸せに暮らせるはずだ、なぜそうしないのか、という欺瞞にも耐えられなかった。

    怒りに自分の生活を喰われないで、と思う。
    一つ一つを忘れないぞ、許さないぞ、と思いながら、生活自体は奪わせないように。
    でも、このコロナ禍で日本では命や健康の危険が、誰にとっても冗談みたいに玄関に立っていて、それに慣れなくちゃいけなくて、難しくなっているのかな。どうなのだろうか。

    今ここで、このコロナ禍でもびっくりするほど感染者が少ない街の片隅暮らし、草木を育てて、こどもの成長を見守り、自然を楽しんで未来を思い描いている。
    そうする中で、もう少し社会と自分が関わる方法があるかもしれないな、そうしてみてもいいかもしれないな、とぼんやりとした考えが、心に自然と浮かんできたのがここ最近のことです。

  7. これを読んで、病んで仕事が出来なくなってから自分は初めて人間になれたのかなあ、と考えました。怒り続けて潰れてしまった自覚があるので、ただ忘れずに許さずに、自分なりに家族とともに生活していければと思います。

  8. 私も許せないという思いにとらわれて子どもとの時間を減らしてはダメだなぁと思いました

  9. 驚いた自分にびっくりしたが、職業は生活の一部なんだなぁ。生活が職業の一部だと思ってた

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