(この記事は2011年4月10日に「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5」に掲載された記事の再掲載です)
ハーレムのアポロシアターへ行った。
わしが現代のミュージシャンのベスト20に絶対はいるべ、と思っているSalif Keitaのコンサートがあったからです。
途中のセントラルパークのすぐ北にあるやたらにおいしいエチオピア料理屋でアフリカ人の友達と待ち合わせをしていった。
民族衣装に身を包んだ奥さんはゴージャスで、大元はアフリカ人だが何代か前からイギリス人の旦那はデヘデヘしておる。
きらめくような生地の長いドレスに頭を高く巻いてドレスと同じ生地の大きなスカーフで頭をくるんでいる。
向こうから、歩いてくる友達の奥さんを見て、か、かっこいい、とみほれてしまいました。
モニとふたりでマジで見とれてしまった。
エチオピア料理屋では、もちろんフォークもスプーンも出てこない。
途中でなげだして、「すんまへん、フォークをください」ちゅうような軟弱なことをゆっているのはわしだけであって、他の3人はちゃんと薄灰色の片側が酸味で片側が酸味でないように伝統的な方法で焼き上げた、えもいわれない天上の味のパン(ジンバブエ人の友達は「あれは、悪魔の味だ」というが)をうまく使って食べている。
アフリカンブリティッシュ旦那が「ガメは、相変わらず、ぶっくらこくくらい不器用だな」とゆって笑っておる。
うるへー。
料理屋からアポロシアターまではハーレムを歩いていった。
街の様子がセントラルパークの南とは異なるのはあたりまえだが、この頃はアフリカ語で話しているひとがまた増えた。
120thまでは聞こえてくる言葉がアフリカ語のほうが英語より多い。
アポロシアターにつくとバーでワインを買う。
ねーちんが、なみなみと注いでくれます。
「おつり、いらないからね」と、わし。
「くれっていっても、あげないもん」
そーですか(^^)
アポロシアターなのだからあたりまえだが、働いているひとも皆アフリカンアメリカンのひとびとである。
わしは、何度も書いたが、不明な理由でアフリカンアメリカンのひとびとと相性がよい。
向こうも、ケミストリをビビビと感じるようで、どこにいても、アフリカンアメリカンとはすぐに友達になる。
「むかしのようにアフリカンアメリカンの綺麗な人と仲良くなりすぎてはいけません」とモニには深刻に厳命されておるし、実際、結婚まえのように、クラブで(酔っ払ってはいても)ふつーに話しているつもりでいるのに、いきなりチ○チンをぎゅっと握られてしまう、というようなことになると、モニさんに生活から蹴り出されてしまうので、十分、注意しておりまする。
アポロシアターとかにやってくると、そーゆー意味で緊張してしまう。
あんまりリラックスしすぎないように緊張するっちゅうのもヘンなものだが。
前座はアフロキューバンバンドという触れ込みのキューバ人たちのバンドで、メインのパーカッションのにーちゃんよりもピアノのねーちんのほうがよかった。
声もよかったし、リズム感もよかった。
アドリブにはいってもリズムが壊れなくて、原子時計みたいに正確です。
ピアノを弾いていて歌を歌っていて、なかなか出来る術ではない。
アポロシアターは、デザイン的に無茶苦茶カッチョイイ劇場だが、セキュリティが悪いのとPAがボロイので有名でもある。
初めは英語で話していたのに途中からめんどくさくなってフランス語になっちったチョーえーかげんな司会の雄叫びと一緒に、バックコーラスのかっこいいねーちんふたりが踊りながら歌いだして、相変わらず白装束のサリフ・ケイタがあらわれると日本語では表現できないroarが、劇場に響き渡る。
サリフケイタは不思議なひとだ。
抜群のリズムで出来た曲を書くのに、その曲を歌うときには小さなステップひとつ踏まない。
北島三郎が「東京だぜ、おっかさん」を歌うよう、というか、三波春男が「東京ちゃんちきおけさ」を歌っているときみたい、というか、棒立ちで歌う。
バンドはのりまくり踊りまくりステップ踏みまくりで演奏しているのに、サリフケイタは棒立ちのままです。
しかも、ぶっ壊れたアポロシアターのPA。
割れる音。
割れる、声。
でも、この神秘的なほど音楽の才能に恵まれたひとは、さっきまでセキュリティがあまいのを良いことに写真を撮りまくり、フラッシュ焚きまくり、ビデオまで撮りまくりだった観客の胸ぐらを音楽の腕でとらえて、カメラをしまわせてしまう。
さっきまで、わしらの斜め後ろでフラッシュを焚きまくっていたフランス人の女びとの二人連れがいまは涙をためてサリフケイタの歌声に陶酔している。
曲がアップテンポになると、ドル札を握りしめた人々が舞台に次に次に上がってきて、サリフケイタの頭の上から札の雨を降らしたり、そのまま舞台に残って踊り狂ったりしておる。
アフリカ人やアフリカンアメリカンが、ここぞと勝負に出たときのダンスはふつうの人間の想像を絶していて、黒人種がマジの実力をだしたときの迫力のあるダンスに欧州人たち(書くのを忘れたがサリフケイタは大陸欧州のスターでんねん)が一瞬息を呑んでおる。
それから、いっせいにたちあがって拍手をします。
楽しい夜どした。
帰りにわしは、ハーレムのある場所に友達を訪ねていって、また遊ぼうぜ、をしにいった。
モニを紹介した。
「なんなんだよ、おまえは、急にいなくなっちまったと思ったら、なんの連絡もなくまた現れて、おれたちを泣かせるなんてひどいじゃないか」とゆいながら、久闊を叙した。
なんだか、わしは家出少年になったような気がしました。
わしらのあいだに横たわる長い物語をここで日本語で書く気はしないが、アポロシアターに来たついでに、ついにわしは和解をはたしてしまった。
さしまわしてくれたリムジンのなかで冷蔵庫のなかのハーフボトルのシャンパンを飲みながら、わしはわしの世界に帰ってきた幸福をかみしめた。
モニと結婚したからとゆって、あきらめる必要はなかったのだな。
ひとつ、新しく学習してもた。
でわ
画像はアポロシアターの舞台でんがな。この「APOLLO」ちゅう戒名書いた卒塔婆みたいなんは、知っている人は知っている、上にあがりますねん。
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こういうエッセイ、好きです。
ちなみに高校生のときはYossou N’Dourが好きでした。Salif Keitaを初めて聴いたのは大学生のとき。
アフリカ音楽のリズムがスッと自分の中に入って行ったのは、子供時代にタクシーの中でGilberto GilやJorge Ben Jorの曲を聴いてたからかもしれません。
いまになって考えてみると、Gilberto GilのExpresso 2222というアルバムは、特に僕に影響を与えていたのだと気づきました。
Gilberto Gil – Expresso 2222 Globo 1972 Reedicao®
> https://www.youtube.com/watch?v=KQUAVNSuU2g
Jorge Ben Jor – Taj Mahal
> https://www.youtube.com/watch?v=rfrpOhC6858
僕にはアフリカに野球を広めるための活動の中で知り合った、18年来のナイジェリア人の友人がいます。新宿三丁目でバーやってて、料理がおいしいので、雑誌に何度も出たし、番組終了する前までに「笑っていいとも」に料理持って2回登場したこともあります。
僕がそのバー、エソギエに通っているのは、僕が子供のときに食べていた料理、Acarajéに一番近い料理、akaraがあるからです。
Acarajé
> https://www.tastemade.com/videos/acaraje-recipe/
Akara
> https://cheflolaskitchen.com/akara-acaraje/
ブラックパンサーナイト、読んでピンとくるものがあったんですが、アフリカ話はまとめてこちらへ。
次回作も楽しみです。