(この記事は2018年3月13日に「ガメ・オベール日本語練習帳 ver.5」に掲載された記事の再掲載です)
スライダーという。
ハンバーガーが、ままごとサイズになったみたいなサンドイッチです。
ハンバーガーが一口でまるごと食べられるサイズになって、三つ、お行儀良くならんでいる。
他にはチキンピザとカラマリを頼んだ。
ワインはChurch RoadのMcDonaldシリーズのシラズを一本。
リクライニングになっている深いカウチに腰掛けてトレイに並んだ食べ物をたべながらワインを飲んでいると、メルボルンのIMAXにもっとでっかいのが出来るまでは「南半球最大」と称していた巨大なスクリーンに
Marvel Studio
の文字が出ます。
はっはっは。
そー。
ブラックパンサーを観にきたのさ。
アフリカ系アメリカ人の友達が、すっかりコーフンしてスカイプをかけてきて、珍しくビデオをいれようというから、いいよ、と述べて、ああなんてなつかしい顔だろう、ニューヨークにいれば、この顔を間近に観ながらランチが食べられたのに、と考えていたら、いかにブラックパンサーが素晴らしいか、感動的であるか、ネタバレにつぐネタバレで、ぼくはネタバレを気にしないので、別にいいけど、主要人物の死に様まで、微に入り細をうがって説明してどーするんだ、と思いながら、それでも、観に行かねばならんのね、要するに、と考えていたら、さよならのあとに、やおら腕を胸の前でクロスして挨拶してスカイプが切れた。
ぶははは。
それでビデオ・オンだったのか、ガキみてえ、あんたも35歳になって、大学の準教授でしょうがね、と笑った。
素晴らしい映画だった。
わしの日本語ベースのツイッタアカウントの数が少ない英語ツイッタ友達であるRowenaと短いやりとりを、ここに貼っておく。
アフリカ系のひとびとの感動は、なぜか、映画を観ればわかる。
そこに描かれているアフリカは、マーヴェル的な近未来装飾を剥がしてしまえば、「そうあらねばならないアフリカ」そのものであって、ツイートにも書いたように、現実には2050年にアフリカがブラックパンサーがヴィジョンを与える「誇り高いアフリカ」が存在しなければ、このブログ記事になんども書いたように、世界は滅びるしかないのでもある。
暗闇のなかで涙をぬぐっていたわしを、モニさんが、いつものやさしい眼差しで見ていたのを知っている。
モニさんと会う前のわしがアフリカ系アメリカ人のコミュニティと関係が深くて、会っては、うまく気持があわなくて大喧嘩して別れてしたりした、その頃のガールフレンドにはアフリカン・アメリカンの人たちがいたのもモニさんは知っている。
投資でも、これはとおもうアフリカ人の会社に投資していたりして、まるで前世はアフリカの人であったかのようにアフリカに肩入れして、変わり者あつかいされたり、ひどい場合には、そんなことを言うやつは自分の頭がいかれているに決まっているが「白人種の敵」呼ばわりする人もいる。
だから、モニさんは、(他のすべてのこととおなじように)、なぜわしが泣いているのか、ぬぐってもぬぐっても出てくる涙に頬を濡らしているのか、よく知っている。
たかがMarvelムービーでないか、と訳知り顔で述べる人がいそうだが、そうではないのです。
ブラックパンサーには、アフリカ人が奴隷船の船底で夢見た自分たちの「真の姿」が、白い警官に警棒でぶちのめされて顔を押しつけられたアスファルトをなめさせながら、信じたアフリカン・アメリカンが「知っている」自分たちの「真の姿」がある。
彼らの魂のなかにだけあったワカンダが、可視化されて、アフリカの荒野に姿を現している。
未来が映画のスクリプトをとおして現出している。
最後のタイトルバックが終わっても、ぼくはまだ泣いていて、モニさんは、それが当然であるように横に静かに座っている。
もう誰もいなくなった館内に、隠された結末である国連のシーンが流れています。
居並ぶ白い人や黄色い人の皮肉な表情をみればわかる。
この世界がスタティックで、戦わない人間が正義だった時代は終わってしまった。
戦う人間だけが人間として生きてゆく権利をもっている世界の到来を、この映画は告げている。
世界のうえには、有史以来、いくつかのパワーセンターがあって、当然のことながら、500年前ならば、パワーの中心も少なく、衝突なく伸長して、人間はスタティックな安定のなかで平和裡に成長することができた。
その自由伸長の時代が初めに終わりを告げたのは中国を中心とした東アジアと欧州で、これらの地域では他と戦争という形で争わなければ伸長はかなわなかった。
二度の世界大戦と冷戦を経て、いまは、地球の資源の全量が人類を養えなくなる2050年あたりをめざして肘でお互いを押しのけるような資源の獲得合戦が続いている。
リードしているのは、最も先を見通す文明としての能力をもった中国で、アフリカ大陸でもオーストラリア大陸でも、南アメリカでも、あるいはフィジーのような「取るに足らない」とされてきた島嶼であってすら、中国資本はミネラルをはじめとして、資源を押さえて、アメリカの銀行の貪欲につけこんで、アメリカの危篤の権益さえ容赦なく奪い取っている。
「戦わなければ生きていけない世界」は、もうエントランスに立ってドアを立っていて、世界中の人間という人間に思考の変革を強要しているが、アフリカ人たちは、極く自然にそれを受け入れて、男も女も、持ち前の戦士としての能力を使えばいいだけなのだと教えている。
素晴らしい映画だった。
Marvelに、例えばThe Lunchboxのような洗練とsubtleな表現に満ちた映画を求めるわけにはいかないのは当たり前だが、少なくとも、この映画は、われわれの(焦眉の)2050年という近未来へのヴィジョンを与えてくれる。
館内の照明のスイッチがいれられて、モニさんとわしがゆっくり起ち上がって出口に向かうと、トレイや皿を片付けるにーちゃんが出口で待ちかまえていて、ワゴンを押しながら、「いい映画だったろう? おれはアフリカ人になりたくなったよ」と言って、モニとわしを笑わせた。
アフリカ人たちは、遠からず必ず、キンシャサかダーバンか、彼らのワカンダをもつだろう。
そのときは、ぼくも行って建設に参加しなければ。
ワカンダに乾杯!
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この動画、見た?本編からはカットされてしまったようなのだけど。
https://youtu.be/jsOun4fQ0PM
大好きなのこれ。
あんな美しい人があんなに早く逝ってしまってだから美しかったのか、とさえ、未だにわたしたちはチャドウィックについて語ります。