レベル4ロックダウン 最終篇 海へ帰る

817日から続いてきたレベル4ロックダウン、またの名を座敷牢ロックダウンが、来週の水曜日に終わることになった。

今回は、レベルを変えるかどうか月曜日にアナウンスメントをする、という方法を採らずに、前もって、よほどのことがないかぎり、レベル3に下げる、というやりかたです。

永遠にレベル4をやっているわけにはいかない、ワクチンもデンマークから50万本の買い入れに成功したりして、やっと目途がついたので90%以上の接種率になる見通しがついたから、ということだったが、あんまり政府が言いたくないことを言えば、経済的にも限界が来て、国民のほうも、全体が「これ以上は無理だ」と暗黙の合意が出来たところで、例えば今日の発表によると、新規感染が13例でていて、そのうちの1例はいままでに判明している感染経路とのつながりが未解明で、過去2週間に発見された感染例とあわせて10例がまだ感染経路解明中、ということになります。

デルタ型変異株は予想以上に手強かった。

政府が当初考えていたような短いレベル4ロックダウンでパチッと市中感染をゼロにする、というわけに行かなかったのは、やはりデルタ型の桁外れの感染力に社会が勝てなかったということで、残念だし、フラストレーションがつのるが、お隣のオーストラリアは、中央政府が主導するニュージーランドとは異なって州政府が主導だが、NSW(ニューサウスウエールズ州。シドニーは、この州にあります)が手を打つのがほんの少し後手にまわっただけで、たいへんなことになっていて、毎日1200 1300という数で新規感染者が出て、州知事は当初eliminationで臨んだ政策を投げ出してしまい、ワクチンだけで制圧すると言い出して、毎日のプレスコンファレンスまで止めてしまった。

それに較べりゃ、なんぼかマシだぜ、というのがニュージーランド人の一般的な気持ちで、苦しくなると周りを見渡して、「あれよりはマシ」と考える人間の性(さが)というものが万国共通であるのがわかって、面白くなくもない。

ニュージーランドは、余計なことを言わない昔の連合王国の美風がまだ残っている国で、不満があっても、自分の気持ちに納めて、自分たちが選んだ政府なのだから文句のいいようによっては自分たちの市民としての沽券に関わる、という気持ちもあって、政府がどうのこうの、閣僚がどうのこうの、と言わない国民性だが、鬱屈と欲求不満が高まっているのは、お互いの眼にはあきらかで、前回も描いたが、depressionbulimarexiaanorexia、あらゆる精神の不調の数が飛躍的に増えて、まだ統計は出てこないが、今回は自殺者も多そうです。

特にオークランドは、世界でも珍しいくらい厳格なロックダウンなので、座敷牢にいれられたようなもので、気が狂いそうになるのでしょう、あの手この手で脱出を図る人もあらわれて、このあいだ述べたカップルのように「高官の息子とガールフレンド」がワナカに脱出してしまうような事件も起きた。

あんまり日本の人には興味がなさそうな、この事件について、道草で、書いておくと、ニュージーランドのような、もともとは労働者階級が集ってつくった、若い国でも、上流社会みたいなものはあって、そういう社会のgossipyな属性も世界共通で、ほんとうのことをいうと、カップルが雇った、めっちゃ弁護士料が高い、高名な弁護士のおばちゃんが勝ち取った、というかもぎとった「名前を伏せる」name suppressionにも関わらず、なんか、あのヘンな人、世捨て人なんじゃないの?と言われている、わしでも、とっくの昔に名前を知っていて、絶交されたり、そのうちにはサークルの外に名前を「ちくる」人まで現れて、耐えかねたカップルは「善意の過ち」であったことを強調するジェスチャーとして、進んで名前を公開することになった。

正体は馬術の、というよりも上流社会の色男で有名なWilliam Willisと野心家の26歳の、かわいいちゃん法廷弁護士Hannah Rawnsleyで、このWilliam Willisという人は、母親が高名な判事のMary-Beth Sharpであるのが、ニュージーランド人たちの憤激を、いやがおうにも煽ったのでした。

ニュージーランドのような社会では、地位が高い人間や、そのファミリーメンバーが、こっそり狡いことをするというのは、たいへんなスキャンダルです。

まだ名前が伏せられているときから、こっそり、日系キィウィの晩秋と、

「あれは、もうあかんな。かーちゃん、泣いとるで」とゴシップ話の一環として、隠秘な会話を交わしていたが、いったん名前が公開されると、もうたいへんで、

判事と直截fxxxして昇進するのはヤバいが、そーか、息子とfxxkするという手があったのね。さすが26歳で弁護士になる女は頭がいい、というような発言が氾濫することになった。

期せずして、人身御供で、鬱屈した国民のガス抜きになった観がありました。

当の本人たちが属する社会では、当たり前だが、名指しで罵る人はいなくて、ごく静穏に構えているが、事の成り行きは、ニュージーランドは、日本のように不正や狡猾に寛容な社会ではないので、ふたりとも将来がゼロになったのは明らかで、アメリカに行くかな?それとも近場のオーストラリアでも大丈夫だと踏むだろうか?とボソッと呟く人がいるていどのことだった。

レベル3ではボートを海にだすことは出来ない。

無理矢理でていけばコーストガードの快速船が、すっとんでくるでしょうが、ヨットやボートのコミュニティは、お互いをよく知っているので、そもそもボーティングが続けられなくなってしまう。

でもマリーナは開くので、湿気ったポテチを救出に行く計画を立てています。

このブログが始まる前は、海の人で、人間も陸地も見えないブルーウォーターにでると、幸福がこみあげてきて、なにもない海原の真っ只中で、相好をくずして、デヘヘヘヘへと笑う、ブキミな若者だった、わしは、子育てで、小さいひとたちが攀じ登るジャングルジムの大役を仰せつかって、無事やり終えたので、またもともとのバカタレな若者にもどってゆくもののようです。

もう「若者」じゃないけどね。

いいんですよ。

世間のひとびとといううるさい鏡がなければ、人間は何歳にでもなれるの。

日本語はおもわぬところで助けてくれて、他の諸々の言語と一緒に、twitterでありブログであり、フォーラムであり、いろいろな場所で、無駄話に熱中している期間中に、意外のことにやありけん、今回はバカタレなひとびとの姿も見ずにすんで、暇潰しという人生の最重要事というか、本質の時間を過ごすことに貢献してくれたので、とても感謝している。

日本語Twitterでいえば、いまは自分の頭のなかで組み立てたややこしい理屈はすべて捨てて、お友達=フォローしているひとびとで、年長のひとも同年代の人もいるが、DMで年柄年中楽しい話に耽っては、コロナの鬱陶しい部屋の窓を開けて換気している。

ここに並んでいる人数だけが友達なのでは、もちろんなくて、日本語人なのに、なぜかフランスに住んでいてフランス語の本を書いて出版して暮らしている友達や、ミラノで工業デザイナーをしているのに、日本を心から愛していて、どうしても「日本はおかしいじゃないか」と述べてしまう友達、数人を数えるにいたったひとたちと一緒に、日本語の野原を歩いていけるといいなあ、とおもっています。

もう外国語としての日本語に限界があるかどうかも、どうでもよくなってしまった。

ブルーウォーターにいれば、人間は考える葦でも考えない葭でも、なんということはなくて、要するに圧倒的な地球の自然の有機物の、まぐれあたりにしかすぎない。

まぐれあたりが意識を持つようになって、なんとなくえばってみても、誰もほめてくれなくて、ひとりぼっちで、途方にくれながら暮らしてゆくだけなのでしょう。

レベル2にならなければ船は出せないが、マリーナが開いてしまえば、こっちのもので、出港の準備だけで、あっというまに時間は経ってしまう。

日本語にも、もちろん、友達に会いに、ちゃんと戻ってくるよ。

では。



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2 replies

  1. おー!よかったねえ。
    こっちは久しぶりに貰った作曲の仕事でうんうんうなってたところからようやく光明が見えてきて今日こそは気持ちよく眠れそう。

    海、いいなぁーーー

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