オークランド人は長引くレベル4ロックダウンで全員ヘロヘロになっている。
高名な判事のおばちゃんの息子と若い法廷弁護士のカップルがレベル4のオークランドをインチキに脱出してクイーンズタウンにスキー旅行に行った事件は、国を覆う大スキャンダルになったが、そのあともウエリントンに不倫旅行(オークランドはホテル閉まってるからね)に行ったカップルや、自家用だかチャーター便だかのプライベートジェットでクイーンズタウンの友達の家に遊びに行ったカップル、何件かのオークランド脱出旅行が摘発されて逮捕されたが、ほんとうはクルマに乗って近所のビーチへ出かけて散歩、というのも違法なのだけれど、今朝の新聞をみると、わし家からあんまり遠くないミッションベイという浜辺などは、人間でごった返していて、世間の反応も、そういう軽率な行動は危険でワガママである、と言いながらも、「仕方がないよな」に変わってきています。
わし家からは、ホブソンズベイは楽に歩いていける所にある。
いつか話した、宮崎駿の「Spirited away」(また忘れたので、いま調べたら「千と千尋の神隠し」だった。なんちゅうおぼえにくい題名でしょう)に出てくる「水を渡る電車」に、そっくりの線路が汽水を横切って延びているところです。
マングローブを縫って続くボードウォークもあります。
でも、なあんとなく人とすれ違うのが嫌なので、自分の庭を散歩するだけで、すませてしまう。
一応、水曜日からレベル3に変わって外出くらいは普通に出来るようになることになっているが、昨日も20人で、なかなか新規感染者が減らないので、経路不明感染者がゼロにならない場合は、「やっぱやめた。レベル4、続ける」になるやもしれぬ、と政府勤めのにーちゃんが言っていたりして、今回は一回目のコロナ根絶のようにスマートにいけなくて、ガビンの連続であるのも、ヘロヘロの原因なのでしょう。
もっかは、「いったんレベル3にして、ダメそうだったら十月に、もう一回レベル4にもどす」という線で考えているようだが、その場合、メルボルンなみに数ヶ月、ということになりそうなので、レベル3で大脱出が起きるかもしれません。
8月まではハッピーチャッピーな国だったのに、一転、グルーミィィィーな国になって、ゆーうつなことだと思っていたら、今度は、南アフリカからニュージーランドに移住してきたばかりの医師の女の人が6歳と2歳の双子の3人の娘を殺して、自分も自殺を未遂する、という大事件が起きてしまった。
夫も医師で、コロナ禍でも、必要不可欠な職業の移民だという理由で滞在許可は待たずに即座に発行されて、家も病院が準備、提供した無料の住宅で、移民としては最高度の歓待で越してきて、わずか一週間で起きた惨劇でした。
どうも話を聴いていると、「根無し草になった不安」が原因であるらしい。
南アフリカという国は、住み込みのお手伝いさんや、庭師乳母がいるのがあたりまえの国で、わし友は、自分たちで家事をやらなければならない、とんでもないビンボ暮らしのニュージーランドにぶっくらこいた、結婚した南アフリカの女の人に捨てられて離婚したが、このカップルも、ニュージーランドでも、家事を手伝う人も乳母も用意してはもらったものの、なにしろニュージーランド人は、おなじ家事手伝いや乳母でも、簡単にいえば雇い主と対等の態度なので、ずいぶん南アフリカとは勝手が違ったでしょう。
多少でも日本の人に判りやすい例でいえば、アメリカの南部から北部の大都市に越した家族と似ている、といえばいいだろうか。
コモ湖に面したチェルノブルの実家の別荘の近所の南アフリカ人家族のホリデイ・ホームにも制服を着せられた家事手伝いの女の人達がいたが、おなじ家事手伝い、と言っても、ジーンズでクルマを運転してやってくるニュージーランドの家事手伝いのひとたちとは、呼び名はおなじでも、ずいぶん違うものです。
日本語のネットでは、日本の人で、移住後のつらさを述べると、「ほおれ見たことか、日本人は日本にいるのがいちばんなんだよ」と言い出すバカタレがいることが容易に想像されて、日本の人の、移住後の落ち着かない気持ちや、寂しさを知るためには、英語のexpatサイトに出かけてみるしかないが、やはり数多い書き込みがあって、同国人に判ってもらえない移住のつらさを国籍が異なって、同じ環境にあるひとびとと分け合っている。
ほんとうは、当たり前のことなのだから、同じ日本語人同士で話しあえばいいようなものだが、十年以上、日本語ネット世界を眺めてきて、気持ちがわかってしまうというか、あんなヘンなのがいっぱいいるんじゃ、英語サイトに行くしかないよね、たしかに、と考えます。
いちど、オーストラリアに移住して、適応が難しくて、日本に戻ってしまった人と話したことがあったが、
「わたしは新潟の山奥の出身なんですけど、田舎の人間っていうのは、東京に出た人間が失敗して戻ってくるのをみるのが、嬉しくて仕方がないんですよね。それと同じなんですよ、外国に移住してゆく同胞を見る日本人の眼って」と述べていたが、案外、そういうことなのかもしれません。
移住して、ここが第二の故郷だった、やっぱり来てよかった、という人は矢張りまず、その国の言語がわかる、という最低条件があるようです。
十年たっても二十年たっても、ツイッタやなんかで日本語人とばかり話しているような人は、日本の人に向かっては、当然、英語がわかることになっているが、その実、単語を「拾い聞き」している人がおおくて、特に日本語では秀才ほど、その傾向が強いらしくて、例えば日本の外交官の英語は、ぎょっとするようなのが多くて、尖閣をめぐるテレビ討論の番組でも、相手の中国の外交官と較べて、残念ながら三段くらい劣っている。
移住も第二世代になると日本の人も中国の人も、北欧人もドイツ人も区別がつかないので、当たり前だが、こういう言語能力の差は、社会、とりわけ教育の問題であるようです。
居直って「外国人として英語国で暮らす」という手はある。
掘りごたつをつくって、風呂場も日本式に改築して、普段は日本語で生活する。
いまはインターネットが発達しているので、「遠隔日本人」みたいなもので、ひとり、日本で脱税して、追徴金が怖くてニュージーランドに来ている人と、話してみたことがあるが、あれはあれで、楽しいのかも知れない、と考えました。
自分自身は、特に移住するつもりがあったわけではないので、例として持ち出すのはフェアでないが、日本に五年十一回の十全外人計画で遠征を行った経験から、移住した人が、ふとしたときに感じる、孤独感、というのでもない、寂しさでもない、なあんとなく、ふらふらとしてしまう感じというのは全く想像がつかないわけではない。
基本的に移住して定着してゆく人に対しては、尊敬する気持ちを持っていて、なにしろ自分は、単なる、誰に頼まれもしない勝手で最長数ヶ月いたくらいのことなのに、振り返って考えると、完全にホームシックを起こして、毎日いらいらしていた。
日本語をいくら自然に聞こえるように努めて話してもガイジンとしてしか扱われない、というようなことは、移住しにきたわけでもなくて、たいして気にならなかったが、なんだか、自分が背景から切り離されて、根の付きようがない土壌にポンと置かれたような、どういえばいいのか、「なんでここにいるんだろう」という気持ちが毎日膨らんでいったのをおぼえています。
ニュージーランドは成り立ちが特殊な国で、イギリス人のやること、というか、移住するに先立って、町をまるごと輸出する、というヘンなやり方をした。
最近は、また、「中国人は自分たちばかりで固まって、中国みたいな町をつくりやがって」とヒソヒソと話す人が増えたが、はっはっは、そういう自分のご先祖は、クライストチャーチを見れば良い、町のまんなかに教会どころか聖堂をおったて、まだ二十世紀にもならないのに、トラムを走らせ、広大な公園をつくって、イングランドの西部のどっかと言われても信じてしまうような町をまるごと輸出して、移住させてしまった。
欧州人に一般的な考え方かもしれなくて、ブラジルに行けば、ドイツ系人が未だにドイツ語で話してビアフェスまで開いている町があって、アメリカという価値への同化を踏み絵にしているアメリカでさえ、カンザスの田舎には、ついこのあいだまで英語がまったく通じない、スウェーデン語しか話さない村が、あちこちに点在していた。
軽井沢は土地が痩せていて、福島や群馬から豊潤な黒土を買って来て土壌を改善する。
そういうことに似ているのかも知れません。
移住先で適応できない人の特徴は、生活の細部に拘ってテキトーになれない人で、いちど日本の人の家に招かれた義理叔父が、その家の白い人の家主が靴を履いてとおったあとを、家主が立ち去った後、足跡が残っているわけでもないのに、顔をしかめて丁寧に雑巾で拭いていた、その家の奥さんを見ていて、
「こりゃ、ダメかもしれんな」とおもった話をしてくれたが、そのとおりで、
細部を楽しめない人は、その国全体も楽しめないもののようであるようです。
なんでこんなことを書いているのかというと、海外へ移住する日本人が目立って増えた、という記事と、コロナ禍で、あるいは仕事がなくなり、あるいは貸家を追い出されて、嫌になって、日本へ帰る人が多い、という日本語記事を見たからです。
英語側でも、政府単位ですら、状況が厳しくなると、態度も変わるのに、うんざりして、移民のひとびとが故国に戻ってしまう現象が話題になっている。
最近のアジア人への反発で社会の態度が一挙に冷たくなったアジアの人だけでなくて、例えば、ニュージーランドでも、ビザの発行が遅れている連合王国人の医師が、故国に帰ることになった、という記事が出ていた。
ストレスがたまってくると、見ず知らずの人間に対して嫌がらせをするバカタレは、どこの国にもいる。
よく、日本語で投稿される「人種差別」は、言葉の定義上、嫌なおもいをしたほうが人種差別なのだとおもえば、要するに人種差別で、間違いはないが、白い人のほうからみると、バカタレ心理はあきらかで、ほんとうは人種的優劣云々を信じているわけではなくて、アジアの人には人種を揶揄われたりするのが最もショックで、傷が深いのを知識として知っているから人種差別的な言動をする。
年寄りには年齢を、女の人には性を、それぞれ標的にするバカタレ攻撃定石に従っている。
理屈がわかっていても、嫌なものは嫌に決まっているが、バカタレと遭遇したことを忘れるには有効かもしれません。
人種差別は、差別する側のビョーキであって、要するに白い人の側の問題で、バカタレ病なので、言われるほうが気にすることではないようです。
どこかの国に移住した生活を楽しむには、「その国の人になりきろうとしないこと」「部外者でガイジンでもいいや、と気楽に構えること」
いくつかコツがあるようだけれども、要は自分が日本人だとおもわず、移住先の国の人間だともおもわず、自分は自分さ、と考えるのがよさそうです。
江戸時代に日本を追放されて「あら日本恋しや、ゆかしや、見たや、見たや」と手紙に書いたことにされて、日本に恋い焦がれて死んだことになっている「じゃがたらお春」は、最近ではインドネシア側で一生が解明されて、日本を恋しがったなんてのは、ぜんぜん嘘で、例の手紙も捏造で、現実の「お春さん」は、家事を手伝うひとびとや、奴隷すらも所有する富裕な女の人になって、日本にいたときよりも遙かに豊かな生活で、幸福な後半生をインドネシアで送って死んだことがわかっている。
お春さん、日本になんか居なくてよかったな、インドネシアは、あの意地の悪い、ビンボたらしい国に較べたら天国だわ、と考える日々のなかで、ふと、自分と富裕で幸せな暮らしのあいだに間隙があるのを感じたのか、感じなかったのか、
一緒に七人の子をなした、誠実な夫だったシモンセンは、オランダインド会社の有能な社員だったが、読んでいて平戸の生まれであることを知ったとき、ふと、お春さんの気持ちを考えたのをおもいだしていました。
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面白かったです。
さんきゅ。心配してた
締めの数段落が書き直しで読みやすくなった!
そういえば、StingのEnglishman in New Yorkも好きやねん。
在日コリアンである私は、日本にいてもはみ出し者でいるか日本人のふりをするかしかなく、閉鎖的な在日社会にも馴染めず、韓国でも『パンチョッパリ(チョッパリは日本人に対する蔑称でパンは半分の意)』なので故郷というものがない。
子どもの頃からずっと、疎外感というか自分の根っこがどこにもない感じがしていた。
だからどこで暮らそうがよそ者なのは同じ、だけど、フリをしなくても良い国にいる方がただ自分として生きられるので、だからここ(オーストラリア)は楽なのかと改めて思った。息が楽に吸える。
ただ食べ物だけは懐かしくなるので、たまには日本に「旅行」したい。それくらいの気持ち。
> 要は自分が日本人だとおもわず、移住先の国の人間だともおもわず、自分は自分さ、と考えるのがよさそうです。
オーストラリアはNZとも、まただいぶん異なっていて「みんな、よそもの」な感じですものね。食べ物は日本の食べ物だとメルボルンは、蕎麦でも鮨でもうどんでも、おいしい店がありますねえ。わし程度だと東京まで行かなくてもいいや、とおもう高いレベルです。あと香港/広東料理も程度が高い!韓国料理はNZのほうが、おいしい店が多いかな
なるほど、それで居心地が良いというのもあるんですね。
食べ物については、舌が覚えている「あの店のあの味」をまた食べたいなという懐かしむ気持ちが強いのかもしれません。
お店が無事残っていればいいのですが。
香港/広東料理はまだ食べたことがなかったのですが、程度が高いんですね。行けるようになったら試してみます!
メルボルンは全般的に美味しい街ですよね。
NZの韓国料理も食べてみたいなぁ。
自分にとって非常にタイムリーな記事でした・・・今朝読んだときには「Expatな人々」というタイトルだったと記憶してますが。
9月18日に日本を出国して、今ブリュッセルにいます。
移住、という大それたものではなくて、日本のサラリーマンの務め(悲哀)、海外駐在(単身赴任のExpat)の再始動です。
Covidのために2020年の春に日本に一時帰国して以来、自分と家族のワクチン接種完了を待って、17か月ぶりに戻りました。
到着後のPCR検査も無事に陰性で、今日、到着後初めてブリュッセルの街を歩きましたが、どこもかしこもマスクだらけの日本と違って、外ではマスク着用の人がほとんどいないことに驚いています(まあ、2020年春にCovidが流行り始めた時点でもマスクをしていたのは自分を含めほんの少数でしたが)。
街の規模にもかかわらず、すれ違う人々の会話に様々なアクセントのある英語と米語も多い外国人が多い街であることにあらためて気が付き、また適度な田舎感があるので、ヨーロッパの中では比較的「フリをしなくても良い街」の一つではないかと感じています。
ブリュッセルの感染者数は安定こそしているものの、人口比では欧州一かというほどの高止まりで、またワクチンは重症化防止には有効だが感染及び後遺症に対する完璧な防御策とはならないため、以前のようにこの街の日常生活を楽しむことは(比較的慎重な自分には)できないと考えていますが、「その国の人になりきろうとしないこと」「部外者でガイジンでもいいや、と気楽に構えること」・・・これを忘れずに少しでもここの生活を楽しもうと思います(こんな状況で家族と離れて暮らして何を楽しめるのか・・・言わずもがな、こういう気分に支配されるときもあるけど)。