モニさんは、少しだけ鬱症気味で、ホットタブのなかでも、暫く、じぃっと雲を見つめていたかとおもうと、「ああ、もう自分で嫌になる。調子が悪い」とため息をついたりしている。
ガイフォークスのころは、いつもそうだよ、と言うと、びっくりしたような顔で、「そうなのか?」と述べている
そうなんです。
わざわざ、そんなこといつもは言わないけどね。
自分自身、ガイフォークスの花火の音がうるさくて嫌いなので、そのころになると、耳を塞ぎたさそうな表情で、少し青ざめた顔になるモニさんの心配をするのが習慣になっている。
まさか現実になにかが起こるような心配をしているわけではないが、
なんとなく、傍にいたくて、スタジオで仕事をするモニさんの、脇にあるベンチに腰掛けて、猫さんたちと遊んで時間をつぶしたりする。
ときどきドアをノックして入っていって、ウエイターになりすまして、
「なにか、ご用命はございますか」と訊く。
「カフェオレをお願いします」
とでも言われれば筋斗雲に乗ってキッチンへ行って、いそいそとつくって、恭しく運びます。
モニさんは、いつものことで、
感に堪えたように、
「ああ、ガメがつくるカフェ・オレは、おいしいなあ。
結婚してよかった」という。
しめしめ、結婚前にカフェオレを特訓した甲斐があった、今度は遙か頭上からミルクとコーヒーをカップに流し込む、秘伝の技をみせちゃおうかしら。
ひとりだけの時は、荒天でも、案外、平気なもので、小さなオンボロヨットで高い波と強い風のなかに出かけて、ひゃっほーをしていたが、モニさんと結婚してからは、波が1メートルにでもなれば、高い波でも掻き分けて、どっしり進む、おおきな船しか出さないし、モニさんが多少でも鬱症気味だと看て取れば、水に近い、セミプレーニングの、船尾に腰掛けているだけで気が晴れるに決まっているボートで、海が凪いでいるときしか出かけないことにしている。
海は陸よりも季節の変化が判りやすい場所で、天候がまず異なるし、例えば釣りをすれば、魚があばれるエネルギーが異なる。
びっくりするような強いちからで、ちょっとおおきなキングフィッシュやスナッパーだと、油断すると、こちらが海に引き込まれそうな錯覚が起こります。
釣られた瞬間に気絶しているような冬の魚とは、まったく違っている。
結婚して、もう十二、三回目くらいの夏なのではないだろうか。
夏はバルセロナや南仏にいることが多くて、バルセロナにいればカバ(スペイン産のシャンペン)でつくった透きとおった黄金色のサングリアや、果物がどっさり入った赤ワインのサングリア、南仏の、例えばニースの郊外にいれば、冷たい、キンキンに冷えたロゼで、やはり冷たいメロンのスープで始まる夏のフルコースを食べた。
日本では夏は、もっと苛酷で、待避していた軽井沢からクルマを飛ばして買い物にやってくると、定宿だった帝国ホテルから冷房が入った地下道を通って有楽町に出るだけで、息も絶え絶えで、銀座の中心地に行くには、タクシーで行かなければ無理だった。
軽井沢でも、モニさんは、熱中症で倒れて、救急車で運ばれたことがあったし、わし自身も嘔気がこらえられなくなったことがあった。
まだ福島事故が起きる前に、到頭、日本を「東アジアでの根拠地」にするのを諦めて、広尾山と軽井沢と鎌倉に買ってあった家を引き払って、日本だけは早くから完全に撤収してしまった第一の理由だった。
気候の温暖化がすすむと、なんのことはない、最も夏が過ごしやすいのはニュージーランドで、このごろまた考え直そうかとおもっているが、クライストチャーチが最も夏は過ごしやすいが、オークランドでも、地上でも気温が30度になるのは稀で、湿気が多いと言っても、東京や軽井沢よりは、だいぶん穏やかな40%~50%内外で、オークランドを選んで住んでいる第一の理由の海の上では、夜は寒いのが通例で、涼しくて、夜風が気持ちがよくて、いちばんおおきな船には冷房が入っているが、他のヨットやボートは、ハッチを開いて、後部のドアを開け放っておけば、トランザムを閉めなくても、気持ちのよい風が吹き抜けていきます。
心配しているというより、なんだかニコニコして遊んでもらえなくてつまらないだけなのを、自分の気持ちのなかに発見して、我ながら、相変わらず、なんてわがままなんだろう、と感心してしまう。
モニさんの、美しいとしか形容が思い浮かばない横顔を眺めながら、夏の陽が指してきた後ろ甲板で、
「少しでも長く一緒にいたい。いつまで一緒にいられるかなあ」と思っていたら、まるでテレパシーが使える人のように
「心配しなくても、私はずっとガメと一緒にいるよ」という。
「二十年でも三十年でも、シワシワになって、ガメがうんざりしても、私はガメと一緒にいると知っているの」
そうなんですか?
そのとき、突然、モニさんの「あなたは、わたしが、どれほどあなたを愛しているか判っていないのよ」心のなかの声が聞こえたような気がして、びっくりして、モニさんの顔を見つめ直すと、モニさんがやさしい笑顔で頷いている。
生まれてからいままで、伝達に関しては不細工な出来の人間の言葉が
お互いに通じるものだとおもったことはなかったが、考え直してみたほうがいいのかもしれません。
一緒に暮らしだしたばかりの頃、ノーマッドで、ニューヨークからロンドン、ロンドンからバルセロナ、サンチャゴ・デ・コンポステーラ、カンヌ、ニース、パリ、ローマ、コモ、そこから更に東に向かって、イスタンブルのヨーロピアンサイドにアジアンサイド、世界中、ふたりでキャラバンを組むようにして、駱駝の背に揺られる隊商のように、照りつける太陽や、激しい雨のなかを、肩を並べて、ずっといままで歩いてきた。
ほんとうに、こんな幸福がいつまでも続くのか、と怯えるような気持ちで考えてきた。
モニとぼくの、ふたりだけの、ミーティングには特殊な、強い傾向があって、始まるころには、話しあいたい議題も、結論も判っていて、とっくの昔に、ふたつの心で別々に決めたことを、ダブルチェックするだけです。
モニ、ぼくらはどこに行くだろう。
自分で言うのは愚かだが、それでも、無理に言ってしまえば、きみとぼくは、なんにも不足がない生活で、ただひとが憧れる生活で、周りの人が羨んで、気持ちに曇りがある人は、「幸福がいつまでも続くといいですね」とまで言う。
ほんとは、きみとぼくが子供のときに暮らしたかった生活なだけで、要するに子供の夢の生活を送っているだけなんだけど、おかしなことに、いいとしこいて、ふたりとも、それだけで満足している。
欧州からは、そろそろ帰ってこい、と、だんだんうるさく言ってくるし、モニのパークアヴェニューの、あの美しいアパートも、モニの帰りを静まり返って待っている。
それでも、この世界の端っこで、社会の中心から遠いところで、ふたりで見つめ合って、深い水に飛び込んでは水面に駆け戻ってくるひとたちのように、小さな死を死んで、自分たちだけの「言葉」をつくりだす楽しさに夢中で、あと一週間、あと一日でいいから、少しでも長く、この暮らしをつづけたいと願ってきた。
あなたがいれば、よく考えて見ると、世界のどこにいたって、ぼくは幸福なのに決まってるんだから、また、ノーマッドに戻って、世界中をふらふらと歩きに出るのもいいかも知れないね。
COVIDに苛立った友人たちの誰彼のようにプライベートジェットという方法もあるだろうけれど、モニとぼくには、ヨットで世界をめぐるほうが向いていそうです。
教えてあげたknotは、全部おぼえた?
スターボードを確認して、ポートを確認して、アフトをカメラで確認したら、錨をあげて、また出かけよう、きみとぼくと、
また新しい時間の流れがある土地へ
きみとぼくのアルカディアへ
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ああんもう。良いなぁ。
愛に満ちてて💖✨
そんな事 人に言えて素敵だ。
なんなんだもう。素敵だぞもう💨
ぎゃぼー‼️
なんだか変な言い方で申し訳ないのだが、(そして失礼だったらこれを非公開にしておくれ)
モニさんのような人でも鬱気があることがあるのね、と読んだ時に最初に出てきた感想だった。
むしろ聡い人だからなのかな。
(わたしは多分何かを盛大に勘違いしているのだと思う)
愛しい、美しい人が鬱気を含んでいるのを見るのは辛いよね。
はやく良くなりますように!
カフェオレはどれだけ温まることだろう!!!!
優しい記事をありがとう。
素敵な情景をありがとう〜ガメの文章に情感がないという日本男子は自分自身が女性を「便利な物」扱いしている男。日本人の男、爺さん達が「女も人間だ」と自覚して女性を大切にし、壮年中年男達が下品なエロ目線で女性を見ない、若い男性がミソジニー族やマンモーネから抜け出たら日本にまた行ってみたい。
この文章でガメが女性をモニさんを優しく愛しているのが伝わってくる、ただモニさんは世界の悲しい事にユーツになってる優しい繊細な女性だから、今は暗いニュースは伝えない方が良いヨ。