食べつくす明日

日本語ブログを始めたばかりのころに、浅川マキについて、

浅川マキはすごい。浅川マキは、本物のブルースソウルを持っている、と書いたら、

「若いふりをしているけど、ほんとは、おやじなんですね。思わぬところで尻尾をだしましたね」という趣旨のコメントが、たくさん来て、びっくりしたことがある。

ひとりのひとなどは、在米日本人のようだったが、これを根拠に、およそ十年くらいも、おやじのくせに、ジジイのくせに、ツイッタにまで舞台を移して書いてきて閉口したものだった。

下卑た口調から、嫌がらせなのはわかりきっているので、それはそれで、どうでもよかったが、一方で、なぜ、このひとたちは、「古い曲を評価しているから年寄りだ、と考えるのだろう?」と不思議で仕方がなかった。

自分の頭のなかでは、「同時代のものしか評価しない」ということが当然のことではなかったからでしょう。

音楽についてが特に多くて、有り体にいえば、いまでも続いている。

ザ・クラシックス、という。

子供のときに何週間か過ごしたハーバード大学があるマサチューセッツのケンブリッジという町で大学生の女の人たちが教えてくれた、あの大学の隠語です。

モータウン・ミュージックのことで、大学自体が自分たちの文化を誇りにおもい、伝統を大切にするので、いまでも通じるのではないか。

週末になると、近所のピザ屋に出かけて、しこたま食べてから、ボストンの下町に繰り出して踊り狂う大学生の、当時の自分から見れば、おにーさんやおねーさんたちは、

愉快な上に親切な人たちで、アメリカの歴史や社会を伏線にしているせいで、こちらが冗談をわからなくて、ひとりだけ笑わないでいたりすると、必ず誰かが、伏線のありかを教えてくれる。

その聡明を絵に描いたようなおにーさんやおねーさんが、ペーパーチェイス文化に追われながら、ときどき息抜きに踊りに行くときにかかるナンバーが、ザ・クラシックスを中心に、ビーチボーイズ、チャック・ベリー、モンキーズまでかかって、新しい曲もかかるだけれども、自分たちより古い世代が生みだしたもののなかから、良いと信じるものを選び出して、楽しんで、徹底的に守っていこうとしているのが、態度から感じられた。

だんだん、事情が判ってきて、日本語で最もがっかりするのが、これで、

なにしろ古いものは価値がないと思い込んでいる。

テンプターズの「エメラルドの伝説」を成田からクライストチャーチに向かって飛ぶときには、手続きのように、無料バスに乗って、ゲウチャイへ行って、部屋に戻ると「湖に ぼくは魅せられた」を聴いて、ああ、また日本に来られたなあ、と思うのが楽しい習慣だった、と書くと、またお馴染みの「歳がわかりますね」が来るので、終いには、読む人の、嫌な言葉だが、知的水準が急に随分上がった最近まで、めんどくさくなって書かなくなっていた。

音楽だけではない。

乾坤一擲、乾も坤も一擲して、と書くと、

あ。やっぱりジジイだ、こんな古い日本語を書くのに若いわけがない

欣喜雀躍、と書くと、ジジイのがばれるのに、難しい言葉を書いて、頭がいいのをひけらかしている、と来る。

恐るべきゲスな性根で、ゲスな上に、そもそも自国の文化を大事にする気がないんじゃないの?と、こちらはおもう。

日本語のなかの、あちこちで、燦めくような美しさを放ちながら、生き残っている、豊かな表現や、おもしろい言葉を、自分の書くもののなかで使ってみるのが最大の楽しみで日本語を書いているのに、その表現を包み込むために、自分ではよく考えたつもりのスタイルを採用すると、

「やっぱりジジイだ」と集まってきて囃子にかかる。

で、どんな日本語が新しいのかというと、

〇〇さんの言葉に癒やされました。

XXさんのツイートは、いつも気付きが得られて、感謝の言葉もありません。

その一方で、文章を少しく公式に見せたいと、「官邸にて歓迎会を」で、「にて」で、煮ても焼いても食えないブキミな表現を弄んでいる。

日本語人の社会でなにかをつくるということは正当な評価は絶対に期待できない、ということです。

Donald E. Scottがショーペンハウエルの言葉を引用している。

All truth passes through three stages:

First, it is ridiculed; second, it is violently opposed; and third, it is accepted as self-evident.

(新しく見いだされた)ほんとうのことは、三段階を経て社会に定着する。

先ず、冷笑される

第二段階は、激しく反発される

最後に、自明のこととして(誰もがみな初めから知っていたこととして)

受け入れられる

日本の社会の反応を見ていて、いつも思い出していたのは、このショーペンハウエルの言葉で、冷笑文化の日本では、だいたい初めの冷笑のところで新しいものの芽は摘まれてしまう。

もう時効ではないかとおもうが、josicoはんがゲームデザイナーとしてアメリカに仕事の場を移すことに決めたのは、あとでいうMMOを仕事仲間たちと構想して、自信をもって、みんなで企画を提出したのに、正に鼻で笑われたからだった。

そういう例は、日本語ではいくつもいくつも見聞きして、日本が世界史に稀な30年間の暗黒の停滞を続けている理由だと感じられるが、ここで冷笑と共に葬られてしまった日本語人の頭から生まれたアイデアの数の多さは、自分が聞かされただけでも無数にあるようです。

日本語社会での最大の難病は、しかし、次の第二段階で、だいたいは権威の「ダイジョビ保証ラベル」が付いていないせいで、自分が信用しない、あるいは嫌いな、考えや人がでてくると、激しく反発して、反発するのはいいが、そこに全エネルギーを投入して、ふつうなショートバーストで終わるところが、日本語では執拗につぶしにかかる。

なんだか書いていても、現実のようでないが、日本語人は、自分の嫌いな相手を葬るためなら十年くらいつきまとって、ネット上でアカウントをたくさんつくって、大勢が相手を嫌っているように見せたり、現実をでっちあげて、あるいは編集して、中傷をつづけたり、この手の人を、まるで暗黒ファンクラブのようにして、引き摺って歩いていない「名がある人」のほうが、珍しいくらいです。

あれ、初めの「文化として共有すべきものを次から次に消費してしまう」という意図の文と、違うところに来てしまいましたね、と思う人がいるだろうが、実は、他人がなにかを創造することへの敬意のなさ、という点で、同じ現実なのね。

わし蒐集した当時の週間毎日には犬丸支配人が「維持費が嵩む旧館を保存しろというのは経営というものが判らない人の暴論だ」という趣旨の威丈高な談話が載っているが、平等院鳳凰堂の現代日本文明へのすぐれた翻訳である帝国ホテルを解体してしまった日本について述べると、「解体なんていいがかりです。明治村に移築して、保存されています」と、偉い勢いで怒りの言葉が飛んでくるが、元の復元想像図をよく見て、明治村の「保存」を見て、生きていたビルをバラバラに殺人して、明治村でホルマリン漬けにしてみたことの、どこが「保存」なのか。

原宿駅は、別に文化財の指定もない平凡な建物だから、で、原宿の文脈がなにもないデザインで、小綺麗なだけで、地域の歴史から切り離された凡庸なビルをつくってしまう。

そうやって、街の景観まで、自分たちの文化の文脈を、あっさりゴミ箱に放り込んで、唐突なのっぺらぼうに変えてしまって、どんな文化の歴史文脈もずたずたに切り刻んでいく。

普通に考えれば、自分の来歴を自分で眩ましてしまっているわけで、いつもゼロから始めるか、模倣するしかないところへ自分たちを誘導している。

少しは、自分のなかに審美なり芸術なりに対する絶対批評軸をつくって、

「これは絶対に消費して失ってしまってはダメなものだ」ということが判るように自分を訓練しないと、いまはデカ目デカ胸ミニスカで世界を覆いつくそうとしているかのような日本文明は、誰にも相手にされなくなってゆくでしょう。

すぐれたものを作る人や、すぐれた仕事をする人への敬意が全くないのだもの。

そんな土地に出来うる美しい森林などは、あるわけはなくて、日本は、あれだけの先人の才能に恵まれながら、ただひたすら荒野に向かって歩いているように思えるのです。



Categories: 記事

8 replies

  1. 自分の頭で考える。
    自分が大切に思うものを大切にする。

    僕は毎日をそうやって生活したい。

  2. ガメさん、お元気そうでよかった。

    ジャニーズとか秋元康系ガールズグループなんて大量消費文化の最たるもので、絶対文化として残らない。
    そしてその陰で、何百万という可能性がつぶれているのが日本の文化です。

    せめてアニメだけでも残ってくれればいいのかな。
    表立って褒め称えられる機会は少ないのかもしれないけど。

  3. 今日は仕事が休みで、ガメさんの文章を読めて幸せです。
    沖縄は朝から雨で、家を囲む緑は濡れ、遠くの海は白くて空との境がわからなくなっています。

    一昨日から、幼稚なアニメや喧嘩上等文化について考えています。
    どうしてこうなったのか、どうやったら「美」を尊ぶ文化になるのか。

    今日のガメさんの文章を読んで、箱根彫刻の森美術館とポーラ美術館を思い出しました。
    私の2番目の母は美術館が好きで、時々、一緒に連れていってくれました。
    懐かしい。
    3.11から一度しか東京へ帰っていないので、子供達を連れて、緑の中を歩きたいです。
    今ならもっとゆっくり味わえるかもしれない。
    子供達は、小さい頃の私のように「何これ?」「早く次行こう」と言いそうだけれど。

  4. 貴方は訪れたことがないかもしれませんが、千葉県佐倉市にはDIC(旧社名は大日本インキ)の研究施設に隣接して川村記念美術館があります。ここは美術館も素敵ですが、お庭が広くて自然が豊かに保存されていて、とても好きな場所です。機会があったら来てみてください。

    いいものは時代を超えて評価されるのは当たり前です。「エメラルドの伝説」はいい曲だし、美空ひばりは歌が上手いのだ。古関裕而は素晴らしいオリンピックマーチを書いた。

    いちいち横槍を入れてくる五月蠅い人は放っておくのがよろしい。日本人の中でそんな下品な人はほんの一握りです。本当に一握りですから。

  5. んでさ、こういう冷笑びとたちの、冷笑おっさんたちのなーにがダメかって
    「お、それぐらいは常識とおっしゃるならこれについてはいかがお考えですん?」と尋ねたら明瞭な答えを返さずごまかすところさ。
    実はよく知らないと言えないのよね。

    ローラー式文化壊滅作戦でも取ってるのかと思う気持ちがあったりしつつ、もちろん大切なものを守りたい気持ちもある。
    美しいもの、沢山あるのよね。まだ。

  6. 追記:浅川マキ、好きなんだけど聞いたら影響受けて戻れなくなりそうで遠ざかっているここ数年。いいよねえ。

  7. 人間への理解の解像度がとても粗い人がたくさんいる、という印象です。特に社会の上の方に。年齢や性別、社会的地位や経歴、特定の趣味嗜好、をもとに単純化した人間の型に分類して世の中を解釈している感じがします。そして、その分類にそぐわない人に出会うと居心地が悪いようです。

    本当は、現実と自分の理解に差があるようだとすれば、自分の理解の方を見直す、修正する機会なのだと思うのですが、ある種の人たちは自分の理解に現実を合わせようとするみたいな気がします。それが、〇〇が△△なはずがない、▲▲に決まっている、嘘をついているに違いない、みたいなゲスの勘ぐりになっていくように思います。

    なんでそうなるんだろうと思うのですが、もしかして、自分の理解を疑うとか未知のものに出会うというのは小さな恐怖、心もとなさを伴うような経験だからかなと思ったりします。その心もとなさと向き合えないと、居心地の悪さを解消するために現実のほうをどうにか捻じ曲げる必要があるのかなと。冷笑も自分の理解の範疇を超えたものを打ち消そうとする行為なのかな。

    何もしないために何でもする、にちょっと似てる気もします。

    記号化された情報をパターン化された行動で処理し続けるのが最も安全で安心な世界。そんな方向に向かっている気がします。そんな世界では文化も敬意も何も残りようが無いように思うし、そこで生きるモチベーションは欲得みたいなものしか無くなってしまいそうに思います。

  8. 現在の日本人には「今」しかなく、「歴史」というものがない。

    歴史的な建築物も史跡も伝統芸能も、「今、注目を集めています」とか「今、若い人々に人気です」とか、今この瞬間の刹那的な効用でしかそれを説明できない。室町時代に芽を出し、江戸時代に大衆化され、明治以降の近代化のなかを生き残った伝統文化の歴史的な厚みと、それを支えた無数の奇跡のバトンリレーに気づくことができないというか、気づく必要がないと思ってる。そんなもの気にしなくたって世の中はうまく回ると高をくくってる。

    今につながる過去のことも、今からつなげていく未来のことも考えず、ただ今だけを追い続ければいい、それが時代に付いていく方法だと勘違いして、その結果、自分が生きてきた40~50年間に何の意味も見いだせない案山子のような壮年がそこかしこに溢れかえってる。

    でも、もう一歩踏み込んで考えてみたら、この案山子たちは、日本社会がもつより大きな病理のなかで、できる限りストレスの小さな方法を探して、自ら案山子になったのかもしれない・・・案山子のような不感症でなければ耐えられない不可視の瘴気がこの社会に満ちているのかもしれない。

    だとすれば、俺は俺が思う以上の地獄にいることになる。

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