GRAS あるいは工業製品としてのトウモロコシについて

(この記事は2013年5月2日に「ガメ・オベール日本語練習帳ver5」に掲載された記事の再掲載です)

 

メキシコ滞在の楽しみのひとつは「おいしいトウモロコシ」であると思われる。
紫色のは特にうまい。黒いのもうまいと思う。

食糧危機はこない、という議論は日本語世界でよくみかける。
英語人でも同じことを言うひとがいるのかも知れないが、ぼくは見たことはない。
放射性物質の害などたいしたことはない、程度の問題だ、という議論も日本語では声がおおきいが、英語では「札付き」のひとが述べるのを目にすることがある程度なので、
自分が住んでいる世界には悪いことは決して起こらない、起こったという人は頭が悪い怖がりか悪意のひとである、というのは日本語を使って考える人たちの言語族的な強い傾向なのかもしれません。

食糧危機がなぜ起こらないかというと、食料が限定要因になって人口が抑制されるからで、従っていつも食料は足りているはずである、という。
なんとなくもっともらしいところが、放射能議論でもそうだったが、こういう説を成すひとの可笑しいところで、「なぜ人間は絶対に死んだりはしないか」について滔滔と説明する5歳児を思わせるが、この手のひとはこういうと色を成して怒るに決まっていても、相手の肩書きが物理学者であろうが医学者であろうが、「話すだけムダ」と感じる。
「なぜムダなのか」をこのブログの記事で書くのでもなんでもいいから、書いたものを通じて話すほうが理性的でもあれば生産的でもあるようです。

現実にはいまの世界は食糧危機の時代にもうはいっている。
「Food is Ammunition- Don’t waste it.」
http://www.ww1propaganda.com/ww1-poster/food-ammunition-dont-waste-it
は、日本で言えば「欲しがりません勝つまでは」だろうか、第一次世界大戦の有名なプロパガンダだが、事情をよく知っていればもういちどこの標語を復活させたいほど、
食料は乏しくなってしまっている。

えええー?
どこの国の話だよ。うちの近くのスーパーマーケットに行くと、食べ物は山のように積んであるぜ、オーバーなこと言うなよ、と口を尖らせてきみは言うであろう。
でも、食べ物はないのよ。
これから説明できるところまで説明してみようと思う。

GMO (Genetically modified oraganism)は、だいたい1990年代から商品化されてきた。
遺伝子組み替え工学が、安い賃金での長時間労働を厭わない労働文化と高い品質に支えられた日本の自動車・家電の大攻勢を受け止めきれなくなったアメリカ産業界の次期のエースとして、CPUなどの高集積チップと並んでテレビ番組でもてはやされだしたのは、フィルムを観ているとブッシュシニアが大統領として仰々しくモンサント工場を見学していたりするので、1980年代半ばだと思われる。

モンサント社がPosilacという商品名で、rBGH、(乳牛から大量のミルクを搾り出すための)ボーバインホルモン
http://en.wikipedia.org/wiki/Bovine_somatotropin
を商品化したのが1994年。カナダで有名な、Margaret Haydonたち3人の科学者の公聴会が行われたのが1998年で、このあたりから「食品の工業製品化」が進み出したのが観てとれる。

突然変異体を生産効率をあげるために食品に応用する科学の歴史は古くて、1920年代に遡る。
米のCalrose76はガンマ線の照射で作られたし、小麦の品種AboveやLewisはそれぞれアジ化ナトリウムと熱中性子で生成された。
熱中性子(thermal neutrons)と言えば、グレープフルーツのRio RedやStar Rubyもそうである。

容易に想像がつくことだが1953年にJames WatsonとFrancis CrickがDNAの二重螺旋構造を明らかにしたときから科学者たちの食品への応用の長い熱狂的な旅が始まる。
この発見が、やがて怪物的な食品を将来うみだすことは当時から予測されていたことだった。

現代人の、たとえば髪の毛をサンプルとして採取して炭素を分析してみると、大半は「トウモロコシ由来」であることが知られている。
トウモロコシをまったく食べない人ですら体成分を構成する炭素が「トウモロコシ由来」なのはなぜだろうか?

スーパーマーケットの棚を思い浮かべてみよう。
アップルジュースやグレープフルーツジュースは健康に良いということになっているが、あれには甘味がつけられている。この甘味は実はトウモロコシ由来のコーンスターチを原料とするコーンシロップが使われる。
日本の人は肉から草いきれの臭いがするのを極端に嫌がるので海外の農家にも良く知られているが、この臭いを消すのには「グレイン・フェッド」、穀類を数ヶ月食べさせて出荷するが、最近は、日本人の嗜好にあわせる必要がなくなった。
どっちみちトウモロコシを食べさせたほうが断然安くなったからで、最近のビーフは言わば「日本スタンダード」のコーン・フェッドです。
いつのまにかグラス・フェッドのビーフのほうが少数派になってしまった。
牧場の生き物に詳しい人は牛は本来トウモロコシを食べないのを知っているが、それをどうやって無理矢理食べさせるかは、前に記事で何度も書いた。
ポークもチキンも、やはりトウモロコシで育てられる。
ビスケット(クッキー)、コカコーラ、…. トウモロコシ由来の食品は「無限」と呼びたくなるほど棚に並んでいる。

なぜトウモロコシが食品業界全体を支えることになったのかというと、自分でも頭が悪いのではないかと思うほど何度も書いたが遺伝子組み換え技術によって、現代のトウモロコシは、たった1エーカー(4000平方メートル)の畑から200ブッシェル(5トン)も穫れるからである。
http://gamayauber1001.wordpress.com/2012/07/02/トウモロコシの葉の下で/

この「工業製品としてのトウモロコシ」の発明によって人間は自然世界にとどまっていたときの数倍の食品生産能力を獲得した。
90年代を通じて、食品の値段が猛烈な下がりかたをみせたのは、そのせいだった。
日本ではまんなかに立っている商社などの中間業者が巨大な利益を抜きとっている
(日本のチェーンピザ店やKFCのマンガ的な高価格は、すでに海外のあちこちのフォーラムや動画サイトでも知られすぎて退屈とみなされる話題になっているが誰が関与しているか投資家用ページなどで読んでみるとよい)ので目立たないが、物価がクソ高いので有名なハワイですら、スーパーに入ってコーラを手に取ってみれば、「ほんとうの値段」(コカコーラ1缶25セント)が判ると思う。

相手を恫喝する、あるいは金銭的な苦境に陥れるための訴訟をSLAPP
http://en.wikipedia.org/wiki/Strategic_lawsuit_against_public_participation

と言って、日本では政府のバカ政策によって弁護士がだぶだぶにあまっていることを考えると、もうすぐ日本でもありふれた光景になってゆくと思うが、食品産業世界もご多分に洩れず、この手法を愛用していて、1996年、オプラ・ウインフリー(Oprah Winfrey)が自分のTVショーで述べた、たったひとことで、テキサスの牛肉業界人から11億円の損害賠償を請求された事件は最もよく知られている。
(二つ目のリンクは大庭亀夫というひとのバカ記事なので見なくてもよいと思われる)

http://www.anti-slapp.org/slapps-against-consumers/
http://gamayauber1001.wordpress.com/2012/07/16/slapps/

オプラはこの訴訟に勝ったが、それでも1億円を越える法律費用を払わねばならなかった。

食品を工業製品に変えた一群のGMO食品会社は、いっぽう、極めて攻撃的戦闘的な経営方針で知られている。
ここはぼくが各国語(いまは日本語もあります)でもっているフォーラムではないので、名指しをしないが、ある会社は常時40人以上の弁護士を抱えて、自分達の前にたちはだかる「敵」を次次に訴えていくことで有名であって、たとえばきみがアメリカの農場主で遺伝子組み換えでないトウモロコシを育てていたとすると、ある日、きみのオープンロードに面したところに立っている郵便箱に一通の郵便物が入っている。
ドライブウエイをぶらぶらと歩きながら封を切ってなかの手紙を読んでいたきみの足がとまる。
そこには「あなたの畑のトウモロコシから弊社が知的財産権を所有するトウモロコシの遺伝子が発見されました」
と書いてあるからです。
ついては知的財産権の侵害に見合う賠償金額を払ってもらわなければ困る。

アメリカのドキュメンタリ映画やTVドキュメンタリには、よく出てくる光景で、なぜパテント遺伝子が発見されたかというと、風に乗ってやってきたパテントトウモロコシの花粉を自然栽培農家のトウモロコシが受粉してしまうからです。
(この部分については実は科学的にも法的にもたくさんの興味深い議論が可能だが、ここでは触れない)
普通のアメリカ農家には何億円という法的費用を払う経済的余裕はないので、破産するか通常の数倍の価格で、たいていの場合、子孫を作る能力をもたず、毎年買わねばならない仕様にされている食品ジャイアント会社の種苗を買わねばならない。
インドの綿農家で自殺する農場主が加速度的にたいへんな勢いで増えていることもNavdanya Foundation
http://www.navdanya.org/
のVandana Shivaのようなインド人たちは同じ理由によると述べている。

あるいは自分達を追究するジャーナリストをどんどん訴えて財政的な破滅に追い込んでゆく。
さっきカナダの公聴会について「有名な」と書いたが、実際、食品の「工業製品化」に興味があるひとのあいだでは「有名な」この事件はインターネット上ではまるで存在しないかのように見える。
カナダ公聴会に限らず、インターネット上には奇妙なほど情報が少ないのがGMO食品問題の特徴で、その事実には深刻な理由がある。
この記事を日本語で書くことにしたのは、もうすぐ、数年と経たずに「工業食品」が、いわゆるGRAS
http://en.wikipedia.org/wiki/Generally_recognized_as_safe
として洪水のように日本の市場に溢れるのは目にみえているからだが、いまですら出典を明らかにできるわけがない事柄に対して
「出典はなにか」「権威がある本のどこにそれが書いてあるのか」と怠惰な人間だけが正当だと信じうる類の質問を投げて恬として恥じない「論者」が多い日本の社会では、(ごみんだけど)日本を次の市場として狙っている食品モンスター企業の進出を拒む議論の場ができる余地はないように思える。

Marie-Monique Robinのモンサントについてのドキュメンタリには、メキシコ人たちが遺伝子組み換えトウモロコシと自分達のプライドをかけて戦おうとする姿が出てくる。
その目の真剣さには、「食物」を奪われかけている人間の鋭い光が宿っている。
「これはスペイン人の侵略につづく二度目のわれわれの文明の破壊なのだ」という。
メキシコ人にとってはトウモロコシは「自分達の食べ物」なので、ひとつの葉茎から3本もトウモロコシの身が突き出ている異様な人造食物が、さまざまに遺伝子工学の醜悪な外形のなかから自然の造形に似ているものを科学者たちが選択したから同じトウモロコシに見えるだけで、ほんとうは不細工な工業製品にしかすぎないことを理屈にさえ拠らずに「知って」いるように見えます。

ぼくは近所のメキシコ人に分けてもらった紫色のトウモロコシを食べながら、いまなら普通の5倍もオカネをだせば工業製品でない食べ物を食べることは可能だが、それだっていつまで続くだろう、と、ただ餓死しないだけのことで、人間が食べてゆくのに必要な充分な量の「食料」などとっくのむかしになくなってしまったこの世界で、満腹とひきかえに失ったものにはどんなものがあるか数えあげてみようと考えてみる。
すると、その数の多さと失ったものの深刻さに茫然となってしまうのです。



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