ものごとの順番について

わしはテキトーが好きである。

達成は完全達成を理想とするが、ほら、iPhoneの充電だって92%まではスイスイいくけれども、最後の8%は、なんだ坂こんだ坂で、峠の釜めしが欲しくなるスイッチバックでしょう?

だから、たいていは92%やれれば、よしとする。

88%のときも、ある。

なあんとなく良心が咎めるので告白すると62%でいいや、ということもあります。

家事を手伝ってくれているひとたちは、プロなので、あっというまにキッチンベンチはピッカピカ、鍋はごしごし、ワイングラスきゅっきゅっで、あっというまにHaloが射すキッチンにしてしまうが、あの楽しかった日本時代、通いのお手伝いさんがいるだけだった、なんでんかんでん新婚のふたりで自分たちでやらなければならかった日々は、わしはキッチンの片付けひとつでも、性格が出て、ちょっとづつ、のべつまくなしにやっていた。

家事につかれると、というほど家事をやるわけはないが、ワイングラスの赤みがなかなかとれない苦しさに耐えかねて、ホテルに移動して、すべてが自動的に綺麗になる生活を楽しむことになっていた。

靴下は右と左が同じ色同じ柄であることは、まずない。

ひとに言われると、「新しいファッションです。知らないの?」と言う。

胸をはって述べるのがコツです。

Tシャツは、だいたい3回に1回は裏返しです。

前後が逆であることもあります。

パーカーを、驚くべし、逆さまに着ていたこともある。

このくらいテキトーになると、家を出たときの心配も、その辺の凡俗のひとびととは異なるのであって、モニさんと結婚する前は、ひょっとしてズボンをはいていないのではないかと軽いパニックになって下半身を見ることも多かった。

パーキングブレーキを引いたまま出かけてしまう人というのは、そのくらいの心配はしないと、颯爽とクルマのドアを開けて下りると、なんだかが、だらりんと垂れていて、通報しました人があらわれて、お巡りさんが駆けつけてきかねない。

バルセロナのように、全裸でランブラに立っていたら、親切な人がよってきてチン〇ンも七色に塗り分けて絵の具でサイケデリックな洋服をかいてくれた、というわけにはいかないのです。

強調しておくと、わしのことではないが。

のりしろ、という。

余白でもいいかな?

きっちりしてしまうと、ぎゅうぎゅうで、融通が利かなくなるので、

「まあ、このくらいはいいや」という「あそび」がなければ、例えばレシプロの飛行機でも離陸も出来ないのは人間が積み重ねてきた知恵としてわかっている。

ホーカー社だったっけ?

尾翼の昇降舵のワイヤーに遊びがありすぎて、飛行機がコントロールできなくてテストパイロットを激怒させた航空機会社もあるが、あれはたしか10cmほどもゆるかったという、とんでもない例で、通常は、飛行機もゆるいほうがよくて、タイガーモスやソードフィッシュのような、パイロットが、なあんにもしなくてもスロットルさえ、そそっと開けてやれば、ひとりで勝手にフワッと浮いて、上昇していってしまう飛行機というのは、やっぱり、きっちり組まれてはいなくて、張り線ひとつとっても、キンキンに締め付けてはいないもののようです。

きっちり物事をやりぬくことよりも、なにを重要と目して初めにやるかのほうが、遙かに重大であるのは、だいたい20年も人間をやっていると判ってきて、具体的には、優先度順、というか切迫度順に、上から3番目くらいまで順位をつける。

日によって異なるのはあたりまえで、

1 地雷の除去

2 鉄条網の断開

3 匍匐前進後伏射

という人もいるだろうし

1 あっちゃんにキス

2 訓示文の作成

3 刑務所で服役中の上司への差し入れ

という人だっているはずです。

あっちゃんにキスするほうが、仕事に優先しているのだから、悪い人であるわけはない。

ところがですね。

この30だか40だかの「やるべきこと」があって、みっつしかやらないで今日はよしとする、というのは、意外と気持ちの上で難しいんです。

問題が解決に至る時というのは、本人が調子がいいときなので、おもわず、5つも6つも仕事を片付けてしまう。

況んや、仕事が早く終わると「きみ、有能だねえ、そんなに簡単に仕事が片付くのなら、申し訳ないけど、これもひとつお願いできないだろうか」と言い出す上司がいる職場に、おいておや。

平仄、これで、あってんのかな。

自信がないが調べるのがめんどくさいので、良い事にします。

どんなに調子がよくてもみっつ終えたら、さっさと家に帰ってしまうのがよい、

そうしないと、続かない。

 

(閑話休題)

なにを考えていて、こんなことを言ってるのかというと、日本にいたときのことを考えていたからですね。

あの「なにかがおかしい」感は、国として、やることの順番、優先順位が、のっけから間違っていたのではなかろうか。

明治の時代。

富国強兵というでしょう?

列強に追いつけ、追い越せ、という。

よく、お話を伺っていると、とどのつまりは、せめてドイツくらいの軍事力を持て、という意味で、富国、関係ないじゃん、なのね。

まして個人は、働けば働くほどビンボになる、という不思議な「近代国家」になっていきます。

国の優先順位は、どんな国だって簡潔明瞭で

1 国民ひとりひとりが幸せになれるようにする

2 しかるのち国の富を増大させる

3 余裕ができたら安全保障を考える

で、えっ?だって、軍隊なかったら隣の国が攻めてくるじゃん、という人がいそうだが、これには昔から欧州で培われた定石があって、おおきな軍隊はいらなくて、自分の幸福な生活を守りたい国民と、嫌がらせがうまい軍隊があればいいんです。

そういう構図に持っていって、「あの国に攻め込むくらいだったら、うまく利用させてもらって、最優先の敵国を倒すほうがいいな」とおもわせる。

具体例でいうと、スウェーデンやスイスなんていう国は、これが滅法上手で、なにしろスイスなどは元は傭兵の出前が主産業だったので、戦争上手は折り紙つきで、しかも地理的にも山だらけで、苦労して占領してもロクスポ資源もなくてで、攻め込めばおなじ「アーリア人」が簡単に手を組んでくれる見通しだったヒトラーですら、攻め込もうとはおもわなかった。

内緒で領空を通過させてもらったり、いざというときは鉄鋼をわけてもらう約束を交わしたり、していただけです。

日本は、どうかすると、国として「尊敬される国になる」ことが目的なように見えることすらある。

当然、「尊敬されて、どうするの?」という疑問がわくが、日本語人の場合は、政府だけでなく、国民まで「尊敬されるの?きゃあ、カッコイイ。じゃ、空母つくっちゃうとかなんて、どう?」と思っていそうです。

見栄えが大事であって、ちなみに「見栄え」という言葉は「え」をとると「見栄」で、なんとなく事物の本質が露呈しているが、

むかしから、国のGDP8割(8%でも、ふつうの国なら問題だが、その十倍です。念のためにいうと)を軍事費にいれあげてしまったりする本末転倒もいいとこな国で、おかげで、国民は、めちゃくちゃに働いて、朝暗いうちから夜遅くまで、勤勉そのもので、国にはどんどんオカネが入るのに、ちょっと田舎に行くと白い米のご飯も食べられなくて、姉や妹は性奴隷として都会に売り飛ばされるのが、ふつーであるという驚くべき社会だった。

日本の兵隊さんが勇敢だったのは、だって、自分の生活はないんだもの、軍隊にとられて初めて食べた「銀シャリ」、白いご飯のおいしさを胸に反芻しながら、歩兵銃の弾丸一発より安い自分の肉体を敵の弾幕に叩きつけるようにして死んでいった。

日本にいて、だんだん判ってきて、「これはたいへんな国だ」とおもったのは、実は戦争に負けても、社会全体の仕組みは全く変わっていなくて、

利益と楽ちんは国に、損と苦しみは個人に指向されるように出来ている。

例えば国債発行額が非常識に多すぎる、という議論が起きると、

「だって引き受けてるのは、みんな日本人なんだから、どうなったって国は痛くも痒くもない」という。

これは、全部ほんとうという理屈ではないのだけれど、仮にほんとうだとするでしょう?

そうすると、「国の損は、ぜえーんぶ国民に押しつけるからマイペンライ」という理屈です。

株価はあげておかないと恰好がつかないので、政府に吸収合併されたような、ヘンテコな中央銀行である日銀が、どんどん株を買い占めて、株価をあげてゆく。

この株価は、おもしろい株価で、どんどんあがってゆくが、簡単な理屈でわかるとおり売るわけにはいかなくて、是川銀蔵みたいというか、高値の株をわしづかみにつかんだまま、立ち往生している。

そうこうしているうちに、「絶対に起こらない」はずのインフレが世界をおおいはじめて、なにしろ、すんごい借金なので、いくら国民にビンボを強いても、利息なんか払えるわけはないので、公定金利上げというインフレへのゆいいつの処方薬が投与できず、なんとかハイパーインフレを起こさずに近い将来を凌ぎきる方策探しに明け暮れている。

根底にあるのは、マンガみたい、というか、そもそも後先を間違えて、例えば企業利益を個人に優先させて低賃金にもっていったので、消費市場が冷えて、経済そのものが縮退して、にっちもさっちも、ルイ·アームストロングも、ジャズの歴史を知らないと判らないダジャレを書いてしまったが、どうしようもなくなってしまったからでした。

ふつうにやればよかったんですよ。

国民ひとりひとりを幸せにするのが社会と国家の役割なのだから、賃金をどんどんあげてやればよかった。

具体的には、賃金をあげられないような産業は見切りをつけて市場のなかでの位置を移動しなければならなかった。

それを個人よりも、企業、社会、国家の側からトリクルダウンという屁理屈を述べて「繁栄」を考えたために全体主義経済の欠陥がもろに露呈してしまった。

最大効率なんて、いうから。

キリキリしめあげて生産効率だなんて考えるから。

ほら、ね?

テキトーなほうがよかったでしょう。

100%をめざしてバッテリが破裂したケータイみたいな国になって、

日本は、どこへ行くんだろう?



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11 replies

  1. 素晴らしい記事をありがとう!
    日本は、テキトーではダメな所とテキトーでいい所があべこべになっている感じがします。

  2. 多くの人が、感じてはいても言葉にはできなかったわだかまりを、こんなにも明快な文章にしてくれてありがとう。
    一人でも多くの人に読んでほしい記事です。
    国の話だけでなく、家制度でいう「家」の単位でも個人は家のために犠牲となるべき存在でしたし、いまだそんな考えから抜けられてない人も多いですね。個人の命は組織のためにある、という考えから抜け出して、自分のために生きて良いんだ、と思える人が増えてくれたら。そのきっかけになり得る記事と思います。

  3. 個があるという認識が大切なんでしょうね、きっと。
    社会構成の順序が違う。企業や国や仕事が先に来ちゃっていて、そこに付随した国民みたいな感覚の人が多いのでしょうか。

    だから他人も認められないし、他人が自由のしてるのが許せない。
    そんな傾向がとても強くなってる気がします。

  4. > 国として「尊敬される国になる」ことが目的なように見える
    言い得ている気がします。見栄っ張りが多いですからね。

    優先順位を間違う、見栄えだけ、形から入って、形だけで終わる、手段が目的化する、、肝心なところをあえて避けていこうとするような、物事の核心に触れないようにするかのようなこの性質。なぜなんだろう。Integrityが無いせい?

  5. 尊敬されるために目指す方向が、平和を希求する国として愛されことから
    ツヨクタダシイ国として畏怖されることへ変わってしまったのだなと思いました。
    戦争の被害、罪悪感を知る世代が去って伝わらなかったからなのかなあ。(私は執着があるのですが)
    相手を見下し攻撃し破壊し支配を試みて自分の優位性・意義を確認するのは、自尊心のなさが根本にあるからかと想像します。

    自分個人としては、取り返しがつかないことをしてから自爆してun bacioと言うOtelloのような悲劇の主人公とならないよう
    自由を持って暮らしていけるようぼちぼちがんばります。

  6. 生きるってことに不真面目なんだよね。生きることに本気でないし、真剣でもなくって、生きること、幸せになること、社会のことや国家のことも、知識として知っているだけでやめてしまって、実際に体験しようとはしない。

    果てには自分の人生のことなのに、まるでテレビ番組を見るかのように傍観を決め込む始末。そりゃ、テレビ番組なんだから見栄えの良い方がいいよね~。馬鹿馬鹿しい。

    終戦直後の食うや食わずの状況を生き抜いた人々にすれば、自分の人生を傍観する気にはとてもなれなかっただろう。

    戦中世代の昔語りを、戦争の悲惨さ、平和の貴さという意味でに片づけてきた自分たちのような大人に責任がある。あれは、生きるとは真剣でなければならない、という意味で汲み取っておくべきだった。

    あの世代の真剣さの半分でも今受け継げていれば、もっと異なる可能性があったかもしれないのに。

  7. パーカーを逆さまに着るなんて
    さすがです!
    うちの子もすごく面白い着方をするんですよ!

  8. 国そのものの話だけではなくてさ、ガメちが言いたいのは
    「日本の人もっと適当でいいよ」ということではないのかとわたしは考える。
    完璧主義って何だかとても軍国主義とか戦時下の発想に近いよなあ、なんて完璧主義者に近いわたしはしみじみ思うのです。
    命令に従え!ってことだものね。

    日本の人は完璧を目指すのが好きなのだ。ちゃんと。ちゃんと。

  9. 追記:だって個人の幸せなしでは民主制なんてあり得ないものね。少なくとも目標になければ。100%であって「誰に」褒められて幸せになれるのか。誰がそれを測るのか。

    お誕生日おめでとう。さらに幸せな1年を。いつもありがとね、気が向いたらまた日本語書きに来てねー。

  10. 今回も素敵な記事を有難うございます。ガメさんは余白を作るとか、時間を作る事が大事だというのは、本でも仰っていますね。今回の余白の話に通づるような反サバイバル講座に感銘を受けて、私は今年2月から余白を作るようにしていました。似たような切迫した状況の人ほど余白を作る事が大変な上に相談しにくいと思うので、恥ずかしいですが私が行った余白作りをシェアします。

    当時、私はベッドからあまり出れなくなって1年半が過ぎていました。
    鬱症状で余白どころの状況ではないので、やる事がどれだけ溜まっていても赤身ステーキを食べてサプリを摂ればオールオッケーにしました。なんでそんな目標にしたのかさっぱり分かりませんが、取り敢えずそうしました。こうしてゆるふわな目標を達成しているだけだと、自分のネガティブな面がよく見えて自分を責めたくなりますが、その度に勇気を出して肉食べたからおーるおっけー。自分はそういう人間なのだと受け入れることを繰り返しました。そうしていると、余白ができたのか分からないですが意欲のもやのようなものが自分の中からじわじわと湧いてくるようになりました。それもただ受け入れていました。結果、やりたい事が出てきてやりたいやりたいと言えるようになり、自然にベッドから出ていてる時間が増え、戦略を立てて行動する事が好きな私にぴったりの企業で12月から仕事をします。また、その企業ではゆるゆる生きて高収入を実現するという点は理想的ではないので、理想的な生活ができそうな外資企業のいくつかの本社にアタックしていきます。また、仕事以外にも余白作りで変化が出てきた事は沢山あります。パートナーとも出会って、同棲し始めました。自分が他人と暮らせるだなんて、思いもしませんでした。彼もADHDで同類な脳みそだからか、意外に暮らしやすいです。こんなに状況が変わったのも、ガメさんが大事な事を教えてくれるからです。いつも素敵な文章を書いてくれて、有難う。そしてこれを読んでるどなたかで、もし似たような環境で余白作りが上手くいってない方はDMを下さい。私はほにゃらら(@t_honyanya)という名前でTwitterにいます。一緒に余白を作っていきましょう。

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