このごろ、よく、アミどんはどうしているかなあ、と考える。
巖谷さんやなんかからも、「あの人は、どうしているのか?」と聞かれるけど、ぼくもアミどんがどこにいて、なにをしているのか知らないんだから、答えられないよね。
アミどんは、とてもとてもダメな人だった。
ほら、(村上)憲郎さんと進退を相談したとき、憲郎とーちゃんが、
「嵐のときは、身を伏せて、じっと我慢することも大事です」と述べていたでしょう?
自分は、攀じ登った機動隊の装甲車の屋根で石を投げて頑張って、機動隊に投げ返された石の直撃をくらって、遙か眼下の川に落っこちたりしてたくせに、なにを言ってるんだろうね、と、ふたりで大笑いしたけど、現実の知恵というのは、そういうもので、憲郎さんは、「自分は、こう述べなければいけない立場なのだ」と自分に言い聞かせて、「もっともらしいアドバイスをするおっちゃんの役」を引き受けることにして、自分なら従うはずもないアドバイスをくれたことを、きみもぼくも、知っていたけど、現実社会を生き延びようとおもえば、正しいアドバイスであったことも、ほんとうだとおもいます。
ぼくが編集者としてアミどんをベタボメしたことは、日本の社会のありかたを考えると、きっとアミどんにとっては、たいへんな負担になったでしょう。
ほめちゃいけないんだよね、日本の会社って。
アミどんは強気で、それまで勤めていた砥石出版の安月給では働きたくない、とヘッドハンターに紹介された面接で述べたと聴いて、やれやれ、あいつはやっぱりおれのソウルメイトだぞ、と考えました。
ぼくはね、普通は、他人のことは、どうでもいいの。
まあ、自分でしっかりやってください、とおもうだけです。
でも砥石出版でアミどんが遭遇した紛うことなき「集団イジメ」には、すっかり逆上してしまった。
特に同僚たちがコロナでの出勤を拒んだアミどんに、アミどんがインターナショナルスクール出身であることに、引っかけて、「グローバル戦士」と揶揄したと聴くに及んで、逆上を通り越して、心からの憎悪を感じました。
なんだか、日本社会の、いまの深い深い病を、そのまま会社として体現したような、お話しだった。
冷笑と軽く見せかけた心底からの悪意に満ちた揶揄。
しかも集団で。
アミどんは、どれほど、つらかっただろう。
あんまり詳らかに話すつもりはないが、アミどんが正しくも感じた「学歴と男性であることの優位」に安んじて寄りかかって、アミどんを思うさまいたぶりたかったのでしょう。
会社の幹部たちが、密室にアミどんを閉じ込めて、罵倒に及んだと聞いて、なんだか、事態が判ったような気がしました。
だから誰よりも誰よりも法律沙汰が嫌いなアミどんが、どうしても「タダではやめさせない」と恫喝に及んだ会社を相手に弁護士を雇うことにしたのにも驚きはしなかった。
ルールとは別のところで、「こんなに残酷な会社が世の中にはあるのか」と考えて、涙が出ただけだった。
あれからね。
アミどんが予測したとおり、
会社から、なんにも言ってこないよ。
きっと、そうだと、きみもぼくも思ったわけだけど、
ほんとうにその通りだと、なんだか呆れちゃうよね。
いまに至るまで、ひと言も、なんの連絡もない。
菊地信義さんのドキュメンタリがあったでしょう?
あの映画のなかには、アミどんが大好きだった「良い本バカ」の世界の人間が、たくさん出てきます。
紙はどうするのか。
インクは、これがいいのではないか。
資本主義の社会では「取るに足りない」といってもいい規模の会社のひとたちが、おおまじめに、ああでもないこうでもない、なんだか手探りで、
まだ見たことのない「良い本」をつくろうとするのだよね。
そのなかで、アミどんの会社の編集責任者の、有能実直サラリーマン風の人だけが、まるで、そつのない営業サラリーマン然として、目立っていた。
見ていて、ああ、アミどんが苦しんだ原因は、これか、とおもいました。
アミどんは「良い本バカ」でいたかったのに、良い本づくりのメッカと信じて入った会社は、1ヶ月に2冊発行というマヌケなノルマがある、ブロイラーに卵を産ませるように編集者たちに本をつくらせる会社だった。
酷い言い方をしてはいけないが、このあいだ、初めて、アミどんが辞めた会社の出版した本の一覧を眺めていたら、「一流(とされている)著者の三流本」を出す会社だよね。
ブランド主義です。
マーケティングで本を出す会社で、もともと日本語で本を出版する気なんてなかったぼくは、どんな出版社か知らなかったが、なんだかバナナリパブリックやなんかの末期みたいというか、「昔の名前で稼いでます」ちゅう印象が拭えませんでした。
「知的と自惚れる読者なんて、こんなもんだ」という声が聞こえてきそうな、辻井喬が社長だった、バブル時代のパルコやなんかと同じような、「お客様はバカだ」とタカをくくった眼差しの会社に見えました。
アミどんが「独立して、こういう出版社をやるんだ」と述べてきたときの、ぼくの感想は「99%うまくいかない」だった。
すまんすまん、だけど。
オカネの決まりが、どうしても判らない人なんだもの。
こりゃもう、どうにもならないな。
でも、良い本バカに払ってもバチはあたらないだろう、と考えて、
「初めのコストくらいは出してもいいよ」と述べたが、
良い本バカは良い本バカの言葉で、それはまずいよな、わたしがオカネを返すわけはない、とおもったのでしょう、
アミどんは、結局、オカネを貸して欲しい、とは言わなかった。
どういえばいいのか判らないが、やっぱり、アミどんのような人間が、ぼくは好きなのだとおもいます。
良い本バカで、本をつくることになると、膨大なテキストを書いて送ってくる。
こうすれば、どうか。
こういうことは、出来ませんか。
簡単にいえばまったくの「破滅型」で、アミどんには、この世界を生き延びていく能力があるとは、到底おもえない。
でもね。
おぼえていてね。
(松井)至も、(村上)憲郎さんも、おなじ気持ちだとおもう。
アミどんのような人に、ひとりでも多く、生きていて欲しいのね。
わがままなことだけど、それが結局は、日本語への信頼の源なんです。
やさしい顔つきの女の人なので、誰も気が付かないが、ぼくは人間を観察するのが商売なので、見て、すぐに判ったよ。
アミどんは、破滅型の人だよね。
臆病な破滅型の人。
それが、ぼくにとっては、どれほど理想に近い人間の姿か、
あなたには判らないだろうけど。
生きていないとダメだよ。
巖谷さんは、おとなとしてアミどんを遇そうとしているんだけど、
ぼくには、そんな義務はない。
デタラメ同士で、好きなことを書いたけど、
また会えるのでなければ、承知しない。
もうすぐ日本語は、すっかり縁がなくなって、やめてしまうだろうけど
また会おうね。
ぼくの、大事な大事な友だちの
アミどん
追伸
アミどんは、弁護士も、見ていたみんなの観察でも、どう考えたって、会社をやめるときに会社幹部たちに脅しあげられた結果のPTSDに、いまだに苦しんでいるが、悪いのはアミどんのほうじゃないさ。
自分を責めては、ダメだとおもう
また同じ種族同士、みんなで会える日を願っています
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>ほめちゃいけないんだよね、日本の会社って
これは大いに感じるところあるなぁ、、、。良いことは褒めてもいいじゃない!って思うことしばしば。
ガメさん、初めまして。
私はあなたの日本語が大好きです。
本当はその日本語の奥にある、大海原の地平線で日が昇り日が沈むまでを映し取ったようなガメさんの思想が好きなのだと思いますが。
そこから翻って、その繊細な奥深い変化の輪郭をすっとなぞることができる日本語の素晴らしさに、あなたの日本語に出会って改めて気付かされました。
それは今でも、ガメさんの新しい記事が届くたびに続いています。
そして、そんな、両手で波を掬いあげたときの、キラキラと陽の光を反射したような一文たちを一冊の本にしてくださったアミさん、本当にありがとうございます。
この手紙を読んで、あなたが出版までの道のりだけでなく、そも最初から、ガメさんの日本語そのものを支えていた方なのだと感じました。
どうかお元気でありますように。
ガメさんとガメさんのご家族、そしてアミさんが健やかな日々を送れるよう、心から祈っております。