カレーライスの謎

 

(これは2020年2月15日に書いたブログ記事の再掲です)

 

 

インド料理屋のメニューに並んでいるカレーのなかでVindalooにだけは、なぜポークとビーフがあるのか、というのは子供のときからの疑問だった。
豚は言うまでもなくイスラム教徒にとっての禁忌で、ヒンズー教徒にとっては牛は聖なる生き物で、その肉を食べるなんてとんでもない。

神を信じない不埒者が多いイギリス人向けの開発商品なのかしら。

インド人は元は肉を食べることを厭わなかったという点では肉食です。

紀元前2000年頃に、いまのアゼルバイジャンからイラン北部に住んでいたインド=ヨーロピアン族は東に移動して、インド北部に移民として定住する。

このひとたちは、簡単にいえばいまでいうノーマッドで、普段はヨーグルトやミルクベースのうっすうーいオートミールみたいなものを食べていた。

肉は御馳走で、普段は手がでないが、婚礼や戦勝の特別な機会には食べていたでしょう。

いまのインド人はほとんど菜食で、ジャイナ教と仏教の教えが浸透してそうなった。

歴史でいうと紀元前500年くらいから、だんだんにそうなって、紀元前300年から600年ほど続いた「世界で最も富裕な地域」としてのインド帝国」は、だから、ベジタリアン帝国だったことになる。

食生活がおおきく変わるのは8世紀に海上からあらわれて、インドの西北から侵略・植民を始めたサラセン人たちの影響で、ここからいまでもインドと切っても切れないイスラムとの付き合いが始まるが、このひとたちは、いまでもインド料理に残るペルシャ名前の料理をたくさん持ち込んだ。

英語ではムガール料理と呼んで、この名前を考えた人はイスラム=ムガールと短絡していたに違いなくて、そういうテキトーで無知むちむっちんな命名をするのはイギリス人だと相場は決まっているが、実体はムガールとはなんの関係もなくてペルシャ料理です。

見ればわかる。

インド料理のうち、かなりおおきな割合を占める、ローズウォーターやサフランを使うものは、ほとんどペルシャ料理のレシピそのままで、料理を口にするのは多くは富裕な商人だったサラセン人たちだったが料理人がローカルなインド人だったせいで、食材などはややインド化しているが、サラセンたちは保守的な味覚だったのでしょう、ほとんど変更もないペルシャ料理です。

ややくだくだしいが、判りにくいかも知れないので補足しておくと、いまでも多分にそうだが、中東ではペルシャの文明度の高さは絶対で、別格で、ペルシャ人の知識人と友達になればわかる、21世紀になってもアラブ人はやや野蛮であるという偏見を十二分に持っている。

逆にサラセン人たちは、富裕になれば食事や学問はなんでもかんでもペルシャで、ちょっと古代ギリシャとローマ人の関係に似ていなくもない。

ほら、インド料理屋に行くと、前菜にはシシカバブとタンドリ・チキンが並んでいるでしょう?

ぼんやりしていると、ふたつの料理は似たもの同士と感じられるが、出自はおおきく異なっていて、シシカバブは誰でも知っているとおりのトルコ・中東・アジアの広がりを持つ伝統料理だが、タンドリ・チキンは、ごく最近に発明された食べ物で、パキスタンからインドへ難民として逃れてきた料理人Kundan Lal Gujralが外国人向けの料理として、それまではパンをつくるのに使っていたタンドリをスパイスに漬け込んだチキンを料理するのに使うことをおもいついて1948年にイギリス人のあいだではチョー有名なMoti Mahalのメニューに加えた。

ちょっとちょっと、あんた、Vindalooについて書くんじゃなかったの?というせっかちな人のために、このくらいで端折って、結論に移行すると、つまり、インドの人はベジタリアンが基本で、インド料理においてはビーフもポークもラムもチキンも、ムスリム人由来か、さもなければ、近代になってからインドを制圧した欧州人向けに新しくでっちあげた食べ物であるにしかすぎない。

Vindalooは、名前のvinha de alhos(ポルトガル語で、ワインビネガーとガーリックという意味)で判る通り、いわばポルトガル料理で、ゴアのポルトガル人たちが料理人に命じて作らせた料理です。

だから、もともとのオリジナルレシピを見ると、な、な、なんとポークである。

閑話休題。

最近は、インド人の若い友達とランチに出かけると、バターチキンを注文する人が多い。

それが何か?

というなかれ。

イギリス人のような、物識らずの、ぶわっかな国民性の国民であってすら、バターチキンが「インド料理は初めてなんだけど、なにを食べたらいんだろう?」な初心者外国人向け、気の毒にも本格インド料理が食べられない、哀れな人々向けのカレーなことはよく知っている。

実はこれも、さっきのKundan Lal Gujralの発明で、このひとは舌バカの客に対する深い洞察力があるというか、スパイスのおいしさが判らないイギリス人のような非文明的人間は、どんな味を好むかということについて知り抜いていたものだとおもわれる。

ついでに余計なことをいうと、ロビン・クックという、パタリロファンにとっては、やや冗談のような名前の外務大臣が2001年に「連合王国人の国民食」と呼んだチキン・ティカ・マサラも、同様にイギリス、この場合、イギリスという言葉にはスコットランドもウェールズも北アイルランドも含まれるが、の顧客用にイギリスで生みだされたもので、ちょっと考えると意外な気がしなくもないが、バターチキンよりも、さらに後の、1960年代の発明だと信じられている。

自分自身の経験について述べるとブリテン島の西の果てにペンザンスという町があって、親につれられて、子供のときはよく出かけたが、生まれて初めて食べたインド料理がチキン・ティカ・マサラで、世の中にこんなに殺人的に辛いものがあっていいのか、と憤(いきどお)りを感じた。

いま考えてみると、たいした辛さであったわけはなくて、要するに大陸欧州料理ばかりの家庭内で供される料理だけを料理とおもいこんでいただけのことで、いまさらながら、チキン・ティカ・マサラちゃん、ごめんね、とおもう。

いまは、長年の恩讐を克服して、すっかり和解して、ジャルフレジにあきると、ときどき注文したりしてます。

むかしインドの人のガールフレンドがいたころは、あちこちのインド家庭に招かれてでかけて、若い人が集まって住んでいる家などは、おおきな皿に、ありあわせのスパイスミックスで料理た、カリフラワーやオクラ、ポテトを載せただけの「カレー」を食べたりして、楽しかった。

一方ではロサンジェルスの、文字通りお城のような家に住むインド家庭の祖母さんの90回目の誕生日に招かれたときは、ロココ風の装飾にドーリア式の柱廊という風変わりな内装の、ひたすら巨大なシャンデリアのある高い天井のホールに静々と階段を下りてきた老女を囲んで、ひとりひとりのゲストの後ろに侍立する給仕係の人が、次々に繰り出す美味三昧で、ここでも「カレー」が出て、両方をおもいだすと、なにがなし、もちろんイギリス人の発明で、「カレー」という言葉に込められた無知と誤解と、まだ帝国の直轄領化とともにやってきた植民地の現地人としてインドの人々をいちだん低くみるバカタレたちがインドに大挙植民する前の、東インド会社時代の純粋な好奇心とインド文明への憧れに満ちたイギリス人たちが生んだ「カレー」という言葉の一種の歴史的な「切なさ」を考える。

日本もカレー5大国(って、なんだかヘンテコだが)に数えられる独自のカレー文明を持つので有名な国で、むかしは海軍起源説を信じていたが、普及度を別にすれば、それ以前、幕末から入っていたもののようで、内緒では肉食を嗜んだ悪食な大名たちのなかには、口にした人もいたようです。

普及自体は、徴兵はしてみたものの、あまりに劣弱な体格の若者たちの体格を見て、憂慮した陸海軍が、伝統のない肉食をすすめるために、仏教徒の習慣が強く残っていた当時の日本人にも食べやすい食べ物として、積極的に給食したのが起源であるらしい。

いつかツイッタを見ていたら、ベトナム人に日本のカレーを食べさせて反応を見る番組をつくった側の人が投稿していて、「番組内では評判がよかったように放映したが、現実には食べた直後にみんな嘔きもどしていた。あんなものを食べるのは日本人だけ」と書いてあって、へえ、とおもったが、少なくとも英語人はそんなことはなくて、カツカレーは、例えばニュージーランドのような、もともとスパゲティですら不気味がって食べない人が多かった社会でも、大層な人気で、イスラム人の顧客も多い関係でポークでなくてチキンカツで出す店も多いが、これを書いているぼく自身、「よおおおーし、今日はカツカレーでキメてくれるわ」と呟いて単身クルマに乗り込んでテイクアウェイのカツカレーを取りにいく。

日本の「欧州カレー」の淵源は、というか、似たものが、ちゃんと西洋の「カレー」の歴史にはあって、実はフランス料理にカテゴライズされている。

いまの連合王国の国民食として定着した1970年代に始まるインド料理ブームとは断絶した流行で、フランス料理の、いまでいえば批評家だったArthur Robert Kenney-Herbert大佐が19世紀に出版したレシピ本に載っているのが、多分、いろいろな経路を経て、なんらかの形で伝えられたのが日本の「欧州カレー」でしょう。

https://www.britishfoodinamerica.com/Our-Recipes/Onion-dishes/Colonel-Arthur-Robert-Kenney-Herbert-s-1891-Ceylon-curry-of-shrimp-and-cucumber/#.Xkddmy2B3UI

もうキリがないので、この辺で止すが、日本のカレーは、

1 伝統的なアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドのレシピブックに載っているカレーと同じに、イギリス人がもたらしたカレー

2 インドの海外移民がもたらしたカレーが現地化したもの(例:スリランカ、フィジー、ジャマイカ)

3 インド、アラビア、イギリス人がもたらしたカレーの混淆 (例:Bunny Chow

https://en.wikipedia.org/wiki/Bunny_chow )

の三つのうち1に近いが、日本人の圧倒的なカレー好きによって、タイを代表とする東南アジアのカレーと同じで、独自のカレーとして扱ったほうが理解しやすいし、実際、日本のkare raisuは別に章を立てて解説してある記事や本のほうが多くなった。

日本でカレーが爆発的に人気が出たのは、比較的最近で、1960年に ハウス食品が「ハウス印度カレー」という名の固形ルー(roux)のインスタントカレーを発売して以来のことであるように見えます。

最近は、インド料理がオブロイホテルの、日本が大好きなので有名な社長が本格的にインド料理を日本市場に持ち込もうとしていたりもして、
「ほんもののインドカレー」が流行って、いかに日本のカレーがモノマネにすぎないか非を鳴らす人も多いが、同意しにくいような気がする。

遠藤賢司というひとの「カレーライス」という歌があるでしょう?

あの繊細で暖かで、どこかしら子供っぽい味のするカレーは、日本の人をよくあらわしているという気がする。

初めて日本のカレーライスを見たとき、でっかい人参がごろりと入っていて、「日本人のまじめさ」を感じた。

きっと、子供の栄養のバランスを考えた、どこかの母親のアイデアでしょう。

ピリッとしなくて、なんだかのんびりした味だけど、それが日本で成功した秘密かもしれない。

来週は、またカツカレー、食べに行くかな。



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