日本人と韓国人

「パンドラ」という韓国に舞台を移して福島第一事故を描いたような映画がある。

細部は異なっているが、おおまかな構図はおなじで、多分、プロデューサーは、福島第一事故が韓国で起きたら、どうなるか、という興味で映画を製作してみたのではなかろーか。

サスペンスが闇雲に好きな韓国の人の趣味が出ていて「楽しいB級作品」と日本なら呼ばれそうな出来に仕上がっているが、この映画のなかに、

「日本人なら、もっと事故を巧く処理できたのに、我が国は、なぜこうなのか?」と嘆くところが出てくる。

出てくる、と言っても、韓国語は拾い聞きで、アジアの映画であると、往々にして、まったく会話に登場しないことを訳す悪癖がある英語字幕に頼った情けないありさまだったので、覚束ないが、大意、たしかにそう述べていた。

韓国の人は、日本の人の鏡像というか、似ていて、よく日本と韓国を比較する。

夫が英語人の韓国人の友だちがいて、よく4人で会合して遊んだが、この人が、会うたびに日本と韓国の比較をしてみせる。

民度、という言葉を使うところまで日本の人と同じです。

十年前は、「アジアでは、やはり日本がいちばんで、次が韓国だ」と述べていたのが、数年前に会ったときは、「日本と韓国がほぼ同程度で並んでいる」になっていた。

もしかしたら、いまは「文化では韓国が日本に勝っている」と考えるようになっているかもしれないが、思うだけで、口にだすほど品性を欠く人ではないので、言葉にしては言わないでしょう。

なんとなく、COVIDが終わって次に会ったときは、お得意の日韓比較はしてみせないような気がする。

日本語のネットを見ると、口汚く韓国を罵る人がいて、一方で韓国のことならば、なんでも日本より優れていると言い立てる人がいて、びっくりしてしまうが、韓国船のレーダー照射事件があったでしょう?

あれが日本の人に「韓国は日本を敵視して、ことあるごとに神経を逆なでにかかっている」と思わせる、錯覚を与えるため(←何の為に?)の社会全体の構図で、事件後すぐに田母神俊雄元空将が述べていたように、韓国船の行為は、まったく普通のことで、軍人ならば、なぜ一国の首相まで逆上して怒り出さねばならないのか、理解しかねる「事件」だった。

日本の人でなくても騙されてしまう仕掛けを簡単に説明すると、まず前提となっている日本の海自哨戒機のなかの、いかにも冷静に「敵」のレーダー照射による挑発をプロとして淡々と処理する乗員たちの会話が、不自然で、ニュースを観ているほうは「韓国の危険な挑発行為」と思い込まされる。

田母神俊雄は、そのことに気が付いて、軍隊として不健全だと言いたかったのでしょう。

結局、いつもは味方してくれるネット右翼と安倍政権支持者の袋だたきにあって、

裏切り者とまで呼ばれて沈黙してしまったが、あの人は、あれで、日本の人のなかで自衛隊に胚胎する腐敗の危険を最もよく感じ取っている人なのかも知れません。

「相手に反論させない」技術ばかりが異様に発達した日本語では、こういう全体の仕組みとして詭弁をなしている、社会がまるごと加担した非常によく出来たカラクリがあって、うっかり観ていると、とんでもない架空な事実を信じ込まされてしまうので、別に日本の人でなくても、首相からして韓国指導者への嫉妬を隠すことさえ出来ない社会になってしまえば、騙される、というより自然と疑いようのない現実だと認識してしまうのも無理はない気がします。

韓国の側には、そういう手の込んだ仕組みは存在しないので、主にネットを通して見聞きしたことをもとに、普通に印象を形成していくが、少なくとも英語圏で会う韓国の人は、日本を共通の問題をおおく抱える、自分と似たところがある隣人として考えている。

少なくとも英語圏で会う韓国の人たちは日本の人の多くが韓国人を毛嫌いしていることも、よく知っていて、自分たちの社会が抱えるネット上のゴロツキたちが、日本人のゴロツキたちと、言い合いを繰り返しているのも、よく知っているようでした。

傍で見ていると、韓国人友がよく言うように、「個人にとっての社会の生きづらさ」が似ている。

自殺が多いことも、共通している。

社会という万力でゆっくり締め付けられて肋骨が折れ、背骨が砕かれるようにして、魂が社会に殺されてゆく。

韓国に住んでみたことがないのでディテールを伴った実情は判らないが、たいへんな女性差別社会であることや、学歴社会で、しかも「学歴」という言葉が、本来意味するPhDなのか修士なのか学士号だけなのか、ではなくて「どの大学を出ているか」であることまで同じであるようです。

「地方大学」なる単語が存在して、ソウル大学のような一流と目される大学ブランドと対比されて、「地方大学」出身者は、就職ですでに大きな壁に直面して、幸運にも採用されても、一生差別が続く点では、聞いていると、案外と縦に流動性がある日本の学歴社会よりも、硬直していて、差別も激しいようでした。

日本語ネットで、日本の地方都市からアメリカへ渡って、ウォール街で職を得て、アメリカ金融社会で社員として成功したという女の人とtwitter上で話したことがある。

話をしてみると、まともな人で、日本の女の人を狙い撃ちにして虐待を繰り返す社会にうんざりしたのでしょう、日本の地方からニューヨークに出て、苦学力行そのまま、アメリカ人に伍して恙なく勤め人人生を終えるのは、気丈な人なので、口にしないだけのことで、たいへんな苦労があったに決まっているが、

困ったことに、この人が加担していたのは、CDOを悪用して貧乏人たちからカネを巻きあげて、やがて反発からトランプ大統領を生むに至った集団詐欺時代のウォール街で、それを、まるでバブルの土地転がしで貧乏人からカネを巻きあげて大儲けした時代の日本の不動産会社員そのまま、謳い上げるように誇って、日本の社会は、ウォール街を見習うべきだ、などと言い出すので、ブロックしたことがあった。

えらい勢いで「ド素人になにが判る」と息巻いていたが、そのときは言わなかったが、その「ド素人」ほども現代金融の仕組みが判っていたとは思えません。

知っていたら、まさか、あの時代の、あんな街で生きていこうとは思わなかっただろう。

おもしろいことに、ほぼ同じ立場にいた韓国人の男の人は、やはり退職したあとで、ドキュメンタリのなかで、英語人のインタビュアーに、「あなたは自分がウォール街で犯罪的なマネーゲームに加担していたことを恥ずかしいとおもっていますか?」と、訊かれて、

それまで明るい顔で、ウォール街時代の躍動的で「エキサイティング」な日常を語っていたのに、突然、下を向いて、沈黙して、そのうちに、もう我慢できないというように涙を流し始める。

もちろん、正しいことではなかったし、いまでも我々の犠牲になって家を手放さなければならなかった人たちには申し訳ないとおもっている、と述べた。

韓国の人が持っていて日本の人にはないものの最大のものは倫理だが、

自分の内なる倫理に徹底的に痛めつけられて涙する姿は、韓国の人たちの人間性をよくあらわしていた。

韓国系友は、「そう!韓国人は倫理意識が強いんだよ。倫理倫理で、倫理ばかり拘って仕事をしなかったから日本の植民地にされたのに、おれたちゃ、いまだに判ってないんだ!」と笑っていたが、この社会を一本貫く剛性の強い倫理が日本と韓国をおおきく隔てて、食事の途中でスプーンをおき、オフィスでは表計算の画面をそのままにして、政府への抗議のために通りに出て街を埋めつくす自由への断固とした態度になってあらわれている。

この韓国友は、倫理意識が強いから日本人より韓国人のほうが悪い奴は、ずっと悪いんだぜ、と言ってへたっぴなウインクをしたりしているが、観察していると、言わないだけのことで、どうやら韓国の人たち自身も、自分たちが骨がらみに身に付けている倫理が自分たちを、機会さえあれば他人や他国を踏みにじる日本人から分かつものだと理解しているもののようでした。

韓国人友は、よく「日本人のほうが物事を冷静に処理する能力がある人が多くて、羨ましい」という。

韓国人は、感情的でダメなんだよ。

職場ですら、すぐ喚く、怒鳴る、机を叩いて怒る、ひどいやつになると、部下で、自分よりも地位が下で刃向かいできないと見るや、平手打ちするのまでいる。

聴いているほうは、人間性に乏しく機械に近い日本人は羨ましい、と述べているように聞こえて、なんだか、面白い気持ちになってきます。

史上、一二を争うほど悲惨な戦いだったチョシン湖の戦いを持ち出すまでもなく、韓国の人は、結果として後背にあたる日本を守るためでもあるかのように、自分たちの国土を廃墟にして朝鮮戦争を戦ったが、あきらかに日本の身代わりとして自国の若者が大勢死んでいったのに、意外と日本の盾になって犠牲になったという意識はなくて、ほんとうに酷い目にあった被害者は被害者意識を持たないものだというが、朝鮮戦争で地政学的には殆ど日本を防衛するために激戦を戦い、ベトナム戦争でも平和憲法を盾に若い人達を派兵することを拒んだ日本政府に代わって、朴大統領が大量の若者を人間を人間でない獣に変える地獄の戦場に「自発的に」自分たちの若い人を送り込んだ歴史を眺めているようでした。

近親憎悪という。少しだけ、しかし決定的に異なる隣人をもつことは、インドとパキスタンの例を持ち出すまでもなく、憎悪を生みだす。

日韓の場合は、なぜか、歴史的には一方的な加害者の日本の側が、まるで強姦した相手に向かって、やられたやられたって、いつまでも、ぎゃあぎゃあ泣き喚きやがって、虫酸が走らあ、と述べる与太者にでもなったように、安倍政権時代などは、首相を先頭に、たいへんな憎しみだったが、

諸国の指導者たちの失笑を買うほどの、外交音痴もいいところだった安倍首相は気が付かなかっただろうが、言うまでもなく、この日韓の「対立」は、日本の安全保障のおおきな弱点になっている。

希望は、もちろん、あります。

例えばニュージーランドに来てみればいい。

英語社会のなかでは孤立しがちな日本の人の最良の友は、多くの場合、中国の人か韓国の人で、ごく自然に「自分たちは家族のようなものだ」と思っているように見えます。

なかでも韓国と日本の人は、生真面目で融通が利かないところや、それなのに、生来のやさしさが隠せないところまで似ていて、

いったん、仲良くなると、なんだ、きみは、ぼくだったのか。

なぜ、いままで、きみに会えなかったんだろう、ぼくは、どうして、そんなに、ぼんやり迂闊な気持ちで暮らしてこれたのだろう、と述べたそうにしている。

自分たちの国の外で、ひと足先に日本と韓国の未来を実現していて、

いまの啀み合いが、いずれは過去のものになる過渡期的なものであることを示している。

なかよくすると、いいですよ。

日本人も韓国人も、世界の宝のような文明を持っているのだから。

和解して肩を抱きしめ合う日が、少しでも早く来ることを祈っています。



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6 replies

  1. ♥️を、100贈りたい。
    読めて嬉しかった。ありがとう。
    兄弟、仲良くしていきたいと思ってる、そういう未来を作りたい。

  2. 韓国人とも中国人とも台湾の人々とも仲良くしたいです。日本人の中でそのような考え方は少数派だとしても、お隣の国の人々と和解してハグし合いたいです。
    いつかそんな日が来るまで、微力ながら出来ることをしていきたいと思っています。

  3. 小倉紀蔵を思い出した。
    韓国に留学して、韓国という奇跡のような現象に衝撃を受けて、本気で韓国人になろうとした人。
    日本人にはない韓国人の垂直的な倫理観について、強烈に指摘する本を書いてたね。
    とても面白い本で、読んだ後、日本人は逆立ちしても韓国人には敵わないんじゃないかと思われた記憶がある。

    あともう一人、知り合いのコンビニで働いてるおばちゃんを思い出した。
    私のデタラメな英語は欧米人のお客さんにはまったく通じないけど、なぜか韓国人のお客さんは理解してくれるんだよ。日本人と韓国人ってやっぱり分かり合えるんだね、って笑いながら話していた。

    そうか、分かり合えるのか。嬉しい話だ。

  4. 「韓国人は、感情的でダメなんだよ」
    司馬遼太郎が、朝鮮人に対して尊敬を抱いたのは、そこではなかったか。
    そうだよな、やっぱり、日本の兄弟は朝鮮の人たちだよな。心温まる話でした。

  5. >自分たちの国の外で、ひと足先に日本と韓国の未来を実現していて、
    >いまの啀み合いが、いずれは過去のものになる過渡期的なものであることを示している。

    そうだといいなぁ。
    「冬のソナタ」に始まる韓流ドラマの流行でハングルを学ぶおばちゃん達が大勢になり、今も韓流ドラマの熱烈なファンがそこここに存在しているのを目にすると、どうしていつまでも嫌韓な人々がいなくならないのかなぁと不思議な気がするのです。

  6. この前、子供たちと一緒にKポップのビデオを見ていたら、面白いことがありました。 そのビデオは韓国でのコンサートを録画したもので、曲の序奏が始まった途端、韓国のファンの人たちが一斉にメンバーの名前を唱え始めたのを見て、うちの子はびっくりして「これが韓国の音楽ファンの普通の行動なのか⁈ 集団でChantしててカルト集団みたいだ。 それにStage Nameがあるのに本名を連呼するのは、本人の意向を無視してるんじゃないか? 私は『軍隊』と名乗る人達とは一緒にコンサートに行けない」と言ったんです。 その韓国の光景は私が子供のころに見た日本のジャニーズ事務所のアイドルのコンサート会場の光景と瓜二つで、「そんなところまで一緒なのか⁉ やっぱり同じ国なんだなあ」と、私はなんだか可笑しくて笑ってしまいました。 (私の親は、隣で、私が子供のころに「えっ、日本の人は、折角、好きなアイドルのコンサートに来てるのに、こんな軍隊みたいに一斉に掛け声をかけて、本当に、こんなことで楽しいの⁉ 私には絶対にできない。くわばら、くわばら」と言ってたことを思い出して、「こんなところまで似てるのか⁉」と笑っていたようでした)

    私は長い間「日本も韓国も女性差別が酷くて、どっちもどっちだよなあ…」と大して区別もせず期待もしていなかったんだけど、米国で就職して一年目に、韓国人の同僚が日本のセクハラ・オッサンを追っ払ってくれた時から、「うわっ、こんなにも違うんだ」と思うようになりました。 そこは、たまたま、日本人の多い職場だったんだけど、やっぱり、日本人の同僚はニヤニヤ笑って見てるだけで、あれが日本だったら、止める人は誰一人いなかったでしょうね… 私は、翌年、その職場を去ったけど、この韓国人の同僚とは今も連絡を取っていて、韓国に帰国した彼の話を、いつも「直情的に不正義に対して怒りをぶつける、あのストレートな怒りは、社会を変えるエネルギーなんだなあ」と思いながら聞いています。

    私は独身で自分一人の問題だったころは、そういう日本人の正義感の欠落具合も気にならなかったけど、子供ができて以後、日本の人たちと折り合いをつけるのが難しくなりました。 いや、これは日本人に限らなくて、例えば、私はX-MENのコミックが好きで、ブライアン・シンガーのX-MEN映画を喜んで見てたけど、子供が出来てから、ブライアン・シンガーが撮影したのかと思うと、X-MENの中のX-マンションに住む子供たちを正視できなくなりました。 今もプロフェッサーXは好きだけど、結局、ファンダムを止めてしまいました。 あと、うちの職場近くのコーヒー・ショップにはトランス・ジェンダーのバリスタの女性がいるんだけど、顔なじみになって、ホリデー・シーズンになると、うちの子供にアップル・サイダーを奢ってくれたりして子供が彼女に懐いてるから、私にはどうしてもJ・K・ローリングのやっていることが許せなくて、最近、友達と喧嘩して絶交してしまいました。 いや、前々からのハリー・ポッターのファンの人たちが、J・K・ローリングのことは脇に置いて、今もハリー・ポッターを愛し続けるのは良いんだけど、そうではない友達がJ・K・ローリングの擁護じみた言動を始めたら「えっ、今までLGBTQについて話していたことに、トランス女性は含まれていなかったのか!?」と、頭に血が上ってしまいました。 

    私は、こんな風だから、喧嘩して友達を失うことも多いんだけど、態度を明らかにすることで新しい友達のできることもあるし、自分の行動に後悔はないんだけど、日本の人は、やっぱり、そうは思わないみたいですね… 日本の人がTwitterで「友達をブロックするのはやぶさかでない」と「性犯罪者を排除する社会はやぶさかでない」と同等の重みで論じているのを見たりすると、私は「おお、ジャニーズ事務所の社長が社長職を辞任することもなければ、刑務所にはいることもなく、何一つ失わずに、大富豪として大往生する国の人は民度が違うなあ…」と変に感心したりします。 このくらいなら、話が通じるだろうと思って話をしていた、いい歳こいた大人まで、日本では、そんなことを言ってるから、「日本人の倫理観のなさは徹底してるんだなあ… 本当に悪いことだと思ってないんから、話が通じるわけがないよなあ…」と思います。

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