鎌倉駅前で中村伸郎を見たことがある。
視覚的に鮮明な記憶で、夏の、表駅の、東急ストアから交番のあいだの人混みのなかを、杖をついて、麻の背広を着て、若い女の人ふたりに挟まれるようにして、曲がった背で、ゆっくりとゆっくりと歩いていて、改札の前に立っていて、駅前を眺めていたわしは、
「ああ、中村伸郎だ。ずいぶん歳を取ったなあ」と考えながら眺めていた。
たしか2001年のことです。
記憶のなかでも、もう東急ストアの一階にスターバックスが出来ている。
ところが英語の書き物の用事があって、ふと、そういえば中村伸郎は日本語wikipedia では、どんなふうに扱われているのだろう、と考えて、ページを開いてみて、呆然としてしまった。
1991年7月5日没、と書いてあって、そんなバカな、と他のサイトを当たってみても、やはり同じことが書いてある。
「幽霊を信じますか?」と訊かれると、「いえ、信じません」と言下に応えることにしている。
見たこともありません、という。
話題をそこで打ち切りにしたいからであって、数学といえど、ほんとうは言語学なのかも知れないが、分類は科学で、科学を学んで、若い時は恐ろしいことをするもので、あまつさえ、短い間ではあるが、学生に教えたりもしていたのに、器質的な大脳をもたず、意識があるはずもなく、声帯も持っておらず、そもそも人間の視覚に感応する反射表面すらもたないのに、
夜のベッドサイドに姿をあらわして、考えを述べたり、まして、すすり泣きをされたりしたのでは、たまったものではない。
説明できないどころか、自分が世界を認識して説明するための拠り所にしている科学への真っ向からの挑戦で、そんなものを認めた日には、自分の知性をまったく否定するようなものだからです。
ところで、幽霊を信じたくはないが、「見たこともありません」は真っ赤な嘘で、嘘と呼ぶのが憚られれば方便という便利ないい方もあって、幻覚なのか、錯乱して脳内に映像が生みだされただけなのか、内因によるのかも知れないが、いままで38年を生きてきて、
これって、もしかして、幽霊なんちゃうかしら、と考える事象に出会ったことは何回かある。
おもいつくままに挙げて、
以前twitterで触れて、そのときは運転している人の体験として書いたが、わしも助手席に座っていて、鎌倉山の、ちょうど鎌倉山ローストビーフを過ぎたあたりで、赤いハイヒールをはいた女の人の足が道を横切るのを見たことがあった。
「女の人」と書いたが、膝の少し上から下の、足だけで、奇妙にはっきりした赤いハイヒールは鮮明だが、上に行くに従って、ぼんやりとして、太ももにまで映像はなくて、そこから上は、向こう側の道がみえている。
あるいは午前2時ころ、友だちの家で酔っ払って、その年長友と、酔い覚ましに二階堂をふらふらと歩いていたら、例の横浜国大附属小学校のタイルを敷きつめた道にさしかかる手前で、右手の駐車場の奥にある家のドアが急に開いて、子供が走り出てくる、家の明かりを背中が浴びた母親らしい女の人が、戻りなさい!
こんな時間に遊びに出かけてはダメでしょう、と叫んでいる。
次の日の朝、小町の家のベッドで眼を覚まして、前晩のことをおもいだすと、駐車場の奥に、家なんかあるはずがないことに気が付いたりしていた。
日本語で書いているのだから日本の例を書いたが、実家は、幽霊が生きた人間と一緒に住んでいて、背を向けた位置にあるドアを開けたまま、夜更けに、ええ?そんなことしちゃうんですか?女の人に載っかって、そんなことしていじめてはいけないのでわ、なサイトを見ていて、ふと、ひとの気配がするので、この時間に家のこの区画に人がいるわけはないが、とおもいながらふり向くと、古めかしい装束の、手に燭台を持った女の人が立っていて、
怖がるよりも先にバツが悪いおもいをしたことがある。
もうちょっとで、「一緒にご覧になりますか?」と何を言っているのか考えもなしに、尋ねてしまうところでした。
次の瞬間に、ふっと消えてしまったので、訊かなくてよかった。
あるいは、かーちゃんには人が悪いところがあって、いくつかある客用の寝室で、あんまり好ましくないと感じている客が来ると、裏庭に面した、分厚い、やたらと高さがある裏玄関のドアに近い部屋に案内して休んでもらう。
この部屋から最も近いシャワーとトイレがあるバスルームに行くには、裏玄関へ続くホールウェイを通らなければならないが、横切るときに右を見ると、時々、子供が立っている。
夜更けの3時頃に、きちんと盛装に近い恰好をして、子供とは思えないような厳しい眼で、こちらを見据えている姿を見るのは、あんまり気持がいいものではないらしくて、いちど見てしまうと、家を訪ねてきても、夕餐が終わると、そそくさと帰ってしまう人が多いようでした。
日本では中村伸郎のように乾いた幽霊は少なくて、たいていは、哀切で、哀しみに満ちた存在が多いようです。
信濃追分には、コンビニストアが出来ても、すぐ閉まって、ローソンからファミリーマート、ファミリーマートからサークルKというように、次から次にチェーンブランドが変わるので有名な店舗用地があったが、ここは地元の人には有名で、きのこの山を買いに来て、ふと横を見ると、酌婦然とした、女の人が好奇に満ちた顔で棚を眺めている。
裏で、品物を並べるためにアルバイトの女の人が忙しく仕分けをしていると、部屋の隅に、じっとこちらを見ている女の人がいる。
客より何より、従業員として働く人が逃げてしまって、店長を自分で勤める羽目になるが、夜、客がいなくなったレジで、人の気配がするので、見ると着物姿の女の人が立っている。
ヘアスタイルは江戸時代のものです。
ちくしょう、お前のせいで、おれは破産しかけているんだぞ、この野郎、文句を言ってやる、と思った瞬間、女の人がニヤリと笑って、気の毒にこのオーナー店長は絶叫しながら店の外へまろびでて、場所もあろうに、かつて寺のなかに投げ捨てられた娼婦たちが無縁仏として葬られている墓地に走り込むまで、どこをどうやって辿り着いたか、記憶がなかったそうでした。
日本の人なら誰でも知っている「雪女」や「耳なし芳一」は、もともとは英語で書かれているが、英語で書かれていてさえ、日本語人の、静寂のなかに響き渡る武者の声や、底冷えがするような哀しみが伝わってきて、子供わしは夢中になって読んだ。
そのあと、日本に住むことになって、夜にはネオンの洪水になる日本を見た子供わしは、ラフカディオ・ハーンが描く日本と、あまりにイメージが異なるので面食らったものでした。
自分で自分の頭のなかのワードローブに潜り込んでみると、わし頭の「日本の美」のなかには、あきらかに幽霊たちが含まれている。
幽玄、という言葉があるが、能楽や怪談に現れる、この世の人ではないひとびとの姿は、世界で最も繊細で、哀しく、感情に訴えるだけでなくて、文字通り、背筋がぞっとするほどの美しさにみちている。
ずっと昔、あまりに靖国に祀られた兵士たちを悪し様に述べて、右翼の壮士のような言葉の調子で、罵りまくっている人がいたので、将軍たちのように日本を破滅へ導いたひとびとは、別だが、ただの、19歳や20歳の、訳も判らずに戦場に駆り出された若い人たちは、ただ犬死に死んで、気の毒だとおもいませんか?、どんな国でも自分たちの社会のために命を落とした若いひとびとを惜しむための場所があるよ、ただ政治的理由で個々の兵士まで罵るのは人間性に欠けると思う、と書いたら、この人は、そのあと、わしを12年に渡って、あちこちで「靖国崇拝者」「右翼」と呼んで罵り続けているが、
そういうことを目撃するたびに、幽霊というものが、ほんとうに存在すれば、どれほどいいだろう、彼らがいまの社会に現れて、自分が人を殺すことを強制され、結局は殺されて、なにもしないうちに、この世を去らねばならなかったことが、どれほど悔しかったか、言葉にして述べられれば、どれほどよかっただろう、とおもうことがある。
JALのパイロットの人が、操縦士時代を振り返って書いた自伝という面白い本があって、そのなかに、成田からクライストチャーチへの直行便を操縦していて出会った出来事が出てくる。
旅客機を誘導するためのビーコンは日本とニュージーランド間ではガダルカナルにあるので、乗っていて注意すれば、晴れた日は、客席からも眼下にガダルカナル島の特徴ある島の姿が見えるが、この機長の人は、あるとき、見えるはずのない飛行機の直下から、ガダルカナル島を出た光球が、ぐんぐん自分の飛行機めざして昇ってくるのが「見えた」という。
うわっ、ぶつかる、と思う間もなく、眼の前に、襤褸をまとって、例の日よけの耳覆いが垂れている軍帽を被った帝国陸軍兵士が敬礼して立っていたそうでした。
西洋の幽霊は怒りの感情が凝ってあらわれることが多いが、日本の幽霊は無念さが凝ってあらわれることが多いようでした。
冷静に考えれば、あれほど酷い目にあわされても、この世界に死後に戻ってきたと証言される例は、ひどく少ないので、やはり幽霊などはいないのでしょう。
では、なぜ、どんなに正気を保っていても、きみやぼくが幽霊を「見る」のか、ときどき考える。
スペインでの鏡のなかの他人の顔を別にすれば、最後に出会った幽霊は、ニューヨークのホテルの部屋にあらわれた若い男の人だったが、なぜか恐怖心も起こらなくて、やさしい気持が起こって、
ねえ、きみ、きみはもう死んでいるんだよ、こんなくだらない世界に戻ってきても仕方がないとはおもわないのかい?
と述べると、壁から抜け出てきたのに、生身の人間とまったく変わらないくらい明瞭な輪郭の肉体をもっているように見えた、その亡霊は、顔をくもらせるようにして、搔き消えてしまった。
いつもは、この世界に共に生きているひとたちに向かって述べるのだけど、今日は、死せる魂に向かって述べてみるね
メリー・クリスマス!
きみたちも、わしも、少しでも世界を多く、愛せますように
懸命に生きて、いまの、この平和で繁栄する世界を、残してくれて
ほんとうに、ありがとう
では
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