だんだん習熟と呼べる状態になってくると、日本語では「十分に考えられていない」のではないかと疑う感覚に陥る。
ほんとうにそうなのかどうか。
なんだか日本語でひとと話していて、ふと、真剣ではあるが、やや子供っぽい二十代の人と話しているような奇妙な気分になることがある。
言語習慣上の理由によっているようです。
海の上で盗まれたものの話をしている。
ディンギイをジェットスキーに乗ったカップルに持っていかれてしまった人、コックピットと呼ぶ後甲板に置いてあった双眼鏡を忍び寄ってきた、やはりジェットスキーのカップルに盗られた人、
たいてい入り江での停泊中で、オークランドのハウラキガルフだと、ワイヒキという観光開発が進んだ島があって、その島の南側のいくつかの入り江が最も盗難が多発するが、あるカップルなどは、乗ってきたヨットを、上陸して、丘のうえのカフェでコーヒーを飲んでいるときに盗られてしまった。
「いくらワイヒキが危ないからって、ここからはヨットが見えるし、安心だね」と言い合いながら、コーヒーを楽しんでいたら、いきなり錨がするするとあがって、帆もあげずに、エンジンで、すううううっっと湾外へ出て行ってしまったものであるらしい。
「見てるから安心」という理屈が、いかに間違っているか、よく判った、と述べて笑っていたが、おなじマリーナの、おなじピアの誼で、海上で会うと、お互いの船の上や、どこかの島のパブで、一緒にビールを飲んで話をする仲間の、いまはニュージーランドに住むUK人が、訊ねられて、ちょっと考えてみて、ぼくは何も盗まれた経験はないな、と述べている。
少し、間があって、(いつのまにか)釣り竿がなくなったり、コックピットに置いてあった財布がなくなったことはあるけどね、と述べている。
ふと、そのときの会話を思い出して、あれは、もしかしたら、日本語人ならば、「ぼくも盗られたことがある」と言うのではないかと考えていました。
人格に依っているわけではなくて、英語人にとっては普通のことで、「たしかに事実である」ところまでしか話さない。
盗られたのかもしれないが、スウェルでおおきく揺れて海に落ちたのかも知れないし、釣り竿ならば、海から大鮹が這い上がってきて、海のなかまの恨みを晴らすために担いで海底へ持っていってしまったのかもしれない…. というのは冗談だが。
日本語は感情を表現することに一日の長がある。
語らずして、文章に感情を纏わせる、というのは他言語ならば名人芸に属するが、日本語では、およそ「日本語が書ける」人なら、比較的簡単に、巧まずにやってみせられます。
どちらかといえば、情緒と感情が過多で、あんまりものを考える習慣がないひとであると、好き嫌いと道理の区別がつかないことさえある。
好感が持てる人の主張は、なにごとによらず正しいことになってしまうことも多いので、好感なんて他人に持ってもらいたいと思わない人間が、案外な数で跋扈している英語人から見ると、たいへん感情に左右されやすい、時には、悪くすると、所謂「なあなあ」の、卑しい和やかさに支配されやすい世界にさえ見える。
仲間外れ、という日本語があるが、この工夫もなにもない表現が、何食わぬ顔をして何十年も生き残っているのは、それが日本の人が心のうちで、心底怖れている状態だからなのではないか、とよく考えたものでした。
わたしは、ひとりで、ここに来ました。
わたしは、ここから、また、ひとりで立ち去るんです。
もし人間の本質を成している魂が、来歴と将来の見通しを訊かれれば、他に応えようも無く、ただ、そのふたつの真実を述べるしかないだろう。
感傷でも抱負でもなくて、ただの現実を述べているだけのことで、親友ができても、恋人ができても、その恋人がやさしい人で、伴侶になり、あるいは父親や母親になっても、きみが、ひとりで、ここまでやってきて、未来においても、ひとりで去っていくことになるのは、単純な現実にしかすぎない。
もしかしたら、日本の人が「自分という、最高の、ゆいいつの友だち」を大切に出来ないのは、人間は例外なく、ひとりぼっちなのだ、ということが、実感として、当然の感情として、判っていないからではないだろうか。
人間の言語、取り分け日本語は希望をもつことにも絶望することにも向いていなくて、もちろんコミュニケーションなどは、大の苦手で、ときどき言葉で判りあえたようなオメデタイ気持になるのは、アルコールの過剰摂取によっているか、あるいは、ものを考える習慣がないからでしょう。
強く、手を伸ばせば摑めるような輪郭が太い線で描かれた希望を持つことが出来ず、十分に深く絶望することも出来ないのは、山を移すためのツルハシには決して手が伸びず、偉そうに批判の言辞を弄んで、twitterのような場所で滑稽なばかりのアジテーションまでやってみせるのに、日本語人は銃を手にとって、震える手で銃に弾を込める絶望の深さには決して届かないことひとつをとっても明瞭な判り方で判るもののようです。
そうして、その絶望と希望の欠落も、日本語という、お互いの顔色を絶えず窺って、相手の頭のなかにありそうな「正しい」ことを口にするのが習慣の言語に由来している。
日本語が理解できるようになってくると、他言語と比較において、日本語世界では革命はおろか、本質を変更する深みのある変革も不可能であることが判って来ます。
簡単に言ってしまえば「いろいろ言ってみるだけ」の言語で、これは、例えばtweetを「つぶやき」という、とんでもない誤訳 (いつも誤解して憤慨する人が出てくるので、先んじて述べておくと、この場合の「誤訳」は比喩で、つぶやいてみせる日本語人がtweetが「囀り」に近い言葉であることを知らないと考えているわけではありません)が流通してしまうのも、言語の性格が、自分の情緒を、以心伝心、他者の海へ、波として伝播することに偏っているからでしょう。
そんな言語で社会が変えられるとおもうほうが、どうにかしている。
それに、言語の性格上落ち着いて観察すれば判るが、耳に入ってくるセンテンスの解釈なり即座の分析なりも、ちゃんと最後までやりはしないので、
なんのことはない、話す方も「つぶやき」だが聞く方も、特段に意味がある言葉として聞いているわけではなさそうです。
だから日本語はダメだと言っているのかというと、そんなことでは全然なくて、言語としての役割が異なるのだと述べている。
日本語人は、時に、生身の人間であるよりは、シンボルであるように見えることがあって、体臭もなく、マネキンのようにツルリンとした魂で、ただただ、言ってみれば剥き立てのゆで卵のような人生を生きようとしているのだとおもうことがある。
この世界に、ひとりでやってきて、ひとりで去って行くのは他言語人と変わらないが、日本の人には、どこか、陰から生じて、陰に消えてゆくようなところがある。
距離というものは偉大なもので、常に本質だけが見える見え方を与えてくれて、日本語人のそういうところが、途方もなく好きになる。
日本語人は、いま、和魂洋才なる言葉まである、150年の軽佻浮薄に、別れを告げようとしているのだとおもってます。
多分、ことの初めから、いわば、西洋人の頭をなでる「いいこいいこ」の「お愛想」として以外は、西洋の価値などに洟もひっかけない中国語人が、ここに来て、自信をつけて、例えば民主主義や自由主義などは西洋人の多分に甘ったれた幻にすぎない、と言葉にして述べだしていることの影響もあるのでしょう。
日本語世界には日本語世界の価値があるのだ、というような20世紀的な、肩肘を張った主張ではなくて、もうこれ以上は西洋価値に付き合えない、あれは身につかない、と社会の潜在意識が気が付いてしまっているのかも知れない。
簡単に言ってしまえば、もう日本語人は「西洋文明を理解・消化して、それに基づいた独自の言語文明をつくる」などということは、言葉で言ってみるだけの「お題目」に過ぎなくて、そんなことは現実には有り得ないことなのだと、主に、文字通り桁違いに増え続ける情報の巨大な濁流を前にして、「判ってしまった」状態にあるのだとおもいます。
では、どうするか。
ここからの、自分で使ってもいいと考えている、「日本語の残りの時間」は、
それを一緒に考えていくのが良さそうな気がしました。
夢のなかに出てくるきみは、いつも、半分は影のようで、それでいて、目に涙をいっぱいためているのは、なぜか判然りとわかる。
わたしは、ひとりで、ここに来ました。
わたしは、ここから、また、ひとりで立ち去るんです。
そんなに、泣かないで。
きっと、だいじょうぶだから
声をかけようとすると、かき消すようにいなくなる、
日本語のひとたちに
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「仲間はずれ」
子供の頃から何度も経験してるので
もっとも恐れる事態ではあります😅
傷になって残るんだよね。
もう痛くなくても、傷跡を見ると
痛かった時の事を思い出す。
でもだから、
ひとりが大丈夫になった。
何度も独りぼっちを味わったけど、
本当はみんなも独りぼっちだよね。
いつも読ませてもらってます。
「好き嫌いと道理の区別がつかない」のは、日本語では明確に
直説法indicative
と
接続法subjunctive
を区別してこなかったことも関係するのかな?その辺の区別がなく、味噌も糞も地続きになってるとか。
ありがとう。
西洋文明との別れはその通りだと思います。
いつか、日本刀の様な、凄絶な美、この文明の恐ろしい程美しい繊細さを、表現し得る言語を、造り上げて見せます。
「あれは身に付かない」
そう、それがここ数百年で日本社会が得た知恵だと思います。
中国の文化を吸収するために生まれた日本語は、千年かけて日本語人を付和雷同のうまい民族にした。その一方で、近代が始まって世界が一体化すると、日本は東アジア世界の端っこではなく、中国とアメリカの間の国という、現代の地政学的状況にもつながる新しい位置付けに適応しなければならなくなった。
中国の真似が終わって鎖国して軍事独裁国家を楽しんでいたら、グロテスクな黒船が来て西洋の真似も始めようということになって、馬鹿でかい戦艦作って戦争しても結局うまくいかなかった。中国と西洋の両方を真似るということは論理的に不可能であるけれど、完成してしまった日本語で社会を西洋のように改革することは出来ない。
じゃあどうするか。
それを考えるのが、ガメさんがこの先日本語に割ける短い時間だけではなく、これから百年の日本語人たちの課題であってほしいなあと思います。
「言語としての役割が異なる」というのはその通りだと思います。
西洋語が物事の真実を言い表すために使われるのに対し、日本語は物事の関係性を実際に動かすための道具として使われているのではないかと思います。
相手との関係性や物事のあり方を規定したり、言い表すのではなく、話すことによって直接関係や在り方が変化するような、ちょっと呪術的な言語なのでは。
だから日本哲学というものがない。日本語は哲学向きの言語ではない。
日本の人がもともと周りの環境と、べったりひとつながりでいるような在り方をしていたところに、あなたは「個人」なんですよ、なんて教えられたので不安になって寂しくなってしまったのではないでしょうか。
>わたしは、ひとりで、ここに来ました。
>わたしは、ここから、また、ひとりで立ち去るんです。
なんて、恐ろしく孤独で寂しすぎて耐えられない。
ここで問題なのは、実は「ひとりで」というところではなく、「わたしは」というところなのです。
以前、ガメさんは「神には五感がない」的な事を言ってたけど、日本語人には私という言う実体がなくて、五感しかないのではないか?と思う事があります。
感じて考える自分がいるのではなく、感じる事自体が自分自身…というような。
確固とした自分がないように思うというか、自分を確固としたものにしようという意思がないというのか。。。
俺が子供の頃に通っていた小学校の近くにね、内科クリニックあったんだよ。
一人のおじいちゃん医者先生がやってたクリニックでね、いかにも昭和の人が考えた「モダン」なデザインの、二階建ての古臭い建物だった。
子供頃に風邪に罹るとそのクリニックに連れて行ってもらった。おじいちゃん先生が問診しながらカルテを書き込んでいるのを、横からジッと見つめていた。
カルテに書き込まれた文字は、極端に崩された字体で、縦横に波打っていて、とても子供の自分には判読できなかった。
子供にとって大人の書くクシャクシャな文字は、すごくかっこよくて魅力的に見えるんだよね。
自分も大人になったらあんな文字が書けるようになるんだろうか、と思った記憶がある。
大人になってから、15年ぶりくらいか、久しぶりにそのクリニックに行ったのよ。
おじいちゃん先生はもっとおじいちゃんになってて、あの時と同じように、問診しながら、波打つような文字をカルテに書き込んでいた。
そこで思った。もう大人になったんだから、あの時読めなかったおじいちゃんのクシャクシャな字も、今なら読めるかな?って。
大人になった自分を試したくて、カルテを覗き込んでみた。
そしたらさぁ!
全っ然読めないの!
おじいちゃん先生が書いてたのはさ、日本語じゃなくてドイツ語だったんだよ~!
ドイツ語の筆記体だったんだね!なんて読めるわけないじゃん!
日本の近代医学って、ドイツ医学の輸入から始まったんだね。だから、ひと昔前はドイツ語でカルテを書けなければ一人前の医者と認めてもらえなかった。あのおじいちゃん先生は、日本が西洋文明を必死になって追いかけていた時代の生き残りだったんだよ。それを知った時、おじいちゃん先生が今更ながらとても偉大に思えたね。
俺はあの時代の人びとの背中が好きだよ。超えられない背中って感じがして、尊敬する。
偉大なおじいちゃんおばあちゃん達の背中だ。