(この記事は2018年8月24日に「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5」に掲載された記事の再掲載です)

団結しろ万国のまよなかの白痴ども
きみらのことは誰も詩に書かない
なぜかというときみらが詩だからだ
詩なんてものには詩でないことが書いてあるのだ
枕を撒き畳を叩き壁にかぶりついて
してやられたと男はわめく
きのうより今日は割がよかった
せっかく割がよかったと思ったのに
あしたになればそうじゃねえんだ
いくら勘定しても どこへ逃げ出しても
このピンはねには果てがねえんだ
夢には物が詰まっていて入れない
夢の袋なんか屑屋に売って金に換えるぞ
きのうへ 今日へ 昼間へ 夜へ
押し出された夢の中味はばらばらに飛びちり
とつぜん友達があらわれけだものが搔き消え
その夢だらけの朦朧たる世界へ踏みこむんだ
ここもあそこもにせもののまぼろしだけで
あなたの仕事やたべものにはなんらの意味もないと
自分で自分を殴ってでも納得すること
それがピンはねに対抗する唯一の道の始まりだ。

この詩を含む岩田宏の詩集「いやな唄」が出版されたのは1959年だが、
たったいま書かれた詩なのだといわれても疑う人はいないだろう。

日本は不思議な国だ。
20年前に、「これでは決定的にダメだ」と判って、政府の中枢にいる最も頑迷な老人でさえ、「きみ、こんなことでは我が国は滅びてしまうではないか」と述べて、
閣議から、局長会議まで、侃々諤々、審議官たちが額を寄せ合って、侃々諤々、
経団連でも、昨日の水揚げのいとおしい快感を股間に残した老人たちが、侃々諤々、青年商工会議所の面々も、「お持ち帰り」した台湾の女の人の滑らかな肌をおもいだしながら、侃々諤々、ネットでも、大学でも、居酒屋でも、侃々諤々、
20年間も国民をあげて議論に議論を重ねて、あー、せいせいした、くたびれたけど、
これで明日からまた精一杯仕事できます。

どんなに議論を重ねても、重なった議論は、ガラガラと崩れて、結局現実は何も変わらなかった。

ここまでの20年間で社会として発揮された才能が「現実を変えずに議論しつづける能力」なのだから、これから20年間でなにか変わると期待するほうが、どうかしている。

岡目八目、という。
こういうことは、傍からみていたほうがよく判るので、なぜ議論が有効にならないかは、こうすればああすればと言い続けたが、20代の若気の至りで、日本人の
「なにもしないためならなんでもする」、不屈の根性が予想よりもずっと根深いものだとは知らなかった。

そうこうしているうちに手遅れになってしまった。
世界は日本を置き去りにして、どんどん先へ行ってしまった。
この世界には「commitment」という言葉が存在して、自分が他人よりも日本語が出来るはずだと自惚れれば、日本の文明や社会に関わらないわけにはいかなくて、
ぼくは、偉大な文学や視覚芸術を生んだ、日本を信じてきたが、きみが心配して言ってきてくれたように、もうそれも限界に来てしまったのだろう。

岩田宏といえば神保町で、日本にいた頃、きみがあちこち案内してくれたことを、なつかしく思い出します。
「伊峡」や「いもや」、夜が遅くなると、重い本がいっぱいはいった包みを床において、タクシーを拾って家に帰る前に、三幸園だっけ? 交叉点に近い店で餃子とビールで、日本文学の話をしたでしょう?
日本の人は酔っ払えば、きみやぼくとおなじ人間に化けの皮が剥がれて、好奇心もあれば親切な心も隠せなくて、
「おや?おにいさん日本語上手だね?本が好きなの?」と述べて、まあ、一杯やりねえ、おいらはこの先の明治大学という大学の教員でさ、と自己紹介をして、文学論をぶったりするのだった。

ぼくは、日本のことを考えるたびに、とてもとても懐かしいんだよ。
ほら、ニート&タイディて、いうやん。
日本の人たちも、自分で。
その通りで。

いいところは、多分、ほかの文明よりも遙かにおおきくて、最近の日本人の、ほんとうは自分たちの文明の高さをぜんぜん理解していない層が、あてずっぽうで述べている文明の高みを、ほんとうに持っている。

ところが、日本の文明には重大な欠点があって、邪悪なものや社会の悪意を自力で排除できないのね。
自分たちの文明を腐敗に導いている患部を外科切除できない。
ぼくの観察では、それは日本人が強い口調でNOが言えないからです。
どうしても、自分達の価値を脅かすものにNOが言えないでいるあいだに、日本はどんどん悪意に浸蝕されて、ここまで来てしまった。

人間の一生は限られている。
言葉を飾ることをやめると、ぼくが日本と日本の社会と日本の文明を見限ったのは2010年だった。
畸形な文明は難しいものだった。
うまく、よいところが育っていかない。

日本の人は歴史を知らない。
だから古代ギリシャ諸都市がどんなふうに滅んでいったかをしらないし、自分達が、おなじ轍をたどっているのも知らない。
でも、それを日本の人に「得体のしれない外国人」が、どうやって伝えればいいというのだろう!

きみがいつも皮肉めかして言うように、ぼくには「やらなければならないこと」は、あんまりたくさんないんだけど、「やりたいこと」はいっぱいある。
所帯くさいことを述べると、自分で決めた子育て休暇が終わったのでなおさらです。

ぼくは英語の世界には、別に謙遜ではなくて、ぼくよりすぐれた人間をたくさん友人として持っている。
でも、ほら、きみも、さっき言っていたでしょう。
おどろくべし、日本語でも、部分的にはうまくいったんだよ。

あたりまえといえばあたりまえだけど、日本語の世界にもすぐれた人はたくさんいて、ただ、日本語は悪意の松明をかかげて、どこかに攻撃する対象はないかと鵜の目鷹の目の人間が、うんざりするほどたくさんいて、またそういう人間は強烈な嫉妬心に支配された憎悪の人間が多いものだから、彼らはいつも気を付けていて、
能ある鷹は爪を隠してうつむいている、目立たないようにしていたんだね。

だから、ぼくは、得たかったものは、もう得てしまったのだとおもっています。

3年前だかに、こっそり日本に立ち寄ったでしょう?
国内の移動はすべてヘリコプターで忙しい旅だったけど、モニもぼくも、とてもなつかしい気持で、楽しい旅だった。

でも、モニが「ガメ、もういいの?」と聞いていたけど、そう、もういい。
ぼくは、もう好い加減に、子供のときのパラダイスから始まって、いままで続いてきた日本趣味を、あとにしなければ。

日本語を書いたり、明治より古い文学を読むことに限らなければ。

インターネットを通じて出来た友達がいて、もうそれでいいのではないだろうか。
それ以外には、もうあんまり興味もないみたい。

日本語には「峠」という不思議な言葉があって、この言葉が大好きなんだけど、ぼくは、いま峠のてっぺんに立っているのだと思います。

ふり返ると、日本は、あんなに遠くにあって、少しだけ靄がかかっている。
まだ現実に、あの場所にあるのかどうか、わからないけど。

ぼくが、とても好きだった国。
日本。