美しい国

 

(この記事は2020年6月19日に「ガメ・オベール日本語練習帳 ver.5」に掲載された「A Beautiful Country」を「美しい国」と改題して再掲載したものです)

 

たいていの国では、人間はみんな自分と、愛する人や家族が幸福になるために生きているので、話はおもいもよらないくらい簡単です。

全部、自分の都合で決まることになっている。

他の条件が全部おなじならば給料が高いほうの会社に移る。

いままで世話になったことへの感謝はないのか?
愛社精神というものを、どう考えていたのか?

ありませんよ、そんなもの。
わたしはあなたの会社よりも自分の人生が大切なんです。
第一、雇われているわたしが、なんで雇っている会社の都合を考えなければいけないの?

それは、あなたの都合であって、ぼくの知ったこっちゃないよ。

評価第一位の社会を誇る国があって、評価が22位の国がある。
ときどき日本語の「どの国がいいか」議論を見ていると、ふきだしてしまうことがある。

失礼ですね。
失礼なんだけれども、では、言い方を変更すると、どうしても理解不能なことがある。

民度が高いから日本よりもドイツがいい。
でも日本も韓国に較べれば、社会がきちんとしている。

日本は街が清潔で、ひとびとがニートである。

みんな無職なんですか?

そうではなくてneatのほうね。

ちなみにNot in Education, Employment, or Trainingのニートは、日本の人が偏愛している言葉で、英語じゃ、あんまし聞かないっすな。

世界中、医師や弁護士の自殺率は意外なくらい高い。
多分、親の目のなかで育ってしまうからでしょう。

親が子供に安定して社会から尊敬もされる職業について欲しいと願う気持ちを背中にひしひしとビシビシと感じて育つ。

聡明な親に至っては親としての願いを口にも出さないから、ますます始末に悪い。

手に負えない。

懸命に勉強して医師になってしまう。
夜明けまでくびっぴきで本を読んで法廷弁護士になってしまう。

知力が高い人間だと、往々にして40歳前に、自分とあわない「安定した職業」につくのは、人間の一生の安全保障として最悪の選択だったと気が付くが、後の祭り、手遅れ、処置なし。

黙って、最後のジャーナルを書いて、そっと日記帳を閉じて、許してください、と手紙を置いて、ケーブルでつくった環の中にくびを差し入れる。

あるいは頭を撃ち抜く。

死ぬ前の最後の一瞬に、彼や彼女が夢に視るのは、卯建があがらないオペラ歌手なのか、あるいは空腹を感じながら、それでも幸福な表情を浮かべている詩人である自分だろうか。

他人の、特に両親の愛情と善意から出た子供への期待くらい恐ろしいものは、自分の人生にとって危険なものは、この世界には他にはちょっと見あたらない。

人間がおとなになってゆく過程で、まず第一番目に身に付けなければならないものは、自分という個人から社会を見るという視点です。

わかりにくければ、いつもの言い方にもどって、「自分という最も大切な友達を労るための視点」と言い換えてもいい。

ドイツの社会がどんなにすぐれていても、だから、あんた、ほんとに社会なんですか?と言いたくなるダメな国の社会のほうが自分にとって安全であることはいくらでもある。

ぼくなら、イタリアからの若い女のひとたちが4人でやってきて、ホテルから連れ出されて強姦されて殺されて埋められたりしているメキシコのプラヤ・デル・カルメンで夜毎ピナコラーダを飲んで暮らすほうが、東京でサラリーマンとして暮らすよりも、よほど、安心立命、生活の保障が高い。

スペインに行くでしょう?

素晴らしい生活がある国です。
社会はボロイが個人に干渉するくだらない考えを政府が持っていない。

ああせい、こうせい、国民はここが我慢のしどころだと言わない国です。

言語で分けて、カステジャーノを話す地域があり、カタラン、ガジェゴ、エウスケラを話す地域がある。

でもスペインという共通の魂もちゃんとあって、あの国で暮らす人たちは、国なんて機能してくれればいいのさ、と心から思っている。

自分は豊穣な生活を追求して毎日を暮らしたい。
ついてはオカネを集金して再分配したり、電車を動かしたり、国道にあいた、でっかい穴ぼこを埋めたりするのは国にまかせるから、しっかり頼むぜ、と考えている。

簡単にいえば国威はサッカーのワールドカップのとき以外は発揚しなくてもいいんです。

テキトーでいい。
倒産したっていいくらい。
倒産したら、しっかり起ち上がってね。
そのために余計な税金を払うのは嫌だけど。

だいたい国家が国民を騙すためにつく嘘は決まっていて、「みんなで我慢して社会を富ませれば、やがて全体が豊かになって還元される」という。

だから国や社会のために頑張って働いてね、我慢するんだよ、きっといいことがあるからね。

いいことがあったためしはない。
ドイツと日本という、国家のために、懸命に努力して、手当たり次第、女も子供も見境なく他国民をぶち殺し、行きたくもない熱帯の密林や、酷寒のロシアで勇戦奮闘した国民は、どちらも廃墟のなかで餓死線上をうろうろする国民になっていった。

誰も、まだ個人がものを言える段階で、「なんで、おれがあんたのために戦争へ行かなならんねん」と言わなかったからです。

国みたいに、訳分からんもののために殺人者になるなんて、とんでもない。
PTSDになるのは、政府でなくて、おれなんだぜ。

日本で言うと、近代化が「富国強兵」でわかるように国が富んで巨大な軍事力を持つことと同義にされていた。

考えなくたって、すごくヘンで、近代化は「冨個人避戦」でなければならない。

あたりまえでしょう。
国が富んでよかったよかったと涙を流しながら自分は中世以前のビンボ暮らしに耐えるバカはいない。

いない、と書こうとおもうが、ふと考えてみると、日本の人が歩いてきた「近代」はまさにそういう時代で、自分のことは二の次三の次、四の次…. Nの次、N+1の次にしてきたのであって、ついにバブル時代という大繁栄のときが訪れたと喜んだのも束の間、いまではもう製造されていないインスタントぬか漬け、糠喜びで、繁栄は、なんだか夜空を横切る流れ星のように天上を通過して、あ、あれ?

いまの繁栄だったんじゃない?
ちらっと光ったような気がする。

それだけで終わってしまった。

日本の人に直截言うと気分を害するから誰も言わないが、80年代の後半、北海道の招きだかなんだかで、招待されて日本の繁栄を学びに来てくださいと言われたカンタベリー・ニュージーランドの貧乏農場主たちは、東京に着いてから北海道のサイロが並ぶ地帯に至るまで、日本人の生活が、あまりに貧しいので息をのんだ、と述べていた。

「家が段ボールでつくったみたいな家で、皿洗い機もオーブンもない惨めな台所で、疲れ果てた様子の主婦が鍋の取っ手を握っているんだよ。奴隷みたいだったよ。ガメ、きみは、いったい、あんな国のどこに惹かれるんだい?」

ところで、その頃の日本のGDPを見ると、アメリカに次いで二位、一瞬は一位で、個人の収入の高さをあらわすはずのGDPパーキャピタですら3位にランクされている。

多分、個人から社会を見るという視線をもっていなかったので、稼いだオカネをどう使えばいいのか、判らなかったのではないだろうか。

だんだん判ってくると、日本は不思議な国で、なかでも不可思議なのは個々の日本人で、アメリカ人が民主制を残していったのに、自由をさして望まず、オカネは十分にあるのに、ぺらぺらな材料で出来た、百年はおろか、40年もすれば倒壊しそうな家に住んでいる。

セントラルヒーティングどころか、床暖房すらなくて、いちど地方の財閥の家に招かれていったら、寒いときは灯油ストーブをずらっと並べるのだと聞いて、酸欠死しなければいいが、と考えた。

貯蓄率が高いのは、美徳だとおもうが、でもよく考えてみると、本来は国が提供するべき生活の安全保障を個人が代行している。

月末になると、チェックアウトで、クレジットカードのクレジットがゼロであることを告げられた人間が増えるので、毎月ひとが閑散とするバルセロナ人とは、まるで同じ人類とはおもえないマジメさです。

とうとう自己責任なる訳してみようとすれば直ぐにわかるインチキ語までこしらえて、国のほうは厚顔無恥といえばいいのかなんというのか、居直ってしまって、おれはなにもしないよ、たいへんだろうけど、自分のことは自分でやってね、と言い出してしまう始末。

じゃ、わたしは、いったいなんのために税金という名前で、わたしのオカネを国に預けているんですか?と聞くと、にっこり笑って、
税金はお国のためのものですから、と応える。

そんなバカな税金の定義は聞いたことがないが、日本の人は、国の都合にたって自分の生活を考える「逆立ち思考」になれているので、なあんとなく、そうか、じゃ、頑張って税金を払って、生活保護をもらって暮らすような税金泥棒とおなじにならないようにしなければ、と、すごおおおおくヘンな理屈を考え出す。

一事が万事、全体や国や社会の視点から自分という自分にとってのよそ者を眺めているので、自分は自分でしかないのに自分という疎外の向こうにある対象として意識されている …. ああ、ややこしい。

個人と社会の思考の向きが逆になってしまっているので、そういう考えは無理と決まっていて、不自然で、そこから始まった捩れは、大量の夾雑物を社会にばらまきます。

正しく怖がれ。
PCR検査を増やしたら医療体制はどうなるのか。
仕事をなくした人がひとり残らず失業保険や生活保護を求めだしたら、いったい、いくら税金がかかるとおもっているんですか・

おもっているんですか、って、知りませんよ、そんなこと、だって税金払うときに、こっちが困ったら預けた税金という供託金を種に仕事がみつかるまで支えてくれるって、約束したじゃありませんか、と当然の理屈を述べても、あなたは国民として恥ずかしくないのか、
もうちょっと我慢して熱がそれでも下がらなかったらもういちど電話してください。
はては生活保護の相談窓口を仕切りで隠してしまう自治体まで出現する。

恥ずかしくないのだろうか。

恥ずかしくないんです。

だって、個人はいないことになっている国ですからね。

鏡を見てごらんなさい。
そのひらたい顔で、耳タボで、生気も失せた顔の色で、「個人」だなんて、ちゃんちゃらおかしい。

あなた、現実というものを見ないんですか。
あんたは日本という社会の部品ですよ。
使えなくなったら、交換します。
工場の床に捨てられた部品のゆくすえなんて、おれの知ったことかよ。
親がつくった自分の遺伝子構成の、出来の悪さをうらみな。

JIS規格にあわなくなったきみは、滄浪と町にさまよい出て、財布が空になるまでネットカフェで生活する。

そこにいられなくなったら、どうするんですか?

訊ねられたきみが、ちょっと地面に目を落として、「さよならですね」と画面のなかで述べている。

そんなときまで、かすかに笑いながら。

ところで、首を吊るケーブルには、どこの会社の製品がいいですかね?
最近はUSBケーブルで十分だと聞いたのですが。

ホテルは迷惑がかかるからダメですよね。
青木ヶ原で道に迷わない良い方法って、あるんですか?

そうですね。自分でググります。

ぼくみたいな人間でも、他人に迷惑をかけないように上手に死ねるでしょうか。

お忙しいところを、失礼しました。
あとは自分でやれます。

さよなら



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1 reply

  1. 本当にこれですよねー。だから自分は美しいことばかり言う奴らが大嫌いです。

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