神のいない経済社会について_ゾンビ経済篇

(この記事は2016年1月7日に「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5」に掲載された記事の再録です)

 

 

ニュージーランドは、繁栄の頂点にある。
社会全体が見る見るうちに豊かになって、ひとびとの身なりはオカネのかかったものになり、高級住宅地の交叉点に立っているとマセラティやフェラーリ、ベントレーが何台も走り抜けてゆく。
マリーナに行けば、おおきなバースの列には数億円という価格のブルーウォーターを航海できる55フィート級のボートが並んでいる。

身体障害のある子供を抱えた若い母親は、大量に市場に流入したUSドルのために15年で価格が270%上昇した家を買えず、高騰した家賃も払えないせいで、空き地にテントを張って自分と子供2人、計3人の家族で暮らしている。
ゴミが一面に散らばった土地の一角で、それでもテレビの取材があるからでしょう、
せいいっぱい身ぎれいにした赤い頬の男の子がはにかんで立っている。

別のインタビューでは、倉庫で在庫管理や出庫の仕事をしている夫の年収は手取りでは18200ドル、日本円になおすと、1ドル80円として、146万円にしかすぎない。
ところで、一家が借りている小さな家の家賃は、どのくらいかというと、この人の場合、年間で16000ドルで、つまり、信じがたいかもしれないが、収入の90%が家賃に消える。
おおげさに驚く必要はなくて、たとえばバルセロナでも、シドニーでも、こういう家計はふつーのことです。
食費は、妻が、ふたりの子供の育児をしながら、苦しい家計の足下を見るような低賃金で、時間給労働をして稼ぐ、日本とおなじでスーパーマーケットのレジ、というような仕事が多い。

もともとひとりあたりの年収は、常に5位以内にあった「豊かな国」ニュージーランドは、50年代の後半から、端的に言うとジーンズが普及してウルが売れなくなったことと、途中で「本国」の連合王国の経済的保護を失って、「あとは自分で勝手にやってくれ」と突き放されたことで、急速に没落して、英語圏のなかでは例外的なビンボ国になってゆく。

にも関わらず1980年代のなかばまでは「ワーキングプア」が存在しない稀な先進国でした。
ビンボはビンボなりに幸福に暮らせる社会だった。

国民の大半を占める「中間層」と極めて高い所得税を社会に対する責任の一端として黙々と支払う富裕層、そして、そのふたつの層から流れ落ちてくるオカネで再起をめざす失業した貧困層、という形の社会だった。

「仲間意識」が異常なくらい強い社会で、連合王国もサッチャーが出てくるまではおなじだったが、お互いを助けあうことそのものに社会の役割が集中していた、と言ってもいいかも知れません。

NZ$の価値は、1983年を起点に考えると30年で3割減になっている。
20ドルで買えたものが、30ドルださないと買えない。
その間、賃金は、頼りなくヘロヘロと上昇しただけです。

ニュージランドの典型的な30代のカップル、大卒で、子供がふたりいて、住んでいるのは一戸建て、というようなカップルは収入が900ドル/週、つまり年収にして47000ドルであるはずで、この収入は、この6,7年はあまり変わっていないはずです。
テレビの番組のなかでは、この7年間几帳面に家計を記録しつづけてきた夫が、エクセルのシートを指さしながら説明している。
2004年には3400ドルだった食費が2012年には8580ドルになっている。
1850ドルだったガソリン代は、おなじ8年間に3420ドルに上昇した。

だいたい、NZ式定義の「中流」の、どのカップルに聞いても、あと週1000ドルあれば、オカネのプレッシャーを感じずに暮らせて、少しは貯蓄もできる幸福な生活が出来る、と感じているようです。
この感覚は物価の上昇にあわせて賃金が上がるのならば「こうでなければならなかった」賃金上昇の、現実には起こらなかったプロジェクションと、ぴったりあっている。

1950年代を通じて、続々とイギリス人たちがニュージーランドに移民していったのは、「ニュージーランドに行けば、マジメにこつこつ働きさえすれば一戸建の家が買えて、子供たちが裏庭で駆け回って遊んでくらし、大学まで行ける暮らしができる」というイギリスでは有り得ない夢が実現できたからでした。
最も近い隣国のオーストラリアまで2500キロという、当時は致命的ともいえる距離に隔てられた孤絶した小国で、しかも産業が牧羊以外にはなかった国で、みながイギリスの中間層以上の生活ができたのは、簡単にオカネの面でいうと税金の66%が国庫に入る社会だったからです。
いまではグローバリズム経済のなかでオカネの流通も国際化しているので実体がまるっきりつかめないが、ビクトリア大学のリサ・マリオットなどは3割程度しか国庫に入っていないのではないか、という。

Struggling classという。
1950年代や60年代ならば「国民の大半」という言葉を使えた中流層のことで、いまは数もぐっと減って、おまけに階層として安定したものとは見做されなくて、この国にはかつては存在せず、いまでは経済全体を支配している超富裕層にとどくことは望めなくても、富裕層をめざして必死にstruggleして、運がよければ富裕になり、でも半分以上は、そこから貧困層におちてゆく過渡的で流動的な「中間層」になってしまっている。
煉獄、と言えばいいのか。

ニュージーランドでは、国民の貧困と富裕への二極分離が起こり始めた原因は、30年前のマルドゥーン首相の頃でした。
「Think Big!」という。
国民が総活躍して、全力をだしきれば、自分達は一流国に返り咲ける。
ニュージランドは再び、豊かな、美しい国をめざすべきである。

もっともマルドゥーンのマヌケさは、いまの日本政府とおなじで政府がすべてをコントロールして国民を「指導」するのが最善だと信じて、一個のコントロールフリーク政府と化して、政府の方針を国民に押しつけていったことで、一瞬は目新しいものへの期待でよくなった経済は、旧式然とした考えがうまくいくわけはなくて、根底から崩壊してしまう。
ニュージーランドは、誰がみても立ち直れないのではないかと思われるほどの貧困に陥っていきます。

デヴィッド・ロンギが政権につく。
多分、ニュージーランドの歴代首相のなかで最も有名なカリスマ的な人気があったひとです。

この政権で財務大臣を勤めたのが、ロジャーダグラス
https://en.wikipedia.org/wiki/Roger_Douglas
で、現在のニュージーランドの「開放された市場、小さな政府、低福祉、自由競争」は、みなこのひとがまとめた
「Economic Management」という
改革プランが元になっている。

日本の人には、ニュージーランド版のレーガノミクスなのだ、と説明するのが最も手っ取り早いかもしれません。
この改革は徹底的なもので、ボルジャー、ヘレンクラークと党派を超えて引き継がれた改革によって、加速されていって、その名もBNZつまりはバンク・オブ・ニュージーランドという象徴的な名前のニュージーランド最大の銀行もオーストラリアの銀行に売り飛ばしてしまう、日本ではさんざんもめた郵便も民営化、電気も電話も外国の企業に売り飛ばして、森林までマレーシアや中国に売り飛ばすというものすごさで、「いっそ国ごとアメリカかどっかに買ってもらえばどうだ」と国民に皮肉を言われるようになっていきます。
1990年代なかばに起きるおおきな排外機運の盛り上がりの背景で、ガキわしですら、ニュージーランドのFM局で「アジア人を制限/追放すべきかどうか」というような討論番組を聴きながら、こいつら、いいとしこいてアホやな、産業もないのに排外運動盛り上げて、自爆やんか、と考えたものだった。
もともとがイギリス人の、しかもワーキングクラスのひとびとなので、いくら表面ニコニコしても気質をすっかり受け継いで、狭量で閉鎖的な地は隠せひん、と納得した。

閑話休題

Neoliberalismと名前が付いている。
アメリカでは冗談だけで国を経営したレーガン、イギリスでは、いまに語り継がれる鬼おばちゃんのマーガレットサッチャーが信奉した思想です。

見落としやすいことだが、この「弱肉強食」という言葉そのもののような「主義」は、「社会は個人主義を尊ぶべきだ」という理屈の衣裳をまとってやってきた。
Solidarity、という。
組合や(当時の)市民運動に象徴される「団結」の力の対立概念として「個人はひとりひとり異なるのだ」「社会は、ひとりひとり、まったく異なる才能を自由に発揮されるものでなければダメだ」とサッチャーは繰り返しのべている。
デモやストライキの「Solidarity」が及ぼす停滞の力に心からうんざりしていた英語圏のひとびとは、「個人の才能と能力をのびのびと発揮して多様なベクトルの力でのびる社会」という考えに賛同してゆきます。
一方で、これも今日の日本とおなじように限界まで増えていた国の負債を、Air New Zealand(航空会社) Telecom(通信)Bank of New Zealand(金融)…と次次に売り飛ばして減少させようとする。

その結果、起きたことは、人間は個々人間でおおきな能力の差があるので、いま考えてみるとあたりまえだが、経済市場にとっては最も肝腎な均質性が失われてしまった。
オカネを稼ぐのが上手な人は、どんどんオカネを稼いでいって、もともと社会から見た「生産性」が低いひとは、たいへんな勢いで貧しくなっていった。

90年代の終わりには、かつての相互扶助社会、仲間社会が失われて、他人のことなんて知るかよ、ケッな社会になったのが誰の目にも明らかになってきた。
政府がそれでもおなじNeoliberalismにしがみついて、政策に疑問を持ち始めた国民に対する説明に使った言葉が「Trickle Down」(トリクルダウン)でした。
オカネモチを規制しないで自由に活動させれば、徐々に、だが確実に、ちょうどピラミッド型につみあげたグラスの頂点に注がれたシャンパンが、したにこぼれてゆくように底辺にまで経済効果が行き渡るはずだ、という、なんだかいかにも役人が考えそうな「絵に描いた餅」効果のことです。

LSE、London School of Economyの教授であるニュージーランド人、Robert Wadeは、
「トリクルダウンは起きなくてトリクルアップが起きたのだ」と述べている。
おなじRobert Wadeは、また、もうひとつの興味深い、当然でもある指摘もおこなっていて、
今日のCapitalismは、Capitalismですらない、と述べている。
「資本主義の最低ルールは、リスクを冒してうまくいったものがオカネモチになって、失敗したものは敗北してオカネを失うことだが、クレジットクランチのアメリカを見れば判るように現代では経済支配層は、投機的な投資をおこなって、うまくいけば自分の懐にはいり、失敗した場合は国民の税金を投入して救済される。
われわれの「資本主義」は完全に腐敗した資本主義なのです」

読んでいて気が付いた人も多いと思うがアベノミクスは不思議な経済政策で、トリクルダウンがどの市場でも起きなかった以上、すでに失敗するに決まっていると判定されていた経済政策を、大胆にも、日本は特殊な市場だからうまくいく、という仮定に立って立案・実行した。
簡単にいえば、全体主義的Neoliberalismです。
「国民なんて政府のいいなりだからマスメディア通じて煽ればどうにでもなる」という政策だった。
その結果は、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、連合王国というような先行Neoliberalismとおなじことが起きてトリクルダウンどころかRobert Wadeが言葉の遊びで述べたように「トリクルアップ」が起きてしまった。
日本には存在しなかった超富裕層があらわれる下地ができあがった。
最下層のグラスにかろうじて残っていたシャンパンが、不自然で作為的な政策によって、あな不思議、グラスのピラミッドを経済の重力に逆らって頂上のグラスめざしてのぼってゆくという倒錯が起きた。

これから起きる事も、したがって、予想するのは簡単で、かつて「一億総中流社会」と言われた社会が、ちょうど過去のニュージーランドの大規模版で、一億ストラグリング社会に変質して、いま爪を立ててかろうじて「中間層」の縁にしがみついているひとたちの9割方は、貧困層、これも日本にはかつては存在しなかった、どれほどマジメに働いても生活が成り立たないワーキングプアに落ちていくでしょう。

株価や不動産の価格が高ければ経済がうまくいっていると勘違いするような20世紀的経済評価を離れて、現実にひとりひとりの国民が幸福を手にするようになるには、日本の人がいちばん苦手で、聞いただけで冷笑するような「モラル」ということが問題になってゆくに違いない。
めんどくさくなってきたので、警戒して、この辺でやめるが、
いまの社会は「経済的繁栄」ということの意味を真剣に考えなければいけないところに来てしまっている。

そのことは、そのまま「人間の幸福とはなにか?」ということを考えることに、直截つながっているのかもしれません

(2016年が怖ろしい時代の幕開けにならないことを祈っています)



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