ひまわりが咲くとき

日本語に使う時間が、どんどん減っている。

日本語に興味が湧かなくなったわけではないし、意図して減らしているわけでもないので、理由は判らないが、今日はひさしぶりに日本語で文章を書こうとおもって、気が付くと、ハウラキガルフの、ワイヒキ島の東北で、

「目の下三尺」の鯛を釣り上げて、愛でたいですたい、と頭のなかでダジャレを述べている。

ダジャレくらい、口に出して言えばいいんじゃないって?

だって、口にだしても、およそ自分が生活している範囲に、日本語が判る人はいませんから。

オミクロン·パンデミックでなければ、それでも、CBDかどこかで日本語を話す機会がありそうなものだが、なにしろ、もっかはパンデミック真っ盛りで、友人たちなどは、ヨットで洋上に去って、陸地にもどってくるのは、一週間に一回、というありさまなので、誰にも会わなくて、そのうちには誰かが、21世紀版のA Journal of the Plague Yearを書きそうな趣になっている。

まったく、えらいこっちゃ、と、うんざりしていたら、

今度はプーチンがウクライナに侵攻するという、大時代な戦争を始めて、

本人と参謀本部は、コメディアンが大統領をやっているような、おちゃらけた国なんだし、なにしろ、もともとは身内なんだから、4日もあれば片がつくだろう、と思ったのはあきらかで、

だんだん確からしいと判明してきたことを眺めると、

ふつうは三段まで用意するはずの補給物資を一段しか準備しないまま進攻して、しかもローコストで済ませようとしたのでしょう、

兵員も死んでも元手がかかっていないという点で安上がりな新兵を演習に行くのだと騙して連れていって、レーションボックスは、消費期限が、な、な、なんと2015年のものまで多くあって、捕虜になった姿を見ると、まだ「あどけない」と形容したくなるような童顔の若い兵士で、気の毒に、

消費期限を6年も過ぎた、缶詰はまだいいとして、カッチンカッチンのチーズや、白い斑なチョコレートをかじりながら、ウクライナ人の憎しみの視線に耐えている。

プーチンという人はロシア政治家のタイプとしてはスターリンに似ている。

KGBの叩き上げで、叩き上げの人物らしく、高い所から遠くを見る、という発想はまったく持たず、オポチュニストで、高邁な理想どころか、役にも立たない倫理なんてクソクラエで、悪くたって、嘘つきだって、なんだって、勝ってしまえば、おれが正しい、という、日本の人にも多く見られるタイプです。

Integrity?

そんなもんで国が食っていけるとおもってるのか、という、例の、あのタイプ。

オポチュニストが、うまく国際政治の隙間に出来たオポチュニティを見いだして、どうせもともと廃棄する時期が間近の備蓄糧食や、弾薬、50年以上前のデザインの戦車、無駄飯ぐいの新兵を、在庫一掃をかねて、いっせいに国境を越えさせた、というのが損をするのが大嫌いな渋ちんプーチンの考えだったでしょう。

西側の価値に目が眩んで、オママゴトじみた国家をつくって、下手をすると、「自由」という伝染性の強い社会毒をロシアに蔓延させかねないウクライナを、いまのうちに「旧秩序」に組み込み直したかった。

軍隊規模といい、NATOにも、EUにすら加盟していない「孤独の国家」ウクライナが相手なら、万に一つも負ける気遣いはない。

だいたい十日分の第一段補給だけをもたせて、持っているだけで凄まじい維持費がかかる金食い虫の軍隊を総浚いして、46kmに及ぶ段列を組んでウクライナの首都キーウめざして送り出した。

忘れていたんだよね。

ソ連時代どころか、ナポレオンにまで遡る、侵略者が現れたときには滅法強い、母なる大地を守る、スラブの伝統を。

バルバロッサ作戦の初期、ヒットラーのブリッツクリーグ部隊に、負けに負けて、ボロボロになって、モスクワの前面50キロにまで攻め込まれたソ連軍は、敵に勝たなくとも、「時間」さえ稼げれば、スラブの神が与えてくれた頑強さによって、敵が膠着して、やがて、押し返されるのを、スラブの人びとは本能のようにして知っている。

イギリス人にとっては戦争は、ドイツ人にとっての戦争が「勝たなければ負け」であるのに比して、「負けなければ勝ち」なので有名だが、スラブ人にとっては、一歩踏み込んで、「速やかに負けなければ勝ち」なのを、欧州色の強いウクライナ人に較べて、「よりスラブ」であるはずのプーチンは失念していた。

あるいは、この計算違いには、たいていのロシア人にとって、ウクライナ人は、イメージとして「西欧かぶれ」であることの影響があるのかも知れません。

まさか、ハイファッション、というか、カッコバッカ(←ウクライナ友の自嘲発言)で有名なウクライナ人たちが、傍らに、砕いた発泡スチロールをガソリンと一緒に詰めたモロトフカクテルの箱を置いて、

AK-47を握りしめて、ナチに対するパルチザンの伝統そのままの戦法で、

「負けの引き延ばし」にかかるとはおもわなかった。

いまごろは、多分、ロシア参謀本部は、国庫をすっからかんにして、第二段、第三段の補給の調達に大童で、当初は申し出があってもありがた迷惑でしかなかったベラルーシの援軍も真剣に検討していることでしょう。

戦争というものは決意や精神力で勝てるものではないので、圧倒的な戦力差を考えれば、ロシア側に、かつての革命前夜の空気が醸成されなければ、やがてキーウは陥落し、ウクライナ全土はロシア軍に制圧される。

しかし、たくさんの人が指摘しているとおり、「プーチンの戦争」はすでに敗北に終わってしまっている。

侵攻が5日目に及んだところで、もうリング外の審判たちは判定負けを宣告していて、NATOの脅威を取り除くために始めたプーチン戦争は、結果として、取り除くどころか、フィンランドやスウェーデンまで、はっきりとNATO側に立って、

以前よりも、遙かに結束が強く、ロシアにとっては直截の脅威となる防衛集団に変質することが明瞭になっている。

北方戦争以来の文脈で、スウェーデンという国は、あんまり口に出しては言わないものの、仮想敵国は、常にロシアで、カレリア地峡をめぐる冬戦争の歴史を持ち出すまでもなく、ナチの同盟者となってまでソ連と戦ったフィンランドも、ロシアの政治的意図は、他国人に較べて、遙かによく知っている。

ロシアは昔から「憧れでもあるのか」と揶揄われるほど北欧支配に執心なのでもある。

おもしろいのは、といって、おもしろがってはいけないのかも知れないが、プーチン戦争がもっと早く企図を露わにしていればBrexitは起こらなかったはずで、時に人類全体を、力ずくであらぬ方向に引き摺っていく荒技を見せる歴史の神様は、今回も、人間が、どうジタバタしても、抗っても、ひとつの方向に引き摺っていっているもののようでした。

プーチン戦争は、この独裁者の意図と、まったく異なる結果をもたらした。

高い見地をもたない政治家らしく、プーチン自身は、夢にも描かなかっただろうが、彼がやったことは、結局は戦乱の世紀の門を押し開けたことだった。

ここから予測される変化は、信じられないくらい多岐に渉っている。

しかも、どのひとつをとっても、どれもこれも、重要なものばかりです。

アメリカは習近平の危険な意志に、すでに気付いていて、欧州に大規模な自国軍を派遣するのは自殺行為だと判っているので、NATOは増強されて拡大して、よりアグレッシブな軍事同盟になってゆくでしょう。

いまからもう、「壁が東に向かって動き出した」ような印象です。

プーチンは期せずしてEU諸国に「ウクライナ」という絶好の口実、というよりも自らを納得させる根拠を与えてしまった。

ウクライナはナチがブリッツクリークに失敗していればそうなっただろうポーランドになって、戦乱の種を常に育んでいくことになった。

長くなったので、ここでは書かないが、習近平は、プーチン戦争への観察、なかでもSWIFT追放をめぐる経緯を見ていて、ある発見から、台湾への武力侵攻へおおきく気持を傾かせているに違いない。

いまごろは、多分、武力侵攻の外交的可否から一歩具体的になって、

大陸と島のあいだにある水の広がりと、その向こうに見えている天然要塞じみた断崖におもいが行っているのだとおもいます。

何度記事を書いても「いまの世界で全面戦争が起きるなんて、世界を識らなさすぎる」と鼻で笑っていた日本の人のことだから、信じないに決まっているが、台湾の武力侵攻には中国にとってはおおきなメリットがあって、台湾侵攻に勝ってしまえば、

その次の段階では日本と外交などは考える必要もなくて、太平洋へ出て行くための壁は崩壊したも同然で、アメリカの巨大基地であることをやめて足下にひれ伏すか、ミサイルと空爆で破壊するか、話は、ぐっと簡単になる。

ハワイを焦点として、ANZAC=北アメリカの、比較的安定しやすい勢力分布になるまで、戦乱が続いて行くことになるでしょう。

メコン川流域、北アフリカ、アラビア半島、いまの世界は旧秩序に変形のプレッシャーがかかって、機能しなくなりつつある地域がたくさんあって、ひどい言い方をすれば、いまの成り行きは、その無理を「調整」するための、単なる歴史的必然なのかも知れない。

いずれにしろ、プーチンの戦争が押し開いてしまったゲートの向こうには、平和の70年とは打って変わった、子供の死を嘆き悲しむ母親の慟哭の声や、

戦場で死んだ恋人をおもう男や女の思い詰めた表情が並んでいる。

動画で見た人も多いのはないかとおもうが、プーチン戦争にふさわしい光景があって、ウクライナの女の人が、ロシアの兵士に、

「おまえのポケットにひまわりの種をいれておくがいい」

と述べている。

「そうすれば、おまえが殺されたとき、そこから、ひまわりが育って花を開くだろう」

この表現を、どう呼べばいいのか判る人間はいないでしょう。

なんという恐ろしい表現だろう。

人間の文明は、もう終わりに近付いているのかも知れません。



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1 reply

  1. 激しい怒りとともに向日葵の種を押し付ける女性と、戸惑いながら受け応えるロシア兵の様子はなんだか救い光景に見えました。戦争開始をきっかけに東欧諸国の歴史について調べてみましたが、今回の戦争は必然的な成り行きだったように思います。個々の善良な隣人たちが、内にある善意にやっては戦争を止められなかったのだと思うと絶望的な気持ちになります。一方で、ウクライナで捕虜となり、ウクライナのレジスタンスから食事を分け与えてもらい、ビデオコールを通じて故郷の両親に電話をしてホッとする若い兵士とウクライナの人々の様子を見ていると、私たちの世界はやはり善意を土台に築き上げていくしかないのだと思いました

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