フクシマのあとで

 

 

この記事は「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5」に2011年5月18日に掲載された記事の再掲載です

ジョイスシアターに行った。
http://www.joyce.org/

ジョイスシアターは、わしのアパートから歩いて5分もしないところにある小さな劇場です。
小さいが座り心地の良い椅子があって、寛いだ雰囲気である。
PAがちょっと古いが、アポロシアター
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/04/10/1976/

よりは、マシである。

マーサ・グラアム ダンス・カンパニー(Martha Graham Dance Company)出身のRamon GuerraがつくったDanza Contemporanea De Cubaは、Sadler’s Wells and the Coliseum TheatreやバルセロナのMercat de las Floresでも公演するが、ニューヨークでは、このジョイスシアターにやってくる。
この頃は3月には、ハバナまでまずインストラクターと一緒に旅行して、Danza Contemporanea De Cubaの日常を観て、それから公演を観る、という面白いこともやっているよーだ。

公演そのものは、いつものDanza Contemporanea De Cubaの、洗練されているとはいえないが、性的暗喩と雄大な肉体の躍動に満ちた三幕ものであって、特に三幕目の、人間が陥る「情熱の地獄」とでもいうべき世界を描いたダンスが素晴らしかった。
激しい諍いに明け暮れるカップル、絶望のなかで暴力をふるいあうゲイのふたり、そういう、人間にとっては見慣れた光景がフリージャズにのって、ほとんど裸体のダンサーたちによって繰り広げられる。

モニは乳房まで見せるヌーディティは不必要だ、というが、それには舞台と客席の距離をゼロにする効果があったと思う。
ツイッタの友達はみな知っているように、ひどい風邪で「ぐるぢい」と思いながら、わしはカンドーしました。

どうも、キューバの人というのは何をやらせてもかっこいいな、とバカなことを考えた。
革命ですら。

先週くらいから「フクシマ」のニュースはなくなった。
英語の日常世界では、フクシマは「過去」になった。
日本は国全体がチェルノブイリみたいに印象されて、事故後の「国民なんてどーでもいいや」な対応も、ピント外れな上に恐ろしくダサイ「ローテク」事故処理も、世界中をびっくりさせてしまった。
日本って、あんな国だっけ、というぼんやりした考えだけが残ることになった。
もっと進んだクールな国だと思ってたのに。
なんだか国民が気の毒な国だな、と考えたひとがたくさんあった。
「日本人に生まれなくてよかった」という言葉をこの2ヶ月でいったい何回聞いたことだろう。

eメールの受信箱を覗くと、ひさしぶりにアメリカ政府が発行している日本への渡航者/滞在者への注意事項がはいっているが、「配らない」と言っていたヨウ素を突然配りだしたころは文章からして緊迫したものだったのが、「まあ、安定してますから」という調子になっている。
どうも、アメリカ合衆国政府は、日本政府がやっていることについて、正確な情報がとれる何らかの経路を確立したらしくみえます。

日本の人は、今回の事故で詭弁の才能を遺憾なく発揮した、とPが怒っている。
これほど長期にわたる大量の放射線物質の流出は前例がないから、データがない。
データがないことを利用して、日本人科学者たちは物理学者から医学者に至るまで
「危険とは言えない」という。
そう言っても科学の世界では非難しようがないからです。

年間被曝線量限度20ミリシーベルトという校庭利用限度はすごいが、これも、なにを見ても「出典はどこにある」「権威のある本のどこに書いてある」としか頭がまわらない日本人の社会では誰かが「20ミリシーベルトでは子供はいずれみな死んでしまうではないか」と言っても、「では根拠を示してみたまえ。専門家の私が大丈夫だと言っているのに素人のきみが何をいう」で終わってしまうだろう。
権威主義的な誤謬を許さない社会というのは、そういうものです。

放射線が人間の健康に与える被害は直感的には線形(一次関数のようにまっすぐ)に増えてゆくが、日本では限界値(階段関数のように10で、これだけ悪くなり、20になると、またこいういう症状になる)説をみなが何故か妄信しているのも、同じ理由によっている。
しかし、被曝線量限度といい、被害が限界値であるというモデルといい、「常識」というものに照らせば、「ほんとうの理由」は明らかであって、たとえば校庭の年間被曝線量限度を8ミリシーベルトにしてしまえば、戦時中の集団疎開と似たことを行わねばならず、そのためには大金が必要で、そんな予算はどこを探してもないから、であるに決まっている。
どうせ出来ないことならば、「出来ない」のではなくて、「やらなくてもよい」ことにしたほうが国民のためだ、という理屈なのでしょう。

そういう取り決めが政府のなかで悪意で行われているわけでないことを知るためのヒントは、たとえば細野豪志というひとの「原子炉は一時はコントロールできないところまでいった」(しかし、言えるわけがなかった)という発言から容易にうかがえる。
彼らが酔っているものは「ヒロイズム」であって、自分達がウソツキになって、この難局を乗り切らなければ、この国は終わってしまう、ということなのだと思います。

わしにはエダノというひとが、どんな顔で、「後で、さんざん世論の袋だたきにあうでしょうが、では、私が嘘をつきます」と言ったか、目に見えるような気がする。

ヒロイズムは、こわい。
とりわけ一身をかけた渾身のヒロイズムは、それがどれほど軽薄な自己陶酔に過ぎなくても、たくさんの人間を破滅においこむだけの力をもつ。
「私ひとりが非難を被ればいいことだから」と考えたに違いないエダノというひとのヒロイズムは、結局、(わしの意見では)日本人全体をこれから40年間の地獄につれてゆくことになった。
わしは、放射線の健康被害が限界値をもつ、と考えた事はないので、少し浴びればそのぶんだけ被害があると愚かにも妄信している。
わしは日本社会の基準では愚かすぎるほど愚かな人間なので、低放射線の被害は子供の感受性レベルによってしか起こらない、という日本で常識とされていることさえ、
「そんなわけはない」
「出典キボンヌ」
と考える。
そういう点ではいま人気があるらしいタケダ教授という人のいうことも、まったく信用ができない、と思う。
わしは科学をベンキョーしたが、科学の神様は「知らないことをおそれよ」と述べている。
判らないことというのは、どういう影響をどんな経路でどんなふうに与えるのか、いっさい予測がつかないのです。

日本の外に住むバカガイジンどものフクシマ事故の印象は、we-know-bestのひとびとが肩で風を切ってあるく「権威主義」の社会、というものがいかに恐ろしいものか、ということだった。
それには起きていることにもっと目を近づけてみれば、簡単に人間に「上下」をつけてランクづけしてしまう日本人の習慣とか、誤謬を認めない国民性、すぐに起きないことは予測がつくことでも「起こらない」ことにしてしまう国民的な癖、いろいろなことがあるだろう。
しかし、普通のバカガイジンどもは、そんなに目を近づける気が起こらなかったのであって、なぜなら、それは「とても嫌な世界」、なんだかひとをやりきれない気持ちにさせるだけの、途方もなく非人間的な世界に思えたからだと思います。

前に日本語ツイッタで小説家のひとが書いているのを読んでいたら、
「自分は、こんな世の中にはうんざりだから、いつ死んでもいいのだ。早く死ぬために努力している」という意味の事が書いてあって、へえええええ、と思ったことがあった。
このひとが言っていることのなかでは「私は虐殺される側の人間だ」というのがいっちゃんかっこよかったが、その次、くらいの印象で憶えています。

日本語のフクシマのニュースを読みながら、結局、日本の人はみな、この小説家のひとと同じなのだろーか、と考えた。

わしは、自分の心に訊いてみると、死にたいとも死にたくないとも考えたことがないよーだ。いざ、「もうすぐ死にます」と言われると、
「あっ、もう一杯ワイン飲むまでまってくれ」とかマヌケなことを言いそうだが、わしの基本的な「生きている」ことへのイメージは、あるんだかないんだか本当は判らないタマシイが肉体という道具を使って感覚を楽しみに来ているのであって、聴覚を使って音楽を聴き、視覚を使って絵やモニの美しさを眺め、触覚を使ってモニさんのすべすべのほっぺをすりすりしたり、筋肉を使ってバク転や前転をしてダイナミズムを楽しんだり、そーゆーことをやりにこの世にやってきた。

しかし、日本のひとはどうもわしのように肉体寄りではなくてタマシイ寄りの人生を生きているもののようである。
国民ごとギニアピッグ(いま気づいたが日本語ではモルモットちゅうんだな。いままでツイッタでもブログでも、わしが「ギニアピッグ」と書いたのを、みな「なんのこっちゃ」と思っていたに違いなし。ごめん)にされてしまって、未来の世界の疫学資料になった日本の人が、資料たるに甘んじることに決めたのは、どうもそういうことが関係ありそうな気がする。

戦争中に「敗北」という言葉がタブーであったように、いまの日本では放射線被害についての推測的言及は「風評被害」として非難されるが、静かに従容として死につく、というのはタマシイがタマシイの故郷に帰るイメージである。
そこでは肉体は、楽しむためのものであるより、邪魔なだけのものであって、
わしが最後まで「日本の感じ」に馴染めなかったのは、そういう肉体というものの存在の違いが案外おおきいのかもしれません。

世界中のひとの頭から「フクシマ」が消え、東京では放射性の雨が降っている。
この、前後から言えば「当たり前のこと」が、ひどく非現実的な光景に思われる。
マンハッタンの日本料理屋からも「Pray For Japan」のポスターが色が褪せた日の丸とともに一枚また一枚と剥がされていって、フクシマを思い出させるものは、「このソヤソースは、日本でつくられたものじゃないんだね?」という遠慮のないアメリカ人たちの質問と、それに「いえ、アメリカ産です」と答える仲居さんの、よく見れば強張った表情の顔くらいのものである。

わしは、相変わらず風邪でぼおっとした頭で、
「SFみてえ」とつぶやきながら、MPD(ミートパッキングディストリクト)の道を、チキンサモサめざして歩いている。
非現実が突然、現実と虚構の約束ごとを破って現実の世界に襲ってきたようなフクシマを、英語の世界にだけ住むひとびとは、そちらがわの窓を閉めて、ブラインドを下ろして、忘れてしまえばそれでなかったことにできるが、くだらない趣味がこうじて日本語がわかり、しかも自分がはらった努力に対して努力というものへの吝嗇のあまり日本語能力を捨てることも出来ないケチ男のわしは、相変わらず日本語のフクシマニュースを見て、「どひゃっ」とか「ええええー」とかつぶやいては、周囲のひとに、「ガメも、とうとう…」とゆわれておる。
いままでは、日本では、いま、こーなんです、というわしの話を一日に一度は嫌がらずに聞いてくれていたモニも、フクシマの子供が校庭で遊び、給食にも福島の食材が使われている、という話を聞いてからは、「私は日本の原発事故の話は、もう聞きたくありません」とゆって、聞いてもらえなくなった。
あのとき、みるみるうちに真っ青、(というのは表現というもので、正しく描写すればケント紙のように白くなったのだったが)になったモニの顔をおぼえている。

誰にも話が出来ないので、わしは、モニが母親とスカイプで話していたりするときに、こっそり寝室で日本語ニュースを見るが、そのたびに「どひゃっ」「ぐわっ」と思う。
ときどき、ある日、こっそりと日本語インターネットのニュースを覗いてみると、
「はっはっは。フクシマは日本が国家を挙げて世界のゲンパツ推進派に警告するためにでっちあげた大嘘でした。そんなことはなかったのよ。でも、ほんとうにゲンパツこわいから、やめよーね」
と書いてあったりしないかしら、と思うが、
無理だよねえ。

現実って、こんなに無茶苦茶なものだったのか。



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