(この記事は2008年8月27日に「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5」に掲載された記事の再掲載です。
ロシア人の女の子と付き合っていた頃、「ロシアン・ボール」に連れて行かれたことがある。ニューヨークに住むロシア人が一堂に会して故国をなつかしむのだ、と言う。
一緒に来い、という。
タキシードを着て来い、と言われて例によって例のごとくグズルわっし。
「なあんで、わっしがロシア人の舞踏会に行かねばなんねえの。わし、タキシードとか着ると蕁麻疹が出る体質なんすけど。それに、かーちゃんにも、おまえのように頭はからっぽだけど見た目だけは可愛いガキはパーティになんかに行くと誘拐されてタンジールに売り飛ばされるから行ってはいけません、と言われてるんだけど」
「あなたを、みんなに見せびらかしたいの。あなた、わたしの気持ちが分からないの?
こんなにカッコイイボーイフレンドがいるのを見せたいのよ」
「わっし、カッコイイのか?」
「もちろん、ガメは、ゴーーーージャスよ」
「行きます」 (きっぱり)
とおだてに弱いわっしは出かけたのであった。
ロシアンボールは、「プラザ合意」で有名なプラザホテル(このあいだ身売りしてアパートになっちったけどな)の一階のボールルームで開かれる。
会場の入り口には、やたら上品な、ばあちゃんがふたりで立っておって、このダブル上品ばあちゃんたちと握手しなければ会場に入れない仕組みになっておる。
「あのばあちゃんたちって、なんだ? ロシアの叶姉妹なのか?」と考える、わっし。
しわしわ叶姉妹。
ガールフレンド(当時)が、さっと耳打ちしてくれます。
「ロマノフ王朝の皇女たちよ。お行儀よくしてね」
うっそぉー。
わっしは心にもないことをするのが得意なので、うやうやしく挨拶をして握手をして会場にはいったのであった。
同じテーブルには、やたら綺麗なおばちゃんがひとりとなんだかロシア版の杉良太郎みたいなおっちゃん。ベルギー人のおばちゃんにフランス人のにーちゃん、あとはロシア人のねーちゃんに、映画監督だとかいう態度のでかいお茶の水博士をせいたかのっぽにしたようなポーランド人のにーちゃんがおった。いま思い出してもあんなに鼻がデカイやつは後にも先にも初めて見た。シラノ・ド・ベルジュラックみてえ。
ところで、この「綺麗なおばちゃん」と話してみると、英語は下手だが話すことに知性が感じられて、わっしはすっかり楽しくなってしまった。
しかも、おばちゃん、語彙は少ないが話題はホーフである。
大学を出て初めて赴任したベトナムから始まってエジプト、東欧、アフガニスタン….
しばらく話していて、「任地が政治的焦点だったところばかりで、まるでKGBのスパイみたいですね」ときわどい冗談をとばすわっし。
ところがテーブルのひとたちが、みないっせいに大笑いします。
「ガメちゃん、このひとはね、ほんとうにKGBの幹部スパイだったんだよ」
と初めは打ち解けにくかったけども、話してみるとなかなかやさしいおっちゃんであることがわかったリョータロースキーのおっちゃんが言う。
さっきからカタコトに毛が生えた程度の英語を駆使して一生懸命話をしてくれていたおばちゃんはモスクワ大学を首席で卒業してまっすぐKGBにはいったばりばりのスパイであったそーな。ゴルバチョフのときにアメリカに亡命してきた。
へー。
わっしは、アメリカっちゅうところは相変わらずどんな人間がいるかわからんところじゃのー、と感心してしまった。
テーブルに座って、踊るひとたちを寂しそうに眺めている女の子に気がついてガールフレンドの許可を得て踊りに誘います。この女の子は毎週末モスクワからプライベートジェットでニューヨークに来るのだと言う。
わっしの知識に照らすと、どっからどー考えてもマフィアの親分の娘ですが、とても気立てが良い。
しばらく一緒に踊って、テーブルに戻ると、まるで小学生のような無防備さで「一緒に踊ってくれてどうもありがとう」と言う。
わっしはなんだか切ないような心配なような気持ちになってしまいました。
「あなたのように綺麗な人は踊りに誘われたからといって「ありがとう」とは、言わないものです」と説明します。
パーティが進んでくると、伝統的な舞踏会を粛々と進める年配のロシア人たちと、それではつまらなくて、ニューヨークならどこにでもある現代的なダンスパーティを楽しむ若い人たちのふたつに分かれてしまった。
わっしは伝統的な舞踏会のほうがおもしろそうなので、ずっと、そっちの部屋にいました。
ニューヨークの「不動産王」、おめーはくびだ!ドナルド・トランプが来ておった。
このロシアンボール以来、わっしはロシア人の友達がたくさん出来た。
ニューヨークに行けば、相変わらず、ロシア人たちのパーティによく出かけます。
毎年毎年、ロシア人たちは自信をつけてきて、去年はもう「肩で風を切る」感じであった。
自信なさげに弱々しく微笑んでいた元KGBのおばちゃんも、見違えるほど上手になった英語で、自分と仲間がニューヨークで始めたベンチャーがいかに成功しているか、わっしに胸を反らせて話してくれます。KGBの長官になったみたいな勢いである。
初めてロシアンボールに招かれた頃は、みな、イスパニアで滅びた故国をなつかしむカルタゴ人のような趣であって、とても感傷的悲劇的なムードを漂わせておったのに、いまはまた無茶苦茶元気になった。ロシアという国の勃興が肌で感ぜられます。
わっしは一方でウクライナ人の友達をたくさん持っていますが、ウクライナ人たちは「ロシア人たちと付き合わない方がよい」と言う。ロシア人たちはロシア人たちで「ウクライナ人なんて、くだらない連中だ」と吐き捨てるように言う。
ところが、相手にワインをつぐのにいきなり立ち上がって立ってからつぐところや、酔っぱらい方や、夫婦ともなると奥さんがものすごい絶対権力者で、見ていても旦那さんがかわいそうになるくらいニベもない怒り方で旦那さんを叱りつけるところや、なによりも、その底抜けのひとの良さがロシア人もウクライナ人も同じである。
ウクライナのひとたちのほうが、考え方が軽快であって素早いので一緒に仕事をすすめるのはウクライナ人のほうが楽である、というような違いはありますが、わっしから見るとやはり同族であって文化的にとても似ている。
このふたつのグループがかち合うと喧嘩になると決まっているので、ときどき苦労しますが、はやく、同族同士、仲直りしてくれんかなあ、と考えるのであります。
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