正体もなく酔っ払ってプラヤ·デル·カルメンの街を歩いている。
日本で言うリヤカーみたいな二輪車を自転車で押しているおっちゃんからアイスクリームを買って食べている。
いつもの、タイ人姉妹がやっているバーに行って、金魚鉢みたいにでっかいピナコラーダを飲みに行こうか。
おおげさでなくて何千という数のブランドの棚のテキーラが並んでいるテキーラ店で、主人が勧めるテキーラを買って、El Farroのテラスで、もっともっと飲んだくれてみればどうか。
ぼくは、どこに居たって、「灯台」という名前のホテルと相性がいいんだよ。
El Farro
El Far
どちらのホテルにも海に面した広いホテルがあって、夜には水平線に近いところにおおきな、ネオンサインのように燦めかしい照明を煌煌と灯した船が停泊している。
38歳になったので、部屋のあちこちの隅にたまった埃のような知識が増えていて、やる気になれば、あの船は公海に出て、夜明けまで開帳するライセンスのないカシノだと、きみに説明してあげることもできる。
どこの国にもあるんだよ。
お堅いので有名なシンガポールにも、サンズが開場する前にもあった。
カシノ?
カジノ?
ううん、カシノでいいんだよ。
万事に訛っている英語人だからね。
ブラックジャックをやってみるかい?
そうそう。
17未満のカードの組み合わせでは、もう一枚ひくのね。
絵札が二枚来たからって、舞いあがって、スプリットしてはダメです。
8やエースが二枚来たらスプリットする。
いちど、中国系の女の人がロンドンのクラブで、ぼくが絵札をスプリットしていれば、テーブルの人全員が勝ったのに、と大声で食ってかかったことがあったが、テーブルの全員が、「なに言ってんだ、あなたは」と怒りだして、ディーラーも「それは、ちょっと」とかなんとかモゴモゴ言っていたら、
フロアマネージャーがやってきて、この大金持ちの中国人は、気の毒に、クラブのメンバーシップが停止になった。
オーストラリアやアメリカのカジノなら周囲の人が顔を顰めて終わりなのだけど、
この人は欧州というところが、どういう場所で、イギリスも、欧州の一部であることを知らなかったのでしょう。
ブラックジャックのテーブルは、最小社会のモデルと言っていい。
参加している人間の見識によって場が決まる。
場が壊れると、どうするかって?
みんな立ち去ってしまうのさ。
取り残されたディーラーが所在なげに立っているテーブル。
…正体もなく酔っ払ってプラヤ·デル·カルメンの街を歩いている。
日本で言うリヤカーみたいな二輪車を自転車で押しているおっちゃんからアイスクリームを買って食べている。
いつもの、タイ人姉妹がやっているバーに行って、金魚鉢みたいにでっかいピナコラーダを飲みに行こうか。
東京は、とてもいい街で、ぼくは好きだった。
夏は呼吸が困難になるほど暑い街で、
シンガポールのように、人間がひそひそと、地下に潜って、冷房が完備された地下道を通って、冷房から冷房へ、歩いて行けるようにもなっていないので、耐久度テストみたいな気候で、
しかも街は汚くて汚くて、ゴミやなんかはひとつも落ちていないのだけど、
醜い町で、
見た目が美しい通りしか慣れない人はダメなんだけど、
気立てがよくてウイットに富んだ醜女といえばいいのか、あのゴミ箱のなかを歩いているような街の見た目になれてしまうと、
血の通った町で、
むかしは高いビルを見上げて、ガーゴイルが頬杖をついてもいないような町は好きになれなかったガキわしも、東京だけは大好きになった。
東京の人は、みんな裸で暮らしていて、露天暮らしなのさ。
でも20世紀にもなると、見た目もそれでは国連にタイホされてしまうので、
一応の服を着る。
ユニクロだかなんだかって言う、洒落た粗衣。
ほんとうは、二三回も着られない、紙袋を着ているようなものなんだけど、
世界中で人気がある。
家も、「一応、これなら家だね」という程度の建物で、日本の人は十分満足している。
日本にいるあいだに、最も感動したのは、…というのはオーバーだが、
これはいいな、とおもったのは、
意地でも、離婚しても、他人を踏みにじってでも、家を買おうとするUK人やNZ人と異なって、日本の人は、逆に、家を買うお金が十分に有っても借家暮らしを選択する人が多かったことだった。
それは、(断乎として)正しい考えなんだよ!
「思想」だと呼びたくなるくらい。
日本の人がレンタルテナント暮らしで良しとするのは、この世界の天と地に産まれてきて、仮屋暮らしだと感じているからではないのか?
カタルーニャ生まれの、あの美しい声の人が歌っている声が聞こえてくる。
風に舞う羽毛のように 軽い調べ
「Solo el amor con amor se paga
Nada te debo y tú no me debes nada」
すべての正しい考えはフランス語で記述されていて
すべての正しい感情はスペイン語で話される
という考えをきみはどうおもうか。
英語人は、世界について退屈な解説を述べているだけではないのか?
日本語は?
ロシア語は?
ぼくは、ここから、どこへ行けばいいのか。
世界は、絶えず、一瞬のたゆみもなく、きみやぼくに語りかけている
浜辺へ行くでしょう?
波に破砕された貝殻の破片が、
寄せては引く波の手で音楽を奏でる
暗い海が、櫂を挿してみると、夜光虫のオーロラが現れる
日本文明と他の文明のおおきな違いは、この世界を仮住まいと感じていることではないのか。
それが日本の人が、この世界を常に悲しんでいるように見える理由ではないのか。
「Solo el amor con amor se paga
Nada te debo y tú no me debes nada」
いったい、この世界で人間であることに(有意な)意味なんてあるのか?
COVIDが終わらなくたっていいや、来年になったら、
あの、ぼくもモニも大好きなEL FARに行こう。
じりじりと肌を焼く地中海の太陽の下で、ぼくは世界に対する際限のない懐疑を更新するだろう。
自分に最適な言語を探して、
たった一行の輝かしい表現を求めるだろう。
もう二度と、世界は人間を愛さないだろうから
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こんにちは。
>日本文明と他の文明のおおきな違いは、この世界を仮住まいと感じていることではないのか。
うん。だって私たちは、久隅守景の納涼図屏風」の子孫だもの。
それから、九鬼周造は「小唄のレコード」に
「私はここにいる三人はみな無の深淵の上に壊れやすい仮小屋を建てて住んでいる人間たちなのだと感じた。」と書いているし、稲垣足穂は、地上とは思い出ならずや。と書いているし。
本来は、草木の中に埋もれるように間借りしている人たちなんだと思います。