長い長いtweet

1982年という年は、日本の人が対アメリカドルを「だいたい250円」と数えていた年です。

経済は年々急成長を重ねて来ていて、物価は毎年おおきな幅であがってゆくのが当たり前だった。

中曽根内閣が成立した年で、青嵐会という自民党内右翼グループの中核政治家が首相になったことで、日本がおおきく軸足を右に移した年でもある。

あとで、ぼくの法律上の叔父になる青年が、神保町の岩波ビルにあった小さな事務所を訪ねて、来ている。

当時は(あんまりあてにならない義理叔父の記憶によれば)30万円を超えていた航空券代が、若い叔父には、どうしても出せなくて、ニューヨークに出かけるために、一計を案じて、アメリカに住む親族から招待してもらう、ということにした。

いったい、どこをどうやって工夫したのか、どうやら日系人の女の人に妻ということになってもらって、招待状を手に入れたらしい。

すると、あな不思議、同じユナイテッドのエコノミークラスの成田-NYCが往復11万円で買えたといいます。

違法とは言えなくても、あんまり晴れがましい経歴の切符ではなかったようで、シアトルでの乗り換えが15分しかなかった。

15分で荷物を受け取り、パスポートコントロールを通過して、なんだか銚子電鉄みたいな国際空港と国内空港を結ぶ電車に乗って、国内線ゲートにたどりつくのは無理なので、当然、乗り遅れて、無い知恵を絞って、ユナイテッドのサポートカウンターにいってみると、「替わりの航空券なんて出せるわけがないでしょう」と冷たく宣告された。

英語もろくすぽ話せないので悲しみとパニックと怒りのあまり、ただ口をあわあわさせていた義理叔父の後から、「なに言ってんだよ。この人の無茶苦茶な乗り継ぎの航空券を発行したのは、きみの会社だろ?

ちゃんと代替の券を出さないという法があるものか」と述べる人がいる。

振り返ると、「ジャッキー・チェン風の」アジア系の背の高い、年齢が自分と同じくらいの若い人が、「おれは頭に来たぞ」然とした顔で立っていたそうです。

ああでもない、こうでもない、信じられない、これがアメリカという国なのか、と数十分も散々すったもんだの挙げ句、この香港人の若者は義理叔父のためにニューヨークまでの切符をせしめてくれた。

ジョンFケネディ空港だったはずが、ニューアークに変わってしまったが、ともかく、ニューヨークの近くではあるので、「あの香港人の親切は一生忘れられない」と述べている。

どうも当時はアジア人全般に偏見を持っていたらしい義理叔父が、いっぺんに偏見がなくなった出来事であったようでした。

ずっと昔の記事に、デンバーで乗り換え、シカゴで乗り換えて疲労困憊した義理叔父がニューアークに深夜到着した後の顛末は書いたことがあるので、ここでは省くが、なぜ長々と書いてきたかというと、昔といっても、それほど遠い昔でもない1982年には、個人が航空券を買ってアメリカに行くのがいかに大変だったか、そのおおげさぶりを、実感して欲しい気持があるからです。

Tweetで、この円安は悪性だから、もし海外に出て行きたい希望があれば、いまが最後のチャンスで、ここからあとは、もうない、と書いたのは、1ドル150円にもなれば、ほとんど、この250円時代に「海外に行く」ということの意味は戻っていくだろう、という気持があったからでした。

Twitterは、ひまつぶしに寝転がってグダグダと森羅万象を述べて遊ぶのには面白くてよいオモチャだが、日本語の空白と省略をちゃんと読み取れない人は、背景知識ももっていなくて、すわワイマールのスーパーインフレが来るか、と身構える人もいれば、頭から「そんなもん来るわけない、ちゃんと95円にまで戻ります」と断言する人も出てくる。

だから、ちょっと記事にして書いておきます。

250円時代と、いまとでは、同じ日本と言ってもいろいろと異なっている。

最大のものは、日本がアメリカにとって変わろうか、という、いまの中国どころではない凄まじい国力の伸長の途上にあったことで、1982年には、もう、なんらかの理由で日本の経済が崩壊してしまうと、一国どころか、アジアどころか、世界中を巻き込んで一家無理心中になるような影響力が強い経済の構造を持っていた。

あんまり大袈裟でもなくて「日本の会社がつくるものがなければ文明の機器は何も出来ない」ところまで来ていたのでした。

だから日本政府が、どんな無茶苦茶をやっても、殿、爺をおもいきり殴りつけて、辛抱してくださりませ、で、なんとか無理を通してやって、経済が傾かないようにした。

いまは、まだまだ一群の筆頭ではあるけれども、「その他大勢の国のひとつ」で、潰れても、なにによらず代役が控えていて、ちょっとよろめくくらいで、日本なんかなくなっても誰も困らない体制が出来ています。

それでもスプレッドが小さいことと対外純資産額がおおきいことが意識されて、特にスプレッドの小ささは世界の経済の先行きが不透明な場所にくると、おおきな魅力で、嵐が通り過ぎる短期のあいだ、資産を円に替えて、嵐が通り過ぎるの待つのが習慣のようになっていた。

有事の円、というやつね。

本所の火事なら「め」組にまかせねえ。

ほおら、この日銀の纏が見えねえか。

ところが、ところーが。

ロシアのプーチン大統領がとち狂って、20世紀的な国権国家意識まるだしのウクライナに対する全面戦争を企図するにいたって、普通ならば円が、ぐぐっ

、ぐぐぐのぐっ、と上がる局面で、ルーブルと一緒に轡を並べてさがってしまった。

初めてなんです。

お手柔らかにお願いします。

やさしくしてね。

純真な少女や少年のようだが、世の中は特にやさしい気持で円を売ったわけではなくて、なにしろ、ぶっくらこいたことに、日本では中央銀行の総裁が金融緩和と呼ぶのも恥ずかしくなるような、はっきり言ってしまえばMMT政策を、これからも粛々と進める、と、口に出して明言するという体たらくなので、アホらしくなって「もう有事の円の時代は終わった」と判断した、ということです。

習慣で曇っていた目が、晴れてみると、目の前に立っている「円」さんは、

なんだかヨボヨボで、皮膚もカサカサで、溌剌としたところがなにもない、老衰で縮んだ市場であって、「市場としての魅力」という通貨にとっての最大の要素が、褪せて、消え失せていた。

一時的な円安ではなくて、悪性の、上がり下がりを繰り返すのか、単調減少なのか、そのどちらになるかは「市場心理」という気まぐれなブラウン運動に左右されるが、幅を5年、10年ととっていけば、必ず右肩下がりになってゆくのは決定的だと判断されている。

最も簡単な理屈は、英語欧州語世界を跋扈しはじめたインフレという怪物と社会が戦うためには、昔から武器はひとつしかなくて、利上げ一本で立ち向かうしかない。

他にいろいろと小手先の誤魔化しは出来るが、例えば5年という幅では要するに利上げをするしか、インフレという、この正体がよく判らない怪物を倒す方法がないので、例えばニュージーランドでいうと、0.25%

と述べていたのが、0.25%二回になり、ふたをあけてみると、公式で6%弱、実質物価上昇率15%というとんでもないペースなのが判ると、待って待って、やっぱり0.5%にするかしんない、と恐慌状態に半ば陥っている。

1980年代のアメリカでは、インフレがなにをやっても止まらなくて、結局、勇気の塊のような大男FRB議長のポール·ボルカーが「殺してやる」と何通も脅迫のお手紙をもらいながら、最終的に政策金利を20%に引きあげて、やっと収まった。

ところが、ところーが、ver.2

なにしろMMTもどきな黒田東彦の歴史上も珍奇な、じゃないや、新規な、ユニークな金融政策は、「いまの世界でインフレなんて、来るわけない。そんなの素人のたわごとだよ」という大前提で出来ているので、絶滅したはずのインフレが世界のあちこちの浜辺に上陸しだすと、打つ手がなにもない。

利息をあげると、世界最大を誇る負債に、ばっちし利子がついて、巨額と呼ぶのも愚かしい利息を払わなければならなくなってしまうが、

オカネ、ないんです。

たしか、国民にかける税金を倍にするんだかなんだかでないとダメなんじゃなかったかしら。

おぼえてませんけど。

まあ、どこかではナルシシスムが強い政治家が愛国心に酔って、涙を浮かべながら国民に訴えて大増税に向かう、ということになるしかないのだけれど、いますぐそれをやると、山本太郎が首相になってしまうので、ウクライナと同じにコメディアンがトップに立てばいいのかどうか、少なくとも、自民党はやれないでしょう。

それに、こちらは説明にやや時間がかかるうえに、いちゃもんをつけに来る人がいっぱいいるのは目に見えているので何も説明しないが、

ほんとうはね、利子そのものよりも発行しちゃった通貨量のほうが問題なんです。

回収できないどころか、小さい声でいうと、流通も、ぎょっとするほど小さい量しかしていない。

何度も繰り返して書いているが、日本という国は、通常の国家とは経済的構造が逆さまになっていて、国家が潰れる前に国民の生活が踏みつぶされてぺちゃんこになるようにできている。

政策の失敗は、ほぼ完全にひとりひとりの国民が被るようにつくってあります。

従って、円安を根底の理由に、どんどんビンボになっていって、そのあとに増税が来る。

いまでも消費意欲がないのに、って、ほんとうは意欲ではなくてオカネがないのかもしれないが、もう10%ビンボになって、増税で、賃金はちょっぴりしかあがらなくて、それで縮退しない経済があったら、見物に行きたい。

というわけで、日本の人がいまのように気楽に海外に出かけるわけにはいかなくなって、まして、twitterで円換算で計算してみたら、なにしろこの20年で英語国の住宅は軒並み暴騰していて、ぼくは自分の本業なので自戒をこめてバブルだとおもうことにしているが、実をいうと、支配的な説は経済発展と移民受け入れを核とする人口増に伴う慢性住宅不足でバブルでもなんでもなくて、単に需要と供給の法則で、しかも構造的に需要が常に供給を上廻るのだという、よく考えてみれば日本の土地バブルのときと理屈の骨格が似てるんじゃない?な説が通用していて、ほんとうのところは判らないが、現実に2000年代初期には二千数百万円で買えた家が二億五千万円というようなことになっていて、なにが理由にしろ、日本から移住する人は、この十倍近くに高騰した住宅を買わなければ、こちらも、うわっ、とおもうくらい上がった家賃と払って暮らさねばならないわけで、いまみるとビッグマック単体が元祖本家アメリカでは一個669円で、日本では390円だが、一時が万事で、まるで大昔、日本の英会話学校に騙されて長野にやってきたニュージーランド人語学教師のように、何の価格を見ても、えええ? えええええ?と驚愕と恐怖をもって、あらゆるものの価格を見ることになる。

そしたらね、行けないでしょう?  外国。

日本の人はチョー頑張るので、言わないで下を向いて頑張っているだけで、

なあんとなく近未来のような書き方をしているが、ほんとはね、いまはもう、普通の人間なら、日本に生まれて、海外に出て自分の人生を切り拓くなんて無理な経済環境になっている。

1ドル360円時代、明石康や河合隼雄、小柴昌俊といった輝かしい名前の若者たちはフルブライト·プログラムで海を渡ったが、俊秀が国家の招待で来ているのに、日本の国力を背景にした経済力で、三食がちゃんと食べられなかった。

この気の毒な秀才たちは、お腹が鳴るのを我慢しながら言葉もちゃんと通じない異国で勉強していたそうです。

日本人は国力が低下するに従って、欧州人型の、ビンボ世界滞在は出来なくなっていくでしょう。

たったひとつの方法は、レストランのウエイトレスなりなんなりでパートで働きながら「世界を見て回る」ことで、留学というようなことは、ごくごく限られた裕福な家庭の子供に限られるようになってゆく。

Expatは、例えば相手企業がアコモデーションを用意してくれて、現地通貨で十分に払うという契約を勝ち取れる人間だけになってゆく。

そうこうしているうちに、まず留学して、現地の学校を出て就職する、という現在最も一般的なパターンは、死滅して、「海外生活」は、また普通の人間にとっては手が届かないものになってゆくに違いない。

いわば日本の若い人は日本に「閉じ込められた」状態になって、社会が強制した引き籠もり生活のような、酷い言葉を使えば、国ごと座敷牢のような状態になってゆく。

どこの国の人間でも同じではないかとおもうが、グローバルな時代といいながら、円が2割も下がって、30万円という月給が、世界という広場では、いまからもう24万円になってしまっているのに恬淡としている。

賃金が高い国は物価も高いからおなじことだ、と嘯いている人をネット上で観ていて、おもしろかったことがあったが、では物価がびっくりするほど安かったソ連の社会はどうなったか、ということは忘れているらしい。

「1ルピーが10ルピーに使える」ブータンが、ほぼ独立を失ったなりゆきを知らないふりですませているらしい。

表面の微笑みの下で、貧しいタイ人たちが、どれほどの悲惨に耐えているか、チェンマイで、英語を話せるガイドでも雇えば、すぐに話してくれることです。

少なくとも個人にとっては経済の成長とは賃金があがることです。

その最も簡単な事実を、ああだこうだとお互いに言いくるめ合って、

ほおら株価があがった、ばんじゃあーい、なんて言っているから、裏で株価をパンプアップして国民の愚かさと単純さに、愛おしさを感じるどころか、ほくそ笑んで、徹頭徹尾つくりものの見せかけの「ブーム経済」で、あとは「心理効果」に期待した、尊大な愚か者たちに騙されて、言いようにオカネを吸い取られて、そのオカネは国際金融市場の賭場で倍にして戻しておくさ、と嘯くひとびとが全部すってしまった。

元の黙阿弥というが、インデックスは、揃って、個人の豊かさは50年前に逆戻りしていることを示しているのは、いろいろな報道で見たことがあるでしょう。

「でも、いまなら勇気をだせば日本を出られる」と書いたのは、なんらかの理由で日本を出たいのに出られなかったひとたちむけの言葉で、

初めから出たくなければ、なあに、どんなにビンボになったって、飢え死にしないで暮らすくらいは、少なくとも問題の2050年くらいまでは、やれるでしょう。

日本に残ってビンボになったとして、どう暮らせば人間でいられるのかは、もうすぐ続々ビンボ講座を書いたりするに違いない。

それともちろん「社会の俊英」になってしまえば話はまったく別で、ぼくにはアフリカ人の友だちも大勢と言っていいほどいるが、一定のレベル以上の知性になると、分野に拠らず、いまの慢性人材不足の世界では引く手数多で、あまりに待遇がいいので、人間的に身を持ち崩す人もたくさんいるくらい心配は無用の生活が待っている。

さあ、出かけよう、と述べてロンドンの黄色い霧のなかに分け入っていったアルフレード·プルーフロックは、悲哀のなかで佇むことになったが、

ビンボに向かって単調に進む日本に生まれたきみは、懸命に考えなければいけないときに来ているのだとおもいます。

そして、行動する。

もうダメかも知れないとおもっても、

なにもしないよりは絶対にましなはずだ、と呟きながら、

広い、無情な、危険に満ちた世界に歩みいっていかなければ、自分の一生自体が始まらない。

ドアを開けて、心が凍ってしまいそうな冷たい大気のなかに出て行かなければならないのだとおもっています。

 

 



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2 replies

  1. ガメさんご無沙汰しています。
    twitterやめたので、時間がゆっくりになったかもしれません。

    さて、日本の古い会社に身を置く者として言えるのは、安倍世代のメンタル老人を排除するときが来た、ということです。

    自分が周りを見ていて、自分より若いひとたちの仕事ぶりが頼もしいのですが、安倍世代から自分の世代までは死んでいると思います。
    僕が27年前に予見したように。
    いまの時代についていけていないです。

    だから、この世代を一気にメインストリームから排除して、彼ら若いひとたちに道を渡す時がきたと思います。

    そうすれば、日本の劣化は、少しは止まると感じています。

  2. 消さずにいてくれてありがとう「日本を出る最後のチャンス」との事だが、私はもう半世紀前に日本を出たので、もういいのだよ、、反対にそろそろ日本に帰りたくなった〜食べるものとか、怖くないお婆ちゃんや爺さん達とお茶飲み友達になりたい気がしてきた〜いつも口が悪くて失礼致しやした〜

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