塩田

塩田の原へ行ったことがある。

塩田町は、上田市に併合された町で、電車で行けば上田駅から別所線に乗って、目の前のコンピュータスクリーンには何故か英語で「Ubu River」としか出ない川を渡って、西へ向かうことになる。

なんだか曖昧な言い方をしているのは、クルマで軽井沢の「夏の家」から出かけたからで、軽井沢から上田までは、18号線は沿道にあるものが全て汚らしくて通っていて気持が悪くなるほどのものだが、浅間サンラインを行けば、思いのほか大きな浅間山を右に見ながら、御代田、小諸、東御と過ぎて、あっという間に上田に着きます。

潰れたラブホテルやパチンコ店の、半分倒れて、赤錆びた看板を見るだけで腹が立つ不便な性格だったので、専ら浅間サンラインで上田とのあいだと行き来していたが、こちらのほうは江戸時代の力士雷電の里だとかいう「道の駅」があって、トウモロコシ畑や葡萄園が広がっていて、ついでに言えば、お腹がすけば、ちょうどいいあたりに、おいしいとんかつ屋があったりして、快適そのものな道だった。

Sumo Do, Sumo Don’tという映画がある。

邦題は「シコふんじゃった。」

いま見ると、1992年の映画で、監督·脚本は周防正行。主演は本木雅弘

クライストチャーチにいて、なにしろいつものことで退屈して、ひさしぶりに、たまには日本の映画でも観ようかと考えてAlice in Videolandという非英語圏の映画ばかり揃えたレンタルビデオ店から借りたのが、多分、2001年くらいです。

あんまり面白いので、返却に行った帰りに、DVDを買ってきてしまった。

大学相撲部の話だったが、途中、二両連結のディーゼルカーが一面の緑をなす水田の向こうを走ってゆく美しいシーンがあって、バックグラウンドに流れる曲も美しくて、歌詞を調べ、バンドを調べてみると、

サトウ·ハチローの詩で加藤和彦が曲を書いた「悲しくてやりきれない」という歌だった。

ゴジラと小津安二郎専門だったのに、好きな日本映画に出会えて、すっかり嬉しくなってしまったが、ゴジラ対メガギラスの白州の緑に感動して日本再訪問を決めていたのに加えて、この場所にもどうしても行かなければ、と心に決めた。

そこで直ぐ行動を起こして、さっさとその場所をめざすような迅速な人間ではないので、そのあと、散々ぐだぐだして、日本を訪問してみたり、もう行かなくていいや、とおもったり、結局、珍しくも5年間に渉って数ヶ月ずつ滞在するという大計画を立てて、調べて見ると借りるよりも買うほうが、多少は金銭的に損失が出ても、いろいろと便利だったようで、広尾山に、まあまあ住めそうなアパートを買って、ことのついでに鎌倉と軽井沢にも一軒家を買って「十全外人ガメ·オベール日本遠征計画」と、わざわざキャンペーン名までつくって、日本に出かけたのでした。

ある日、ふと、Sumo Do, Sumo Don’tの風景を思い出した。

軽井沢から御代田、小諸は、いわゆる東信の貧しい町で、雰囲気が共通している。

佐久平は新幹線の駅が出来て、開けて、軽井沢の地元人が「群馬村」と顔を顰めて述べる、イオンモールを中心とした商店コミュニティ出来ている。

歴史のない新開地の悲しさでミスタードーナッツにマクドナルド、ラーメンの幸楽苑、食べ物のレパートリーはひと渡り揃っているが、落ち着いたものを買い物したり、食べたりするには、上田まで出なければ無理で、

何度も上田に出かけることになっていたが、その割に、川を渡ればすぐの塩田へ行ってみることは思いつかないまま軽井沢や佐久穂、美ヶ原で遊んでいた。

一念発起、はオーバーだが、改めて塩田を目的地にして出かけてみると、変哲も無い住宅地で、訳が判らないので市役所に訊いて出直したのをおぼえています。

行ってみて、びっくりしたのは、もうほんとうに、あの映画の風景が撮れるのは田んぼの脇の農道の、ただ一点で、ほんの数度カメラのアングルを変えると、余計なものが映ってしまう。

映画の撮影カメラマンは、凄いプロなのだ、と再確認して、モニとふたりで感嘆しました。

考えてみれば、名所のようなものだと思えば、ローマやパリと同じで、立つ場所と見る角度を少し変えれば、艶消しなものが、いくらでも目に入るわけで、マンハッタンのように、どこを見てもニューヨークであったり、ニュージーランドの田舎、例えばマルボロの入り江を歩くように、見渡す限り、ガイドブックに出ていそうなニュージーランドだったりするほうが、珍しい。

中腹に忽然と立っている鳥居に気が付かなければ、「ややおおきな丘」くらいにしか見えない古墳の脇をとおって、駅前の駐車場にクルマを駐めて、鰻の蒲焼きがびっしり載ったお重を食べて、なんということはなく、白州も行ったし、塩田原も見た、と心のなかで考える。

葉山の山々とも旧交をあたためたし、鎌倉の、噂通り、いかにも中世の幽霊が石碑の陰から現れそうな急峻な坂の上の神社で、腰掛けて、ウイスキーを片手に夕闇を愉しんだ。

なぜ自分は、この国に興味があるのだろう、と、たびたび考える、答えのない疑問をまた頭のなかで繰り返している。

塩田の原や白州の森を見たくて日本を再訪したが、ほんとうは塩田原や白州を見たかったわけではないのは判っている。

材木座などは、テラス席でビールを飲んでいると、水気を含んだ海風でテーブルに水たまりが出来るほど湿気を含んだ重い空気で、無愛想な顔の下に、子供たちのような、やさしい気持を隠していて、その一方では、不本意な人生の終盤に来て、壊れてしまったかのような中年老年の人達が、悪鬼のような心を微笑の下に隠している。

人間って、どこでもおなじで、そんなものですよ、とネットを彷徨する人ならいいそうだが、それはほんとうではなくて、日本語世界という固有なにおいが、ちゃんとあって、それは多分、奇妙なことをいえば、社会の善と悪の配分が通常は37であるのに、19であるというような「程度」の話だろうと、振り返って、いまはおもう。

言い換えれば、日本の特徴は、日本のよいところが、日本の社会では本来受け入れられない、ほとんど根拠のない善意の持ち主や、どうしても自分自身という最良の友だちを裏切れなかった「反日本人」によって出来ているところで、考えてみれば、昭和の独特で偉大な文明は「反昭和人」たちの手でつくられている。

明治に至っては「反明治人」であるのは、もちろん、明治という、詩人ですら出世栄達という単一価値観で評価されるという暗い残酷な時代に、殺されてしまった北村透谷のような人によって、輝かしい光芒が凍りついたような文章が書かれていった。

ランボーやバイロンのようなひとびとを別にすれば、欧州の各時代の文明はフランス文明はフランス人の手によってつくられ、イギリスの文明はイギリス人によって、つくられてきたが、日本では、凡そ評価しうるような創造的芸術は、日本社会の体制や、ひとびとが行動規範とする価値に反発する人びとに手に依って、つくられてきた。

通常は、個人主義が人間を創造に駆りたてるが、日本は倒立していて、逆で、創造に駆りたてる才能が、その人間を個人主義にする。

しかも、その結果は、「どうしてこんなところに?」と訝るような世界の果ての隅の隅で、燦然と輝く美を確立して、情報の発達によって狭くなった世界で、

世界中の人に日本が細部を伴って見えるようになってきて、

下された評価は、日本の人とはまるで逆さまで、社会はどうしようもないくらいダメだが、反日本人たちが築く芸術は、素晴らしい、というものでした。

あのゴミゴミとした塩田の原で、日本でしかない、と言いたくなるような、夏の、美しい景色を切り取ってみせたカメラマンは、芸術家で、自分が信じている、あるいは知っている、というほうがいいのか、風景のなかに埋もれた「日本」を切り取ることに見事に成功していたが、つまり、「反日本人」たちが発掘し、切り出した「日本」は、そうやって日の目を見たのでしょう。

日本語を通じて、あるいは、日本を何度も訪問することで、そのメカニズムを知りたかったのだと、ぼんやり判ってきたのは、最近のことで、十年以上経って、やっと日本に出かけた意味も、離れた意味も判ってきたようでした。

もう日本には二度と行くことはないのではないか、と、ときどき思う。

終生スター俳優だった人と、会う約束をしていたが、その人は亡くなってしまった。

ふたり会いたい友達がいるが、こちらのほうは、なんだか会うのが怖いような気もするのです。

日本は遠景にある風景でいいのかも知れない、と、よく考える。

遙かに遠い距離から見ると芸術は、要するに、その国そのものの姿をしている。

日本という国は遠くから見つめる人間にとっては、透谷であり、草間彌生であって、経済が繁栄していようが、落ち目であろうが、どうでもいいことなのは言うまでもない。

子供の時と若い時と、日本に滞在してよかったなあ、とおもうのは、三十代後半という、いまの年齢で、夏の湿気を含んで重い空気のなかで気怠そうに鳴く蝉の声や、不意に、急速にたちあがる積乱雲、黄金の海のような稲穂の波、カウンターから顔をのぞかせて、「あんた、いいこと言うね」とニヤッと笑う元美大教師のバーの主人、絶句したようにモニが身に付けた真珠を見つめて、「なんて美しい。残念ですが、わたしどもの店には、もう、お嬢さんの真珠のような美しい真珠はないのです」と述べて、海が温暖になって、過去には採れたような真珠は採れなくなってしまった、と説明してくれた

銀座の真珠店の老店員、もう美しいこと、嬉しかったことしか思い出さなくなって、日本にいたときよりも、ずっと日本を愛しているように思える。

 

 

帰りは菅平に寄って、いきなり大きなオール·ブラックスの旗が町の入り口にあるので、びっくりしてしまった。

クルマを駐めて、山の頂上の原っぱに立って、向こう側の、遠くに見える高い山々を見つめて、ああ、なんて幸福な午後だろうと考える。

モニと、どちから言うともなく、「もう、いいね」と述べあっている。

もう帰ろう、自分たちの家に。

天国に、あまりに長くいると、天使も堕落するというからね。

現実の世界に戻って、自分たちの生活を始めよう。

思い出してみると、長い長い新婚旅行が終わって、あの日から、いまの生活を始めたのでした。

光のなかから帰って来た人たちのように



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1 reply

  1. ガメさん、

    > 通常は、個人主義が人間を創造に駆りたてるが、日本は倒立していて、逆で、創造に駆りたてる才能が、その人間を個人主義にする。

    いつも本当に、こういうとらえ方や言葉の紡ぎ方が見事です。ちょっとそれだけ言いたかったです。

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