太平洋戦争の終わり、アメリカ軍の激しい爆撃で医科研以外の建物という建物を吹っ飛ばされた白金では、焼け爛れた木の枝に引っかかった腕や首、足を見上げながら坂をのぼっていくと、三光町の丘の上から海が見えた、という。
きみが住んでいる天現寺は、三光町のいわば隣で、木造アパートの一階の高速道路の橋桁に面した絶景をカーテンで隠して住んでいる。
以前のアメリカ出版社の日本支部という触れ込みだった勤め先では男の社員たちがシロガネーゼシロガネーゼときみを呼んで、ささくれだった気持にさせられたものだった。
「まったく、このおれの人生は」
と、きみは、女のひとり住まいの、21世紀だというのに、微かにドブの臭いがする湿気った部屋の片隅に膝を抱えて考えている。
どうして、こんなについてないんだ。
だいたい日本みたいな国で、女に生まれつくなんて、いったい、おれは前世でどんな悪いことをしたというのだろう。
大学の求人から始まって、転職ウエブサイトまで、女で雇ってもらえそうな会社は、なあんとなく傾向が定まっていて、文化的な香りがするが給料は安い、という例のあれです。
おれの専攻はギリシャ哲学だったので、編集者を志して、カラーの表紙にソクラテスの豚顔のアップが載っていて、扉表紙を開くと、ギリシャパーマのアポロンにそっくりさんのチン〇ンもろだしの筋肉美ヌードが三つ折りカラーグラビア写真で付いている、というような人気雑誌があればいいが、そうもいかないので、いちばんクソ男ばかりが給料が高くて威張ってなさそうなアメリカ資本の出版社に潜り込んだが、女ボスは、エール大学を出たのが自慢の、クソ女で、日本の私立大学を出たおれなんかはキャトルクラス扱いで、女の上司だからよさそうだとおもったおれが甘かったというか、男でないこととは別に、低劣な人格というものも別個に存在することを、おもいっきり知らされてしまった。
文字にすると、天現寺から青山に通勤する、颯爽とした出だしだったはずだが、実態はドブの臭いがするクソ部屋を出て、駅前で待ち構えていた大学のときからのストーカー男に気が付いて顔を引きつらせて、なけなしのカネでタクシーに乗って、青山の会社につくと、だって、こんな仕事量をどうやって一日でこなすんだよ、このタコ女!とおもうしかない膨大な資料整理を押しつけられて、這うような気持で、深夜、家に帰ることになっていた。
ある朝、眼が覚めたとき、こんな暮らしをしていると絶対死ぬな、と判ったので、おれは転職することにした。
今度は市ヶ谷の学術系出版社で、学術系出版社と学術出版では、おなじ出版社でも役割がまるで異なるが、うぶかったおれは、そんなことはまったく気が付かないまま、せっかく40万円あった月給を捨てて、20万円の学術系出版に、自分の将来のキャリアを信じて入社することにした
案外、よかった。
給料が半分になっても、そのころダンスクラブで知り合った日本にいる外国人向けの遊び場ガイド雑誌を出してる会社に勤めるアメリカ男と一緒に住むことにして、薄給もふたりあわせれば、なんとか食える額で、なによりも仕事で会う研究者を中心としたひとびとは、やっぱりガクがあって、膝をガクガクさせたりしながら、延々と蘊蓄を述べるが、蘊蓄の内容が、おれが三度の飯よりも好きなアリストテレスやプラトン、だいぶん外れていった担当でもダンテどまりだったので、仕事の打ち合わせのはずなのに、話から話へ飛んで、あっというまに5時間なんてこともよくあった。
なかでもアメリカの大学で日本文学を教えている女の作家は、すごい人で、ものを大事にしないおれには珍しく、そのときの原稿と、打ち合わせのノートは、そのひとのためだけの引き出しに、大事にとってあるんだよ。
幸福な日々は、5年も続いただろうか。
All good things must come to an end.
すべてのよいことには終わりがある。
なにそれ、いま考えたの?と言われそうだが、この平凡な見てくれで、14世紀初頭の中世の諺なんだよ。
ある日、日本では有数の中世倫理学の研究者でもあった社長が、池袋のラブホテルで若い女の身体のうえで、いわゆる腹上死を遂げてしまって、大騒ぎのなかで、オカネをもらいそびれた、その高校生の女が、社長の家に電話した瞬間に起こった阿鼻叫喚の大騒ぎのあとで、新しい社長がやってきた。
本居宣長の本を出したいとかなんとかが、その会社にはもともとは「訓示」なんてなかったんだが、初めての訓示で、いやあああな予感がしたが、
当たっていて、社長になって次の日には、女の社員を全部一室に集めて、そもそも性別で分けて社員を集めるだけで胡乱(うろん)だが、言い出したことは、ほんとにそんなの合法なのかよ、と言いたくなるくらい胡乱で、
「今日から女の編集者は全員、営業にまわってもらいます」と言う。
へ?
とおもって、いまのいま、耳から入って、頭のなかに反響した言葉を反芻してみたが、まごうかたなく、コダカラーの色彩よりはっきりと、
「今日から女の編集者は全員、営業にまわってもらいます」と言いやがった。
「ふざけんな、この豚、おれは、断る。自分のヘソかんで死ね」と口を開いたが、浮世では、仮の姿、おれは細面の、浮世絵美人のモデルになれそうな、なよい女の姿で、外見と世間の思い込みから来た必然で、女の言葉で話すことになっているので、
「わ、わたしは、いやです。申し訳ありませんが、お断りします。
わたしは編集の仕事がやりたくて、この会社に入ったんです。
お願いします」
と、情けないくらい哀れっぽい言葉が口を衝いて出た。
その晩、あの会社の社長から来たemailを公開したい衝動になんど駆られたか。
遠回しに、豚野郎のくせに、そういう修辞だけは上手で、
会社の方針に従えない人間は、即刻クビであること。
おとなしく退社すれば事を荒立てないが、なにかあるようだと、出版業界にはいられなくなること。
うんぬん。でんでん。かんぬん。かんでんでん。
たっぷり脅しが書いてあって、クビで、引き継ぎも必要がない、と言われて、あとで聞くと、担当だった作家や研究者のひとびとも、会社から、それきり音沙汰がなくなって、いったい自分が書いた本がどうなったのか、再版されたか絶版になったかも知らされずに、自分が書いた本の蚊帳の外という、奇想天外なことになって、おれがなんで謝らないといけないのか判らないが、一応謝ったら、日本の出版の世界では「よくあること」だという恐ろしいお話で、謝る必要なんてないよ、と逆に慰められてしまった。
それからおれは、ぼつぼつ出来はじめていた出版の世界の伝手で、看板の雑誌は真剣につくって、単行本は一流の研究者や作家に三流本を書かせて、読者から感謝されながら、ぼりまくるという、巧いマーケティングで、文化ブランドみたいな顔をして、頭の弱いワナビー知識人読者に貢がせ続けている出版社に遷ったが、ここなら、やっと良い本がつくれるとおもって月給手取りたった12万円という、ほんとに21世紀なんだろうか、という、雀の涙も涸れる収入を我慢して単行本編集者として入ったが、そんな話は聞いたこともない、ほんとうですか、と何度も聞かれたが、この会社には「月2冊」という途方もないノルマがあって、ノルマが果たせないとペナルティがあって、毎朝、徒歩で鶏舎に通うブロイラーのような気分になったが、パワハラ体質で、古い言葉でいえば、石持て追われるように辞めることになった。
三度目の正直がパワハラで、おれは、もう、この会社の事情や辞めた経緯なんて、たいして知りもしないあんた相手に話す気もしねえよ。
青山時代、おれは、正直に言えば、牛馬のように働かされるのが、つらくてつらくて、ちくしょう、おれだって人間だぞ、これじゃ殺されてしまう、とおもいながら、朝、低血圧にふらつきながら起きて、深夜すぎに帰って、まっすぐベッドにダイブして眠るまでのあいだの、ゆいいつの人間らしい時間と感じていたランチブレイクに、ネットをウロウロしていて見つけた、なんだか古代日本語の達人と皮肉りたくなる、調子っぱずれの日本語で書かれたブログを見つけた。
ろくでもないブログだったが、一行だけ「きみ自身という最良の友だち」という言葉があったんだ。
おれは、なんども読み返しちゃったよ。
「世界からの視線のなかにいるきみを見てはいけない。きみという個人の視点から世界を見ないとダメです」
とも書いてあった。
このあいだ数えていて、ぎゃあ、とおもったが、おれはもうすぐ38歳になる。
くっだらないオンラインの文章のなかにも、一行だけ、タイミングなのか、少なくともおれにとっては、砂漠のなかのダイアモンドのような言葉が埋もれていることがあって、おれは、ほんとうは、もうめんどくさいから、どっか青木ヶ原でも行って死んじまおうとおもってたんだが、おもいとどまった、というよりも、そうか、おれのいちばんの友だちは、おれなんだったな、と判った途端に、死ぬのもめんどくさくなった。
38歳で、誰かと一緒に住むなんてお断りで、かーちゃんが床に伏したままの病気で、学歴もなくて、職歴も転職ばかりで、なかでも最悪なのは女が人間の範疇に入らない日本のクソ社会で女で、いったいこれから、どんな未来があるんだろうと考えると、あれは比喩でなくて、思い詰めると、ほんとうになるんだけど、目の前が真っ暗になる。
おれにあるのは、おれは何冊かいい本をつくった、という、ひとに言う訳には行かない誇りだけなんだよ。
現金の預金が5800円、
クソ会社をやめるのに、脅しまくりやがるので、やむをえず弁護士を雇ったり、転職するまでのあいだ生活保護は我ながらマジメにも申請したが、あんなクソ金額で食えるわけはないので毎月カネが出ていったり、
おれがカネのことは、まったくダメなせいもあるが、
返せてない借金が100万円ちょっと
それが、ありったけのおれで、あの、ブログを日本語で書くイギリス人によれば、日本は円安を皮切りに、ズブズブと沈んでいく経済らしいけど、
去年の手取りの12万円は、考えて見ると、もう8万円ちょっとしか価値がなくなっているわけで、こういうのもビンボというんだろうか、経済的アポカリプスとかなんとか、別の言葉があってもいいんじゃないのか。
会社を出て、雨のなかを、傘もささずに、おれは九段の坂をのぼっていった。
濡れそぼって、でも途中でガラスに映った自分の姿を見たら、なかなか尾羽打ちからした感じが出ていてかっこよかった。
あれなら、誰も傘を買うカネがないだけだとは、気付かないだろう。
昨日、まる一日、食べ物を買うカネがなかったやつに、使い捨ての透明傘にでも、使えるカネがあるわけはない。
都会人の貧乏への対策を書いてみろ、と言われて、これを書いているんだけど、これがおれの対策で、簡単にいえば、おれは、もうカネのことを考えるのはいっさいやめたんだ。
借金も返さないことになるが、おれに貸す奴の方が悪い。
収入に見合った生活も、まして家計簿みたいな収支のバランスなんてどうでもいい。
おれには判ったんだよ。
おれという「最良の友だち」は生き延びようとなんてしたくない奴なんだ。
そうしたいやつは海外に移住すればいいし、
田舎で知恵を使って生き延びていけばいい。
でも、おれのビンボ対策は、ただ都会にいて、いつづけて、どこまでも歩いていって、ここでもういい、とおもうところまで出かけていくことなんだ。
死にはしない。
行き倒れにはなるかもしれないが、クビをくくるなんて、やっぱり惨めだよ。それに、考えてみると、自殺してしまっては、日本語という、このクソ言語世界の理屈を認めてやることになる。
売春もやったことがないし、これからもやらないだろう。
道徳だの倫理だのでなくて、おれは、知らないやつの身体が自分の身体のなかに入ってくるなんて気持が悪い。
うまく言えないが、ちょうど長い長い舌が、見知らぬおやじの大量の唾液と一緒に、喉を通って、魂に届いてしまいそうで、吐き気がする。
もうむかしの友だちも捨てる。
誰にもあわない。
誰にも、あいたくない。
そうして、いつか、おれは自分という友だちとも別れるだろう。
きみに頼みがあるんだよ
おれが生きていたという証拠をもみ消してくれないか
誰かがやってきて、おれのことを「大切な友だちを探しているんです」と訊いたら、
誰のお話をなさっているのか判りません。そんな人は、もともといなかった、と答えてくれ
夢を見たのではないですか?
今日ひと晩の酒の相手が欲しいのなら、ぼくが付き合ってもいいですよ
そう言って、にっこり笑ってやってくれないだろうか。
頼む。
Categories: 記事
悲しくて、悲しすぎて、Likeがつけらんないよ。
いまの、じぶんと重なるところがたくさんあって
絶望が虚無にかわりそうな、今これを見たのは不思議なタイミングです
もうたくさんなんです
ぎゃあああああ〜この文章(文と言えるのか?)すごい迫力、言っちゃ悪いが面白い、みんな日本に暮らす知恵のある善い人はこんな思いで生きて、転職して、歳とって、きっと誰もが死ぬ前までブツブツこんな事を言えずに口ごもって腹の中では叫んでいるのだろう〜きっとそうだ〜
がめおべーるさんが日本からどんどん遠くなってゆく。
人を虐げる人間に男も女も関係ないですよ。
きっと男に産まれたガメさんだって怒りたくなるようなことが世の中には多いんですよ。
40年前の自分を思い出した。
決まっていた結婚を言い訳に、会社から逃げ出した。
生涯働こうという希望を達成できなくて、なんて自分は体力も根性もなかったんだとうしろめたい気持ちが続いたけど、あの時、自分は自分を救った。
カッコ悪くてもとにかく助かった、という気持ちはいまでも変わらない。