厨房を通りかかると、いつもは、なあんにもなくてピッカピカのベンチに、なぜかバゲットが置いてあります。
見ると、新鮮で、どうやら買い出しにでかけた家の人が、自分用に買って、置き忘れていったものであるらしい。
グーグルくん、何時?
と、キッチンのグーグルホームに話しかけると、
時刻は午前2時です。
草木も眠る、丑三つ時。
ニヒヒヒ。
妙案をおもいついたわしは、ギザギザがついた包丁を片手に、冷蔵庫を物色する。
プロシュートがあるね。
ジャム棚にはイチジクのジャムがある。
フヒヒヒ。
死体をバラバラにする要領で、バゲットをパン用まな板に横たえて、グサッ、ズリズリズリと刄をいれるわし。
4分の3ほど切り込みをいれると、いやがるバゲットをこじ開けて、べったり、ジャムを塗ります。
引っ張ると、のびるばかりで、これも嫌がって抵抗するプロシュートを、無理矢理、引き剥がして、バゲットに押し込む、無慈悲な男の、わし。
プロシュートとイチジクのジャム、めっちゃ合うんだよね。
最近、禁酒を標榜しているが、赤ワインは酒にあらず、と言われているので、と書くと、「誰が?出典が必要です」とか日本語ウイキペディアに注をつけられそうな気がするが、言われているので、
視界の端に入った赤ワイン、チャーチロードのメルロー、これはAirNZの会員制コル·ラウンジにもある安ワインなんだけどね、癖も味もなくて、自己主張が小さくて、水みたいなワインであるという美点があるので、なんにでも合って、当然、即席バゲットサンドにもあうので、コップに、トクトクトクと注いで、あー、うめえ、と飲みます。
ドイツビールじゃないんだから、って、あのね、ワインといえど、こういうのは、コップから、ぐびりと飲むからいいんです。
例の、カタルーニャ人が好きな革袋でもいいけどね。
あれは、馴れないと、ピュッとしぼった拍子に顔に赤ワインをぶちまけることになったりするので、丑三つ時には向いていないのだと言われている。
COVIDのパンデミックで家のなかのジムを拡大したついでに、自分の部屋の、なあんとなく間が抜けたコーナーの余白に、トレッドミルとSpin Bikeを並べておいてある。
経験上、市販のものは、わし肉体の迫力を支えかねて一瞬で壊れるので、ふたつとも、マジメな、ジム用です。
ちょうど真向かいにDellのゲームブランド、エイリアンウエアの55インチゲーマー用モニターがある。
日本でも流行ってますか?
ゲームPC。
電源を入れると、ぶおーんと電源ファンが回り始めて、PCに水が循環して、キンキラキンキラ、極彩色のLEDが、キーボードのキーや、本体、あんまりおおきな声では言えないが、家の人やモニに大顰蹙の、ゲーマー御用達LEDタワーが光り始める。
エイリアンウエアのモニタは、高いのに暗いから嫌だ、という、そこのきみ。
きみは、判っておらああああーん(←コンビニ店員を説教する客のおっちゃん風)、ゲームPCというのはね、昼なお暗い、カーテンを閉め切った、闇のなかで使うように出来ているのです。
だから、あれ、明るくちゃダメなのね。
バックライトも、わざと省いてある。
コンピュータを使うのに、これ以上のデザインはあるわけない、というくらい、よくデザインされたゲーマーチェアに深々と腰掛けて、というのがゲームをするときのスタートになるわけだけど、背もたれが高い、ゲーマーチェアを脇にどけて、リモコンでチャンネルを変えながら、ドラマや映画の廃人、じゃなくて、背信、でもなくて、どうして日本語はこう同音異義語が多いのか、配信を見ます。
Spin Bikeは静かなので普通のゲーム用サラウンディングスピーカーを使うが、トレッドミルは、歩いているときはいいが、スピードを上げて走り出すと、ドスドスうるさいので、ヘッドフォンを使う。
SONYのWH1000-XM3、めっちゃいいよね。
いま見たら、いつのまにかXM4が出ていて、小癪だが。
英語社会では、日本の家電AVメーカーは全滅です。
2010年にパーネルからリミュエラに越したときは、と言っても日本語の人には「なんのこっちゃ」に決まっているが、ともかく、越したときに家電を一新したときでも、もうマイクロウエーブがパナソニックで、日本のメーカーのものは、それだけだったが、いまはついに日本のメーカーのものは、ダイキンのシステムエアコンとSONYのプレステだけになってしまった。
SONYという会社はホンダと似ていて、態度は悪いが、向上心がある。
ヘッドフォンが良い例で、昔のSONYのヘッドフォンは、スペックばかりがよくて音質はキンキンして嫌な音だった。
ところが
ところーが
XMシリーズは、音がまともで、音さえまともになれば、ヘッドフォンの右側フォンを、撫でたりさすったりすると、動画が止まり、再開されて、音量も自由に調節できて、仕事の人が急用で電話してきても、まったく聞こえないノイズキャンセリング機能も優れていて、仕事をさぼる口実にもなっている。
時速10kmで走りながら、「鎌倉殿の13人」を観ます。
「警視庁物語」シリーズ以来、もっかはアジア枠はインド映画に取ってかわった韓国映画から、さらに日本語になっていて、
チョンマゲや日本刀、まして大鎧が出てくれば、それだけで欣喜雀躍なくらいサムライドラマが好きなので、「鎌倉殿」なんて題名が付いていれば、万難を排して観ないわけがない。
「鎌倉殿の13人」というので、頼家の生涯の話かとおもったら違うのね。
石橋山時代から、説き起こされている。
前にも書いたが、日本人なんか嘘つきで狡猾で、ガメがなんで興味を持つのか判らない、という友だちには、昔から「平家物語」を読むように薦めてきた。
英語訳、あんまり良くないけどね。
誰か、語りのリズムを活かして新訳を出さないかしら。
ベーオウルフのようでもあり、ローランの歌のような中世騎士物語のようでもあって、普遍性に富んだ「平家物語」は、血湧き肉躍る、日本語で語られた物語のなかでも出色だが、その背景は、人が生き延びるための究極の理屈は人間であれば世界中おなじなところで、鎌倉時代が好きなあまり、住みもしないのに鎌倉の谷のひとつの傍の丘に家を買ってしまった、わしとしては、鎌倉の物語とあれば、観ないわけにはいかない。
それとですね。
ええええー、と言われそうだが、言わば言え、
佐藤B作って、好きな俳優でんねん。
佐藤浩市も好きな部類に入る。
知らない人だったが、坂東彌十郎という人は、わし北条時政イメージとぴったり合っていて、ぶっくらこくほど適役だった。
三谷幸喜は、なにを書いても、監督しても、スキットが浮いてしまう人で、苦手だったが、ところどころ、「こういうことは、止せばいいのに」という余計なスキットがやっぱり入ってしまうのだけれど、良い脚本で、なるほど、こういう題材が向いているのだな、と思わせるだけのことがあった。
悪いところを言えば、いくらでもあって、昔から伊豆や鎌倉に住んでいる人は、みなそうおもったはずだが、物語がいかにも「あらすじ」で、
細部が剥落していて、現実から遊離して、筋立てと「くすぐり」に終始している。
でも、まあ、硬いこといいないな、というか、テレビなのだから、良い出来というべきなのでしょう。
わしは人間が単純なので、実歴史でもイナカモン然として好きな上総介の、イナカモンらしい頑固さと純朴が、うまく描かれていて、それだけでも満足なのでした。
18話まで、ドスドスとトレッドミル上で疾走しながら観ていて、壇ノ浦も終わってしまって、あとは、日本の名演説の白眉、政子の承久の乱での演説くらいしか残っていないが、まだ日本語世界にも、ドラマを作るちからが残っていると、思わないわけにはいかない。
パンデミックは世界を不可逆に変えてしまって、自分の生活でいえば、
週末には、バーやレストランに出向く、「外食」の習慣は、もう戻ってくることはないでしょう。
シンガポールやバルセロナや日本の大都市のように、町がリビングルームであるかのような、町と住居が一体のライフスタイルは、どうなっていくのか興味があるが、自分自身は、「ヒキコモリ」で、
家のなかで、なにもかもすませて、
家の地所から外に出るのは「気晴らし」以外には、なくなっていきそうです。
プーチンがウクライナ侵略戦争を始めて、習近平が金門海峡をおもい浮かべながら、じっと侵略の顛末を眺めていて、世界はどうなっていくのだろうと、人並に考えるが、
日本から種を仕入れて植えた青紫蘇は、どうなっているんだとか、
なんでレモンの色が悪いのか
リンゴの木の生育が悪いのはなぜか、
なんだか間延びして、引越が猶予されてしまっていて、いろいろなものが段ボール箱にはいったままだが、エアフライヤーは、倉庫に行けば、どの箱に入っているか直ぐ判るのかとか、そんなことばかりで、一日は、
あっという間に経ってしまう。
むかしなら、今日いちにちで進捗したことがなにもないではないか、こんなことでどうするのか、と焦慮したものだったが、30代も40歳に近いほうになってくると、そういうことも、どうでもよくなってきます。
なんだか引き籠もりなだけなんだけど、
まあ、いいか、
と、なにがいいんだか判らないが、ますますテキトーになってゆく、自分を楽しんでいるのかも知れません。
「老化」ともいうよね
でも、これが老化なら、驚くべし、子供のときから、ずっと老化していて、
その過程で日本語にも出会ったのだから、
文句を言うべきではないのでしょう。
(表題は、もちろん「城のなかのイギリス人」L’anglais décrit dans le château ferméから来ている。父親のライブリに忍び込んで、十歳のとき、読んでしまって、いまだにトラウマになっている。
つらすぎしんさく)
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鎌倉殿、僕もみています。
所作が現代的(八幡宮を歩く頼朝と政子がナンバ歩きじゃなかった)なところが目についたり、と演出細部にめくじらを立てたくなるところもあります。が、後味の悪さ、不気味さが、犬神家の一族とかあのぐらいの時代、つまり子供の頃目にしていた日本映画とどことなく似ているなと思うに至り、その正体は結局のところ腹黒さと残虐さだった、ということに気づきました。
そして「日本人なんか嘘つきで狡猾」の下を読んで、やはりそうだよな、と再確認しました。大泉洋が間抜けな好色男から狸親父に豹変していく様がいい例だと思いました。
バゲットとプロシュートとイチジクのジャム。
確かに合いそうですね。
イチジクのジャム……多少探すのが面倒そうだけれど。家にあるのは苦味のあるマーマレドばかり。これは合わなそうだ。
文章で書かれると改めて気づいたのですが、日本食のしょっぱいものと、甘いものを一緒くたにする食べ方と、
東南アジアとかヨーロッパの食べ方はそれぞれ違う気がします。
素晴らしいこって、美味しいものを色々食べられるのは幸せなことで。お腹すいてきてしまいました。
日本の家電は国外ではほぼ全滅でしょうけれど、韓国、中国メーカーが中心なのでしょうか。アメリカメーカーはアレですし、ヨーロッパだとフィリップス以外だと、ドイツイタリアはバカ高い印象があるのですが現地だともっと安いのかしら。
タイトルに、あれあれ?と思っていたら、バゲットやプロシュートの表現がなんだか怪しい。。最後のタイトルの種明かしで得心しました。日本語にこれを訳した澁澤龍彦の家は明月院の近所。鎌倉繋がりだったのですね。