人間と社会の意外な現実について

事業報告書や賃貸料と修繕費や管理費のバランスの述べた表計算のシートを開くと、2022年、と書かれていて、

ひゃあ、もう、そんな年か、もうすぐ21世紀も四分の一ではないか、と考える。

十数年、冷菜凍死家から始まって、あんまりふざけて凍死家と呼ぶのも憚られるようになって、初めのころはバックグラウンドである数学を駆使したのが自慢で、ひとにこそ言わないものの、新しい世代の投資方法を編み出して上手く行ったと考えて、あの階級の人には珍しく富裕なかーちゃんととーちゃんたちよりも裕かになって、内心は鼻高々だったが、

振り返って考えて見ると、愚者の考え、休むに似たり、

ほんとうは英語世界を覆った不動産ブームに乗って、

住居賃貸から始まって、順序がたまたま合致して、どんどんオカネが降ってくるようになっただけのことで、なんのことはない、アホな成金おやじと変わらないんじゃない?と、この頃は思わなくもない。

もう少しおとなしい言い方をすれば、昔から、子供のときから、滅法、運が強くて、大ピンチに陥れば運が助けてくれた、と見栄を切りたいところだが、ほんとうに運がいいというのは、もっとずっと退屈なもので、

そもそもピンチが来ない。

臆病なのか、なんなのか、借金したことすらなくて、このあいだUKの投資家友達に酔っ払ってうっかり洩らしたら、吹き出されてしまって、

そのあとに、マジメな顔で「借金をしないことで、どのくらい逸失利益が出たか、判っているかい?」と言われた。

判っている。

判っているけれども、だから、本来オカネモウケは向いていない、と述べているではないか。

根がゲーマー族で、眼の前にゲームがあれば、無我夢中で参加して、

誰にも、思いも寄らなかった方法で勝ってしまう快感に取り憑かれて、

画面のクレジットの代わりに、ポートフォリオが膨らんでいったにしか過ぎない。

このブログなのかなんなのか、よく判らなくなっている一連の記事の始めは、主語は必ず「わっし」でした。

これだけは、日本語で書いてきてよかった、とおもうのは、日本語は高々日本語人が読むだけなので、英語人の日常の私にとっては、要するに誰も読めないのとおなじで、気楽に書いていて、おかげで、若い時の自分が、英語人格の面影が射している日本語で日常を述べていて、ノーテンキというか正露丸というか、

あれはもともと征露丸で、戦争にぶち負けたあとの1949年に、おっかないロシアの顔色をうかがった日本政府の、いつもの、有り難い余計なお世話の「ご指導」でロシアを征服した木クレオソート丸薬が、いつのまにか「正しいロシア」の薬に化けたのだそうだが、だいいちノーテンキと正露丸がどこに関連があるのか判らないが、ともかく、ちゃんと日本語のなかで生きていて、いまは閉鎖してしまったので他人は読めないが、自分では読めて、

元からプライベート扱いの記事を含めれば2000を数える記事のなかで、

日本語で考えて話す自分が生活している。

いろいろなことに手をだして、遊んでばかりいるうちに、38歳になって、

もうすぐ、

「時間です。お早くお願いします」

「荒地」のなかの、ドアを叩く売春宿のオカミの声では無いが欧州に帰るだろうが、

英語の生活とは関係がないはずの日本語わしも現実に引き摺られて、わっしはわしになり、ぼくと口走るようになって、もうすぐ「私」でもいいとおもっている。

「私」で文章を書くの、難しいけどね。

いっそ主語がない文章のほうが、ずっと楽です。

十年という単位の変化は、ものすごいもので、このブログを書き出したころのことをおもいだすと、まるで前世を思い出しているような気になる。

広尾山から青山の町並や、軽井沢と追分の森、鎌倉の切り通しの、両側から迫ってくる崖や、いまにも鎧甲冑に身を固めた武者がぬっと顔をだしそうな旧砦跡、油断していると、実際に、いまでも、ぬっと出てきて、腰を抜かしそうになるそうだが、どこにもそこにも幽霊が出る鎌倉の、浄明寺から切り通しを抜けて、大町を通って、材木座に出て、ジーンズの腰ポケットからフラスコを抜き出して、砂浜に腰をおろして夜光虫が縁取る青く光る波を見ていた。

ニューヨークの、昔はチェルシーマーケットの通りを隔て向こう側にあったご贔屓のカフェ「ヴァイニル」で、ゲイやドラグクイーンのウエイターと冗談を交わしながら、あれはゲイのひとびとは、どの通りなら安全で、リラックスして過ごせるか、ちゃんと知っているので、週末にでもなれば、ストレートのカップルよりもゲイが多くなる眼の前の道を、手をつないで楽しそうに散策しているカップルを眺めていた。

いま考えると、ウソのようだが、あのオレンジ色のコートを着た、抜けるように白い肌の、輝くばかりの金髪のチビちゃんが、なんだかぷんぷんして立っていたサンフランシスコのウエスティンのバーは、20年前のあのころはまだ、優美と洗練を人間の形にしたような女の人が待ち焦がれていた相手が、中年の女の人だと判ると、見るからに憎悪に満ちた眼が、花束を片手に抱き合うカップルを、ぐるりと囲んでいたものだった。

まして、町として住む人が真っ白だったころのロンドンは、観光客であってさえ、アジアの人が客として入ってくると、愛想良く、心地の良い声で応対して、でも子供の目でも見逃しようがないほど、鋭い嫌悪に満ちた眼で、ドアをでていく背中を見つめていたりしていた。

まだ「ぼくは、マレーシアでパイロットだったとき、日本軍の捕虜になったことがあるんだ。日本人だけは、口も利きたくない。絶対に許さない」と述べる、普段は温厚なじーちゃんたちが、そこにもここにも、たくさん生き延びていたころです。

そうやって30年前からの記憶をひっくり返して、とつおいつ、明滅する、おぼえていることを並べていると、世の中は、世界は、

たしかに良くなっていることに気が付いて驚く。

個人も社会も、30年もたてば、無論、まったく別物だが、

前に較べて、いまのほうが、遙かによくなっている別物で、

発見して、これはいったいどういうことだろう、と呆然としてしまう。

人間についての知識に照らせば、ほんとうは、有りえないのではないか。

人間も社会も、本質は20年や30年で変わるものではないのではないか。

変わらないはずだが、現実の問題として、眼の前の社会はよくなっていて、

テーブルを囲んだゲイのひとびとが屈託無く笑い、インド系の、ほれぼれするような漆黒の肌の女の子供と、ゲール人の血筋なのか、真っ赤な髪の、ソバカスだらけの、

白い肌の女の子供が、高校の制服の、お揃いのタータンチェックのスカートで並んで学校から家への道を歩いて行く。

女と男の職場の同僚が、日本語に翻訳すれば両方を男言葉にするのが最も適切な調子で、会社の噂話にふけっている。

どれひとつとっても、子供のときには見られなかった光景で、わしが子供のころと言えば、まだ、ポンソンビーの繁華街で、コーヒーバーからアフリカ系の、眼が覚めるように美しい女の人が出てくると、若い男のひとびとが、口笛を吹いて、なにごとか言い合って笑い転げたりしていた。

それがなくなっただけでも、奇妙な優越意識に覆われていたパケハのあいだでは、たいへんな進歩なのだとおもう。

このまま単調に世界がよくなっていくのか、

また後戻りしてしまうときが来るのか、それは知らない。

でも、やればやれるんじゃん、と思うくらいには、安定して差別も偏見もなくなってきて、個人の暮らしは30年前とは到底較べものにならないくらい豊かになり、女のひとたちは、例えばニュージーランドでいえば、まだ女の人達の収入が僅かに低いとおもうが、フィンランドの話として日本語ネットには出ていて驚いたが、もとはニュージーランドの話で、男の子供が「ママ、男でも首相になれるの?」と述べるお国柄になって、会社でも、ボスはたいてい女の人、と言いたくなるくらい、あえて性別でいえば女の人で、社会の通念として、常識として、「女のリーダーのほうが危機に強い」と皆が考えている。

それも一種の偏見ではないか、と詭弁を述べる人がいるだろうが、ニュージーランド人にとっては、単なる実感なんです。

ここが、この社会の頂点なのだろうか、と考えていると、頂点は、もっと高いところにあって、ひとびとは差別や偏見がなくなるほど能力を発揮するのは、振り返ってみると、当たり前のことだが、むかしは判らなかった。

アジア人も女の人も、差別に阻まれずに普通に暮らせれば、当然に自分の持っている能力を思う存分に働かせるので、社会全体としては、差別があったころに較べて、おおきな推進力を得たことになる。

プーチンが核をちらつかせたり、パンデミックは実は温暖化と根はおなじで、つまりは地球人口過剰が限度を超えた結果であるという論文をチラ見したりして、意識はするけれども、小さいひとたちの時代は、やはり自分たちの時代より良くなるのでしょう。

具体的には、例えば、多分ネットの発達が理由で、若い人のあいだには多言語話者が、すさまじい勢いで増えていることに根拠を求めてもいいはずで、ふたつの言語を身に付けた人は観点をふたつ持っていて、たったひとつの観点による教条におちいりやすい思考よりも、先へ進みやすい。

あるいは、学校の教室が知育に占める割合が小さくなっていることで、子供には余剰の時間が増えて、自分に固有な能力を伸ばしやすくなっている。

個人の収入が飛躍的に増えたことも、おおきな助けになっているのでしょう。

予想もしなかったことで、「世界は良くなるのだ」という驚きが、心をいっぱいにすることが多くなったが、やれやれ、これでは自分も、もうちょっと先まで歩いていかないとダメだよね、と考える。

進歩しなければ。

人間も実は進歩するのだと判ったのだから。



Categories: 記事

1 reply

  1. 少しづつですけど、人間社会全体はいいほうに進んでますね。でもこんな風な感じで世界がだんだんいいところになっていってるって実感が持てないのが、衰えいく国に住んでる悲しさなんだと思います。

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