情緒不安定な世界を生き延びる 

英語ではturnerという。

え?spatulaなんじゃないの?

という人がいそうだが、turnerspatulaのうち、フライパンで料理しているものを、ひっくり返すことに特化したものを言います。

日本語で何と言うか調べてみると、「フライ返し」という、いかにもこなれない日本語が出てきて、でも、「フライ返し」じゃturnerspatulaの区別がつかなさそう、と疑問におもうが、人間、38歳にもなると、いちいち疑問を追求していては埒があかないので、頭のなかの「未決箱」に放り込んでおきます。

未決箱、知ってますか?

いちど60年代の映画を観ていたら、シブいおっちゃんがブチョーで、

でっかい机が、どんと、置いてあって、ふたつの箱が机の上に並んでいる。

それぞれ、幾許か、書類が入っています。

な、な、なんだ、あれは?

と興味津々の、わし。

調べて見ると、むかしの会社の、シブいおっちゃんのデスクの上には

「未決箱」と「既決箱」を置く習慣が存在して、決裁が終わっていないものは、未決箱で、手が空いたときに取りだして、「ふむふむ。坂井くん、これ、60万円はあいみつをとってから決めたの?」などと下司に質問して、

あのサラリーマンの最も萌える瞬間、印鑑を朱印のうえで、トントンして、

べったり、と捺す。

か、カッコイイ、とマネしようと考えたが、書類など、みな電子化されて、箱に入らないので、そのうちにチョコレート箱化してしまって、虫歯になりそうなので、諦めた、という話せば長い事情があります。

頭のなかの未決箱は、そういうわけで、疑問でいっぱいだが、

世の中というものは、よく出来ていて、そのうちに、年齢が加わってくると、諸事万端、森羅万象、ぼけて、どうでもよくなってくるので、不思議のことにやありけん、決裁もしていないのに、頭のなかの未決箱の案件は、ひとりでに減って、わずかに、最近のキャドベリーチョコはレシピが変わっているのではないか?とか、青紫蘇って、ほっておけば、落ちた種から、また若い紫蘇が芽生えてくるの?とか、放送されたアジア諸国、例えばシンガポールでは80%を越える視聴率で、放送時間になると通りが無人の町と化した、とイラン人友が証言する、放送時間になると通りが無人の町と化した、とイラン人友が証言する、イランでは視聴率90%+というけど、ほんとは100%だったのでは、というくらい人気があった「おしん」は、どんなドラマだったのだろう、とか、古株の疑問が、ひっそりと筐底に眠っているだけです。

だいぶん前から、30cmのフライパンでつくる、新規に考案したオムレツの作り方で、スパイシーサラミとチーズを入れたりして、混ぜもんのオムレツを作るのに凝っているが、いまの全長30センチで、ヘラ部分が10cmくらいの、標準turnerでは、まるく広がったオムレツの裾をまとめておいて、ベストタイミングで、くるっと、ひっくり返すのに、僅かにヘラの長さが足りない。フライパンの上でオムレツをバク宙させてひっくり返す、という技も、別途練習中だが、こちらは、同じ面が着地したり、不時着の衝撃で、形が壊れたり、オムレツを後方の床にぶん投げてしまったりして、まだまだ安定性に欠けるようです。

したがって、ネット上で、十分におおきいturnerを探すが、ないんだよね、これが。

おお、これはいいな、とおもうと、レビューを読むと、縁が厚くて使いにくいと書いてある。

 

閑話休題。

 

 

前置きが長くなったので、本題を書くのが、めんどくさくなってしまった。

そんなテキトーな、と呆れるでしょうけど、このくらいのテキトーさに怯んでいては、もともと読めないブログなんです、このブログ。

WordPress自体、ブログと呼ぶのをやめてしまったので、あきらかにブログは死語で、ブログと言っていいのかどうかわからないが。

なんだか、ヘンでしょう?

という本題になるはずだった。

なにがって、世界が、です。

今朝の新聞は、どうやら起源は西アフリカの風土病であるらしいモンキーポックス(猿痘)が欧州で感染経路不明の例が出始めたのに加えて、大西洋を渡って、アメリカでも罹患が見つかった、と報道している。

AIDS以来のパターンで、小地域に限定されていた病気が、人間の移動距離がおおきくなるにつれて、epidemicになり、世界中に広がってpandemicになる。

風土病というのは、ですね。

周りの感染対象を薙ぎ倒して殺してしまって感染対象がなくなってしまうものも多くて、広がらないが、その代わり、小地域に孤立しても、しぶとく生き残る強靭さを持っている。

それが、迂闊な訪問者に取り憑いて、世界的なpandemicになってゆく。

だから、なかなか治まりません。

AIDSHIV感染症なんて、1981年以来、膨大な数の研究者が、エネルギーと時間を注ぎ込んでいるのに、いまだに完治例は数例しかない。

複合治療で生と死のバランスを、かろうじて生側に保っている。

ワクチンも、なかなか出来なくて、

卯建(うだつ)があがらない平凡な勤め人が、一夜、酒に酔って、我にも分際にもあらず見知らぬ美女を誘ってみたら、案に相違して、同じベッドで眠ることになって、天国の一夜、翌朝、眼がさめてみると、女の人はすでに去っていて、

鏡にはルージュで「わたしはHIVに感染しているの」と描いてあった、というような都市伝説を生みだしながら、ルージュというカタカナ語をいちど使ってみたかったので嬉しいが、ひとびとを、いまもHIV以前よりは品行方正に保っている。

しかし、ほんとうに人間の移動が盛んになったことだけが理由なのだろうか。

勘として、それだけが理由じゃないのでわ?と考えることがあります。

NZ政府は、いまのペースで地球温暖化が進むと、どのくらいの地域が水没するか、というサイトを持っていて、それを観ていると、海が庭先まで来ていて、カヤックやディンギイで、いつでも海に出て行けるドリームライフは諦めたほうがよさそうだ、という結論になる。

三十年くらい前に、たまたま父親を訪ねてきていた気象学者たちが、冗談をいいあいながら議論していて、地球温暖化は人間の活動の結果ではないだろう、研究費欲しさのデモンストレーションなんじゃないの?というダメ結論を出していたのを憶えているが、いまは、どうやら、紛れもない、自然への人間の反作用が地球自然そのものに影響を与えたのだと、疑いようもなくなっている。

しかも、温暖化の進行予測を現実は上廻っているようにさえ見えます。

次から次に、と表現したくなるパンデミック候補は、あまりに唐突に質(たち)が悪いウイルスが出現するので、あれは実は生物兵器研究所が人工的に作りだしたものではないかと言われたりするが、初めは強く否定されて、強く否定した研究者の素性がばれて、最近は肯定的な意見が多くて、ほんとうはどっちなのか判らないのではあるけれども、真相は、やはり自然発生で、過剰な人口が地球を圧迫することで生まれて来たものなのではなかろうか。

世界が複雑になると陰謀説を信じる人が増えるのは、よく知られている。

複雑なメカニズムを理解するだけの知性に恵まれない人達が、現実の変化についていけなくなって、あれはウクライナがナチでアメリカと西欧の代貸としてロシアつぶしをやっているんだ、とか、現実をすっかり端折った「論理」を述べたりする。

それと同じ事で、地球が、もうこれ以上、人間を養うのが嫌だと身をブルブルし始めると、終末がやってきたのだと、ぼんやりした終末感が世界を覆い始めます。

少しづつ投げやりになった人間が行きつく先は、極めて複雑なバランスを相手にしなければならない平和維持の努力の低下で、

防衛のための先制攻撃だのなんだのと、現実を省略した幼稚な理論に走り出す人が増えてくる。

一方では、最も典型的で破壊的な例がオウム真理教教団だが、やはり現実を略して、宗教カルトを形成する。

こちらは地震の頻発や火山の活動の活発化まで、たいした工夫もなしに説明出来てしまうので、安心感があるというか、一挙に世界を説明できるので、相当な知的訓練を積んだ人間にとってもおおきな魅力がある。

では現実の世界でなにが起こっているのかというと、「誰にもわかっていない」んですね、これが。

人間の知性は、なにしろ思考を組み立てる言語自体が、自分の半径10マイルくらいのことを説明するために出来ているので、遠くのことや、おおきく複雑な系のメカニズムを考えるのに向いていない。

地球の温暖化という人間が直面している最大の問題についても、どうも二酸化炭素の排出量が原因みたい、とか、相関関係に頼ってたよりないが、対策を急がないと気温が年平均で1℃あがるということは、毎日の気温が22℃から23℃にあがるという意味ではなくて、例えば30℃だった最高気温が40℃近くにあがることを意味するので、喫緊どころではなくて、見当で対策を急ぐほかない。

COVIDパンデミックを経験して、極端な白黒に走ったり、快刀乱麻、いっぺんに世界を説明してくれる便利でマヌケな新説を信奉したりしないひとびとも、

「なにかが、おかしい」という不安に囚われてきているように見えます。

アメリカではアジア系人への嫌悪が増大して、東アジア系人襲撃事件が激増して、日本の人は何故か平気の平左だが、中国系ベトナム系韓国系のアジア系知識人、日本でよく知られている名前でいえば、ミン·ジン·リーのような人が危機感に駆られて団結して起ち上がっている。

世界が情緒不安定になり始めていて、無理な近代化の結果、ここ100年くらいも情緒不安定に陥った社会で暮らしている日本の人には判りやすいというか、近代日本人が、ずっと感じ続けてきたanxietyが世界中の人を覆いはじめている。

Anxietyは、人間を自傷に駆りたて、あるいは同じ力が逆向きに働けば、人間を他悪的にし、攻撃的、短絡的にする。

Spatulaからの道は遠かった。

あんなヘンな前置きで始めたわたしがバカでした。

この二行は、いったい、なんだ?

世界が、これから暫く、攻撃性のある統合失調症の人のように、

他国に武力侵攻してみたり、平和で安定していた仕組みの維持に疲れて、暴力的に均衡を変えようとしてみたりで、それが国家間の、個人に準えていえば悪意と憎悪の応酬になって、全体としては狂気に陥っていくのは、ほぼ避けようがなくなっているように見えます。

えらいこっちゃ、と考えたり、もううんざりと思ったりするが、

ひとつだけはっきりしているのは、世界の不可逆的な変性がすでに始まっていることで、周りを見渡せば判るとおり、COVIDパンデミックが、まずやってきて、文明の形を、人間の感性まで変えてしまっている。

当然、新しい考え方、おおげさに言えば思想が必要なんだけど、フライパンから、遙々来たぜ、函館へ、もう日本語を書くのに疲れたので、どんな思想ならば世界を平和と建設の方向に保てるのかは、また、次の機会にします。



Categories: 記事

%d bloggers like this: