よしなしごと

十何年か前には、夜更けの材木座の砂浜に腰掛けて、フラスコのウイスキーを飲みながら、夜光虫で青く光る波を見ていたのが、なんだか前世の記憶であるような気がする。

日本は、日本語と日本語が生みだした情緒が張りめぐらされた稠密な空間だが、かえってそのせいで、文字通り「埒外」の外国人は、おもいきり自由で、なんの制約もなくて、めんどくさければ日本語が判らないふりをすれば、簡単に情緒の外に、ほっておいてもらえた。

子供のときの「日本」は、要するに東京と鎌倉と葉山で、日本の記憶といっても、たったそれだけなので、誇張みたいなものだが、それにしても、楽しい記憶ばかりで、いまだに日本語で、役にたたない日本語の代表のようなことを述べているのは、つまり、子供のときも、おとなになってから再訪したときも、毎日、楽しくて楽しくて、たまらなかったからでしょう。

良い滞在者ではなくて、普段、付き合うのは外国人ばかりで、寄ると触ると、日本の社会の厄介な点やおかしな点ばかり愚痴を述べあっていて、でかける先も外国人特派員協会のバーや、こっちはあんまり名前を言わないほうが良さそうなクラブで、考えて見ると、少しも日本人社会に溶け込む努力をしないダメガイジンで、長期観光客に終始していた。

どこにいても、日比谷のゴジラ像の脇に立っていても、銀座の三越のデパ地下で店員さんたちと、おいしいですね、これ、と「試食品」でやりとりをしていても、「そこにいない人」で、向こうから見たこちらも、こちらから見た向こうも、風景のようなもので、どうしても中に入れてもらえないことを怒っている外国人は、いくらでもいたが、ぼく自身は、案外、社会の外にいて暮らしていることを、楽しんでいたような気がします。

小さなことが、たくさんあって、ケンタッキーフライドチキンやピザがあまりに高いので、ぶっくらこいてしまったり、いまはもうないのかもしれないが同じKFCに焼きおにぎりがあって、それまではショートライスのお米は敬遠していたのに、あまりにおいしいので中毒したり、こっちは何度も書いたが何度書いても書き足りないのでもういちど書くと、葉山や江ノ島の、スエヒロしゃぶしゃぶ/すき焼き食べ放題で、二枚目の皿からは、ぐっと品質が落ちる牛肉をたくさん食べて、ほんとに気持がいいくらいたくさん食べるのね、遠慮しないで、もっとどんどん食べてくださいね、と店の女のひとたちに笑われたりしていた。

このごろになって、やっと気が付くのは、トンブリッジウエルにいたかも知れない一日を、葉山の海岸で過ごすのは、やはり一生がいちどしかない人間にとっては、おおきなことなのだとおもう。

若いときや子供のときには、よく考えて見ると、ヘンテコリンな生活をしていても、なんともおもわず、馴れてしまうもので、このあいだ古いパスポートを見ていたら、20回を越えて飛行機に乗った年もあって、なんだか気が遠くなってしまったが、例えばクライストチャーチに滞在しているあいだは、

コンピュータを買いに、週末の買い物をする気安さでシンガポールに出かけていたりしていたが、ずっとあとになって、日本への中間点のように意識されていたシンガポールは、実は日本よりも遠いところにあって、なんだそれなら秋葉原にコンピュータを買いに行ったほうがよかったのではないか、と、自分の迂闊さに感心してしまった。

シンガポールは、当時はシングリッシュと呼んで、判りにくい、とこぼす人もいたが、英語が普通に通じて、交通標識や道路のシステムも、イギリスやニュージーランドと同じなので、なんとなく気安かったのだとおもいます。

逆からいえば、なぜ、あれほど日本が楽しかったか、理由も判って、

「なにもかも異なる」からだったでしょう。

もうほんとうに、一から十まで、なにからなにまで、推して開くドアは引いて開けて、リアカーもなぜか人が先に出て引いていて、タクシーに至っては、初めてならば、ぎゃあと言いたくなる自動ドアで、思い出していても、あの社会で、楽しくないわけはない。

大好きだったが、好きになると、どういえばいいのだろう、違和感がだんだん気持のなかで育ってくる。

感情も言葉も噛みあわなくて、いや、そうじゃないんだけど、どうして、そうおもうんですか?ということが多くなって、これは自分がいられるところではないな、と考えるようになってゆく。

くたびれてしまうので、気分が悪いほうへ傾くと、この社会は、なにもかも上辺だけで贋物の社会なのではないかと思い詰めることになる。

日本に最後に滞在した年は、日本語ネットで、日本語社会の最悪の部分である集団と出くわして標的にされたこともあって、あんまり詳しいことを言う気にもなれないが、日本が嫌いになっていた。

あとで考えると、なんのことはないホームシックで、ホームシックなのだから、さっさと帰ればよかっただけだが、なんだか意地になっていて、予定した離日のときまで居続けると決め込んでいた。

あんまり記事には書かないが、実際には、たいへんな数の人が後見人のように、日本にいるあいだじゅう面倒を見てくれていて、日本の社会では地位もあるひとたちだったが、浮かない顔をしていたりするからでしょう、家に招いてくれたり、困っていることはないか、不自由はないか、と年中様子を見にきてくれてもいて、ずいぶん恵まれた滞日だったのに、それでも最後は「ここは自分がいるべきところではない」という気持がぬぐえなくなっていた。

いまの頭の中にある日本は、だから、だいぶ美化された日本であることを判っています。

簡単なことをいえば、記憶のなかでは、御成通に立ってみあげる空には、あの綾取りのように張りめぐらされた電線はないし、写真でみると、狭小で、びっくりするほど狭い由比ヶ浜の海岸は、幅が三倍はあって、広々としている。

周りを歩いている人間からして、記憶のなかでは、現実よりも5センチほども背が高くなっていて、なにもかも、自分の都合にあわせて、形が変わっている。

でも、それでもいいのではないか、と最近はおもっています。

外苑や白金の医科研通りを歩くと、銀杏の葉が、ざあああと音を立てて、黄金の滝のように落ちてくる。

鎌倉の鎧武者がぬっと顔をだしそうな砦跡がある朝比奈の切り通しを歩いていると、関東大震災で動いて突き出したのだという巨石の向こうは、中世であるような気がして、自分は物理的に移動しているのではなくて、時間を遡行しているのではないかと考え出す。

断片をつなぎあわせて、深夜の六本木で「ここには神がいない」と真顔で述べた見知らぬアフリカ人や、わたし、ホステスなんだけど、日本人の男は案外やさしいわよ、と少女のような笑顔で述べた、箱根で出会ったロシア人の女の人を唐突におもいだす。

日本とは、いったいなんだったのだろう、と、よく考えます。

自分にとって、ということだが、自分にとって以外には人間には世界の認識のしようがない。

日本の人の奇妙な点のひとつは、自分たちが、どれほど美しい国土に生まれ合わせたか知らなくて、まるで美しい顔にカミソリを立てて傷をつける女の人のように、国土を壊して、醜くすることに情熱を感じている。

それでもクルマに乗って、軽井沢を出て、富山や新潟、足を伸ばして福島や岩手に行くと、日本の人が切り刻んで、破壊していないところは、途方もない美しさで、だんだんコツが判ると、要するに「名前が付いていない」ところに行けばいいのだと判ってくる。

東尋坊などは反面教師の代表で、とにかくオカネを払わなければ意地でも美しい景色は見せないという固い決意で、モニさんとふたりで福井のプライベート露天風呂に入りにいった帰りに寄ってみたら、嵐のなかで、強風に吹き倒されそうになりながら、こっちこっちと、誰もいない有料の区画に誘導しようとしている人がいて、人が悪いことだが、ふたりで、そのさもしさが可笑しくて吹き出してしまった。

名前が付いているところはダメで、美ヶ原でも、美ヶ原ではない隣の高原のほうが、遙かに美しくて、放ってある自然が贅沢そのもので、なんどもピクニックに行ったものだった。

やっと漕ぎ着けたというか、ああ、日本はよかったなあ、とこの頃は思う。

考えてみれば日本語が判らないほうが、いまの気持にたどりつくのは簡単だったはずで、なんだかバカみたいだが、始めてしまったものは仕方がない、では酷いが、このまま日本語も行けるところまでは行って、

あなたの書くものの熱烈なファンです、とわざわざ述べに来てくれた西郷輝彦さんという日本の俳優の人と、すっかりウマがあって、では現実に会って署名をした本をお届けします、といったんはまた日本に行くことを決めたが、COVIDでのびのびになっているうちに、悔しいことに、亡くなってしまって、一色登希彦さんという、自分では兄のような気がする人に会いに行くのでなければ、どうせ、現実を見るのが怖くて日本には出かけはしないが、記憶のなかの日本は、「ここではないどこか」が具現した輝かしい土地として存在していて、きっと日本語が自分から剥落してしまわない限りは、書きとめて、とどめておこうとするでしょう。

もう、知らないふりをしているわけにはいかないのだから。



Categories: 記事

3 replies

  1. 3分に間に合ったぞ‼️

    私、ガメさんの文章読むと、
    景色が見えるんだよねぇ。
    人の顔も見えるし。

    なので、鎌倉の幽霊の話や
    軽井沢の座敷童の話や
    ギリオージの様々な体験や
    見たこともないモニさんの顔が
    見える様なんだよね。

    日本の風景も全然知らなくてさ
    ガメさんの文章で知るんだ。
    日本の景色を。

    だから、書きとめたものを
    消さずにとどめておいてね。
    この文字の向こうに
    景色が見えるから。

  2. この頃、思い出します。
    逗子の祖父母の緑の絨毯をひいた、掘り炬燵の居間の出窓から庭を見ながら、ああ、夢みたいに幸せだなあ。でもこの時が夢になる時が来るのだな。と予感していたことを。
    わたしの好きな日本はそこにありました。

    好きだったよ、日本。いまでは執着かも知れません。

  3. 生まれた土地に住んでると気づきにくいことに異国から来た人はやはり気づきやすいのですね。同じ土地が全く別の角度から見えたりする。…自分も同じ経験をしたので知ってるつもりでしたが、こうして身近な地名とともに書かれるとドキリとします(笑)。鎌倉や逗子・葉山の風景も、この10年ほどで細かいところが日々どんどん変わってしまい、この地域に住む者としては寂しさを感じるのだけど、海岸とかでのんびり過ごすと思いのほか、何十年も前の空気があったりもします。美化された記憶を壊すことは悲しくても、機会があるならまた訪れて欲しいような気はします。記憶の中の日本は、再度訪ねても上書きされて消えたりはしないと思うので。

Leave a Reply

%d bloggers like this: