成田空港

九十九里浜が見えてくるときと、富士山が見えているときがあって、風向きや離着陸の都合があるのでしょう、時によって異なる角度から、ゆっくり旋回しながら高度を下げてゆくと色の深い、暗い緑が見えてきて、

おー、日本に来た、とおもう。

利権がらみで強行して、地元の農家のひとびとが学生たちの支援を得て激しく反対した空港建設の経緯もあるのに違いない、日本の人には初めから評判が悪かった「遠すぎる」空港も、日本では報じられなくても、案外、初訪日の外国人には好評で、Nexに乗ると、ディズニーランドが左に見えてくるあたりまでは、

美しい田園風景が続いて、日本への第一印象を良くしている。

もっともシャトルバスに乗ると、特に成田空港へ入るときには、英語メディアは「成田要塞」と呼んで茶化すのが好きなくらいで、ものものしくて、ちょっと昔の、短機関銃を肩から吊した国軍兵がおおぜい空港内を歩いていたバンコクのドンムアン空港みたいで、その上、なにしろシートが窮屈で、少し背が高いと、もう最前列か最後尾しか物理的に座れなかったりして、

たいていは、Nexで往復することになっていた。

空港は、特に初めて訪問する人間にとっては、その国のおおきな印象になるので、子供のころは、オークランド空港に近付くと、延々と続く農場が見えてきて、馬の群が駆け回っていて、クライストチャーチ空港ならば果樹園に包まれた空港で、それがニュージーランドの印象になっていたし、クライストチャーチ空港などは、暗黙の、お国柄の象徴で、空港のすぐそばに、プラモデル並に、スタンドで飛行姿勢を取っているスピットファイアの実機が野外に展示されていて、なんといえばいいのか、有無を言わせないところがあります。

初めて日本に来たときは、シャトルバスで、夜で、真っ暗な田園を長いあいだ走って、薄暗い、冷たい感じがする街灯の町に入って、いま考えれば箱崎ターミナルの手前くらいから、光の洪水が見えることになる。

その、眩しい、社会の繁栄を、そのまま象徴しているような、色とりどりの、膨大な光の広がりが、まっすぐ日本のイメージになって、いまに続いている。

一方では、冒頭で述べたようにJRの車窓から眺めた田園の印象もあって、

いま書いていて初めて気が付いたが、どうやら頭のなかでは、ふたつの別の国のように印象されているようです。

そのあとの記憶は曖昧で、麹町に行ったのか、それとも鎌倉に行ったのか、確かめて見る気もしないが、鎌倉に向かったとすれば大船までNexで行ったはずで、麹町ならば迎えの人が来ていたはずだが、もうなにもおぼえていなくて、ときどき考えて、ギョッとすることがあるが、光の洪水は二度目の訪日の記憶で、もしかしたら初めは、そもそも空港まで、迎えの人が来ていたのかも知れない。

何れにしても、30年近くも昔のことで、ぼんやりと曖昧だが、おかしなことだけは、おぼえていて、空港で、JALの役員だかなんだかの人が殿様のような、としか言いようがない趣で大股で歩いてきて、もうあと何年かすると、わし記憶のなかでは裃を着ていたことになりそうな、家来然とした社員たちが頭を低くして、お伴つかまつっていて、異様だったことは、はっきりと憶えている。

離日のほうは、いつも明るい記憶で、いくら日本が楽しくても、英語世界に帰るのは、どんなときでも、ほっとすることだった。

遠泳のあとで、陸にあがる心持ちというか、ジタバタしたあとで、やっと自分が何をやっているか判る世界に戻った安心感があります。

おとなになってからは、日本を発つ日は習慣のようになっていて、儀式化していて、前日に定宿のヒルトンにチェックインする。

どうしてヒルトンになったのかは、おぼえていないが、いちどJALホテルに泊まったら、あまりに杓子定規で、共同運行便であるのに「お客様はAirNZの航空券をお持ちなので、JALのサービスは受けられません」と荷物の運搬まで断られて、とーちゃんとかーちゃんが顔には出さないものの、呆れ返っていたことがあるので、折角日本にいるのだから、日本のホテルを使いましょう、と述べていたのが、そのときからJALはすべて忌避するようなったことがあったから、そういう理由だったのかも知れません。

ヒルトンは、アメリカ資本なのに、なぜか朝ご飯が「日本の人が考えたウエスタンブレックファースト」で、おいしくなくて、閉口したが、それ以外は快適で、馴れてしまえば、いまはどうだか判らないが、その頃はユナイテッド航空クルーの定宿になっていて、気安い、気持のいい人びとで、すぐに仲良くなって、打ち解けて、なかには顔をみおぼえて、また会ったね、と友だちのような気持になる人もいた。

無料循環バスで成田のモールに行けるのを教わったのも、ユナイテッドの人達からだった。

ゲウチャイという名前のタイ料理屋があって、出発前の夕食は、そこで摂るのが慣わしになっていた。

いま思い出しても、おいしくて、また食べたくなるクン·オプ·ウンセンという豚の脂をベースにした鍋料理があって、終わりのほうになると、これを食べると、明日から英語世界に戻れるぜ、と自動的に考えるようになっていた。

ただの空港なのに、成田のことになると、次から次へと思い出が出てくるのが不思議な気がする。

ひとつにはチャンギなどは、変化拡大が激しいことと、効率的で、第一、流れ作業でオーチャードロード周辺のホテルへ移動できるので、空港近くに泊まる必要も感じないので、固定した思い出が出来にくい、ということもあるでしょう。

あんなに何度も訪問した空港なのに、はっきり憶えているのはちょうど11日に、シンガポールにしては、30℃を下回って、確かにやや気温が低めの涼しい日ではあったけれども、バスの座席にダウンコートを着て、背中を丸めて、ガタガタ震えていて、本人には気の毒でも、おもしろかったことくらいで、印象がない。

でっかいバスターミナルみたいで、いまどきの世の中では珍しいことにファーストクラスとビジネスクラスのラウンジが厳格に区別されていて、これも、いま書いていて思いだしたが、いちどチェックインの前に大停電が起きて、空港が大混乱に陥って、暢気なので、「映画みたい」と考えて、右往左往するひとびとを眺めていたことくらいが、やっと記憶に残っているだけです。

AirNZも羽田に飛ぶようになって、日本の低下を続ける国力から考えて、どうかすると成田空港は閉港になるかもしれない、とおもう。

日本滞在の最後の最後に、シンガポールとの往復に使ったことがあって、その前に、子供のころ日本から台湾に行くときに使ったときに較べて、雲泥の差で、ほんの地方空港然としていたのが、近代化されて、品川からすぐで便利で、

案の定、航空会社は成田をやめて羽田に殺到していると報道されていました。

宿も、高輪プリンスの旧館は、シャワーが胸までしかなくて、ヘンテコリンだが、庭園も、ロビーもゆったりしていて、旅行の前後に泊まるのは適していて、言うことがないといえば言うことがない。

ゲウチャイにあたるレストランも、Devi Cornerというご贔屓だったインド料理屋があって、不自由しなかった。

それでも成田に日本の思い出がいっぱい詰まっていて。羽田などは、成田に較べて、botと人間くらいも印象が異なります。

過去からやってきたような「過激派」のクルマが空港に突入して、閉じ込められて出られなくなった夜や、パスポートを忘れたり、時間を間違えたりして搭乗できなかった日のことや、720だったか、搭乗便のナンバーを搭乗時刻と勘違いして、たしか「グルメサンドイッチ」でのんびりサンドイッチを食べていて気が付いて全力疾走でウイングからウイングへ駈けていったり、

あとで思い出して、不気味に思い出し笑いをする「事件」がたくさんあった。

なんだか、付き合わせてしまって悪いけど、まったく忘れてしまって、記憶がノッペラボーになる前に、書きとめておこうと考えました。



Categories: 記事

1 reply

  1. これは名文です。私が旅好きだから、余計にそう思うのかもしれない。
    成田のことが、というよりも、異国に入っていくその過程や、見知らぬ土地での心細い移動は、いつも印象に残っている。

    > いま書いていて初めて気が付いたが、どうやら頭のなかでは、
    > ふたつの別の国のように印象されているようです。

    とても良くわかる。
    思うに、外国は夜と昼で別の次元に属しているに違いないと。

%d bloggers like this: