日本語の美しさについて 1

振り返って、結局やらないで終わってしまったもののうち、最も成りたかったものは能楽師であることは、前にも書いた。

身の丈が2mを越える乙女では、能の神様も、ぶっくらこいてしまうが、

このあいだ、サムライドラマを見ながらリファレンスにネットで調べていたら、お市の方と並んで、戦国時代の超絶美人の代表、美濃の深芳野は身長が188cmあったそうなので、20cmくらいなら、能楽の神様にもおまけしてもらえるのではなかろうか。

舞台で最後に観たシテは、名人の呼び名が高い人だったが、でっぷりと太って、まさか現実にはそんなことはないが、面とおなじくらいはみだしてんじゃないの?と、言いたくなるくらい、あごの肉がぶよぶよとはみ出していて、それに較べればマシであるような気がしなくもない。

能の尋常でない幽玄美は、世阿弥が「風姿花伝」を書いた15世紀の、ごく初期から完成されていて、しかも、これは偏見だと言われそうだが、観客ひとりであることを理想としていて、もしかしたら、能を極めれば、演者は、神仏だけを観客として舞いたいと願うものなのかもしれない。

能が永遠に朽ちていかなさそうな美を保っていて、歌舞伎とおおきく異なるのは歌舞伎が「生」に依拠しているのに、能は「死」によって支えられているものだからだろう。

生は移ろって、変わってゆくが、死は、変わりはしない。

死に強く強く引き付けられる日本の人の国民性と相俟って、日本に文明というほどのものが残っている限りは、能もまた、舞われていくのではなかろうか、と思わせます。

美は、倫理によって牽制されない。

それどころか、時によって、そんなに少なくはない頻度で、反倫理的なもので、古代ギリシャの昔から、目に一丁字もないような観客でさえ、母子相姦の悲劇や父親殺し、容赦のない裏切りの殺人に、身を慄かせながら、その反倫理の美しさに、魂を奪われていった。

なんども述べたように、日本人は、幕末にオランダ語を翻訳する必要から、「引力」「重力」「真空」「遠心力」と次次に思考を組み立てる必要に駆られて「新しい日本語」を生みだしていく。

近代化をめざして、強い軍事力をつくることによって世界の仲間入りをすると決めた明治時代になると、ほとんど量産と言いたくなるくらいの勢いで、

つぎつぎに日本語を生産し始める。

権利、社会、常識、恐慌、絶対、理性、義務、個人、自由

切りがないほどです。

ここで注意しなければならないのは、当時は、ごくごく一部の海外生活経験のある日本の人以外は、こういう「近代日本語語彙」は、ラベルだけが貼ってあるカラッポの缶詰のような言葉であったことで、翻訳された文章の文脈から

「こういう機能がある単語なんだな」と勘がいい人が理解できただけで、

現実には、文字通り「空をつかむような」話で、いわば言葉の歴史性が判らないので、血肉とはなりえなかった。

西洋には「自由」というものがあるそうだ。

西洋には「個人」というものがあるそうだ。

西洋には「権利」というものがあるそうだ。

で、観念的に印象していただけです。

Integrityという判りやすい一例を挙げたら、なんだか全部integrityが代表してしまって、ちょっと戸惑うが、倫理に至っては、意図的に、日本語の体系から外してしまった。

政府の意図は、簡単で、富国強兵というものの、中身を検討すると、富国は強兵のために限定されていて、国家予算の半分を軍隊につぎこむありさまで、つまりは強大な軍隊をつくることが近代日本という国家の全身全霊を挙げた目標だったので、

立て杭にしばりつけられた台湾の蕃人や朝鮮半島の市民を、命令一下、引き鉄をひいて、ためらいなく撃ちころせる国民でなければ困るからです。

倫理などもたれてしまって、ナチの親衛隊SSではよくあったことだが、

「わたしには、人間として、命令を実行出来ません」とでも言われた日には、日本は弱国のまま終わってしまう。

倫理などは国家の成長にとっては邪魔なだけで、ついでに言えば、人間性なんてもたれてしまっては、いまの白痴的なネット語をわざと使えば「お花畑」の空疎な実質をもたない言葉でいてもらわなければ、国が軍事費の元を取るために他国へ侵略していけるほど強くならない。

人間性がある社会なんて、軟弱なものをつくってしまえば、日本は亡びるだけだ、というオサムライが作った国らしい、強い思いがあったようです。

慌てて付け足しておくと、軍事で世界に伸してゆこうと考える限り、この国家デザインには現実性があって、戦場の兵士は、実はあんまり真剣に相手を殺そうとしないものなのが、よく知られている。

いまでも「良い戦争」とアメリカ人が呼ぶ、対日戦の太平洋戦争でも、10人のうち真剣に日本兵を狙って射撃する兵卒は、4人もいればいいほうだった、という。

これが、なにしろ最高指揮官の姓がドイツ語名前だった欧州戦線では、23人に減る。

興味深いのはアフリカ戦線でのイタリア兵で、自分たちの生命が脅かされる局面になってさえ、人を殺すのが嫌さに、わざとやや上方に向かって射撃する兵隊がほとんどだった、という証言もあるくらいで、人殺しをするくらいだったら逃げる、という気分にあふれた軍隊で、旧式兵器と並んで、これがイタリア軍の弱さの原因だったように見えます。

そこにいくと明治政府以来の薫育が奏功して、敵兵だろうが敵性市民だろうが、命令通りマジメに殺すので、帝国陸軍の兵は、オンボロ兵器が多かった割に、無茶苦茶なくらい強かった。

すでに兵器の用法というシステムの部分で、ロンメルが書いた「歩兵の突撃」、例えばspandauMG-42は小区域の制圧を目的としているが、日本軍は機関銃による「狙撃」で有名で、恐れられた。

アメリカ軍兵士たちに心から尊敬され、愛された報道写真家アーニー·パイルも、この、軽機関銃による狙撃で日本兵に殺されます。

長々と戦争の話題に触れたのは、そもそも近代日本語の究極の目的が「強い軍隊をつくって戦争に勝つこと」だったからです。

いまから振り返ると、日本の人自身が呆れ返ってしまいそうだが、

日本の国家としての経済構想は、「オカネは全部軍隊にいれあげて、国の富や国民の幸福は他国を侵略して冨を奪ってくればよい」に尽きていた。

むかしは征台の役と呼んで、ちゃんと戦争として扱っていた宮古島島民殺害を口実にした台湾占領に乗り出すのは1871年という早さでした。

結果として戦場での衛生など、侵略戦争の予行演習の意味合いが強かった、この出兵の結果、日本は初めての「外地」琉球をもぎ取って併合します。

1945年、他の赤字を垂れ流すだけだった植民地に較べて、製糖業などで、ゆいいつ黒字経営に終始した台湾を日本が手に入れるのも、まだ20世紀にすらならない1895年でした。

同じ頃、日本政府は兵士の識字率向上を目的として、「国語」という概念を発明します。

とにかく生まれて来た子供は、全員小学校に入学させて、兵士にとって必要な素養、計算能力と簡潔な表現の日本語を正確に理解する能力を徹底的に鍛錬する。

綴り字·単語·会話·読本のよっつを、「国語」という概念にまとめて、日本の政府は、ここに至って全力で、国民皆兵、強い軍隊をつくりだそうとする。

観察では、日本語人ほど、戦争用語が好きな国民はなくて、PCのようなものまで「超弩級」の「無敵性能」であったり、求愛においてさえ「撃沈」されたり、新聞記者は「遊軍」であり、航空機墜落事故の現場に近い取材拠点は「前線基地」で、破竹の快進撃や、楽勝や先鞭、対戦、孤軍奮闘は、至るところに散在している。

もっと古い戦争用語なら、もう戦争の言葉だと意識もされていなくて、日本語を外国語として習得する人間くらいしか奇異におもわないが、

横槍を入れる

苦肉の策

背水の陣

速攻

一本槍

先駆け

真剣勝負

出張

縄張り

矢継ぎ早

もうほとんど無限にあります。

 

 

 

子供にとっては普通、能は退屈だというが、それならば、例外だったわけで、能は、子供のときから、観る度に茫然となってしまうくらい好きだった。

もういまでは日本語をやめてしまった、ぼくよりも遙かに巧みな日本語話者のイギリス人友だちに、「まるでお子様ランチで洋食に感動する子供みたいだな」と大笑いされたが、初めに観て好きになったのは観世の「井筒」で、

初めのころは、「井筒」ばかり観ていた。

あとになって伊勢物語を読んだのも井筒のせいだった。

月やあらぬ

春やむかしの 春ならぬ

我が身ひとつは

もとの身にして

そして、子供のときから、ゾクゾクするほど好きな、クライマックス、

「見ればなつかしや」

「われながら、なつかしや。亡婦魄霊に姿はしぼめる花の

色なうて匂。

残りて在原の寺の鐘もほのぼのと

明くれば古寺の松風や芭蕉葉の夢も

敗れて覚めにけり夢は破れ明けにけり」

近代日本語は、美しい姿を取り戻すためには、軍隊用語が刻みつけていった刀創や銃創の醜い傷を持ったままでは無理で、よほど日本語人全体が意志を持って、近代語から、今度は倫理語彙の代わりに軍事用語を削ぎ落として、

用法ひとつとっても、「であります」調などは、おもいきりよく捨てて、

日本語の歴史を遡行して、日本語が工夫した化粧のない、素のままで美しかったころにまで戻って、再構築しなければならないでしょう。

たいへんだけど、それがやれなければ、日本語に立脚した日本語社会も言語の瘴気で病んだいまの状態から恢復できるわけがない。

もう遅いのかも知れないが、遅すぎても、正語を取り戻そうとすることが、

結局は日本の社会そのものを救うことになるのだとおもいます。



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